シーラの過去
「そうだ、それでいいんだ! それにしても、本当に無様だな。お前があの最強の魔術師だったとはとても思えない」
最大限に嫌味を込めるアレフ。あたしは唇を噛み締めなんとか耐える。ここで逆上しちゃ駄目だ。そんなことをしたらあおいを巻き込むことになりかねない。だが、この男はまだ飽き足らないのか、尚もあたしに恨みつらみをぶつけてきた。
「お前、散々俺のことこき使ってくれたよな? 周りのやつも、最強様の言うことは聞いておけとか言いやがるから、俺はお前の使いっ走りをするしかなかった。あれは本当に屈辱的だった」
確かに、勇者パーティに所属して一年未満だった彼に色々な雑務を頼んだことは否定しない。だが、組織の中には役割がある。勇者パーティに入って間もない彼がそのポジションについたことはやむを得ないことだし、あたしが彼を殊更邪険に扱ったことはなかった。しかし、名門魔術学校を、CからSの四段階のランクのうち最も優秀なSランクで卒業したという彼は、あたしのそういった態度にプライドを傷付けられたのかもしれない。そんなこと、学校も出ていないあたしが知ったことではないけれども。
「そんなお前が大怪我をしたと聞いて、俺は心底喜んだ。散々俺をこき使った罰だって! そしてそんなお前をこれから捕まえられるなんて、こんなに嬉しいことはない」
アレフは憎たらしく笑う。あたしは無意識の内に自身の左手の義手をきつく握りしめていた。すると、先程から黙っていた残りの二人の女性のうちの一人、ケイトは言いにくそうにではあるが、彼に対してこんなことを言った。
「アレフ、なにもそこまで言う必要はないのでは……?」
そんな彼女に対し、案の定アレフは不満を露わにする。
「は? なんだお前? お前だってこいつのせいで前線に出させてもらえないって愚痴ってたじゃねえか?」
「た、確かに愚痴は言った。だが、我々の年次ではそれも致し方ないのは分かりきっていたさ。あと、分かっているとは思うが、彼女が怪我をした原因は君が不甲斐ないことにもあるんだぞ? もちろん、それは私にも言えることだが……」
ケイトはばつが悪そうにボソッと呟く。彼女もまた若手で経験の浅い魔術師だ。
彼女の言う通り、実際若手である彼らがもう少し戦力になってくれていれば、あたしがあそこまで戦闘に出ずっぱりになることはなかった。勇者が、学校で優秀な成績を収めて鳴り物入りで入ってきた彼らの予想外の体たらくに頭を抱えていたのをあたしはよく覚えていた。
「そ、そんなこと関係ねえよ! 俺たちでもできるのに、あいつが出しゃばるからあんなことになったんだ! 俺は悪くねえ!」
アレフの様子はもはや駄々っ子のそれでしかなかった。ケイトたちはそんな情けない男の様子に明らかに引いてしまっていた。
「……どっちにしろこいつは俺たちを邪魔したんだ。だからこいつは敵だ! 敵はいくら痛ぶっても何も問題はない!」
「……貴様には、何を言っても無駄だな」
そう吐き捨て、ケイトは後ろに下がる。ケイトが引いたことを言い負かしたと勘違いしたアレフは、更に嗜虐的な笑みを浮かべ、ついにあたしにとって一番触れてほしくない話題を出した。
「そう言えばあんた、勇者様の婚約者だったんだよな?」
「そ、それは……」
心臓がギリリと痛む。あたしは殴りかかりそうになる腕をなんとか鎮める。
「隠したって無駄だ。それぐらいは誰でも知ってる。もちろん、お前が婚約破棄されたことも津々浦々まで広まっているぜ」
あおいを守る為ならどんな罵倒にも耐えてみせる。しかしこの話題だけは、あたしは平静を保てるか自信が持てなかった。
「婚約破棄された気分ってのはどんなもんなんだ? 今どんな気持ちだか教えてほしいくらいだ」
胸が締め付けられる。こんな何も知らないやつに傷を抉られていることが、尚更あたしの心にダメージを負わせていく。
実は、あたしと勇者であるユーリ・ランチェスターは、かつてあたしの後ろ盾となってくれていたヴァンデンハーグ家の主導で婚約が決まっていた。もちろんその婚約は政治的な思惑がほぼ全てを占めていた。と言うのも、あたしたちは別に恋人同士でもなんでもなかったからだ。あたしたちはあくまで仕事上の付き合いでしかなかった。だから、ヴァンデンハーグ家の為のこの結婚に、あたしは当初相当な抵抗があった。
そもそも、「最強」と呼ばれ、前線で戦っていたあたしが結婚する意味などどこにあるのか、正直あたしは全く分からないでいた。それでも、もしあたしがヴァンデンハーグ家の正式な養子になって、アトレア王国軍の最高司令官である勇者と結婚すれば、あたしを支援してくれていたヴァンデンハーグ家の基盤が盤石になることは間違いない。だからあたしは、気乗りはしなかったけど、その結婚を受けることにしたんだ。
結婚が決まると、あたしは嫌でも以前より勇者であるユーリのことを意識するようになった。これまでろくずっぽ恋愛などしてこなかったあたしは、もちろん突然ユーリに対して恋心を抱くなんてことはなかったけど、彼の真面目で一生懸命な姿を隣で見ていて、この人なら、結婚するのも別に悪くはないのかもしれないと思うようにはなっていった。
口下手で何を考えているのか分からないことも多かったけど、あたしは彼のことをもっと知ろうと努力したし、ユーリもあたしのことを気にかけてくれていたのは間違いなかったと思う。
……なのに、彼はあたしが竜人族との戦いで左腕と左足を失う大怪我を負うと、なんとあっさり婚約を破棄したんだ。あれだけ一緒に幾多の困難を乗り越えてきたっていうのに、ユーリはあたしに対し哀れみすらも抱いてくれなかったという事実は、あたしの心を完膚なきまでに打ちのめし、あたしを人間不信にさせるには十分すぎるほどだった。この程度で崩れる信頼関係しか築けなかったことが、あたしは悔しくて、そして悲しくて仕方なかった。
「ぐ……」
あたしは涙を堪えるのがやっとだった。ユーリとの関係について、それがどれほどあたしにとって辛いことであるか分かっていながら、アレフは尚あたしの心を抉ることをやめようとしない。
「まあ、勇者様と婚約していながら他の男と関係を持つような不誠実な人間じゃこうなるのもよく分かるぜ」
そう言って彼はケラケラ笑う。だが、あたしはその言葉だけは我慢ならなかった。他のことはほとんど事実だとしても、その点に関してだけはあたしは命を懸けてでも違うと言えた。だから、あたしは思わず声を荒げた。
「だから、それは誤解だと何度も言っている!」
「は? 何が誤解だ。お前とクリスがヤッてたのを目撃したやつがいるんだぞ? 現場を抑えられているのに言い逃れできると思ってんのか?」
言い逃れも何も、あたしは本当に身に覚えがないんだから、他に弁明のしようがない。
あの日、あたしは確かにかつての同僚であったクリス・ドライヴァーと会っていた。しかし、それはあたしがクリスに一方的に呼びつけられただけで、そこで何かが起こるなんてことはなかったんだ。
そもそも、その目撃者とやらは、あたしとクリスが不埒な行為に及んでいたと言ったらしいけど、それこそ絶対にあり得ないことだ。……恥ずかしいから皆には大々的に言えなかったけど、あたしは、男性とそういったことをしたことはないんだ。そもそも、あたしは男と接吻をしたこともないんだ! そんな女が、外で、よりにもよってあのチャラ男とそんな行為に及ぶなんてあるわけがない!
やっていないことを、その人物は一体どうやって目撃したっていうのか。そこまで言うのなら、隠れていないであたしの前に出てくればいい。そして面と向かってあたしに証拠でも突き付ければいいんだ!
「まあ、お前がいくら否定しようが、勇者様はそうは思わないだろう」
「それは……」
確かに、例えそれがデマであっても、もし婚約した相手にそんな噂が立てば心穏やかじゃいられないのは当然だ。
もし、あの後すぐに竜人族の討伐任務に出向かなければ、あたしが彼に対して弁明する機会を与えられていれば、こんな結果を招くことはなかったのかもしれないのに……。
「勇者様は実に賢明な判断を下された。お前みたいなやつは、勇者様に捨てられて当然なんだよ!」
そう吐き捨て、アレフは高笑いする。これであたしの心にとどめを刺せたと思っているのだろう。確かにこのまま何も起こらなければ、あたしは失意のまま彼らの捕虜となっていたことだろう。だが、実際はそうはならなかった。奴の暴言を良しとしない人物が、まだこの世界にはいてくれたんだ。
「そこまでだ……」
突如としてあたしの後ろでドスのきいた声が発せられ、あたしは思わず振り返る。アレフの高笑いを遮ったのは、今の今まであたしがなんとか守ろうとしていたあの少女だった。
あおいは、彼女を守ろうと伸ばしていたあたしの手を掴み、あたしの前に出る。その手には、いつしか魔術の元となる魔力石が握られていることをあたしは見逃さなかった。
「これ以上、彼女を悪く言うことは許さない」
静かながら、彼女が怒りの感情を抱いていることは明らかだった。