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生きた証(地雷源)
どうしようもなく疲れる時がある。手に持つ物も、まとわりつくしがらみも投げ出して、そっぽを向いてしまいたくなる。
やっとこさ作り上げた書類を突き返されたとき。
今行っていることが無意味なのではないかと疑い始めたとき。
自分が苦手なことを無理に続けたとき。
それはわずかな疑念から膨らんでいき、時に本体を潰してしまうことさえあるだろう。
だから私は考え方を変えてみたんだ。
疲れは生きた証。
私という人が悩みぬいて学んできた、教科書に書かれない私だけの経験。
だってそうだろう?
たとえ徒労に終わろうとも、バカにされようとも。疲れはそれだけ、生きているという実感と教訓を与えてくれる。
そんな日々を繰り返していけば、きっと最良の答えを見つけ出せる。
そう思うとなぜだか、わくわくしてこないかい?
かのエジソンだって、電球の素材を見つけるのに何万回と失敗し続けた。
だからこそ、日々の終わりに私はこう思えるのだ。
ああ、今日も疲れた!