03.教室 (挿絵あり)
「……あれ、変な顔してどうしたの?」
「え、あ、あ?」
気付けば、ミシアの顔があった。
驚いたというものじゃない、儂はひっくり返りそうになりながら周囲を確認する。
そこは、儂の通っていた学校、その教室だった。
儂とミシア以外に誰もおらず、放課後を告げる夕暮れ差し込んでいる。
等間隔に並べられてた学生机。
その左端の窓際の席にミシアは座り、儂は教卓前に立っていた。
「ちょっとなにぼーっとしてるのー」
「い、いや……儂は、ここは……どうして君はここに……」
「あはは! 儂はだって! お年寄りみたい!」
からからと笑うミシアを見て、儂は自身の身体が12歳の頃に戻っているのだと漸く理解した。
ミシアの小柄な体躯も、はだけた裸白シャツに黒のスパッツという壊滅的な服装も、ともに学んだ教室の風景も、なにもかもがあの頃と同じ。
儂の人生で……最も幸せだった光景と、時期と、同じだった。
「そうか……儂は死んだのか……」
でなければ、こんな儂しか知らぬ光景を見ている道理が無い。
なるほど……死というのは冷たいものだと思っていたが、どうやら温もりもあるようだ。
結局、儂は何も守れず、何も成し得なかった。
「どうしたのテスカ? なんかしんみりしちゃって」
「……なぁ、少しばかり愚痴を吐いてもいいか」
「うんいいよ。テスカいっぱい頑張ったもんね」
ミシアは、夕暮れを反射して赤みがかった栗色の髪を揺らし、にこやかに笑う。
「大賢者になって、きっとみんなから慕われて、とっても頑張ったんだね」
「……知っていたか」
「当たり前でしょー。どれだけ一緒にいたと思ってるの、大体予想はつくわよ」
「儂は……いや、俺は……お前の仇を討てなかった。それどころか世界に絶望していた」
「うん」
「何も、何も守れなかった……俺が守りたいものはなにも!」
「うん、よく頑張ったよ」
「有終の美を飾ると抜かしながら、結局ただの戯言でしかなかった! 俺は……俺は……ッ!!」
と、俺は柔らかい匂いに包まれた。
俺の横にはミシアの顔。
それはなによりも優しい、抱擁だった。
「そんなに自分を責めないで。テスカは頑張った、その事実は変わらないわ」
胸の中で、無様に悲哀があふれる、ボロボロと。
その言葉で、枯れ果てたと思っていた涙が次から次へと出て止まらない。
「あのね、私。もう死んじゃったけど、でも……あんまり悔やんでないの」
「なんでだ……お前は俺を攻める権利がある、無力で救えず仇さえ討てない俺を……」
と、ミシアは俺の額をピンと指でつついた。
「死人に口無しもほどほどにしなさい、一体いつ私が仇を討って欲しいなんて言ったのよ」
「だって、それくらいしか……俺にできる事なんて」
「馬鹿よねぇ、だからテスカはいつまで経っても私に追いつけなかったの! 私がどれだけテスカに色々してもらったと思ってるの?」
「え……?」
抱擁は解かれ、ミシアは恥ずかしそうに髪を弄りながら話す。
「私がテスカと一緒に居たのはね、そこしか居場所が無かったから。当時、私は優秀すぎて村八分、教師からも生徒からも距離置かれてたの」
「……そりゃ、そんな恰好してりゃな」
「でもそれが私だし、曲げたくなかった。だからどんどん私から人が離れて行って。でも……唯一私と一緒に居てくれてたのがテスカなんだよ」
それがとっても嬉しかった。
そう言って恥ずかしさを隠すように笑う。
「勿論それだけじゃない、君が知らないだけで。私が賢者になった時も一番喜んでくれたし、落ち込んだ時は励ましてくれたし……私の方こそ、たいしてお返し出来なくて申し訳ないね」
「そんな、俺は何も……」
「あはは、そう言うと思った。でもそんな君が、私は心地よかったわ。だから自分をそんな責めちゃ駄目」
「あぁ。ありが…………」
俺は、絶句する。
「ッ!? お前身体が!!」
「およ?」
ミシアの身体は夕日を、透過する。
オレンジ色の光は透過して背景を映して。
消える。もう消えてしまう。
その事実を色濃く表していた。
「あー、もう時間だね。ま、そういう事よ」
「い、いや待てよ……俺は死んだんだぞ。これから一緒に、あの世とかでさ、また一緒にさ」
「あはは、残念だったね。君はどうやらまだ完全には死んでいないよ。もう戻りなって神様が言ってるの」
ミシアはくるりと身体を窓の方へ向けて、しっしと手を振る。
そんな道理あるものか、俺は確実に死んだ。
死んだはずだ。
なら当然、ミシアとこうして会えたのだから一緒に暮らせるはずだ。
だが現に、ミシアの身体は透過を続ける。
俺から…………離れていってしまう。
「い、嫌だ、俺は、俺はお前と一緒に居たい!!」
「駄目駄目、これはよくある奇跡。夢みたいなもの、夢からは醒めなきゃ」
「ようやく会えたんだ、確かに何も成し得なかったが、今戻っても何も出来ない! 俺はもう無力なんだ!」
「それでも、君はやらなくちゃ。生きなくちゃ」
「なんだよ……俺は認めない! 嫌だ! またお前と離れ離れになるなんて!」
「わがまま言わないの。これも運命よ」
「ふざけるな!! なにか、なにか手段があるはずだ! 二人も居るんだからなにか!」
「何もないよ、さ、早く帰りな」
「何かお前もしろよ! 抗えよ! もう消えちゃうんだぞ!!」
「……何度も言わせないの、夢は醒めるものよ」
「なんだよ! お前……諦めるのかよ!!」
「……女々しいなぁ、早く行きなさいよね」
「そんなの聞いてたまるか!! 俺はお前と離れたくない! お前は俺と離れたいのかよ!!!」
「そんな事ある訳ないでしょ!!!」
ミシアは、振り向く。
その顔には、その瞳には、今にも零れそうな涙が溜まっていた。
夕暮れ色の悲しみを、悲嘆を、その涙に浮かばせて、どうしょうもない感情を、濁流のように爆発させる。
「私だってもっといっぱい話したい!! もっと冗談とか言い合いたい!! もっと、もっとおしゃべりして、もう離れたくないに決まってるじゃない!!!」
「ミシア……」
「私だって、あの場所で死にたくなかった! もっとテスカとたくさん楽しい事したかった! もっともっと生きたかった!!」
「そうだよ、俺だってそうだ!」
「そんな事分かってるわよ!! 君がどんな気持ちでそこにいるのか! 君がどんな悔しい思いをしてきたか! どんな絶望を抱えてようやく喜びを噛み締めているかも! 全部!!」
今まで抑えていた感情は奔流する。
頬を伝う涙は絶え間なく流れ、絶叫する。
想いを、その溢れても溢れても、どれだけ言っても何も伝えられないような言葉で、単語で、ミシアは心を吐露した。
「なんでもっと一緒にいられないのよ! なんでもっと話せないのよ! なんでもっと笑っていられないのよ!! もう二度と会えないって思ってたのに! なんでこんな運命なの!! あそこで死ななきゃもっと……もっと……幸せに……なれたのに……!!」
ミシアは、強がりで……本音を隠して笑う癖があった。
それは生前も死後も相変わらず………そんな誰よりも優しい彼女の癖は、ようやくここで……意地も外聞も捨てて本音を、語っていた。
俺は、その震える身体を抱きしめる。
柔らかな体温を感じながら、優しく抱き締める。
「う、うぅ、うわぁあああああん! あああああ!!」
ミシアはそれで安心したように、一気にタガが外れたように。
胸の中で、自分の本音をさらけ出しながら、赤子の泣いて泣いて。
そう…………彼女は死んでようやく。
やっと、涙を流せたのだ。その意味を知らぬ俺でない。
「ぐすっ、嫌よ……私、離れたくない……消えたくなんか、ない……!」
「だったら、考えよう。止める方法もきっとある」
「でも……仕方ないのよ、テスカ。これはもう駄目なの。私は死人で……君は生きてるんだもん……。そんなの、引き留めたらダメって事くらい、わかるよ」
「ち、違う! 一緒に案を考えよう! 二人ならきっと!!」
「駄目よ……テスカ。これはもうどうにもならない……私は……どうにもできない。生きてる人は、それでも生きなきゃ」
「そんな理屈はない!! あんな絶望に塗れた世界なんて生きるに値するか!」
「それでも生きるのよ。大丈夫、怯えないで……貴方の生きる世界は、確かに辛いかもしれないけど、それは貴方が一つの世界を見ていないから。安心して……世界はちょっとだけ、優しいわ」
こうして私と会えたように。
そう言って、ミシアは揺れる瞳を俺に向ける。
どこまで透ける、煌めいていても、その瞳がどんなに美しくても。
消える、消える、消える。
折角会えたのに、やっと会えたのに、その存在は空気の様に透明に近づいていく。
あぁ、あああ、消えてしまう。
「泣かないで、テスカ……笑顔でお別れしましょ」
「出来る訳……ないだろ……! そんなの……! あんな絶望に満ちた世界に帰れるわけ……!」
「えぇ、だったら……私が、希望を。あげるね」
瞬間。
柔らかな感触が唇に感じた。
呼吸が止まる、時間が止まった気さえした。
湿っていて、ほのかに温かくて、それは一瞬の事だったかもしれないが……それが何十分と感じられた。
ミシアは俺の腕の中から離れ、悪戯っぽく笑う。
「えへへ、ファーストキスだよ。『希望』と一緒に受け取って」
そうやって、顔を林檎のように真っ赤にする。
赤。
夕暮れの中でもよく映える、淡い赤色が頬を染めていた。
「ねぇ…………知ってる? 私が死ぬ前に言いたかったコト。たった一つの未練」
「お前が死に際に……言おうとしていた?」
「うん、そう。今からソレ言うから、よーく聞いていて」
ミシアは一瞬だけ、透過はせずハッキリとした形になった。
その一瞬、その時間、彼女の気持ちを表す時間が舞い降りたかのように。
その気持ちは、言葉になる。
「私はテスカが好きです。ずっと前から、出会った時からずぅーっと好き。君のお嫁さんになって幸せに暮らすのが……私の夢です」
一心に、その想いは…………俺の胸に響いた。
「あぁ…………俺もだ。ずっと好きだった、でもずっと言えなかった……っ」
「あははっ、やったぜぃ……っ。告白成功だ……!」
もう夕暮れのせいには出来ないくらいに俺もミシアも真っ赤で、こんな年になっても恥ずかしくて目なんか見れなくて。
両方とも涙で顔をぐしゃぐしゃにして。
幸せな時間にも、明確な終わりは近付いていて。
「さ、お別れだね」
ミシアの身体は直ぐに透明になって、殆ど消えかけて。
最後まで……最期まで……俺は、何もアイツを超えられなかったが。
「あぁ。次来るときは、タキシード着てウェディングドレス持ってくるさ」
そうやって、毒づく事くらいは出来た。
俺達は、言葉を交わす。
最期まで……あの日のように、昔のように、存分に。目いっぱいに。
「あはっ、バッカじゃないの。婚約指輪もないのかしら?」
「指輪が無くても愛は誓えるが?」
「女の子はそういうの気にするの。ちゃんとエスコートしてよね」
「ならこの世界で一番の指輪持って会いにいくよ」
「べ、別に一番じゃなくても……」
「何言ってんだ、そこまでしてもお前に愛を伝えるにゃ足りねぇ」
「は、はぁ……なに、ぐすっ。なに嬉しい事、言ってんのよ! 驚いて……涙、出てきちゃった……」
「泣き虫め……ぐ、泣いてない、俺はもう、泣かねぇ」
「あははっ、ぐすっ、な、泣いてるじゃない! ヘンなカオー」
「お前こそ、ぐ、うぅ、変な顔しやがって、馬鹿みたいだな……っ」
「なによぉ……馬鹿って、ぅううっ、ゆーなぁ!」
「あはははっ、っ、はははっ!」
「ふふ、ぅっ、あはははははっ!」
俺達は笑う。
涙も悲しみも消し去るように。
一度目の別れは、笑えなかったが。
だったら2度目くらいは……笑って、笑って……あぁ、クソッ。
涙が……止まらねぇなぁ……!!
「じゃぁな! ミシア!!」
彼女は、殆ど消えているが。
それでも。
今まで見た事も無い、その幸せそうな顔で笑ってくれている。
「うん……っ! ばいばい――」
そうして。
涙を堪えて。
全力で笑って。
「――――私の大好きな人……っ」
Vサインと一緒に消えた。
俺しかいない夕暮れの教室。
それはクリームのように白に溶け出す。
「――――あぁ、クソッ」
頭にミシアの声が反響する。
悶えるような感情が胸にいっぱいになる。
世界は歪み、視界は閉じてゆき、夢は醒めていく。
「あんな言葉言われて、生きないワケにはいかねぇじゃねぇか」
俺は希望を託された。
生きろと言われた。
大好きな人からそう言われた。
なら、その気持ちに答えよう。
この絶望に塗れた世界を……もう少し、生きてみよう。
夢から…………醒める時がきたのだ。




