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後編

 彼女──こびと忍者は、『モコウ』と名乗った。

吾亦紅(ワレモコウ)のモコウです」

「われ、もこう……ほ、ほう」

 もこうの生まれた里では、その時に咲いている草花から名前をとるのが習慣らしい。

 といわれても里奈の中でその植物がいったいどんな代物なのか全くわからなかった。


 とりあえず、敬語はいらないから楽な話し方でと言って話を促す。

「あたし、里の中で伴侶が見つからなくて……」

「え!? そんなに可愛いのに!?」

 思わず声が出た里奈に、モコウは照れながらお礼を言って続けた。

「あたし、視力が……悪いんです」

 悪いと言っても──軽く「あれは?」「これは?」とテレビの上の置物やカレンダーを指して推測するに──モコウの視力は両目1.5の里奈とさほど変わらない。

 しかし、こびとの里でそれは遠くが見えないと判断されると言うのだ。

 幼い頃の怪我が原因であるが、野山での暮らしで遠くが見えないとなると生存率が落ちるという。

 さらに、モコウは気配を探る事も苦手なのだそうだ。


「天敵は沢山いて、いつ狙われて死ぬともわからないあたしを貰ってくれるような人はいなくて……」

 うなだれるもこうの髪がさらりと頬に落ちた。

「だからあたし『たびっこ』になる事にしたの」


 『たびっこ』とは里から離れて旅をするこびとの事で、日本中にあるこびとの里を巡って情報交換したり、人間の動向を里に伝えたりするのだ。

 里に縛られず自由に旅する彼等は、モコウの里にも折に触れてやってきていろんな話をしてくれた。

 でも、『たびっこ』になるこびとは少ない。


 彼等は突然、消息を立つ。

 どこかに定住したというのは随分と楽天的な考えで、人知れず命を落とすものがほとんどだと里の大人たちは言った。


「え!?目が悪いのに旅になんて出たら、天敵のいい……」

 里奈はつい口をはさんだが、途中で言葉は途切れた。

 それをもこうは寂しげな微笑みで受け止めて言う。

「子供や年老いた者を養うだけで精一杯なんだ、うちの家族も里も」


 山に分け入り狩りをするにも、山菜や木の実の採取をするにもモコウは足手まといだ。

 本来なら家族を養わなければいけない年齢になっても、狩りも採取も出来ず何かと鈍臭いモコウはだんだん里で孤立していた。


「家で出来る事は、おばあができるし、その手伝いも子ども達で出来る……家族は誰も何も言わなかったけど、だんだん息ぐるしくなっていって」

 それでモコウは『たびっこ』になって里を出たいと家族に伝えた。


「旦那探しに行くから帰ってこないって言ったの」

 里奈はそれは嘘だと思った。きっと家族も気がついただろう。


 モコウはため息をついて

「本当は死ねたらいいっておもって……」

 里奈はなにも言えなかった。

 蛍光灯の人工的な光が寒々しく二人を照らし、すきま風がコタツの外にある里奈の背中を冷やした。


 十分に間をあけて、モコウはまた淡々と話し出す。


「里を出る日は、家族が見送ってくれた。あんまり余裕もないのに木の実や乾燥肉も持たせてくれて」

 それが家族を見る最後だって思って、モコウは笑った。『幸せになるね』と言い、とびきりの笑顔を家族の記憶に残せるように。


「里から出て山を登って、鳶が住んでるから近寄るなっていわれてる崖を目指したの」


 死体を人間に晒すことは出来ないからとにかく山深く分け入り何日か歩く。どうせ死ぬのだが、保存食は家族の思いが詰まっているから無駄にはできず無理やり消費する。

 獣の気配をあまり感じる事が出来ないモコウだったが、山は生命に溢れ、死にたいモコウの命を糧にしようと今か今かと狙っていると肌で感じる。

 それは、その時のモコウには好都合で早くその時が来ないだろうかとひすら足を進めた。


──そして、ついにその時がやってきた。


 ピーヒョロローと高く澄んださえずりが耳に届く。

 木々が途切れ少し開けた場所に出て空を見上げる。


 曇り空はそれでも、モコウには眩しくて目を細めた。


 ──バサリ

 羽ばたきが遠くで聞こえた気がしてそちらに目を向けた。

 風を切り迫り来る焦げ茶色の大きな翼。

 真円を描く黒い目がもこうを捉えて光る。

 鋭い爪がもうそこにある。


 ──ドクン

 激しく心臓がなり、背筋を恐怖が貫いた。

 汗がどっと吹き出したのと反対に、口の中はカラカラになる。

 ──鳶だ

 待ち焦がれていた筈なのにモコウの小さな体は恐怖で埋め尽くされた。そして口から漏れるのは、『あ』とか『う』とかいう断片的な震えた声だけだった。


 その鋭利なくちばしが微かに開いた気がした。

「いやぁぁぁぁああああああ!!」

 モコウは叫び、反射的に体を草むらにふせる。

 背中を猛烈な風が通りすぎていく。

 モコウはすぐさま起き上がり、木々の繁る場所へ走りだす。


 しかし、それは捕食者にとっては想定内であり、羽ばたきひとつで方向転換し、己に背を向けて走り出す小動物(モコウ)を簡単に捕らえた。

 鋭い爪が獲物を掴み上昇する。

 絶望の中、猛烈は早さで移動していく景色はどんどんモコウの足の下に展開していく。



──チッ、チッ、チッ、チッ

 普段は気にもしたことのない里奈の左手にはめた腕時計の秒針が、いやに耳についた。


 モコウの語りに里奈は息を殺して聞き入る。

 小さな彼女はコタツの上で、俯き体を抱え込むようにして震えていた。

 その時の事を思いだしたのだろうか。

 それでも、彼女は続ける。


「その時、鳶が突然方向を変えたんです。目の端に黒い翼が何対か見えました」

 それはカラスだった。

 鳶が彼らの縄張りを犯したのか、獲物を横取りしたいのか、集団になって追ってくるカラス。

 執拗に追ってくるカラスと逃げる鳶。

 モコウの足下には山脈を縫うように走る高速道路が見えてきた。


「あたし、このままだと人間の里まで行っちゃうんじゃないかって思って、無我夢中で暴れた」

 こびとが人間に見つかるのは禁忌だ。

 カラスに追われ掴んでる獲物も突然暴れ出し、鳶は物珍しさだけで捕獲した獲物に突然興味を失った。


 突然、拘束がほどけた体は慣性により放物線を描いて落下していく。


「落ちるなら森の中って思ってたのに、道路の方に投げ飛ばされて」

 モコウも必死で空中でもがき道路への落下は免れ、道路脇の木へ落ちたが

「落下の速度もあってか、着いた枝が思う以上にしなってしまって」

 しなった枝に跳ね飛ばされ


 ──ボコン

 という小さな音と共に着地したのは、長距離トラックの荷台だった。

「あたし……高速で走るそこに……必死で……しがみついたの」

 里奈は震えるモコウにそっと手を伸ばそうとした。


「死にたく……ない……と、思った」

 聞こえた声は小さく震えていたけど、そこには絞りだされた熱い彼女の心が見えた。


 里奈はやっと、モコウを優しく両の手のひらで包み込めた。

 里奈が泣いてる時、彼女がそうしてくれたように寄り添いたかった。


 モコウは里奈の手のひらの温もりを受け入れてくれた。

「あんなに、死にたいって思ってたのに……でもそれは、本当じゃなくて」

 彼女の声がだんだんとはっきりして、大きくなっていく。

 里奈はじっとその様子を見守った。

 きっと彼女がやっと本心を吐き出せる時なのだからと。


「あたしは、あたしは!」

 溢れ出る涙が私の親指に落ちる。

「生きたい! 生きて幸せを感じたい!」

 心の叫びは、熱くそして切なくて里奈の目頭を潤ませた。

「私も! 私も幸せになりたい!」

 モコウの叫びに里奈の心が答え、声にした。

 泣きながら二人は見つめ合った。


 そして、二人は目が腫れるのもかまわず泣いて同意して慰めて慰められて、また泣いた。


 途中で喉が乾いて里奈が買ってきたチューハイを二人で飲んだ。

ペットボトルのキップと100円ショップのグラスで乾杯し、酔っ払い達は笑い合ったりもした。


 ゴミ箱からチョコレートをあさり、里奈とモコウはそれを肴に飲んだ。

 甘いそれは、ただ甘い美味しいチョコレートだった。


 チョコレートをかじりながらモコウは言った。

「ここにたどり着けて……よかった」


 長距離トラックが着いたのは都心にほど近い海辺の倉庫だった。山に戻らなきゃと別のトラックに乗り込むが、モコウはどんどん都心に近づいたという。

 潜伏先では人間に見つかりそうになって長く住み着けず、下水道に潜り込めばゲリラ雷雨ばりの大雨で溢れ出した水に流された。


 それでも、なんとか生き延びると決めてひたすら潜伏生活を続けながら田舎方面へ帰ろうと移動するも、モコウは残念ながらついに都内までやって来てしまったのだという。


 宅配便の車でここの大家さんの庭に着いた時は、過酷な旅に疲れはてていた。

「寒さもあって……もう、外ではいろいろ耐えられなくて」

 12月末位にはここの天袋にいたらしい。

 数日はビクビクと過ごしたが、バイトで昼は居ないし、大家さんの庭に柿があったので食べ物にも困らなかったという。


「下のおばあちゃん、庭にくる雀に時々パンとかあげててね、それをこっそりもらったりしてたの」

 下のおばあちゃんとは、多分大家さんのお母さんでかなりの高齢だったのを里奈はおもいだした。

 野良猫に餌をあげてて大家さんに怒られてるのを見たことがある。

 それから、野良猫には餌をあげて無かったけど、雀や野鳥にはあげてたんだと里奈はほっこりした。


 ライバルは柿を食べる野鳥やパンを取り合う雀だったので天敵レベルの鳥は居なかったのも、彼女がここに住み着く原因だったという。

「でも、私が留守の時とか寒くなかったの?」

「冬物を大量に捨てたでしょ? あれ、ちょっぴりもらったの」

 そういえばと、里奈はコートを捨てるついでにと大掃除の時期にもう着ない物をゴミ袋一つ分処分したのだった。


 「ほらっ」

 と黒装束の合わせから見たことのある小さな花柄が覗く。

「これは、あったかババシャツじゃないかぁ」

 裏起毛のシャツは使用頻度も高くかなり愛用していたが、柄付きの為、バイトの白シャツではうっすら透けるのでバイバイしたものだ。

「これ! とてもあったかい!!」

 満面の笑みで、肌着と股引と靴下を作ったと自慢気に話すモコウに里奈はほっこりして口が緩む。

 他にもコートなどは敷物や寝袋へと変化して、厚手の衣類は寝間着にさせてもらったととても感謝された。


「上手く隠れて生活出来てるって思ってたのになぁ」

 くぴりとキャップからお酒を飲んでモコウが呟く。

「起きてたんだわぁ~これが」

 からかい気味にフフンと鼻息を吐くと、モコウはじーと里奈の目を見て、モコウ自身の大きな目を見開いたり細めたりしている。

「なによ?」

「瞳が見えないのでぇ」

 と、自分の視力の問題と思ったのかモコウはどんどん里奈に近づいてくる。

「あるよぉ」

 と言って目を見開けば

「わぁ! 見えたぁ!!」

 と喜ばれた。

「里奈の目、綺麗だねぇ」

 とキャップ酒をくぴりとやるモコウに、里奈は照れながら

「この酔っ払いがぁ」

 と自分もコップに注いだ酒を煽った。


「糸目だって! 幸せになりたい!!」

「能無しだって! 幸せになりたい!!」

 クダを巻く大小の女の声は呂律が怪しい。

 それが可笑しくてさらに酒を煽って二人は笑い合う。

 吐き出された毒はアルコールが消毒してしまったのか、涙に流されたのか陰湿な影はどこかに消えていた。


 二人とも出来上がりまくって、コンビニで買った酒も切れた頃、新聞配達のバイクが止まる音がした。


「わぁ、こんな時間だよ!」

「あら~あはは」

 里奈が持つ唯一のぬいぐるみであるリラックスしまくる熊にもたれかかってモコウが笑う。


 とりあえず、風呂に入ってスッキリしようって事になり湯船は危ないからシャワーにして、モコウには残り少なくなったヘアスプレーの蓋を手桶替わりに使ってもらう。


 お風呂前に、酔っ払いのモコウを天袋に持ち上げて寝間着を持って来てもらっていた。彼女がそれに着替えている間に里奈は玄関からヒールの入っていた空箱を持ってきてそれに、友人の出産祝いのお返しにもらった今治のタオルを引いた。

「一緒に寝よう」

 寝返りで潰すと怖いから、ここで寝て欲しいと枕元に箱をセットしてモコウにお願いする。

 掛け布団にと、やはり同じ今治タオルと寒さの身にしみる2月には欠かせないおしゃれ腹巻きを差し出す。

「うん、寝よう」


 浴衣のような寝間着(里奈の捨てたフリース生地のスカートと思われる)に着替えていたモコウはほろ酔いのピンクの頬を緩ませて笑いながら、枕から箱の中に入っていった。

 箱の縁に足を引っ掛けてタオルに顔からダイブしたのをみて里奈は慌てるが、モコウはは爆笑した。

 酔っ払いである。

 里奈もつられるように爆笑し、電気を消した。


 それから、賃貸暮らしのフリーター里奈とたびっこをやめて借り暮らしになったモコウの共同生活が始まった。


 暖かい季節は二軒隣のうちの庭先に咲く、立派な桜を見ながらお酒を飲んだり。


 黒いボディのあいつが活発に動き出す時期は、モコウ特製の弓矢がアシダカ軍曹の待ち構える隙間に見事にターゲットを追い込んだり。


 里奈の持っている浴衣と似た和柄の手ぬぐいを見事に浴衣へと作り替えたモコウと、お揃いでお祭りにでかけ、カキ氷のブルーハワイに二人で舌を真っ青にしたり。


 割り箸で作られた脚立の上で指示を出す鍋モコウ奉行様のいうとおりに作った数々の鍋に舌鼓をうったり。


 それを一巡、二巡とくりかえしても、続いていった。

 里奈の結婚を期に引っ越しても、子供ができても、小さな友達モコウは里奈の側にいてくれた。


 そして、寿命で細い細い目が本当に閉じるその時まで、モコウは里奈の親指を優しく撫でてくれた。


「もう、いっちゃった?」

 最後の時、里奈が息を引き取るその一瞬前にモウコが言うものだから里奈は吹き出して

「いってないからね」

 そう言いながら緩く白髪になったモコウを手のひらで包む。

「ほんと、この糸目のお陰でモコウが私の前に出て来てくれたんだもの」

 そう若い頃は悩んだ事もあった里奈だったが、

(いまでは私のチャームポイトだわ)


「モコウ、本当にありがとう」

 里奈はそれをモコウに伝えると一つ息を吸った。

 その息は吐き出される事はなく、ゆっくりと温度を失っていく手のなかでモコウは優しくその親指を撫でる。

「里奈、こちらこそ私を生かしてくれて……ありがとう」

 何度も何度も伝えた言葉をモコウは永遠に眠る親友に投げかける。

 そして、里奈の子供や孫達、里奈の大きな友人達がやってくるその一瞬前まで里奈の親指にもたれかかっていた。


 幸せそうに微笑んで息を引き取った里奈。

 掛け布団の上、お腹の辺りで綺麗に組まれた里奈の手。

 その親指の部分の布団に小さなへこみがあり、そこが湿っていたのに気がついた大きな人はいなかった。


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