危機
運命の夜が来た。以前は勇者パーティに所属し、命の危険のある戦いに何度も身を投じていたこともあり、戦いに臨む前に緊張することもなくなっていたけれど、今回は久々の大勝負だ。さすがに心臓の鼓動を抑えることは容易ではない。
「シーラ、よろしいですか?」
手元のランプの僅かな灯りの中、セシリアがあたしに問う。
「ええ。お願いするわ」
「なるべく痛くないようにしますので……」
こんな時でも配慮を忘れない彼女の優しさは本当にありがたい。しかしあたしは既に覚悟を決めている。今のあたしに気遣いは無用だ。
「大丈夫よ。ちょっとくらい痛くても我慢するから」
「そ、そうですか……? それでは、いきます」
「うん。きて……」
あたしの合図でセシリアがあたしの身体に密着する。
……さっきから何をしているのかというと、あたしはダレルに投降したフリをする為、セシリアに腕を縛ってもらっていた。彼女が使用しているのは、魔術を発動できなくする縄……の偽物だ。本物で縛ってしまったらあたしが魔術を発動できなくなってしまうので、祖母が作った本物そっくりの抗魔術の縄であたしの腕を後ろ手で縛ることにしたんだ。
「本当に、これでバレませんかね……?」
「大丈夫よ。これは本物そっくりだし、素人に簡単に見破れるものじゃないわ。とにかく、今は自分たちの運を信じましょう」
「はい……」
心配そうな様子のセシリア。あたしだってもちろん不安ではあるけど、あたしが動揺していたら話にならない。だからあたしは必死に彼女を盛り立てていた。
セシリアに縄でつながれ少し歩くと、ついにダレル邸が姿を現わす。ダレル邸の周囲はぐるりと松明の灯がともっていて、他の家々よりもひときわ明かりを放っていた。
門付近には数名の衛兵がいる。あたしたちがそこに近付くと、早速そのうちの一人がこちらに駆け寄って来る。そして男はセシリアにこう尋ねた。
「セシリア、この者は?」
「逃走していたシーラ・リリーホワイトを捕えました。ダレル伯爵にお目通り願います」
「なに? 分かった、少し待ってろ」
男はすぐに邸宅の中に入って行く。そしてそれから数分後、彼は数名の衛兵を引き連れて戻って来た。
「ダレル様がお待ちかねだ。入れ」
「はい」
こうしてあたしたちは難なくダレル邸への潜入に成功した。しかし問題はここからであることもまた、あたしはよく理解していた。
あたしたちはその後、豪華な装飾が施され、床には立派な赤い絨毯が敷き詰められた広い部屋に通された。どうやらこれが謁見の間というものらしい。そしてその部屋の奥には玉座が置かれていて、そこにそいつは鎮座していたんだ。
ダレルは非常に恰幅が良く……と言うより、かなりのデブで、頭髪は非常に薄くなっており、鼻の下のカイゼル髭があたしには無性に鼻についた。また真っ黒な装束の胸にはいくつもの勲章があって、それらが各々嫌味な輝きを放っていた。どうせそれだって正当な方法で得たものじゃなく、他人を利用したり、卑怯な手を使って手に入れたものに決まっている。
あたしはセシリアによってダレルの目の前まで連れて行かれる。すると、あたしを見たダレルはニヤリと気色の悪い笑みを浮かべ、大層満足げにこう言った。
「よくやったぞセシリア。この女を差し出せば、勇者たちもさぞ満足することだろう」
そう言いながらも尚、この男はあたしの身体を隅から隅まで眺めることをやめない。セシリアが言っていたように、こいつがあたしに興味を持っているという話はどうやら間違いじゃないらしい。
「私の要望に応えてくれたお前には褒美を与えねばならぬな」
そう言って自身のカイゼル髭を伸び縮みさせているダレル。あたしはそんな様子のやつを見て、自身の思惑通りことが進んでいることを無邪気に喜んでいると確信する。
このままならいける。あたしはそう考え、哀れな捕虜のフリをし続ける。そしてここぞとばかりにセシリアが口を開く。
「それでは、母の身の安全を保障して……」
しかし、セシリアがそう言いかけた瞬間、あまりに予想外のことが起こった。
「誰もまだ、お前の母親を返すとは言っていないぞ」
なんとダレルは、不気味な笑みを浮かべながらそんなことを言ったのだ。
「え? え……?」
突然の翻意にセシリアは動揺を隠しきれない。かくいうあたしも、今何が起こっているのか全く理解が追い付いていなかった。
「で、ですが、約束を守ったら、母は解放すると……」
「それは、お前が約束を守った場合の話だ。約束を守れないやつの話を、私は聞くつもりはない」
そしてダレルは大声で衛兵にこう命令した。
「この二人を拘束しろ!」
「ど、どうして!?」
次から次へと襲い来る予想外の事態にあたしの頭が追いつかない。気付くと、セシリアは衛兵に羽交締めにされ、あたしは魔術で編み上げられたバインドで両手足を縛られていた。あたしは地面に転がされ、立ち上がることができなかった。
「小賢しい……実に小賢しい!」
そう言いながら、ダレルが元々あたしを縛っていた縄を拾い上げる。
「こんな方法で、私を騙せると思ったのか?」
「な!?」
まさかバレていた!? どうして!? これほど精巧に作られたものが簡単に見破られるわけがない!?
「見破れないと思ったか? 確かにこれは良くできている。だが問題はそこではない。この街には私の手の者が至る所にいるのだ。セシリア、貴様とシーラ達との戦いの結果を、私が知らないとでも思ったか!?」
「ひっ!?」
セシリアは恐怖のあまり何も答えられない。もしあの戦いを見られていたのなら、セシリアがあたしを捕えて連れてくることなどあり得ないと分かってしまう。その可能性を考慮していなかったのはあまりに迂闊だった。
「最初から、全てお見通しだったっていうの……?」
あたしは憎々しげにそう言うことしかできない。
「その通りだ。もしセシリアが正直に言えばまだチャンスを与えたかもしれないものを、わざわざ不意にするとは。この私を騙そうなど、舐めた真似をしおって!」
怒るダレル。するとやつは思い切りあたしの腹を蹴りつけた!
「ぐふっ!?」
あまりの衝撃に腹の中のものが逆流しそうになる。これだけノロくて弱そうなくせになんて蹴りの威力だ!?
「シーラ!?」
「セシリア、発想はいいが詰めが甘いな。私ほどの人間を騙すには、もう少し年季が必要、だ!」
「あがっ!?」
またしてもあたしの腹を蹴るダレル。肋骨にヒビが入ってもおかしくないほどの痛みが身体に突き刺さり、あたしは痛みのあまりもがくことすらままならなくなる。
「なあセシリア、約束を破ったからには、これからどうなるか分かっているな?」
「わ、分かっています! これを考えたのは私です! 殺すなら私を殺しなさい!」
この作戦を強行したのはあたしなのに、セシリアは自身が犠牲になろうとする。だがダレルは敢え無く彼女の意見を突っぱねた。
「はっ、残念ながら貴様は後回しだ。今でなくとも、貴様などいつでも殺せるからな。……そうだな、確か勇者側にしてみれば、シーラの生死は問わないとのことだったから、お前を殺す前に、今ここでこの女を殺しても問題はないかもしれないな」
「や、やめて!? それだけはやめてください!?」
セシリアはあたしの為に喉が潰れんばかりに叫ぶ。しかし、ダレルはそれすらも意に介する様子がない。
「はははは! まあ落ち着け。すぐに殺しはせん。それはあまりにもったいないからな……」
痛みを噛み締め、あたしはなんとかダレルを睨みつける。しかし、やつは下卑た笑みを浮かべたまましゃがみ込み、今度はあたしに顔を近づけてきた。
「こいつは上玉の女だ。できることなら一度相手をしてもらいたいと思っていたところだ」
「相手、ですって……?」
「そうだ。私の欲望を受け止め、私が満足するまで奉仕するのだ!」
「ぐ……」
ダレルの皮の厚い手があたしの顔に触れる。嫌悪感で吐きそうになっているあたしに、ダレルは更にこう言い放つ。
「シーラ、お前は私が好きなように犯してやる! 私の子を孕むまで相手をしてもらうぞ」
「こ、このゲスが!?」
「ふふふ、せいぜいほざいていろ。うーむ、今のお前は実に良い目をしている。この反抗的な目、実に堪らん。この状況下でも気丈さを失わないお前は誠に美しい。そんなお前を穢せるのだから、これほど嬉しいことはない」
あまりにも身勝手な男に殺意が湧く。しかしこの状況から逃れようにも、セシリアは取り巻きの衛兵に刃物を向けられ動くことができないし、魔術で攻撃を試みようにもバインドのせいで外界に魔術を発動させることもできない。無論、そのせいで念話もできない為、外で待機しているあおいたちを呼ぶこともできなかった。
なんとかあおいには、ここに駆け付けて、あたしを助け出してほしかった……。でもそんなあたしの思いも虚しく、彼女らがここに飛び込んでくる様子は全くなさそうだった。恐らく、あたしが何の合図も出せないせいで状況が掴めていないんだろう。
すると、次の瞬間だった。ダレルが突然あたしの服を掴み、思い切り縦に引き裂いたんだ!
「いやあ!?」
服が破れ、あたしの胸が露わになる。ダレルはそんなあたしの胸を思い切り掴んだ。
「イタッ!? 何するの!?」
「期待した通りいいものを持っているなシーラ。セシリアにはこんなことを企んだ罰を与えなければならない。まずは見せしめとして、この場でお前を犯してやる!」
ニヤリと笑うダレル。それに対しセシリアが懇願する。
「やめて!? そ、それだけはやめてください!? やるなら、私をやりなさい!」
「ふん、残念ながらそういうわけにはいかないな。だが安心しろ。この女が終わったら次はお前だ。これからこの女がどんな目に遭うか、よーく見ておくんだな!」
両手足を縛られているあたしにダレルが覆いかぶさろうとする。あまりにも絶望的な状況に、あたしは血の気が引いていくのが分かった。
犯される……。こんな人間のクズに初めてを奪われてしまう……。そうなったら、あたしはもう死んだも同然だ。
「あおい、助けて……」
こんな時でも、あたしが口に出したのはあの少女の名前だった。出会ってまだ数日なのに、あたしの中であまりに大きな存在になっていたあたしの騎士。ダレルに純潔を奪われたら、彼女にもう顔向けできないと、あたしはそんなことを思った。そして同時に、もう彼女に会えないなんて、そんなことは絶対に嫌だとも思った。
「ははは! 覚悟するんだな!」
あたしのスカートを引き裂こうとするダレル。しかしちょうどその時、あたしはあることを思いついていた。それはあまりにも危険で捨て身としか言えない戦法だった。でも、もはやそれをやるよりあたしがあおいに再会する方法はなかった。
あたしは意を決し、それを行動に移した。
「はああ!!」
あたしの声とともに、あたしの左足の義足と左腕の義手が同時に光り輝く。そして次の瞬間、それらはものの見事に粉々に弾け飛んだのだった!