涙の再会
あたしたちは男の言う部屋まで辿り着くが、案の定その部屋には鍵が掛かっていた。
「どいてください!」
しかし、その程度のことはステラのハンマーの前には無意味も同然だ。ステラがハンマーを振りかぶり思い切り扉に叩きつけると、ものの見事に壁に大穴が空いた。
あたしたちはその穴から部屋に入る。するとそこには本当に奥様の姿があったんだ!
「セシリア!?」
「お母様!」
セシリアは奥様の元に駆け寄り、二人が抱き合う。見ると、奥様のお腹はかなり大きくなっており、いつ産まれてもおかしくない状態であるように思われた。こんな状態で拘束されていては母子ともに危険であることは明白だ。
「奥様!」
「あ、あなたはシーラ!? どうしてここに……?」
奥様はあたしの顔を見ると非常に驚き、そして同時に気まずそうな表情を浮かべた。やっぱり彼女はあたしを見捨てたことをまだ気にされているのだろう。すると、そんな奥様を見てセシリアがこう言った。
「お母様、ここまではシーラたちが導いてくださったのです」
「そ、そうなのですか? 私はあなたを見捨てたのに、どうして……?」
奥様は先ほどよりも更に驚いた表情を浮かべる。あたしはそんな彼女の手を取った。
久々に奥様を目の前にして、あたしの中で様々な感情が沸き上がって来る。でもその中のどれもが温かなもので、奥様やセシリアに対するネガティブな感情なんて、あたしの中では一つとして存在していなかったんだ。
奥様はあたしにかける言葉が見つからないでいる。あたしはそんな彼女に対し、なるべく表情を柔らかくして言葉を紡いだ。
「もう、そのことはいいんです。あたしはこれまで、あなた方に数えきれないほどの幸福をいただきました。……確かに、あの時は本当に辛かったけど、それでも、あの温かな時間があったからこそ、今のあたしがここにいるんです。だからあたしは決して、奥様を恨んだりはしないんです」
確かに、あの時あたしはどん底に落ち、死すらも覚悟した。でもそれでも、あたしはついぞ奥様やセシリアのことを憎いと思うことはなかった。
「どんなことがあっても、あたしはお二人のことが好きなんです。できることなら、またみんなでお話して、一緒に笑い合いたいって思ったんです。……だから、あたしはお二人を助けるんです。あたしはまた、あの時間を取り戻したかったから……」
気付くと、あたしは人目もはばからず涙を流していた。今言葉にしてみて、どうしてあたしが二人を嫌いにならなかったのか、あたし自身もようやく理解していた。
「シーラ……」
あたしの言葉を受け瞳を潤ませる奥様。震える彼女の手をあの時とは違う鋼鉄の手で包む。決してこの左手は温度を感じないはずなのに、奥様の温かさを感じているような、そんな気さえしていた。
「好きな人を助けたい……あなた方を助けることに、他に理由が必要でしょうか?」
あたしがそう尋ねると、奥様の頬に大粒の涙が伝った。そして彼女は声を震わせこうおっしゃった。
「本当に、私は愚かです……。ようやく子供ができたからといって、娘も同然だったあなたを見捨てるなんて……いくらお義父様のご命令でも、それに従った以上、きっと私にはバチが当たったのでしょうね……」
「そんなんじゃありません。奥様は、ヴァンデンハーグ家の人間として正しい判断をされました。それに、お子様を妊娠されたのは喜ぶべきことです。そんな風におっしゃられては、生まれてくる子が可哀想です。奥様は、決してご自身を否定されないでください」
「シーラ……!」
奥様はあたしを抱きしめる。そして同じく堪え切れなくなったのか、セシリアもあたしと奥様に抱きつき、しばらくの間泣き続けた。
あたしは、彼女たちの涙を見て、ようやく胸の奥につかえていた何かが溶けてなくなっていくような気がしていたのだった。
奥様を救出したあたしたちはひとまず、ダレルを捕える為に謁見の間へと戻ろうとしていた。
祖母が奥様の身体の状態を診た結果、衰弱はしているものの、母子ともに命に別状はないとのことだった。セシリアはホッと胸を撫で下ろし、歩きながら改めて皆に頭を下げた。
「皆さん、本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません……」
「あはは、そんな大袈裟なことじゃないわよ。とにかく無事で何より。しばらく休めばきっともうだいじょう……」
しかし、そう言いかけて祖母の動きが止まる。それに倣いあたしたちも足を止めた。
「ちょっとアリス、いったいどうしたの?」
何が起こったのか分からず混乱していると、アリスの代わりに表情を鋭くさせたステラが答えた。
「何やら不吉な気配がします」
「不吉な気配?」
「はい。ちょうど謁見の間の方から漂ってきています……」
ステラとアリスは謁見の間の方を睨む。すると、前方から突然紫色の霧のようなものが現れ、あたしは思わず驚きのあまり大声を上げてしまった。
「あ、あれはなに!?」
その霧はまっすぐこちらに向かってくる。あの紫色は明らかに人体にとって良い影響があるとは思えない。するとそれを見つめながら、祖母が表情を一段と険しくして声を荒げた。
「あれは瘴気よ! あんなものを長時間吸い続けたら、身体中に毒が回って死んでしまうわ!」
「ええ!? そ、そんなにヤバいのなら……」
あたしはすぐに魔力生成に取り掛かる。相変わらず魔力生成は苦手ではあったけど、ここまでの戦闘であたしは少しばかり迅速に魔力を生成できるようになっていた。
手の中に魔力石が出現する。あたしは瞬時にそれを砕き、素早く体内に取り入れた。
「みんな、とにかくこの中に入って!」
あたしはロッドを掲げ、光魔術である聖なる領域を発動させる。この中に入れば外部の干渉を受けなくなり、瘴気を吸い込まないで済むようになる。あおいたちはすぐさまその中に入った。
「これは厄介ね……」
瘴気を見ながら祖母が苦々しくそう呟く。あたしは居ても立っても居られず彼女に尋ねた。
「アリス、この瘴気は何なの!?」
「シーラ、落ち着いて。もしかしたら、これはダレルの仕業かもしれないわ」
「え!? ダレルの!?」
アリスの言葉はあたしにとっては寝耳に水だった。するとあおい達もあたしと同じように驚愕の表情を浮かべた。
「ええ。この瘴気は身体に害があるだけじゃない。これは人の生気を吸い上げる闇の魔術なの。もしかしたらダレルは、ここにいる全員の生気を吸い取って、あたしたちを倒そうとしているのかもしれないわ……」
「そんなこと、あいつにできるものなの?」
「確証はまだないけど、あいつからは魔力を感じたし、ここまで追い詰められたらそんなこともやりかねないわ……」
祖母は青い顔をしてそう答える。確かに、戦いはほぼ部下に任せてはいたけど、ダレル自身も魔術師であることはあたしも理解していた。それでも、ここまでの大魔術をあいつがやるというのは少し信じられなかった。
とにかく、この瘴気が誰によって引き起こされたものであるかはともかくとして、もし本当にこれが生気を吸い取るなら、それはセシリアや奥様たちの命にも関わってくることになる。もちろん、これはあたしたちにとっても危険であることには違いないけど、特に体力のない二人が攻撃に晒されたらダメージが大きいということは容易に想像できる。
なんとしてでもあたしたちは二人をここから避難させないといけない。でも、ここでダレルを野放しにしたら、それこそ街全体に被害が出るかもしれない。
「こんな時、いったいどうすれば……」
あたしは答えが出せず思い悩む。しかし、その時だった。
「大丈夫よ」
口を開いたのは祖母だった。そして彼女はあたしたちにこう言った。
「二人はあたしが避難させるわ」
「あ、アリスが!?」
「そう。あたしが二人を無事安全なところまで連れて行く。だからシーラ、あなたはダレルを倒しに行くのよ」
「で、でも……」
確かに、一刻も早く二人をこの危機的状況から救い出す為には、誰かが二人を連れてここを脱出しないといけない。だから祖母の提案は本来であれば願ったりのものであるはずだった。しかしあたしは、祖母のその提案にすぐに頷くことができなかったんだ……。
「シーラ!」
祖母はそんなあたしの両肩を掴む。そしてまっすぐあたしを見つめてこう言った。
「今セシリアのお母さんが瘴気なんて吸ったら短時間でも命が危ないわ。その為には、あんたと同じ光属性の魔術を使えるあたしが二人を瘴気から守らないとダメなの。シーラなら、それは分かるわよね?」
祖母は真剣な眼差しであたしを見つめている。確かに彼女の言う通り、瘴気から身を守る為にはあたしと同じような光属性の強力な防御魔術がなければ厳しいだろう。エルフである祖母なら、それを使うことは十分可能だ。しかしそうだとしても、ここまで貴重な戦力になってくれていた祖母が……アリスがいなくなるのは、正直言ってあたしは不安で仕方がなかったんだ……。
すると、そんな気持ちが表情に出ていたのか、彼女はあたしを励ますように笑顔でこう言った。
「まあ心配しなさんな! シーラとあおいは、今の結びつきがあれば滅多なことじゃピンチになんて陥らないし、ステラの破壊力なら壊せないものなんてないわ。今のみんななら絶対なんとかなる! だから、自信持って行きなさい!」
満面の笑みのアリス。その笑顔を見ていると、不思議と本当に不安なんて微塵もないように思われた。
「シーラ」
あおいがあたしの肩に手を置きあたしを呼ぶ。彼女の表情からも、やっぱりネガティブな気持ちは感じ取れない。
「アリスの言う通りです。我々ならきっと勝てます」
「あおい……」
「あなたには私も、ステラも付いています。我々三人なら、この程度の障害は乗り越えられます。だから、自信を持っていきましょう!」
「……わ、分かったわ!」
あおいの言葉にあたしは応える。
「ステラも、頑張りましょう!」
「もちろんです!」
ステラもあおいに力強く頷いてみせる。覚悟を決めたあたしは、アリスに対しこう言った。
「お二人を頼むわね。あとアリスも、本当に気を付けて……」
「あはは! まだまだあんたに心配されるようなことはないわよ!」
あたしの心配をよそにアリスは豪快に笑い飛ばす。だが次の瞬間彼女はまた優しい笑顔に戻ってこう言った。
「……でも、ここは素直にあんたの言葉を受け取っておくわ。ありがとう。シーラ、あんたは本当に優しくて強い子だよ。あんたはあたしの自慢の……仲間だよ!」
そう言って、銀髪の美女はあたしの頭をわしゃわしゃと乱雑に撫でた。相変わらず撫で方はぶきっちょだけど、彼女の愛情が手のひらから感じられ、あたしは温かな気持ちになった。
「それじゃ行っといで! 絶対負けるんじゃないわよ!」
「はい!」
各々の言葉は皆力強い。こうしてあたしたち三人はアリスに背中を押され、謁見の間目指して駆け出したのだった。