戦友の異変
「あれは、まさか……」
それは王家の忠臣の一人であるレオナ・スプリングフィールドという眼鏡をかけた小柄な女性だった。あたしは彼女とたびたび一緒に戦場に出ていたので、彼女とは戦友と呼べる間柄だった。
彼女は村の入口付近を行ったり来たりしている。しかしこんな辺鄙なところに何の用もなく来るとは思えない。あたしは思い切って彼女に声をかけることにした。
「レオナ様!」
彼女はあたしの声に一度ピクリと身体を反応させた後、恐る恐るこちらに振り返る。そして声の主があたしだと分かると、かなり驚いた表情を浮かべた。
「あ、あなたはシーラ殿!? 故郷に戻られていたのですね」
「はい、ちょっと事情がありまして」
レオナ様はヴァンデンハーグ家とも親交があり、勇者パーティ時代はあたしのことも気にかけてくれていたので、あたしは彼女との再会を素直に嬉しいと思った。
レオナ様から話を聞いてみると、彼女はあたしたちと同じように王家に協力してくれる人々を探して走り回っていたとのことだった。
「でも、まさかこんな小さな村にもいらっしゃるとは思いませんでしたよ」
「今は少しでも協力者を募りたいのです。この村は昔から王家を支持してくださっていたし、協力を仰げないかと思いまして」
「なるほど。それならすぐに村長のところに行きましょう。レオナ様、案内しますね」
「ありがとうございます」
レオナ様は深々と頭を下げる。あたしは既に勇者パーティの人間じゃないのに丁寧な対応をしてくださるあたり、彼女の育ちの良さが伺えた。
あたしは二人で連れ立って役場を目指す。村の人たちの意見が割れていたせいで当初の思惑とは違ってしまったわけだけど、王家の関係者の方に会えたのなら十分結果オーライだろう。彼女なら、他の関係者のことも知りえているだろうし、そういった人たちとも協力しているかもしれない。そう思うと、あたしはようやく希望を抱くことができた。しかし……
――ここのところ税金は重たくなる一方だったし、それに比べてこっちの暮らしは一向に良くならないのよ。
――王家に反対する人たち、特に竜人族の人たちを王国軍が弾圧しているっていう噂よ。
彼女を案内している途中、不意にあたしは昼間の両親の言葉を思い出してしまっていた。
必死にその言葉を忘れようとするも、あたしは疑念を拭い去ることができなかった。
ふとあたしは横を歩くレオナ様を見る。彼女はかつてと変わらず、真面目を絵に描いたような表情で前を見つめている。彼女になら例のことを聞いてもいいんじゃないだろうかと、あたしはふと思う。もちろんこんな時に聞く話でもないけど、丁寧な彼女なら質問に答えてくれるかもしれない。あたしはそう思い、それとなく件のことを尋ねることにした。
「レオナ様」
「なんでしょう?」
あたしはまず、国民が課せられているという重税について尋ねてみた。するとレオナ様はこう答えた。
「重税? そんなことはないと思いますよ」
「で、ですよね」
レオナ様からの返答がスムーズであったことにあたしは思わず安堵する。しかしそれもつかの間、彼女の次の言葉にあたしの安心は見事に吹き飛ぶこととなった。というのも、レオナ様は僅かに笑みを浮かべ、こんなことを言ったからだ。
「……まあ、どこからを重税と感じるかはその人次第ですがね。我々はここ二年は竜人族と戦争状態だったんですよ? 戦争には多くの費用がかかります。それを賄う為には国民に負担を強いることも致し方がないと思います」
「え? ま、まあ、それも分からなくもないですけど……」
確かに、一度戦争が始まれば国の予算は優先的にそちらに費やされる。それを補う為、社会サービスが悪くなったり、税金が上がるということは考えられることだ。
「そういう文句を言う人は、この国の運営に関わる人間の苦労など分からないのです」
そう言うレオナ様の表情は明らかに険しいものになっていた。
「で、でも、一応国民に説明するくらいは……」
あたしはレオナ様の変容に面食らいながらもなんとかそう尋ねようとした。しかし言い終わらないうちに、彼女は次の言葉を発していた。
「説明? 戦争という一大事にわざわざ国民に説明ですか? そんな時間があるはずがないでしょう。そんなこと、国民であるなら察してしかるべきです。むしろそれすらも払えないと言うのなら、この国への忠誠心もたかが知れていると言わざるを得ないです。それともなんですか? シーラ殿はそういった人間たちの発言こそが正しいとお思いですか?」
「い、いえ、決してそんなことはないですけど……」
彼女の言い様にあたしは言葉を失う。彼女の言い方はどことなく高圧的で、どんな反論も認めないというような威圧的なニュアンスが含まれていたように思えた。
さっきや、いつもの彼女は他人に対して決してこのような態度は取らず、冷静に相手を諭すように話す理知的な人間だったはずなのに、今の彼女は一体どうしたっていうのか……。
それに加え、彼女の今の言動から国民に負担を強いてもなんら問題ないという発想が見えてしまい、傲慢だとすら思えてしまった。この点においても、普段の彼女を知っているだけに、彼女のあまりの変わり様にあたしは驚くしかなかった。
あたしの中で、レオナ様に対する印象が少しずつ変化していくのが嫌でも分かった。あたしは目の前の女性に恐怖しながらも、更に王家による竜人族への弾圧についても尋ねることにした。
「……あの、もう一つ伺ってもいいですか?」
「……なんですか?」
そう言うレオナ様からは明らかに煩わしさが感じられる。それでも尚あたしは臆することなく質問を続ける。
「あの戦いの原因って、竜人族が王家へ反旗を翻そうとしたのが原因だったんですよね?」
「今更ですね。それ以外にどんな原因が?」
レオナ様はギロリとあたしを一瞥する。その冷たい視線にあたしの背中に悪寒が走る。だがあたしはもはやその程度で怯むことはない。
「まあそうなんですが、実際竜人族の人たちの言い分を聞いたわけでもなかったので、つい気になってしまって……」
「……さっきからいったい、あなたは何が言いたいのですか?」
レオナ様が不快感を露わにしてそう問う。しかしこれを不快に思うということは、何か後ろめたいことがあるということなんじゃないだろうか?
「……いえ、ちょっと変な噂を聞いたので」
「あなたも勇者と一緒にいたのなら知っているでしょう? 原因は竜人族の謀反です。それ以外に原因などありません」
レオナ様はピシャリとそう言い放つ。反論の余地など与えるつもりはないということなのだろうが、こうまで露骨な反応を見せられているのにあっさり引き下がるような腰抜けではない。あたしは彼女を追い詰めるように畳み掛ける。
「そこまではっきりおっしゃられるのなら、もちろんしっかり調査をされたということなんですよね?」
「調査? さあ、私はそちらの担当ではありませんので詳しくは存じません。ですが、他に理由があったとしてもそんなことはどうでもいい。我々に歯向かった時点で彼らはもう国民ではないのですから」
「な、なんですって……」
あたしはレオナ様の言葉に耳を疑う。そしてこれまでの彼女ではあり得ない一連の言動にあたしは戸惑わざるを得なかった。
彼女のこの言い草は、母の言う噂に信憑性を付与する役目を果たしてしまっているように思えてならなかった。
「ところで、さっきからなかなか役場に着きませんが、いったいいつになったら着くのですか?」
「す、すみません、どうにも田舎なもので、家々の間隔が凄く広いものでして……」
実際は彼女から話を引き出す為、あたしが露骨にゆっくりとした足取りで彼女を役場まで案内していたわけだけど、残念ながらこれ以上の牛歩ももう限界だろう。あたしは明らかな違和感を抱きながらも、ここで勝手に結論を下すこともできず、ひとまず彼女を役場に案内しようと歩みを進めた。
しかし次の瞬間、あたしは背後に殺気のようなものを感じた。
しまったと思った時にはもう遅い。僅か三十センチ先の脅威を瞬時に避けられるほど、今のあたしに俊敏性は備わっていない。それでも無駄とは分かっていても、あたしはなんとか彼女の方に振り向こうとした。
だがその時だった。
「なに!?」
聞こえたのは、レオナ様の驚愕した様子の声。見ると、なんと彼女による背後からの攻撃を、さっきステラを追いかけていったはずのあおいの刃が防いでいた。あおいは武器を振るってレオナ様を弾き飛ばし、彼女を睨みつけながらこう言った。
「背後からの不意打ちなど、卑怯者のすることだ」
静かだが、怒りの籠った言葉に、レオナ様は震えあがる。
「き、貴様、何者だ!?」
「私はシーラの騎士だ。シーラに手を出す者は、何人たりとも許さない」
刃を向けたまま警告するあおい。だが、それでもレオナ様は自身の短刀を収めない。恐らく、刃を抜いてしまった時点でもう彼女は後戻りができないと思っているんだろう。
「何者かは知らんが、このレオナ・スプリングフィールドはこれまで幾多の戦場を乗り越えてきた自負がある! どこぞの馬の骨には負けん!」
レオナ様があおいに飛びかかる。確かに彼女はこれまで戦場で数々の戦果を上げられてきた魔術師だ。だが所詮、彼女は貴族の令嬢でしかない。本当に危ない現場にはあたしたちのような戦いの専門家が赴く。その為、はっきり言って彼女の実力は脅威とは言えなかった。ましてや今の相手はあのあおいだ。あおいの実力は全盛期のあたしをも凌ぐ。つまり、彼女の攻撃があおいに届くことは絶対にないんだ。
「な、なぜだ!? なぜ私の攻撃が届かない!?」
「直線的で芸のない一閃。身体能力も中の中。そしてこれだけ攻撃が届かない理由すら分からないほどの凡庸な頭脳。原因はその辺りではないですか?」
「なんだと!? 王家の忠臣であるスプリングフィールド家長女の私を侮辱することは許さんぞ!」
「もう一つ見つけました。その余計なプライドも、私に攻撃が届かない一因だと思いますが、ね!」
レオナ様の隙をつき、あおいが彼女の腕を掴む。
「なにぃ!?」
レオナ様は必死に逃れようともがくあまり、自身の短刀を取り落としてしまう。
あおいは腕を掴み彼女の身体を引き寄せ、そしてそのまま彼女の身体を地面に向かって投げ飛ばしてしまったんだ!
「ぐえ!?」
思い切り地面に叩きつけられるレオナ様。そんな彼女の喉元に、あおいは冷酷無慈悲な刃を向ける。
「これ以上抵抗するようなら、命の保証はしない」
あおいは氷のように冷たいトーンでそう宣告する。刃物を突きつけられては、今度こそレオナ様は退くしかない。そしてあおいは顎で村の外を指し示しながら、最後にこう吐き捨てた。
「出直しなさい!」
「くっ!」
レオナ様はあおいの言葉に悔しそうにしながらも、なくなく撤退していったのだった、
そして彼女があたしたちの視界から消えた頃、あおいがあたしに尋ねた。
「シーラ、あれは誰ですか?」
「お、王家の関係者よ。この村に、協力を仰ぎに来たみたい」
「あれが、王家の関係者……?」
あおいは驚きのあまり目を見開く。確かにいきなりあんなのを見せられて、あれが探していた王家の関係者と聞いたら、そういう反応になるのもよく分かる。
「ふ、普段のあの人は、あんなんじゃなかったのよ。いつも冷静で、あんな酷い態度、とったこともなかったのに……」
あたしは彼女の本性までは確かに知らない。でも少なくともあたしの前では、あんな彼女を見せたことはなかったんだ。
「もしかして、シーラがもう例の貴族とは関係なくなったから、あんな態度をとったのではないですか?」
「それは……」
可能性としては十分にそれはあり得た。でももし本当にそうなのだとしたら、あまりに辛すぎるんじゃないだろうか……。
「どちらにせよ、協力を仰ぎに来たくせにシーラに刃を向ける必要などどこにもないはずだ。私は彼女を絶対に許しません」
あおいは明らかに怒りを滲ませている。
そんなあおいを前に、あたしはそれ以上言葉を紡ぐことができなかった。あたし自身も、自分が捜していた王家関係者にあんなことを言われただけでなく命までも狙われ、彼女らに対して疑念を抱いたのは間違いなかったのだから。