帰郷
オクスフォの街から一日程度歩いたあたしたちは、あたしの故郷であるレスト村に到着していた。
レスト村は人口百人程度の山間にある小さな村で、主に農作物の生産が盛んだ。あたしの両親も野菜を作っては麓の街まで売りに行っている。
あたしが最後にここを出てから既に四年が経つけど、あまり変化がある様子はなさそうだった。
「のどかな所ですね」
「農村だからね。この辺は争いもなくて、基本的には平和ね」
あたしたちは村へと足を踏み入れる。するといの一番に、ブラウンのツインテールの少女があたしに駆け寄って来た。ステラと同じくらい小柄なその少女は、あたしの幼馴染であるニコル・アンダーソンだった。
「シーラ姐!」
「うわっ!?」
ニコルは思い切りあたしに抱きついて来る。あたしは慌てて彼女を抱きとめた。
「翼としっぽ?」
あおいは実に興味深そうにニコルを見つめる。あおいが言うように、ニコルには黒い翼と太いしっぽが生えている。というのも、実はニコルは竜人と人間とのハーフで、半竜人という珍しい種族なんだ。
「ひ、久しぶりニコル。元気にしてた?」
ニコルはあたしに抱き着き、しっぽを激しく左右に揺らしながら応える。
「うん! それより、やっぱりシーラ姐は戻ってくると思ってたよ! あれ、そっちの二人は?」
どうやらあたしに気を取られていてあおいとステラに本当に気付いていなかったらしい。あたしは二人をニコルに紹介した。
「なるほど、あおいちゃんに、ステラちゃんね! いつもシーラ姐がお世話になってます!」
相変わらず元気なニコルにあおいは少し気圧されており、ステラは何かが面白くないのか、ニコルのことを微妙な表情で見つめていた。
「ところでニコル、あなたクーデタのことは知ってる?」
「うん。昨日シーラ姐のお父さんがオクスフォまで用事があって行った時に、町中で噂になってるのを聞いたんだって。シーラ姐もここの所色々あったし、こんなことになったら、もうレストに戻って来るんじゃないかと思ってね」
ニコルの言う色々というのは、言わずもがなあたしが大怪我を負い、更には勇者パーティを解雇されたという事実だ。ニコルは今でこそレスト村にいるけど、かつては王都にあるロンダード魔術学校で魔術を学び、少し前まではフリーランスの魔術師として数々のクエストをこなしていた凄腕の魔術師なんだ。そんな彼女と、あたしは勇者パーティを解雇されてすぐに一度だけ会い、状況については説明していた。
「確かに色々あったけど、別に実家に帰ってきたわけじゃないわよ」
「あれ、そうなの……? あんなに酷い目に遭わされたんだから、もう帰って来ればいいのに……」
一転してニコルは沈んだ表情になる。表情の変化が著しいのは昔から変わっていない。
「まあ、それはそうなんだけどね……」
「だって! シーラ姐はあんなに頑張ってて、しかも勇者との婚約も決まってたのに、あんなクリスとかいうしょうもないやつのせいで全部台無しにされるなんてやっぱりおかしいよ! 私は納得できない!」
「ニコル、ちょっと落ち着いて……」
ニコルはいつもあたしのことを考えてくれているけど、一度こうなってしまうとなかなか譲ってくれないのが難点でもあった。すると、その様子を見てあおいがこう尋ねた。
「あの、確かあの槍使いの男もクリスがなんとかと言っていたような気がするのですが、クリスとはいったい何者なのですか?」
すると、あたしの代わりにニコルがあおいの問いに答えた。
「クリス・ドライヴァーはシーラ姐と一緒に勇者パーティの前衛を務めていた男よ。でも色々あって勇者パーティを辞めたんだけど、あの日いきなりシーラ姐のことを訪ねてきたの。そしたらいきなりシーラ姐をかどわかそうとしたんだよ!」
「かどわか……!?」「なんですって!?」
ニコルの言葉に驚愕する二人。あたしは慌てて会話に割って入る。
「ちょっとニコル! みんなの前で変なこと言わないでよ!?」
「だってその通りじゃん! シーラ姐はあんなやつには全然興味もなかったのにいきなりテンプテーションをかけようとしたんだよ! ホントにとんでもないやつだよ!」
どうやらニコルは完全にヒートアップしてしまっているみたいだ。しかもそのせいであおいとステラにまで火がつきかけちゃってるし……。こうなったら、あたしからちゃんと説明しないと収拾がつかないみたいだ。
「とりあえずみんな一回落ち着いて! ちゃんと説明するから!」
あたしがそう言うと、ニコルはようやく矛先を収め、静かにあたしの話に耳を傾けてくれた。あまりあいつのことは思い出したくもないけど、あたしはなるべく丁寧に説明をすることにした。
「クリスは白髪と異様に整った顔が特徴的な男で、ニコルが言ったように、あたしよりも数ヶ月前に勇者パーティを辞めたの。勇者であるユーリとは犬猿の仲で、彼と喧嘩別れする形で自ら勇者パーティを去ったともっぱらの噂だったわ」
そう、あたしは本当にあいつになんて全く関心はなかった。なのにあんな低俗な噂を流されるなんて、あたしにとっては屈辱以上の何物でもなかった。
「あと、あいつは実は淫魔として有名なインキュバスの血を引いていてね」
「インキュバス? それは確か、女性を襲って子を妊娠させるという、あの悪魔のことですか……?」
「ええ、それ」
「この国には、そんなものもいるのですね……」
あおいは顔色を少し悪くさせてそう呟く。確かに、女性としてはそんなのに襲われたら堪ったものじゃない。
「でも大丈夫よ。インキュバスは個体数としてはそれほど多くないし、危険な魔族は管理されているからね。あいつの場合は、祖先がそのインキュバスの血を引いてて、相手を誘惑するテンプテーションの能力が使えるようね。もちろん、それをあたしたちの前で使ったことはなかったけどね」
クリスはそのテンプテーションを使って女の子をたぶらかしているなんて噂されていた。もちろん、本当に妊娠させたらもっと騒動になっているだろうから、どこまで本当かは分からないけど。ただまあ、噂の真偽はともかく、あいつがいろんな女の子と一緒にいるのをユーリも見ていたし、あいつが女にだらしない男だったのは間違いない。
「それで、そんな男がいきなり現れて、シーラは大丈夫だったのですか?」
あおいが前のめりになってあたしに尋ねる。あたしは若干気圧されながら答えた。
「え、ええ。念の為事前に状態異常の魔術に対する防御魔術を身体に施していたから、あいつのテンプテーションは防ぐことができたわ」
「そうなのですね。よかった……」
あおいは心底安心した様子でそう言う。その様子はもはや娘の貞操を心配している父親の様な雰囲気すらあった。もちろんあたしのことを心から心配してくれるのは本当に嬉しくはあったのだけどね。
「それにしても、クリスはなぜシーラを標的に? 女性を犯す為だけなら、わざわざシーラを狙う必要はありませんし、そもそもクリスは既に勇者パーティを辞めているのですから、尚更不自然なような気がするのですが……」
「うーん、なんて言ったらいいのかしらね……。やっぱり、もうちょっと詳しく話した方が伝わるかな……」
やっぱり断片的な情報だけじゃ伝えるのにも限界がある。みんなに下手な誤解を持たれない為にも、ここは時系列で説明する必要があるかもしれない。
「わたしもその辺りは詳しくお伺いしていなかったので、詳しく教えていただきたいです。場合によっては、そのクリスという男を血祭りにあげなければならなくなりますし」
「こらこらこら……」
相変わらず真顔で物騒なことを言うステラを諫める。でもここまで来たら、やっぱりすべてを話さなければならないだろう。あたしも話しているうちにだんだんクリスに対する怒りが再燃してきたところだし……。
「分かったわ。あの日のことを順を追って話すから、聞いてもらえると助かるわ」
あたしの言葉に二人が頷く。そしてあたしは、あの日のことを話し始めたのだった。