素晴らしき日々(【Farfetch'd】)
――僕の好きなものは何だろうか?
深夜のラジオ、排他的な空間、センチメンタルラバーとタバコの煙とコーヒーの香り。
嫌いなものはたくさん出てくるのに、好きなものとなるとパッと出てこない。思考が酸欠で鈍っている。
僕の口から吐き出されたタバコの煙のように、ゆらゆらと、のらりくらり宙に浮いて、天井にぶつかっては広がって避けて、そんな生き方が定着して幾星霜。気が付くとハスキーな声は太くしゃがれて、少年とは呼べない姿になっていた。
閉ざされた部屋の、逃げ場のなくなった煙は、天井のシミとなって、流動をやめた。今の僕のように。
アルコールとニコチンがぐるっと全身を循環し、酸素の代わりにタールを肺に取り込んで、気管支炎からの防御的な排痰動作で貴重な空気を吐きだそうとも、僕はタバコをやめられない。苦しさに涙が出ても、気管が狭窄して笛の音の様な高音が息をする度に僕の喉からメロディーを奏でても。
『健康を害する可能性があります?』
――はい、喜んで。
だってつまらない人生を、快感とともに短くしてくれるなんて、なんてジャンクでリーズナブルなアイテムじゃあないか。それでいて傾いている財政に貢献もできている。自分という存在価値のない人間が、自分の命を削って高額納税を行って、刹那的な快感に酔いつぶれている。何も問題なんてない。相互利益、共生関係。
僕は部屋から出られない。他人と肩を並べて同じような顔で笑い、流行と表した強制力を持った連帯感に縛られ、それについて来れない弱者を愚かと罵り、優越感と愉悦に浸る。そんな人間が僕は嫌いだ。そして僕も自分が嫌う人間だ。だから僕は僕が嫌いだ。
部屋の外の日々はひどくモノクロで、残酷で、醜悪で、吐き気がして、直視するには僕の心は脆過ぎた。僕はこの両目の眼球から入る視界をそっと閉じ、五畳半の部屋で夜を待った。
僕がいなくても世界は何の問題もなく回り続けている。それは当然か。
部屋の隅で体育座りをして、ただ時が過ぎるのを待って、僕の影が開かないドアにかかる頃、僕は動き出す。
太陽の光は平等に大地を照らしてしまう。綺麗なものも、汚いものも。そんなものは見ていたくない。僕は目を閉じる。殻にこもる。身をしぼませる。古びた風船のように。
だから僕は月の光が好きだ。あ、好きなものが出てきた。まあ、そんなことはどうでもいいか。
月の光は、汚いものや余計なものを暗闇で覆ってくれる。そして、僕は古びたラジカセのスイッチを入れて、窓を開けて換気をしながら、夜風とともに流れてくる微かな声に耳を傾ける。淹れたてのコーヒーがあるとなお良い。
コンセントが刺さっていないラジオから、僕の声で囁くように語り掛ける。
『この時間が僕の素晴らしき日々』
赤の他人が見たら、非生産的だの、不健康だの、逃避だの、規律がないだの、無意味だの、言いたい放題に言われるだろう。それでもかまわない。
――人と同じであることが正しいことではない。
僕にはまだ好きなものがある。流動をやめたとしても、呼吸はやめてない。僕の心臓は着実に一秒に一回、血液を循環している。この鼓動がある限り、僕は生きている。
無価値だろうが、非生産的だろうが、社会貢献できなくても、僕が生きていることにかわりはない。
誰かに許されるために生きているのではない。誰かに認められるために生きているのではない。僕は僕のために生きている。ただそれだけである。
いつか、僕が自分を好きになれたとき、僕はこの部屋を出る。胸を張って。目を見開いて。この世界に、再び足を踏み出す。そして人を愛せるようになる。そんな夢を、夢見る。
だから僕はまだ生きている。この素晴らしい日々を。この素晴らしく残酷な世界を。これ以上に素晴らしいことはないだろう? だって、僕は生きているんだから。生きているだけで、素晴らしいのだ。
ねえ、これを見ている君よ――、そうは思わないかい?




