少女の後悔
セシリアとの戦いに勝ったあたしたちは、その後気を失ったセシリアをあたしたちの部屋に運び、彼女の看病を行なった。
セシリアはこれまでの疲労もあり高熱を出していたが、幸いにも命に別状はなさそうだった。祖母の薬の効果で熱がひいただけでなく火傷も治癒し、彼女の容態は徐々に快方に向かっていた。そして午後になる頃にはセシリアは意識を取り戻していた。
目を覚ました彼女はベッドの上で布団を握りしめ、静かに涙を流す。そして「ごめんなさい……」とただひたすらにあたしに謝った。あたしは彼女の背中をさすりながらこう言った。
「仕方ないわ。あんなことがあったら混乱するのは当たり前よ」
しかし、あたしがいくらそう言っても、彼女は自分を責めることをやめようとはしなかった。
「よりにもよってシーラにあんな酷いお願いをしてしまうなんて……。あんなに優しくしてくれたあなたに……。しかもそれだけでなく、私は、あなたのご友人も傷付けてしまいました……。もう、どうお詫びしたらいいのかわかりません……」
すると、項垂れるセシリアに対し、あおいは憮然とした表情で言った。
「私があなたに負けたのはひとえに私の力不足が原因です。ですので、私への謝罪など不要です」
それは不器用な彼女なりの優しさだった。そして更に彼女はこう付け加えた。
「それに、謝ったところでこの状況は少しも改善しません。ですので、今はどうやってあなたのお母様を助けるのかを皆で考えた方がよほど有意義だと思います」
「そうそう、あおいの言う通りよ。あたしたちが謝らなくていいって言ってるんだから謝る必要なんてないわ。今はとにかく、どうやって奥様を助けるかを考えましょう」
「みなさん……ありがとう、ございます……」
泣き崩れるセシリア。何度も頭を下げる彼女を、あたしは堪らず抱きしめる。するとセシリアもそんなあたしの背中に手を回し、あたしの胸に縋りつくように顔をうずめた。
その様子を見たあおいは、先ほどとは違い、今度は柔らかい口調でこう言った。
「席を外しましょう」
そんなあおいを見て、祖母は笑みを浮かべ、「ふふ、そうね」と言った。
あおいの提案にはステラも応じ、彼女らはそのまま部屋を後にした。あたしはそれからしばらく、泣きじゃくるセシリアに胸を貸していた。
セシリアが落ち着くと、あたしはベッドに腰掛け、あたしがかつてヴァンデンハーグ家に出入りしていた頃の話をすることにした。
「よく三人でご飯食べたよね」
「はい。母はいつもシーラが家に来るのを楽しみにしていたんですよ。もちろん、それは私も同じでしたけど」
セシリアも四年余りの長いようで短かったあの時間が懐かしいのか、積極的に思い出話を口にしてくれた。
その中で、あたしは長いこと気になっていたあることがあった。それを聞くのはとても怖かったけど、あたしはこの機会にどうしてもそれをセシリアに尋ねることにした。
あたしは少し躊躇いがちに彼女に尋ねた。
「ねえ、セシリア、ちょっと答えづらいことを聞いてもいいかしら……?」
「なんですか?」
「あなたはあたしのこと、当時どう思っていたのかしら、と思ってね……」
我ながら情けない質問だ。聞いたところで今更意味もないし、この状況でそんな問いを突きつけるのは卑怯であることも分かっている。それでもあたしはどうしても彼女に答えて欲しかった。
例え、もし彼女があたしに対して良くない気持ちを抱いていたとしても、あたしはそれでも構わなかった。結果が良かろうと悪かろうと、彼女の答えを聞かなければあたしは過去と決別できないと思ったんだ。
あたしの問いに対し、セシリアは一瞬だけ驚いた表情を浮かべる。それがあたしにとってどんな意味を持つのかは、今の彼女の反応だけでは分からなかった。
そしてしばしの沈黙の後、彼女はこう答えた。
「正直な話をしてしまうと、初めは、私の立場を奪う為にやって来たあなたのことを、苦手だなと思うこともありました……」
「そう、だよね……」
「ですが、あなたはとても優しくて、いつも私のことを気にしてくださいました。私はいつしかそんなあなたのことを、本当の姉のように慕うようになっていたんです」
「本当の、姉……」
先日、久しぶりに彼女と再会した時、彼女は確かにあたしのことを本当の姉妹だと思っていたと言ってくれた。でも、あの時の彼女は追い詰められ、全く冷静な状況ではなかった。でも今回は違う。今の彼女の言葉は偽りなんかじゃなく、彼女本来のものであるはずだ。
「そうです。あの時も今も、私はあなたのことが大好きだったんです」
セシリアの言葉があたしの心に突き刺さる。彼女には辛い思いをさせてきたし、恨まれても仕方がないと思っていた。なのに、彼女はあたしに「大好き」と言ってくれた。それが嬉しくないわけがなかった。
それでもあたしは、彼女がこれだけ言ってくれても尚、彼女の言葉を信じられずこう問い直してしまっていた。
「ほ、本当なの……? まさか、あたしに気を遣っているってことは……」
「本当ですよ! これだけは譲れないので、絶対に信じてください!」
あたしがあまりにしつこく問い直すものだから、セシリアは頬を膨らませ抗議の意思を示した。その様子が堪らなく可愛らしく、また、そこまでしてあたしに好意を伝えてくれたことが本当に嬉しくて、あたしはすっかり泣き出しそうになってしまっていた。
「良かった……あなたはきっと、あたしのこと憎んでいるだろうって思ってたから、そんな風に言ってくれて、本当に嬉しいわ……」
「憎むなどとんでもないです。あなたは私に本当に良くしてくれました。そんな人を憎むなど、それこそ人の道に反しています!」
彼女は言葉に更に力を込める。それだけで、彼女の言葉が心から出てきたものだと分かり、私はついに涙を堪えきれなくなる。
しかし次の瞬間、今度はセシリアが表情を一変させた。あたしはそんな彼女が心配になって「どうしたの?」と尋ねると、彼女は瞳を潤ませこう言ったんだ。
「なのに、そんな人にあんなことをしてしまって、本当にすみません……。本当に最低ですよね……。シーラに溢れんばかりの優しさをもらった人間が、恩を仇で返すようなことをするなんて、そんなの酷すぎですよね……」
「でもそれは、あなたが奥様を守りたいという気持ちからしたことでしょ? それならあたしは、決してあなたを責めたりしないわ」
大切な人を守りたいと思うのは当然だ。そのせいで、例え間違った方法をとってしまったとしても、あたしは決してその人を責められないし、責めるべきではないと思った。しかしあたしの言葉に対し、セシリアは頭を振る。
「あなたは、本当に優しすぎます。本当に昔から何一つ変わってない……」
そして彼女は、潤んだ瞳のままあたしを見つめ、絞り出すようにこう言った。
「シーラ、あなたはさっき、私の母を助けに行ってくださるとおっしゃいましたが、やはり私がそれをお願いすることは、できません……。母は、あなたのことを気に入っておりましたが、それでも、先代の当主であった祖父の言うことには逆らえませんでした……。あなたのことを守らなかった人を、あなたが守るなどおかしなことです。ですから、もう我々のことなど忘れてしまって……」
「そうはいかないよ」
あたしはセシリアの言葉を遮る。彼女は驚きに満ちた表情で、それでも尚言葉を紡ごうとする。しかし、あたしは彼女の説得に耳を傾ける気はなかった。あたしは彼女の頬を両手で挟んで口封じする。そしてあたしは彼女にこう言った。
「確かに、奥様はあたしではなく家を守る為あたしを切り捨てる道を選んだ。でも、そうだとしても、これまで奥様があたしを大切にしてくださったという事実には変わりがないわ!」
奥様は貴族という立場にありながら、何も持っていなかったこの田舎娘に気を遣ってくださったり、温かな言葉をかけてくださった。その事実は決して消えないし、施しを受けた人間はその恩義を簡単に忘れることはないんだ。そしてなにより、あたしは彼女の優しい笑顔が大好きだった。度重なる戦闘や、勇者パーティ内での軋轢などで疲れている時に奥様の包み込んでくれるような笑顔を見て、あたしは何度心が休まったか分からないんだ。
「……それに、奥様が妊娠されているなら、絶対にこれ以上劣悪な環境に晒すべきではないし、なにより困っている大切な人を見捨てるなんて、あたしにはできない! だから、あたしは絶対にあなたの願いは聞けないわ!」
あたしはセシリアにそう断言する。
「シーラ……」
セシリアは再び涙を溢れさせる。そして彼女は水色の髪の毛を乱れさせ、あたしの胸で子供のように泣きじゃくったのだった。