騎士の決意
「シーラさん、申し訳ありませんがもうこれ以上は待てません。今すぐこの街を出ましょう」
ステラはそう言ってあたしを引っ張ろうとする。その表情は本当に辛そうで、あたしはこの子にこんなことをさせている自分に心から腹が立っていた。
前日にあおいの涙を目の当たりにし、今まさにステラに辛い思いをさせているにも関わらず、それでもあたしは未だに何の決断も下せずにいた。
セシリアを助けに行くわけでもなく、かと言ってさっさとこの街を出てグラシアルを目指すこともせず、あたしは朝からずっとホテルのロビーで固まったままだった。
「…………」
あたしにとって予想外だったのは、昨日あれだけ思いを吐露していたあおいが朝からほとんど言葉を発していないということだ。ステラがあたしを全力で街の外に出そうとしているのとは対照的に、あおいはずっとあたしの傍で言葉を発さず、黙って事の成り行きを見守っていた。
もしかしたら、あおいはあたしのあまりの決断力のなさに愛想をつかせてしまったのかもしれない。もしあおいがあたしの元を離れてしまったら、正直あたしは今後どうしたら良いのか分からなくなってしまうわけだけど、きっと今あたしがやっていることはそれぐらい不甲斐なく、苛立ちを覚えるものなんだろう。
そこまで分かっているにも関わらずあたしがここから動けないのは、あたしがセシリアに対して罪悪感を抱いているからだ。四年もの間あたしは自分の利益の為にセシリアを苦しめ続けた。これがその報いだとすれば、ここから逃げるのは人間として間違っているのではないかとあたしは思ってしまったんだ。
……でも本当は、心の奥底ではこんなことはおかしいということもあたしは実はよくわかっていた。しかしあたしの抱くセシリアへの罪悪感がこの足に根を生やし、あたしをこの場所に縛り付けてしまっていた。
彼女があたしの元にまたいつ現れるかは分からない。でも猶予がない以上、リミットの時間は刻一刻と近づいてきているのは間違いなかった。
そしてしばらくして、ホテルのロビーにいるあたしの元にあの少女がついに現れた。
「く、間に合わなかったか……」
セシリアの姿を見て、ステラは悔しさをにじませる。
「シーラ、待っていてくれたのですね」
「セシリア……」
セシリアは昨日よりも更にやつれた様子で、その瞳の光も消え失せ、凍りついた笑みをその顔に貼り付けていた。ステラはあたしを手で制しながらセシリアに対しこう叫ぶ。
「来るな! あなたなんかに、シーラさんを渡しはしない!」
喉が潰れんばかりの叫び。それでも尚、セシリアは歩みを止めようとはしない。
「止まれと言っています! あなたは酷い人だ! シーラさんの弱みに付け込むなんて最低の人間だ! もしシーラさんに手を出したら、わたしがあなたを絶対に許さない!」
そう言って、ステラはハンマーを取り出す。今すぐにでも殺さんばかりに睨む彼女に、流石のセシリアも表情を歪める。だが、やはりその足を止めることはなかった。
固まっているあたしにセシリアが迫る。彼女はあたしに再度懇願する。
「お願いします、なんとか、母の為に……」
「待て」
しかし、それは一人の少女によって遮られた。セシリアを止めたのは、今朝からほとんど言葉を発していなかったあおいだった。あおいはあたしたちとセシリアの間に入ってこう言った。
「その要求は飲めない。諦めて速やかにこの場を去れ」
あおいの言葉に対し、セシリアは苛立ったように言う。
「うるさいですよ……。シーラは私を待っていてくれた。それはつまり、私の気持ちを理解してくれたということです……」
普段とは全く違う雰囲気をまとうセシリア。だがそんな彼女を前にしても、あおいはいつも通り少しも動じることなく切り返す。
「そうだ、シーラはお前のことを理解している。だがそれはお前の為に命を捨てるということではない。シーラは、本当に優しい……。そんな彼女に、誰かを切り捨てるような非情さを求めることはできない。お前は、そんな彼女の優しさを利用し、彼女を苦しめるだけ苦しめているんだ……」
「それは……」
セシリアはあおいの言葉に苦悶の表情を浮かべる。
「お前もそれだけ追い込まれているということなのだろうが、だからといってシーラの優しさにつけこむような真似をするお前を私は許すことはできない。ステラが言うように、お前がやっていることは最低だ。だから……」
あおいは刀を抜き、切っ先をセシリアに向けこう言い放った。
「シーラの代わりに、私がお前を止める!」
発せられた言葉が突風のようにセシリアに襲い掛かる。あまりの圧に吹き飛ばされそうになりながらも、彼女はその場で踏ん張り、あおいの挑戦を真っ向から受け止める。
「……あなたに、私を止められますかね? 身体は弱くとも、私はシーラに師事していたのです。あなたの実力のほどは知りませんが、私はそう簡単には止められませんよ」
「止める。もし止めても止まらないのなら、私はお前を殺すことになるだろう……。例え、私がシーラに恨まれることになったとしても、大切なシーラを失うくらいなら、私は喜んで嫌われ役を引き受けてみせる!」
そして、それこそが合図だった。言い終えるや否や、あおいは刀を構えたまま走り出していた。すると、彼女が武器を抜いたことでホテルは大混乱に陥った。
一方、あおいに応じるようにセシリアはその手にムチを出現させる。それは相変わらずいつも謙虚な彼女には似つかわしくない攻撃的な武装だった。
あおいが刀を振り下ろす。セシリアはそれを素早い身のこなしでなんとか避ける。そして彼女はあおいに対しこう言った。
「ここは障害物が多くてやりづらいです。外に出ましょう」
「分かった。どこだろうと私は構わない」
そう言葉を交わした二人は、すぐに外に向かって走り出す。そして二人は逃げ惑う人々をかきわけ、ホテルの外へと飛び出していった。
一方あたしは、今のあおいの言葉が胸に突き刺さっていた。あたしはなんと愚かだったのだろうか。あおいが何も言わなかったのは、あたしを見限ったからじゃなくて、もう決意を固めていたからだ。言葉なんて既に不要だったからだ。何も決められないあたしとは違い、あおいはとっくに進むべき道を選択していたんだ。
「あおい……」
あたしは居ても立っても居られず、あおいたちを追ってホテルの外に出た。
「あおいさん! 援護します!」
あおいに冷たい態度を見せることもあったステラもあおいに助太刀する。ステラは急ぎ魔力生成を行い、手早く生成した魔力石をあおいに転送した。
魔力石を受け取ったあおいがセシリアに走り寄る。だが対するセシリアもタダではやられない。
「お願いだから邪魔をしないでください! 私にはもう、時間がないんです……!」
走り来るあおいに対し、セシリアは自在に伸び縮みするムチを彼女の刀に絡ませる。
「ぐっ!」
「はあああ!」
ムチを絡ませたセシリアが腕を思い切り振る。並みの相手であれば、彼女のあの攻撃を食らえば手にした得物を吹き飛ばされてしまうことだろう。しかし残念ながら、あおいは並みの相手じゃない。彼女はしっかり地面に踏ん張り、その場から微動だにしなかった。
「うそっ!?」
慌てたセシリアがムチを強引に引こうとする。だがそれこそがあおいの狙いだった。セシリアが自身の方にムチを引っ張った瞬間、あおいはなんとその場から跳躍し、そのまま一気にセシリアとの距離を詰めた。
「セシリアぁ!」
宙を舞いながら刀を振るうあおい。しかしその瞬間、セシリアは得意の氷魔術のシールドを出現させ、あおいの一撃を防いでしまった。
刀を防がれたあおいはアクロバティックな動きで瞬時に後方へと下がる。見ると、セシリアの周囲の地面が円形に凍りついていた。
攻撃を躱されたセシリアは恨めしそうにあおいを睨んで言う。
「よく、分かりましたね……」
「その程度の攻撃が分からない私ではない」
あおいは一瞬の判断でセシリアの氷から逃れたが、あんなものをまともに食らっては身体が凍り付いてしまっていたところだ。易々と躱したあおいはもちろんのことだが、あれをほんの一瞬で繰り出すあたり、セシリアの魔術の実力もやはり計り知れない。
「爆ぜろ!」
すると、今度は息つく間もなくステラの魔術弾がセシリアを襲う。
「くっ!?」
セシリアはそれらを紙一重で躱したが、一糸乱れぬ二人のコンビネーションの前にさすがの彼女も防戦一方となる。
あたしは、このままならあおいたちがセシリアを押し切れると思った。もちろん、本来であればあたしも加勢すべきなのは分かっているけれど、セシリアの想いを考えると、あたしの身体は強張ってしまい動くことができなかったんだ。
そしていつしか、なんとかセシリアを殺さず上手いこと戦闘不能にできればなど、あたしは希望的観測すらも抱き始めていた。
しかし、事はそう上手くは進まなかった。というのも、その時あおいの身にあまりにも予想外の事態が起こったからだ。
「……なに!?」
なんというタイミングの悪さか、今まさにあおいがセシリアに斬りかかろうとしたその瞬間、またしても何の前触れもなくあおいの身体から放たれていた魔力の碧い光が消え失せてしまった。
「魔力切れ!?」
それはつまり、あおいが完全に無防備な姿をセシリアの前に晒していることに他ならなかった。そしてそのあまりに大きな隙を、セシリアが見逃してくれるはずがなかった。
「はああああああああ!」
セシリアは声を張り上げ、ムチから大量の氷の矢を放つ。そしてそれらはなんと、容赦なくあおいの身体を貫いてしまったのだった……。