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前編


 佐野里奈の目は細い。

 否、細いを通り過ぎて糸である。

 子供の頃から何かを集中して見ていると「寝てるの?」と言われ、あだ名はだいたい『きつね』とかそのまま『糸目』はもちろん、すこし可愛く『ねむりん』といったものが多く、彼女の名前である`さのりな´が含まれたものは皆無だった。


「お疲れ様でした」

 私服に着替えて控え室にたまってる店長と大学生のバイトの子に挨拶をする。

「はい、糸目ちゃんお疲れさん」

「糸目さん、おつで~す」

 今日も忙しかったランチタイムをやり過ごし、アイドルタイムに補充をすませたらディナーから入る学生バイトの子達と交代だ。


 なんとか就職出来た会社が倒産し、再就職先が見つからないまま失業保険が切れ、地下鉄と路面電車の走る駅前の交差点にある8時から終電まで営業する喫茶店にアルバイトとして働き、気がつけば3年目。

 店長が『糸目ちゃん』とあだ名で呼んでるから新人もそう呼ぶし、ランチタイムの常連さんからも『糸ちゃん』と呼ばれてしまうほど定着したそれに、里奈は胸についてる【佐野】という名札に意味はあるのか? と思わなくもない。


 気候は暖かくなってダウンコートはいらなくなったが、日はまだ短い。

 最寄りのバス停より一つ前で降りる。スーパーによって家につく頃には夕焼け空はすっかり藍色だ。


 大通りからわき道に入る。

 コインパーキングの黄色い看板に蛍光灯が眩しくて、それを通り過ぎると一気に黒い影が濃くなったような気がする住宅街。

 一軒家が並ぶせいか幹線道路が近いのに急に静かになるその道を、スーパーのレジ袋をガサガサ言わせながら歩く。


 コンクリート塀の上にさわさわと揺れる広葉樹。もう一軒家先の庭ではもう少しすると桜が咲きそうだ。


 白色の街灯や住宅の二階からの灯りをいくつか通り過ぎて、アルミニュウム製の格子扉をあけて中にはいる。


 前庭の木々は綺麗に整えられ、飛び石と玉砂利が橙の玄関灯がともる古めかしくも立派な玄関に通じている。


 里奈はその灯りから外れて、壁伝いに飛び石を踏む。

 隣のアパートの灯りを薄ぼんやり跳ね返してる銀の郵便受けは今日も空っぽ。

 外壁のザラザラとした感覚を左手に伝いタイル式の外階段を登る。

 二階部分に半畳程の踊場があってそこで階段は終わり、これまた昭和を思わせる木製のドアにある銀のノブに鍵を差し込む。


 単身者用の1DK。トイレ、風呂(バランス釜)別。

 大家さんの自宅にある二階部分の一角、築年数がかなり古く立地のわりにお手軽な家賃。セキュリティーに関しては、大家さんの自宅の門構えが不審者の侵入を許さない。それが佐野里奈(27)フリーターの根城だ。

 木製のドアの上には年代を感じる磨り硝子がはまっていて中からオレンジ色の光が漏れる。

 外階段についていた外灯が壊れてしまったので、玄関の電気はつけっぱなしにしていた。


──ガチャリ

 ドアから部屋に入る。

「ただいま」

 と声をかける。

 これは、昔からの里奈の習慣でそれに答えるものがいようがいまいが音にしてしまう。


 佐野里奈(27)独身 彼氏無し

 そんな彼女には、現在答える者はいない……

筈なのだが

「おかえりぃ~」


 玄関は明るいが、部屋には明かりは灯っていない。この狭い空間には彼女以外の人影はなく、部屋から誰か出てくる気配もない。

 しかしその狭い玄関に響いた声は、高く澄んでいて少し眠そうだ。


 驚くでもなく里奈はキョロキョロと靴箱の上を見渡した。

「またぁ……なんでそんな狭いところにモコウさんは、はまってんですか?」

 靴箱に置かれた二段の木製ケース。ケース上の段に鍵を放り込んで、それと壁の間から小さな人形を引っ張り出す。

 引っ張り出された人形は、目を擦りながら

「このオレンジ色の光って眠くなるよねぇ~あれ~? またはまってた?」

 その小さな人形──こびとの`モコウ´はそう言って笑う。

「ほれ、飯にすんぞぉ~借り暮らしちゃん」

 優しく靴箱にそれをおろして、里奈は靴を脱いで部屋へと入り電気をつける。

「里奈ちゃん、今日のメニューは?」

 そう言って靴箱から下がった青いリボンをスルスルと伝って降りたこびとは里奈の後を追う。

「モコウの好きな鶏肉だよ」

「やったぁ!」

 側転しながら飛び跳ねる小さな女の子の身体能力はこびとの中では低いらしい。


 そう、佐野里奈(27)フリーター 彼氏無し は、単身者用賃貸のその部屋で現在、こびと(・・・)『モコウ(20)』と暮らしている。


  *  *  *


 それは、無くしたと思ったコートのボタンだった。


 インフルエンザが流行ってバイトのシフトが大混乱した年明け。開店から閉店までの殺人的フルシフトが連日続き、くたくたになって帰ってコタツに潜り込んだ里奈は、畳に置かれたベッドの下に紺色の大きめなボタンをみつけた。


──あれは、この前捨てたコートのやつだ。

 ゆっくりと温まるコタツの中に腰まで入ってごろりと横になると、連日の疲れで動きたくなくなった。


 ベッドの下でホコリをかぶり、掃除機に追いやられ壁際にポツンと転がる大きめなボタンを見つめて、里奈はボーっとしていた。


(クリーニングから戻ってきてからボタンつけようと思ってたのに)

 クリーニング店のスタッフに指摘されて気がついたのだが、うちの何処かに落ちていると思うと『まぁ、後で探すか』となる。

 そうなると、その後ってのはクリーニングしたコートがビニールに包まれて帰って来た後になり、結局探すのが面倒になる。

(昔のデザインだし、随分長くきたからポイしたんだよなぁ)

 一年以上転がっているだろうボタンを見ながらどーでもいいことをダラダラと考える。


 いつもはホールスタッフだけど、人が足りなければ厨房にもヘルプで入る里奈の髪は、今日は油臭い。

 頬の下になった髪の毛の匂いを何となく感じながら、里奈はそのボタンをみつめていた。


 ──ストッ

 それは微かな落下音。

 家鳴りよりも小さなそれは、もし風呂を入れていたらその水音でかき消されていたかもしれない。


(ん?なんか落ちた?)

 視界の外で何か落ちたかもと思うけど体は疲れて動かす気がしない。

(まぁ、いいかぁ)

 と里奈は思考を放棄した。

 コタツが完全に温もって浮腫むくんで冷えた足がもう少し緩むまでお風呂を入れるなんてできやしない。


 ──スソッ……スソッ

 また微かな擦過音。

 ピントがボタンにあっている視界の端、ベッドの下の闇の中。壁際に蠢く黒い影。

(うそ!? まさかゴキブリとか……)

 あの黒光りするボディを思い浮かべ里奈は鳥肌が立つ、しかし、その影は壁にぴたりと張り付いてゆっくりボタンに近寄って来た。


 おもったより長い足のような物が暗がりに確認できると里奈は少しホッとした。

(軍曹かぁ)

 アシダカグモはネット上でゴキブリを退治してくれる益虫としてアシダカ軍曹と呼ばれてるらしい。

 それを知ったのはバイトの大学生がスマホの動画を見せてくれたからだ。

 この部屋は築年数はかなりあってどこかしら隙間があるから虫との遭遇も日常茶飯事だった。


(うわぁ……まぁ、クモも得意じゃないけどゴキブリよりましだわ)

 ネット動画で見た蜘蛛は大きさもいろいろあって、そこにいる個体は足の長さからそんなに大きくないと里奈は思った。

 この寒さの中、虫たちが活動するには早いという考えは疲れた里奈の頭には浮かんでこなかった。


 ホッとしたところで、その足がサッとボタンを拾い上げた。

(!?!)

 段々と目が慣れてきた里奈の目が捉えたそれは

──こ……こびと!?


 黒色上下の服をまとい、頭巾のようなものを被ったそれは、確かに二足歩行する人だった。

 蜘蛛の足と思ったのは、腕だったようで、ベッドの下で隠密行動するそれは人間にしか見えない。しかし、人にしては余りに小さく身長は10センチぐらいしかない。

 一番に浮かんだのは、超有名アニメスタジオが作成した映画ではなく昔読んだ漫画だった。

(あの漫画に出てくるこびとはたしかルゥルゥって名前だったかぁ……私、もしかして寝てる? 夢でもみてるのかなぁ)


 あまりの出来事にただじっと、その小さな黒装束の人影がコソコソとベッドの下から出ようとするのを見守っていると


──コケっ!

 突然、それはバランスを崩してボタンを手放した。ボタンはコロコロと転がり里奈の目の前にやってくる。

「あっ!」

 息だけで悲鳴を上げて小さな人は私を見つめた。

(目が……あっちゃった)

 非現実な光景に子供みたいにワクワクする。

 逃げちゃうかなぁと里奈が思った瞬間、それはこう言った。


「ふぅ~寝てる寝てる♪」

(おまえもかぁ……)

 里奈は長年言われ続けてきた自分の容姿を思い出し、お約束のようになってるツッコミを脳内で入れながら、目は開けたまま(・・・・・)狸寝入りを決め込む。


 あからさまにホッとして小さな人は忍び足で里奈に近寄ってきてボタンを拾う。


 少し明るい場所に出てきたそれは、まるで忍者のような──忍び装束というヤツだろうか、そんな格好をしていた。

 でも、その声の高さやわずかな胸の膨らみから女の子だと思われる。

「でも、このままねちゃったら風邪ひかないかなぁ……」

 心配そうな呟きを残して視界から消えていく。


(つか、寝てないし私)

 脳内で再度ツッコミをしてると髪を後ろから引っ張られる。


「ん!?」

 驚いて振り返るも何もいない。

 体を起こして引っ張られた頭皮を掻いた。

(起こしてくれたの?……まぁ寝てないんだけど)

 夢ではないその感覚に里奈は疲れをすっかり忘れていた。

 そして、その小さな気遣いに頬がほころぶ。


(こびと忍者……やさしいじゃん)

 勘違いとはいえ、気づかいが嬉しくて里奈はその小さな存在を受け入れ、風呂を入れるべくコタツから立ち上がった。


 それをベッドの影から見て満足げに頷くこびとに見送られていた事をその時、里奈は知らない。

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