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日々を生き、日々に思う  作者: 素晴らしきものプロジェクト
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シアワセノカケラ(春川ミナ)

「ああ!昨日を呼び戻せ、時よ戻れ。」

 -ウィリアム・シェイクスピア-


「雨、止まないね」


「そうだねぇ。出かける予定も駄目になっちゃったね」


「でも、雨の音は好きだよ」


「ああ、何だか解るかも。窓でも開けてみる?」


「そうだねぇ」


 窓を開けると、シトシトと言う音と共に、ふわりと雨の香りがする。

 匂いに色をつけるとしたら緑。樹木の鮮やかさと土の記憶。

 雨粒達は静かに囁いていた。


「暇だねぇ」


「その言葉、何回目?」


「だって、今日は少し遠くに買い物に行くつもりだったから」


「そうだねぇ」


 ボンヤリと窓の外を二人で眺める。

 青黒い雲からは、相変わらず銀色の欠片が落ちている。

 葉っぱに弾かれた雨粒が、ピンと飛び跳ねて落ちていった。


「しょうがないね。何もしないと言うのもただただ退屈だし、何かする?」


「そうだねぇ」


「さっきからそうだねぇとしか言ってないよ?」


「そうだねぇ」


 ふふと顔を見合わせて笑いあった。


「ゲームとか? 映画もまだ観てなかったのあるよね?」


「……そうだねぇ……」


 あまり気乗りしていないようだ。


「耳かきでもしようか」


「そうだねぇ」


 あれ、今度は食いついた。私はその反応に苦笑する。


「じゃあ取ってくるよ」


「うん」


 私は立ち上がり、耳かき棒と二種類の綿棒、それからティッシュを一枚取ってくる。


「ほな、おいでやすー」


「どこの舞妓さんですかね」


 少しおどけて見せたら突っ込みを受けてしまった。

 ティッシュを四つに畳み、ポンポンと自分の膝を叩き、雨音と同じ音色を持つ優しい声を出す人の頭を招く。

 ゆっくりと倒れこんだその人は、ほんのりと温かい体温と、決して軽くは無い重みを膝に感じる。

 自分の体温は冷たいとよく言われるけど、こういう時は役に立つのかも知れない。

 ふふ、私はよく冷血動物なんて言われていたりするのにな。この人は知っているのかな。

 人差し指を耳穴の横に当て、親指と中指で耳たぶを挟む。

 こうする事で耳の穴が広がり、奥が見えやすくなるから。


「最近自分でしてる?」


「そうだねぇ」


「どっちさ」


 私の呆れた声が響く。最近思う事だけれど方言が移ってしまったなぁ。

 また二人でふふと笑い合う。

 私は竹製の漆を塗った黒い耳かきを手に持つ。

 先ずは耳の溝に沿ってサリサリと軽い音を立てながら掻いていく。耳の上から耳たぶに向かって塵芥(ゴミ)を払い落とすように。

 何度かその動作を繰り返して、次は裏側、耳の付け根をまた上から下へと耳かきをなぞらせていく。

 外からはピチョリと音がした。葉っぱの上に屋根の上に溜まっていた水か、大きな雨粒が落ちたんだろう。


「んじゃ本番でーす。動かないよーに」


 私は声をかける。こういう時ってあらかじめ言っておいた方が危なくないんだよね。


「ん」


 短く了承の返事が聞こえたので、再び三本の指で耳を広げ、そっと耳穴の入り口を掻いていく。まずは見える部分から。

 カリカリと、サリサリと。ティッシュの上にトントンと耳かきの上に塵芥(ゴミ)を落とす。


「見える部分だけにしておく? それとももっと?」


「んうぅ」


「日本語になってないよ」


「ふわぁ……」


 私の声に欠伸で返された。

 私は苦笑して膝の上に乗っている頭のコメカミを耳かきの先でつんつんとつつく。

 

「もしもーし。聞こえてますかー」


「んー」

 

 頭の芯がじんわりとしているのかな、と私は思う。耳かきは気持ち良いもんね。

 くるりくるりと耳かきを回し、浅い所で差し入れする。何度かティッシュの上に耳垢を落としていった。

 そんなに溜まってはいないかな?

 そろそろ耳穴の入り口ばかりを掃除されるのがもどかしくなって来た頃かも知れない。

 さて、んじゃもうちょっと奥まで進めていきましょうかねー。

 サリサリ、サリサリという音と共にゆっくりと奥へと進んでいく耳かき。

 浅く短めに耳かきを持っているので、奥まで届きすぎることは無い。

 もう何回もやっているし、慣れた物だ。そう言えば小さい頃はいとこにもやってあげてたっけ。

 いとこはくすぐったがりだったから大変だったなぁ。子供だから皮膚が薄いのもあるけれど。

 でもそのおかげで耳かきマスターになっちゃったかな。

 元々耳かきを教えてくれたのは床屋をやっていた叔父さんだったけれど。ふふ、これでも子供の頃はお客さんにやってあげてたんだよ。

 今は耳かきって医療行為になるから目に見えるとこまでしかやっちゃ駄目みたいなんだよねぇ。

 一人やってあげるごとに叔父さんが後で100円くれたっけ。労働法?そんなものは時効だよね。

 少し奥まで入れたら、そのまま小刻みに塵芥(ゴミ)を掻きだしていく。

 あまり汚れては無いかなぁ。まぁ二週間に一度くらいはやっているし。

 私はティッシュに塵芥(ゴミ)を落とし、個包装になっている綿棒の袋を開ける。綿棒が入った小さなビニールの袋が中心で千切れる音がプチリと部屋に微かに響く。

 けれどそれはすぐに雨音に溶けていった。


「ちょーっと冷たいですよー」


 少しおどけた調子で私は囁く。


「んぅ」


 まずはウェットタイプの綿棒で耳を湿らせるのだ。

 濡れた綿棒が耳穴に浅く吸い込まれて、そのまま引き出される。

 冷たい綿棒が耳穴に当たった時、いつもビクッと震えるので頭を押さえている。

 危ないし、こうしていると逃げられないから。


「いつも思うけどさ」


「んー?」


「楽しんでるよね」


「まぁね」


 私は綿棒を耳穴にキスをさせる様に、小鳥が啄む様な手付きで当てていく。

 他愛無い会話。何か話して無いと寝ちゃうからって無理しちゃって。別に寝ても良いのに。 あ、そうすると反対側の耳がやって貰えないから頑張ってるのかな。


「ふふ」


「んんー?」


 あ、私が笑った事を不審に思ったのか変な声で唸られてしまった。


「なーんでもないですよー」


「んー?」


 決して軽くは無い重みが幸せを感じさせてくれる。

 何回か濡れた綿棒を耳穴に出し入れして、次は再び耳の外、耳の形に沿ってなぞっていく。

 再び耳の裏も付け根に沿って往復させる。


「んじゃ仕上げ」


「……ん……ぁ……」


 次は乾いた綿棒の袋を破る。再び袋が破れるプツリという音が響いた。

 さきほど耳穴の中を湿らせているから塵芥(ゴミ)はかなり取れやすくなっている筈。

 スッスッと綿棒を入れて掻き出し、次に入れた時は中でクルリと回す。

 引き出すと、小さな汚れが付いているのが解る。

 綿棒を置き、耳穴にフッと息を吹き込む。あ、ビクってした。私はその仕草にクスリと笑う。

 次は耳かきについているふわふわの梵天でサッサッと払っていく。

 ゆっくりと黒い耳穴に入っていく白い梵天はまるで正反対の存在だ。

 私とこの人の様に。

 梵天を引き抜き、再び息を吹きかける。今度は少し長めに。

 次は耳をマッサージ。

 耳たぶを人差し指と親指で軽く押し、耳の形に沿ってゆっくりと摘まんでいく。こうする事で奥の汚れが浅い部分に出やすくなるのだ。

 次は耳を裏返し、軽く押す。

 餃子の形みたいだなぁ、と笑みが零れる。今夜は餃子でも作ろうかな。冷蔵庫の中には何があったっけ。

 ああ、お肉が無いや。でも白菜があるから野菜餃子でも作ろうかな。

 この雨だと買い物にも行けないし。

 私はそんな事を考えながら耳をぐにぐにと揉んでいく。

 次はコメカミに近い部分、耳穴の隣をトントンと指で叩く。人差し指と中指で足踏みさせるように。

 耳の血行が良くなったのか少し朱く染まっている。


「終わったよ。次反対」


「……」


 返事は聞こえない。ただ、規則正しい寝息が聞こえて来る。


「寝ちゃった? ……そっか……」


 私は呟いてゆっくりと窓の外に目を向ける。銀色の糸は時計の秒針の音に何時の間にか代わっていた。

 きらきらと輝く水玉は笑う様に虹を連れて来ていて、現世と涅槃を繋ぐ橋をかけているかの様。


 これは記憶。鮮やかに途切れた未来。

 雨が降ると思い出す。きらきらと輝く水玉がいつかを連れて来てくれたのを明日も待っていた。

 地面に落ちた雨の音を声にするのはとても馬鹿らしくて素敵な事なのに。

 素晴らしいもの、それは途切れたシアワセノカケラ。


 私の冷たい指が好きだと言ってくれた君はもう居ないのにな。

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