過ぎ去りし日々
過去回想は今回のみです。
※※※※
「シーラ!」
あたしはある人物に呼び止められる。
「なに? ユーリ」
それはあたしたちのパーティの長であり、アトレア王国軍の最高位である「勇者」の位を冠している男、ユーリ・ランチェスターだった。彼は非常に長身であり、図らずともあたしは彼を見上げる格好となる。
「ええと、だな……」
勢いよく呼び止めたくせに、なぜかユーリはモジモジした様子で言葉を紡げないでいる。彼は普段から寡黙であり、付き合いの長いあたしでも彼の考えを読めないことは多々あるけど、こういう態度を取ることは極めて稀だった。
「どうしたの? 体調でも悪いの?」
「いや、悪くない……。その、実は、ちょっと飯でも一緒にどうかと、思ってな……」
妙に躊躇っているので何かと思ったけど、どうやら食事の誘いだったようだ。しかし、人付き合いをあまり好まないユーリはいつも一人でご飯を食べているので、こういう誘いは非常にレアだった。
「……ユーリが誰かとご飯に行きたいなんて珍しいわね」
あたしは特に何も考えずにそう言う。すると、ユーリは紅い顔のままこんなことを言った。
「いやまあ、俺たちが婚約してから、あまりゆっくり話が出来ていなかったから、たまには二人で話でもできればと思ってな……」
「あ……」
「婚約」という単語に、あたしは思わず反応してしまう。先般、あたしは自身の後ろ盾となってくれているヴァンデンハーグ家の勧めでユーリとの婚約を決めたものの、正直全く実感は湧いていなかった。
別にあたしたちは恋人でもなかったし、それらしいことをしたこともなかったから、今後どうやって夫婦になっていくのか全く想像がついていなかった。そして肝心のユーリもそのことについて特に何も話そうとしてこなかったから、あたしの実感のなさは尚更加速していたところだったんだ。
あたしは、まさか彼からそんなことを言ってくるとは思っていなかった。いつも無口な彼があたしを誘ったんだ、きっとかなりの勇気を振り絞ったに違いない。普段は仏頂面で無愛想で近寄りづらい男ではあるけど、意外と可愛いところもあるんだと、あたしは微笑ましく思った。
「わ、分かったわ。そういうことなら、今日は一緒にお昼に行きましょう」
明らかに声が裏返っていたけど、あたしは動揺を悟られないようなんとか平静を装う。
「そ、そうか。それなら、十二時になったら迎えに行く。時間になったらこの辺りで待っていてくれ」
「わ、分かったわ。待ってる」
ぎこちない会話を交わし二人は離れる。まるで初々しい恋人同士のように二人ともあっぷあっぷしてしまっているけど、あたしはこれまでそういう経験などなかったのだからそれも仕方がないはずだ。
さて、今はまだ十一時を少し回ったところだ。もう少し訓練をして、お昼にちょうど良くお腹が空いているぐらいに持っていけたら理想的だ。そう思い、あたしは訓練場に向かおうとした。
「シーラ」
またしても呼び止められたのは、まさにその時だった。あたしは、あたしを呼び止めた人物の方に振り返る。それはこの勇者パーティのNo.3であるアスカ・エリオットだった。彼女は優雅にブラウンのロングヘアーをかき上げながらこんなことを言った。
「あなたに来客みたいなの。城の外で待っているみたいだから、悪いけど今から行ってもらえないかしら?」
「来客?」
自慢するつもりはないけど、王国軍最強と謳われているあたしへの来客自体は決して珍しくはない。だが、わざわざ城の外であたしを待つということは解せなかった。
「なんで応接間に来ないの?」
「任務外の用事だから、この神聖な場所では話せないってことみたいよ。私も衛兵から聞いただけで詳しくは分からないから、とにかく行ってもらってもいいかしら?」
あたしの問いに答えるのが面倒なのか、アスカはつっけんどんにそう言った。
「わ、分かったわよ」
何やら理解できない部分はあるけど、用事なら行かないわけにもいかない。あたしは疑問を抱きながらも、アスカの言う通り城の外へと向かった。
しかし、城門まで来たあたしは、その人物に目を疑うことになった。
「よ、よう、シーラ。久しぶり」
「な!?」
そこにはなんと数ヶ月前に勇者パーティを辞めたはずの男、クリス・ドライヴァーの姿があった。クリスは白髪の頭を掻きながらあたしに手を振っていた。
「クリスが、なんで……」
あたしはクリスの動きに露骨に警戒を示しながら彼にこう尋ねた。
「勇者パーティを辞めたあんたが、今更あたしに何の用なの?」
「いやまあ、用事ってほどじゃねえんだけど、近くを通ったから元気かなあと思ってな」
あたしの警戒を他所に、クリスはあくまで自然体であたしの問いに答える。
「ご覧の通り元気よ。分かったらさっさと……」
「お前、あいつと婚約したんだってな」
あたしの台詞を遮ったクリスの言葉に思わず固まる。なぜなら、婚約については部外者はもちろんのこと、仲間内にすら明らかにはしていなかったからだ。というのも、これだけ竜人族との戦いが激しさを増している状況で婚約を発表することは、あまりタイミングが良いとは言えなかったからだ。
「なんで、あんたがそれを……?」
「ま、まあ、細かいことはいいじゃねえか。それより、ここだと人目につく。場所移してもいいか?」
あまり彼とは話をしたくはなかったけど、あたしの婚約について知っている以上無視をするのも気色が悪い。あたしはやむなく彼の言葉に従うことにした。
クリスはあたしを城から少し離れた、建設資材と思われるものの廃材置き場まで連れて行く。そこは王都であるロンダード内にも関わらずかなり閑散とした様子だった。
「ここは俺の秘密の場所だ。人が来ないから訓練にはもってこいなんだ。ここなら誰にも邪魔されない」
彼は辺りを見回しながらそう言う。しかし誰も来ないということは、あたしがクリスに襲われたとしても誰も目撃者はいないということだ。良くない噂の多い男だ、警戒しておいて損はないだろう。
あたしが警戒を強めていると、不意にクリスはあたしの方に振り返る。そして驚くべきことを口にした。
「単刀直入に言うが、あいつとの婚約は今すぐ破棄した方がいい。その方がお前の為だ」
「……は?」
あたしはあまりの驚きに、空いた口が塞がらない。
「な、なんであんたに、そんなこと言われないといけないの……?」
「じゃあ逆に聞くが、お前はこの結婚に完全に納得しているのか? 『最強』の魔術師であり、一人の人間として気高く生きているお前が結婚なんて、俺は馬鹿らしいと思うぞ」
もちろん、あたしだって全てに納得をしているわけじゃない。元よりこの縁談は、有力貴族のヴァンデンハーグ家が自身の支持基盤を盤石にする為、あたしをまず正式に養子にして、その後勇者と結婚させようと動いたものだ。まあ要は、あたしは政治の駒として使われようとしているだけの話だ。
確かに、そこに自由意志が存在しないことは事実だ。結婚は普通、好きな人同士が思いを結実させる為に夫婦の契りを結ぶもの。自由な恋愛を許されないなんて、普通の人はあたしを不幸だと思うのだろう。でもあたしは、これまで恋愛というものをそもそも経験したことがなかった。元より男になんぞ特に興味は湧かなかったし、好きだなんて感情を抱いたこともなかった。だから、きっとこの先もあたしは恋愛とは無縁のまま生きていくんだと思っていた。そんな時、あたしはこの縁談を持ちかけられた。
確かにあたしだって最初は悩んだ。でもヴァンデンハーグ家やユーリからは、これまで通り魔術師として戦ってもいいと言われているし、もしかしたらこの先、恋愛に縁遠かったあたしも誰かのことを好きになれるかもしれない。そう考えたら、結婚するのも別に悪くないのではないかと思えるようになったんだ。
だから、はっきり言ってクリスの助言はあたしにとっては余計なお世話だった。あたしはこれまで通りあたしのままだし、この結婚によって、これまでお世話になってきたヴァンデンハーグ家が更に繁栄すればお互いにwin-winだ。なのにいったい何を迷うことがあるというのだろうか。
「結婚したからって別にあたしは何も変わらない。あたしはこれからも『最強』の魔術師として戦っていくわ。納得するとかしないとか、そういうことはどうでもいいの」
あたしは思ったままのことを言う。しかしそれに対し、クリスは声を荒げて反論する。
「ど、どうでもいいわけあるか! お前は今回の結婚を甘く見過ぎだ。ヴァンデンハーグ家と勇者とより深く関わりを持てば、お前は嫌でも政局に巻き込まれる。もしやつらが口ではお前にこれまで通り戦ってもいいと言っているのだとしても、今後の情勢次第でどう転ぶかなんて分からん。お前に妻として家庭に入れと強要してくるかもしれない」
「そ、そんなこと、あり得ないわ……」
例えそんな意見が出たとしても、あの奥様が黙ってそれを認めるとは思えない。奥様はかねがね、あたしが従来通り前線に立てるように支援してくださると仰っていたし、お館様方を説得してくださるとも仰っていた。それにあたしが内助の功など、あまりにイメージに合わないのは自他共に認めるところだ。しかしそれでもクリスは引き下がろうとはしなかった。
「だが100%ないとは誰も言えないだろ? 勇者はお上には従順だ。お上がそう命令すれば、あいつはお前を平気で家庭に押し込めるだろう。あいつは全体をまとめる為なら、自分は悪役になることも厭わない男だ。あいつはそうやって今の勇者の座を手に入れたんだからな」
クリスの言うことには基本的に納得できなかったけど、正義感の強いユーリのことだ、もしどうしてもそうせざるを得ない状況に陥った時、彼は妻であるあたしにその選択肢を迫るかもしれない。その点においてだけは、彼の言うことも一理あると言えるかもしれなかった。でもだからと言って、あたしがユーリの命令に従うなどあり得ないことではあるけれど。
「……忠告は受け取っておくわ。あたし、用事があるからもう行くわ」
「待てよ!」
クリスがあたしの腕を掴む。
「は、離してよ!」
あたしは彼の手を振りほどこうとしたが、彼はきつくあたしの腕を握り、こんなことを言った。
「あいつの元へはもう行くな! あいつはお前にとって障害にしかならない男だ!」
あたしはクリスのそのセリフに思わずカチンときて、思わず大きな声を出していた。
「な、なんでそんなこと言われないといけないの!? あんたさっきから何なの? 関係ないくせに、あたしのことに口挟まないでよ!」
既に勇者パーティの一員でもなく、そもそも彼とあたしは友人関係ですらない。そんな人間があたしに意見するなど厚かましいにもほどがある。しかし、次に彼の口から出た言葉は、あたしの常識など余裕で覆してしまうほど驚愕のものだった。
「か、関係なくなんてねえ! 俺は、俺は、お前が好きなんだ! だから関係なくなんてねえんだよ!」
「はあ……?」
クリスの発言にあたしは心底呆れてしまい、何も言い返す気にもならなかった。はっきり言って、彼の言っていることは少しも理にかなっていない。いったいなぜ、あたしのことが好きならあたしのことに口を出していいことになるのか。確かに、勇者パーティ時代は、同じ前衛の魔術師として言葉を交わす機会は多かった。だがあたしは異性として彼に興味を持ったことは一度もなかったし、彼の抱いているような感情など微塵も抱いたことはなかった。勘違いするのは勝手だけど、それを人に押し付けるのは迷惑でしかない。
しかし呆れるあたしをよそに、思い上がったこの男は更にこんなことを言った。
「俺はお前が好きだから、お前を辛い道には行かせたくないんだ! だが俺とお前ならきっと困難も乗り越えていける。だからお前は、俺の所に来るんだ!」
あたしはそのあまりに一方的な言葉に耳を疑う。あたしはクリスに興味なんてこれっぽっちもないのに、まるであたしがあいつに気があるかのような発言にあたしはただただ驚くしかない。
「俺の所に来い。そして勇者との婚約は破棄するんだ!」
横暴以外の言葉が見当たらないその発言により、ついにあたしの堪忍袋の緒が切れた。そして我慢の限界を迎えたあたしは、感情のまま彼に怒りをぶつけた。
「ふざけないでよ! さっきから何勝手なこと言ってんの!? あたしはあんたなんかに何の興味もないのよ! 少し喋る機会が多かったからって思い上がってんじゃないわよ!」
「え!? え!? なんで!?」
あたしの態度に露骨に慌て出すクリス。あたしはクリスのその態度を見て確信する。こいつは間違いなく今、インキュバスが得意とするテンプテーションの魔術を発動させている。自身の色香を使えば、女なんて簡単に堕とせるとタカをくくっている。
そうやって今まで女を好きにしてきたんだろうけどあたしはそうはいかない。あたしは最大限に軽蔑の視線を投げつけながらこう言う。
「あんたさ、ユーリと仲が悪かったからって、彼のあることないこと言っているんじゃないわよ。相手を落として自分をよく見せようとする人間が、一番器が小さいのよ!」
「ち、違う! 俺は事実を言ったまでで……」
「うるさい! あんたの勝手な妄想をあたしに押し付けないで! もう二度と、あたしの前に現れんな!」
あたしはクリスの手を振り払い、その場から走り出す。後ろであの男が「シーラ! 待ってくれ!」と言っていたけれど、あたしは無視してそのまま走り去った。
脇目も振らずに、あたしはアトレア城まで走る。城に着く頃には、時刻は既に十二時を大幅に過ぎてしまっていた。あたしは急いで待ち合わせ場所に向かう。しかし当然ながら、もう、そこには誰もいなかったんだ。
「あたしの、馬鹿……」
あたしは、独り立ち竦み、そう呟くことがやっとだった。
後で分かったことだけど、ユーリは待ち合わせ場所でしばらくあたしを待っていたが、あたしが一向にやって来ないので、心配してあたしを捜しに行こうとしたらしい。しかし、急遽呼び出しがあって、そっちに行かざるを得なくなったとのことだった。
後悔先に立たずとはまさにこのことを言う。あたしはクリスなんかの相手をしていたせいで、今一番大事にしなくてはいけないユーリとの約束を破ってしまった。あたしは、すぐに彼に謝ろうとした。しかし彼は対竜人族の作戦会議の為に前線近くまで出向いていて、あたしが彼に会うことは叶わなかった。
だが、あたしの不幸はそれで終わらなかった。あたしがクリスと会った次の日から、あたしに関するある噂が出回りだした。それはなんと、あたしがクリスと逢引し、人気のない場所で卑猥な行為に及んでいたというとんでもない内容のものだった。
もちろん、そんなことはしていないのはあたしが一番よく分かっていた。しかしクリスがあたしを連れ出した場所は人気がなく、目撃者は全くいなかった。もちろん、そのガセネタを吹聴した者以外はだけど……。
結局、その後すぐに再び掃討作戦に参加することになって、あたしはユーリにその噂話について弁明することができなかった。そしてあたしは、不安定なメンタルのまま作戦に臨む羽目になった。
その結果、あたしは敵の炎魔術により、左腕と左足を同時に失うという大怪我を負ってしまった。そしてそんなボロボロのあたしに、彼はあたしにクビを突きつけた。
あたしに落ち度があったのなら、そう言って欲しかった。だが彼の口から発せられたのは、あたしが勇者パーティの一員としての人生が終わってしまったという事実だけだったんだ。
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