ある有名なお笑い芸人の墓前の伝統芸能
ある伝説的なお笑い芸人が亡くなった。
彼は死ぬ間際まで現役で精力的に活動したため、今まで笑いと届けてきた人たちをすべて悼みと悲しみに変えてしまった。ファンは彼が死んで数か月経っても身内が亡くなったように悲しみは止まらず、墓前にはお供え物と共に涙の跡が供えられた。
しかしこの状況を良く思わないファンたちが立ち上がった。
「彼はファンがいつまでも悲しんでいるのは望んでいないだろう。悲しみの涙より笑いの涙を流してもらった方がいいはずだ」
「そうだ。しかしこの流れをどうやって止める?」
ファンたちは何をすれば変われるか考えた。もちろん故人であるお笑い芸人を蔑むようなことはご法度だ。いかに故人を傷つけず、お笑いを取れるような方法はないのかと悩み続けるとついに思いついた。
「思い出したぞ。あの人の定番のお笑いはパイ投げ芸だった。それをやるんだ」
「それはいい考えだ。だが参拝した人全員にやるとほかの参拝客の迷惑になるだろうし、掃除も大変だ」
「それは心配ない。投げつけるのは墓石にだ。墓石なら掃除も容易く、あの人の定番芸を思い出せばみんな自然と思い出し笑いするさ」
さっそくファンたちはこれを実行するに至った。
仕掛け人として動いたファンがパイを投げた。墓前で悲しみに暮れていたファンたちはパイまみれになったお笑い芸人の墓に最初は戸惑ったがすぐに彼の定番芸だとわかり思い出し笑いをした。他のファンもこれに倣い、次々とパイを墓石に投げては昔の彼のことを思い出しては吹き出した。
いつしかお笑い芸人の周忌には墓にパイを投げることが供養となった。
ある日、そのお笑い芸人が紛失した日記が発見された。ファンはもちろん報道機関も伝説のお笑い芸人が遺した日記の内容を見てみたいと一堂に会した。
そして遺族の手によって日記の中身が開かれた。
『私が亡くなった時には、どうか悲しみでなく笑いで見送ってほしい。お笑い芸人が笑いでなく悲しみを見せたら芸人の恥であり、供養になる』
ファンはこの文で大粒の涙を流した。
「ああ、涙を流すのはご法度だけど、俺たちがやった墓前パイ投げは無駄じゃなかった。やっぱりあの人も最期は笑って見送ってほしかったんだ」
パイ投げを企画した人の言葉に誘われて、他のファンたちもつられてすすり泣いた。
だが次のページを開くと、ファンたちは急に黙り込んでしまった。日記には次のような言葉が綴られていた。
『私が亡くなったあと墓前にパイを供えるのはやめてほしい。私はパイが大っ嫌いで、パイ投げ芸をした時はそりゃもう顔についたクリームを早く洗い流したくてたまらなかった。いくらパイ投げが定番でも、あの世にまでパイは持っていきたくない。ましてやパイを墓に投げるなんてことなんて馬鹿な考えはしないでくれ』