1.地下牢で対峙して
マリーとか王子の周辺の視点とかで閑話をもうちょっと書こうかと思ってましたがイマイチ収まりが悪かったのと、親父パートの中身の一部分の繰り返しな内容になってしまっていたので、思い切って全カット。閑話は1で終わりとして、さっさと後半パートに入ってしまいましょう。
という訳で、この話からいよいよ真相解明編スタート。まずはサフィニアとの対決から始まります~〆(・・;)
薄暗い闇が支配する空間の中に、コツコツコツと何やら硬い物で石を叩くような音が響いていた。そして、それが段々と近づいてきたと思ったら、今度はキィと聞き覚えのある音が響いて、その数秒後にガシャンと甲高い金属音が響く。
そんな何かを開け閉めする音を響かせながら、薄暗い闇の奥から、おそらくはランタンか何かなのだろう眩しい光源を手にした鎧姿の騎士を前後に従えた物々しい集団が近寄ってきたかと思うと、突き当りの牢の鍵を外して中に入り込んでいた。
「……お久しぶりですわね。それなりに元気そうで何よりです」
そう皮肉げに挨拶の言葉を口にしながら歩み寄ってきた女、マリーを前にして、今日は随分と大人しい格好をしているし、口元に扇子もないのだな、と。そんな埒もない事を考えながら粗末なベッドから身を起こしたのは、見るからにくたびれ果てた様子の粗末な格好をした同い年くらいの女であって。そんな女の名前は、サフィニアといった。
「……貴女のようなお人が、このような場所に、どのような御用件で……」
そう用向きを問いただそうとしたサフィニアに、マリーは小さく笑みを浮かべながら掌を差し出して「黙るように」と示して続きの言葉を封じると、周囲の者達に「お前達は下がっていなさい」とだけ告げていた。
その『この囚人と二人きりにさせなさい』といった命令に不安を感じたのだろう。
僅かに躊躇を見せていた護衛役の騎士達であったが、再度、強い口調で下された同じ内容の命令によって、渋々といった風ではあったのだが、全員がノロノロといった歩調で牢の外にまで出て行ってしまっていた。
「……」
「……」
双方ともに、しばらくは無言のままだった。
それから暫くして、再び耳障りな金属音が牢内に響いた。
そうして去っていった者達の足音が完全に聞こえなくなるまで、双方ともに僅かな身動きすらも見せなかったのだが……。
「……貴女、ここが何処だか分かっているのですか」
マリーの腰掛けている部屋の中央に置かれた粗末な作りの丸椅子と、おそらくは食事の際に使うためのものなのだろう、あちこちに奇妙な染みのような物が浮いている薄汚れた小ぶりなテーブル。その上に無造作に置かれたままになっていた照明のお陰もあってか、部屋の中の様子は予想外に良く見えてしまっていた。
「……地下牢。罪人を逃げられないように閉じ込めておくための場所、ですわね」
少なくとも私のような大貴族の令嬢が訪れるような場所では決してない。
それは自分でもよく分かっているといった風に答えるマリーの困ったような笑みを浮かべている顔が、何故だか本気で笑っているように見えてしまいながらも、そんな笑みの中で瞳だけが底冷えするような冷たさをたたえている事にも同時に気がついてしまっていたのだろう。
サフィニアは、無意識の内に、僅かにのけぞるようにして後ろに身を引いてしまっていた。
「……それで、こんな場所にまでやってきて、一体、何を……」
「何をしにきたのか、ですか……。そうですわね。一応、貴女にも、この度の騒動の顛末といった物を教えておくべきではないかと思いまして。……一応は、この間までは、貴女も関係者だった訳ですから」
そう答えながら、すっと片手で口元を隠すようにして笑ってしまうのは、半ば無意識のうちの行動……。いわゆる、何時もの癖、仕草というヤツだったのだろう。だが、それを見たサフィニアは僅かに苦笑を浮かべてしまっていた。
「そうですか。それは、どうもご丁寧に……。お心遣い、ありがとうございます。……まあ、その御礼という訳ではないのですが……。貴女にも一つ、私から忠告を差し上げておこうかと思います」
「忠告、ですか……」
「はい。忠告です」
そう言葉を返しながら、ニタリといった質の悪い笑みを隠そうともせずに。その口を笑みの形のままに開きながら。
「そのいかにも貴族のお嬢様っぽく見える仕草。……相手に口元の笑みを見せないこと。表情は常に隠すというのが令嬢としての原則にして最低限のマナー、でしたか。確かに、貴女のような人には、実にお似合いの仕草なのだろうとは思います。ですが……。それも程度による、という事です」
そんな言葉を、相変わらず何を考えているのかイマイチ分からない冷たい瞳の微笑みで平然と受け止めると、ゆったりといった仕草で頷いて見せていた。
「あまりにこうやって表情を隠しすぎると、意中の殿方にさえ逃げられてしまいかねないから気をつけなさい、という事ですわね」
「まあ、その恐れは多分にあるのではないかと……」
表情筋が微笑みの形で固まったままの女と、何かを揶揄するかのようにしながら、勝ち誇っているかのようにニンマリと微笑んで見せている女。
そんな両者の間には、張り詰めた空気以外の何が挟めるというのだろうか。だが、それを破ってみせたのは意外なことにマリーの方だった。
くっくっくっく、と。ひどく面白そうに。表情を歪めて、実に楽しげに。声までも漏らしながら、体を折って、笑ってみせたのだ。それこそ『もう無理、もう我慢出来ない』といった風にして……。それこそ、相手をコケにするかのようにしながら。
「なっ!?」
そんな相手を小馬鹿にするようなストレートな笑い方など、これまで一度たりとも人前で見せたことなどなかっただけに、そんなマリーの様子に、思わずサフィニアも表情を崩してしまっていた。
「おそらくは私ども……。私とハイドラ様との関係の事をおっしゃられているのだと思いますけれど。……ご安心を。ちゃんと、先日、仲直りは済ませてありますわ」
だから、お前が、そんな余計な心配などする必要など、一切、ない。
そう言うかのようにして、すっと笑みを消して元の表情に戻してみせたマリーに、サフィニアは思わず次の句を告げられなくなって黙ってしまっていた。
「……さてっと。あまりのんびりとしていると、せっかく外に追い出した人達が帰ってきてしまいますからね。……そろそろ本題に入りましょうか」
ギシッと。足を組み替えるに姿勢を変えたせいか、僅かに丸椅子が音を鳴らしていた。
「まずは貴女も一番気になっているでしょうから、ハイドラ様の処遇からいきましょうか……。彼への罰は厳重注意のみ……。もっとも、頬が腫れ上がるまでお父上様から殴られ、散々に叱咤罵倒された上で、お母上様の方からも、かなぁ~りキツイやり方で、こっぴどく叱られて、延々と何時間も説教されたそうですわ。……それに話を聞いた方々からも『お前は何を考えているんだ』と、かなり怒られたそうです。そういった事もあって、今回の件で方々に迷惑をかけて申し訳なかったと謝って回る羽目になったようですわね」
その話を聞かれた時のハイドラの情けないトホホ顔を思い出したのか、マリーの顔に作り物でない、優しい笑みが浮かんでいた。
「勿論、私にもしっかりと謝って頂きましたし、我が家への正式な謝罪などもあったそうですから。ですから、今回の件については、これで一応は手打ちという事になります。……まあ、甘いと言われてしまえばそれまでなのでしょうが……。あんなでも、一応は我が国の第一王子なのだからと皆が申しておりまして……。まあ、次はないと思え、今後に期待といった所ではないのでしょうか」
淡々と。まるで内容を丸暗記してある書類を読み上げていくようにして、関係者への処分内容についてつらつらと語っていく。
「あと、貴女の実家のペチュニア子爵家についてなのですが、直接的な関与は殆ど無かったとはいえ、貴女を学院に送り出す際に『どんな手を使ってでも良いから、上等な相手との縁談話を掴みとって帰って来い』と相当に強く発破をかけて送り出していたそうですね。それがまずかったのかも知れないと、子爵様も頭を抱えていらしたそうですから……。今回の件に関しては、責任の大半は貴女にあるのだろうと結論付けられてはいるものの、流石に実家の方は関係ないからお咎め無しという訳にもいきませんでしたので、当代のペチュニア子爵は領地にて蟄居ということになり、代替わりするまで謹慎という扱いになりました」
それと、と。ついでにといった調子で追加される。
「先日の繰り返しになってしまいますが、サフィニア・ペチュニア。貴女に関しては、この度の騒動を扇動した主犯格と見なされていますので、責任をとらせるという事でペチュニア子爵家からは追放。元の平民の身分に戻して、普通の罪人として裁くようにとの処分内容に変わりはありません」
ペチュニア家に引き取られる前の身分に戻されたという理解で良いのだろうと結論付けたのだろう、そんなマリーの言葉に対してサフィニアは小さく笑みを浮かべていたし、そんなサフィニアの表情を横目に見たマリーも僅かに眉を釣り上げていた。
「……他の方々の処分についても、お聞きになりますか?」
「いえ。結構。……さほど興味もありませんので」
「おやおや。随分と冷たい事を言うのですわね。……あれほど貴女に夢中だった人達のことだと言うのに」
そんな何かを揶揄するような台詞にギロリといった視線が返された事もあってか、僅かに苦笑を浮かべるとマリーはつらつらと言葉を続けていた。
「クレマチス・テッセン殿。彼から、私は、あの場で……。衆人環視の中で、性的な揶揄を含んだ下品な侮辱を受けた訳ですが、それでも、あの場で彼のやった事と言えば、所詮は“その程度”のことに過ぎません。お互い喧嘩腰で言い合いをしていたのも事実ですし……。そういった意味では、実際の所、さほど大きな問題になるような内容でもなかったのでしょう。ですが、ここで私と彼の立場が……。お互いの家の関係が、後に問題となりました」
隣国の軍事的な脅威や侵攻から長年体を張って国境線を護ってきた“護国の盾”こと武官の雄、ゴールド辺境伯家と、敵から攻められるような領地こそ持ってはいないものの、代々我が国の宰相を数多く排出してきたという歴史ある文官の大家テッセン公爵家。
そんな国にとって政治的な対立を絶対に許されない立場にある両家の間に、僅かたりとも確執となりうるトラブルの種を作る訳にもいかなかったのだろう。特に、再び隣国の軍事的な蠢動が警戒されている、この厄介極まりない時期においては尚更に。
「……という訳で、恐らくは、敵国の脅威を前に付け入る隙を作る訳にもいかないということなのでしょう、今回の件に関してはテッセン公爵が先手を打って一方的に当家が悪かったと頭を下げて関係者を……。この場合にはクレマチス殿という事になりますが、彼に全ての責任を取らせて処分することになりました」
表面的にはそういうことになっているらしいのだが……。
「まあ、恐らくは、それだけが理由ではなかったのでしょうが。……ここからは私の推測ですが、これまでのハイドラ様に要らぬ浅知恵を吹き込んでは事態を悪化させてきたという学院での悪行に対する処分も、そこには含まれていたのでしょうし……」
そこまで言葉を口にした時、マリーの目つきに剣呑な物が宿っていた。
「……何処かの馬鹿が焚き付けたのでしょう。彼がとうの昔に諦めて、捨て去っていたはずの拙い野心……。『親超え』と『兄超え』。その無謀な願いや夢……。それらを貴方ならきっと出来る、例え今は難しくとも、未来は誰にも分からないのだから。何年かかってでも挑み続ければ、いつか届く日がやってくるかもしれないし、もし、それが出来るというのなら、きっと高すぎる壁であっても乗り越える事も出来るのではないか……。そう吹き込んで、煙のなかった所に無駄に火をくべて回った人物が居たらしいのです。……まあ、その結果が、この惨状な訳ですが」
当然、覚えは有るのでしょう? 他でもない、貴女の仕業なのだから。
そんなマリーのジト目による無言の追求に、サフィニアはただ薄く笑みを浮かべただけだった。それは否定などではなく、かといって明確な肯定という訳でもなく。ただ、悪意だけが薄く滲んでいるような、そんな何とも嫌な笑みだった。
「……では、最終的に、彼はどうなったんですの?」
「気になりますか?」
「まあ、一応は……」
「そうですか。……彼は、学院を辞めさせられて領地に身柄を移されました。とりあえずは、そこで再教育を行って歪んだ性根を叩き直すのと、無駄に伸びていた鼻をへし折って、自分がどの程度の男だったのかを、きちんと思い出させるそうですわ。……恐らくは、これから先、死ぬまでひっそりと、領地と家と民に尽くすだけの寂しい余生を送る事になるのでしょうね。……いわゆる、飼い殺し、日陰者の立場に置かれて……。ですから、もはや領地を出ることは叶わないのではないかと……」
そんな哀れみすら滲ませた台詞に答えるのは「そう」という、ごく短い返事だけだった。
「身の丈に合わない願いを抱いて無理に泳いでいたから……。そのせいで、ついに溺死しちゃった訳ね。……無謀と勇気を履き違えて、勇者のつもりになっていた。そんな愚者には相応しい末路なのかもしれないわね」
「おやおや、随分と辛辣ですわね」
「だって、私、彼の事、だいっ嫌いだったから……」
いつも嫌らしい視線を自分の胸元に向けて来ては、だらしなく鼻の下を伸ばしていた。そんなみっともない行為がバレていないと本気で思っていたらしく、最後の最後まで辞めることはなかった。そんな人物のことを心の底から軽蔑していたから、お別れ出来て清々した。
そんなさばさばした返事の中に、どこか一抹の寂しさのような物が見え隠れしていたのは何故なのだろう。それはすぐに本人の口から知らされていた。
「でも、考えようによっては幸せな人だったのかも知れないわね」
「幸せ……? こんな悲惨な結末が、ですか?」
「ううん。今は多分……。彼も、何って馬鹿なことをしてしまったんだ~って、死ぬほど後悔してるとは思うけどね……。でも、こうなるまでは、きっと彼、楽しかったんじゃないかなってね? 貴女に、こうして裁かれる事になるまで、彼はきっと楽しんでいたんじゃないかなって思うから。……けっして父や兄のようにはなれない。それを成す能力は、自分にはない。そんな冷たい現実とかから目を逸らす事が出来て……。理想とした人達の真似事程度すらも出来ては居ない。それを心の何処かでは自覚はしていたんでしょうけどね……。それでも、王子に自分なりに必死に考えたアドバイスをしては、感謝の言葉とかお褒めの言葉を貰えていたというのは……。そう、彼にとってはきっと一つの理想形。子供の頃から夢みていた理想の姿そのものだったんじゃないかなって思うから」
その台詞を、マリーは否定することは出来なかった。
彼女の言うとおり、きっと楽しくはあったのだろう。
そう、自分も少なからず思ってしまったからだった。
だからこそ、その愚かで幼稚な行動によって、ますます事態を悪化させていただけだったという『結果』について、悲しみすらも感じてしまっていたのかもしれない。
「……彼のやっていた事は間違っていた。それだけが事実ですわ」
「彼の想いとか、やりたかった事とかも、貴女は理解出来ているのに? それでも、それを許容する訳にはいかないって言うの?」
「そうです」
「なぜ?」
「我々は貴族だからです」
そんなマリーの簡潔な答えに息を呑む気配が伝わってきていた。
「貴族とは何を成したか、その結果だけで全てが評価されるのです。何を目指し、何を志し、何を想い、何をやろうとして、結果、何をやったのか……。それら途中経過の部分は何一つ省みられる事はありません。為政者の立場とは……。人の上に立ち、民から税を集め、人々の生活を。領を。そして、国を管理、運営するということは、そういうことなのですから。……努力はしました、その努力に結果が伴いませんでした。だから失敗してしまいましたが許してくださいねでは、民は決して納得してはくれないのです。失敗したというのなら、その結果に対してきちんと責任を取らせる事でしか、民の心を慰撫出来ないのですから。……成功には評価と名声と賞賛と栄華を。失敗には罰と処分と悪名、悪評を。……だからこそ、彼は裁かれる事になった。裁かれなければならなかったのです。……ただ、それだけのことです」
無論、父や兄に牙を剥こうとしていた。そんな疑いがあった事も理由にはなっていたのだろうけれど、そういった権力争いの構図すらも、能力を最優先せざる得ない立場による「より高い力を持つ者を最終的に選出していくための仕組み」の一つと割りきって見る事すらも出来るのだから。
「確かに、色々な経緯や理由、思惑や想いはあったのかもしれません。それは私も否定はしません。……ですが、誰からも評価されない部分でもあるのです。彼は、良い結果を残せなかった。それだけが結果であり、それだけが全てなのです。そして、ハイドラ様に間違えたアドバイスをすることを繰り返し、家の評判を大いに下げた。加えて、テッセン公や次期テッセン公となる兄上殿への反逆の意思すらも隠せていなかった。……彼が処分されなければならなかった理由に十分な内容だと思います」
そうなるようにクレマチス殿を追い込んだ自分にも罪がある事を自覚しなさい。
そういった視線による無言の圧力に対して、サフィニアは小さく肩をすくめただけだった。
「じゃあ、トレニアは?」
「トレニア・ウィクサーですか? 彼については、これまでにいろいろな方々とトラブルを起こしていた事もありますし、あのデタラメに過ぎる言動や傲慢な性格や態度、数々の問題行動や不法行為によって、方々で悪評が溜まりに溜まっていたようでしたからね。……いくら特級魔道具製作者といえども、いよいよ国としてもかばいきれなくなっていました。だから、ここぞとばかりに処分を求める声が殺到しまして……」
そう、何かを思い出すかのような含み笑いを浮かべて。
「将来の王妃候補筆頭である女性……。まあ、私のことですが、そんな相手に証拠を不正にでっちあげるような真似までして喧嘩を吹っかけただけでなく、犯罪者扱いしようとしていたのですから流石に国としてもかばいきれなくなったということなのだろうと思います。それに、王族の側に魔法鞄を身につけたまま付き従っていたというのも、彼の立場を一層悪くしていました。……いろいろな方面から様々な横槍縦槍が投げ込まれて議論も相当に紛糾していたようでしたが……。最終的には、彼の腕だけは救おうという事で結論がまとまりまして。これまで与えられていた数々の特権や優遇などが全て取り上げられた上で、ごく普通の魔道具製作者と殆ど変わらない扱いに落とされる事になりました。ただし、それによって他国に引きぬかれても困る訳でして……」
ふふふっと小さく含み笑みを浮かべながら。続く、その一言を口にしていた。
「今回の件の罰として、ハイドラ様の奴隷へと身分が落とされる事になりました。とはいえ、鞭だけでなく飴もなくては、彼もやる気を失ってしまうでしょうからね……。これまでの悪行の数々を償い、禊を終えたと主……。この場合にはハイドラ様ですわね。その判断がされたなら、奴隷の身分から開放されるという条件付きの契約奴隷となって頂きました」
いくら奴隷に身分を落とされたとはいえ、もともと能力そのものは極めて希少性の高い上に、他に類を見ないレベルでの“逸材”であったのだ。
そんなトレニアが必死になって、大真面目に仕事一筋に打ち込めれば、誰もが評価せざるえないような、立派な魔道具を成果として作り上げることが出来るに違いなく、もし、それが叶うならば、最短で数年程度で奴隷の身分から開放されて元の立場に戻れるであろうとも考えられていたのだ。
それまでの間も、奴隷階級……。いわゆる平民以下の立場に落とされたとはいっても、その身柄を預かる所有者が第一王子であるのなら、その身分はハイドラが保証しているのと同等の意味にもなるのだし、それはトレニアの後ろ盾が次期国王であるハイドラであるという、これまでと大きく変わらないのだから、差し引きで考えても平民以上の立場は保証されていると言っても良かったのだろう。
そのため、少なくとも平民からも表立って馬鹿にされたり無下に扱われたりはしないであろうし、魔道具の作成能力そのものを遺失した訳でもないのだから、これまでと大差ない程度の敬意を向けられるのは確実視されていたりもしたのだから……。
「……それでは、これまでと何も変わっていないのでは?」
「いいえ。明確な立場の違いは、純然たる物として存在していますわ。それこそ、誰の目にも明らかな形で……。彼の場合には、その首にとりつけられた奴隷の証である首輪によって示されていますし、それによって明確に立場が落とされて、処分された事を周囲にも示している事になります。それらの罰によって、どのような実害があるかどうかは、これからの彼の態度や姿勢、言葉使いなどによって再評価されていくことになるのでしょうが……。精々、必死になって新しい立場に相応しい、常識的な立ち振舞いや礼儀作法、言葉使いといった一般常識を身につけていって欲しいものですわね」
そんな成敗完了とでも言いたげなマリーに、サフィニアは何故だかジト目を向けていた。
「……何か?」
「ううん。何とも上手いことやったなぁって、感心してたの」
「そうですか?」
「そうよ。……王子の奴隷にするってことは、王子の所有物になるってことでしょ? そうなれば、所有物である奴隷の研究成果とかは、全部、所有者である王子の手柄ってことになるんじゃない。……あの性根は歪んでたけど能力だけは超一流だったトレニアが、自由を取り戻したいからって理由で必死に……。それこそ、死に物狂いになって脇目もふらずに研究だけに全精力を打ち込んで、誰にも文句を言わせないレベルの凄い魔道具を作ろとしたならって考えたら……。それこそ、どんなに低く見積もったとしても、周辺諸国から賞賛の声が寄せられるレベルの凄まじい代物になるのはほぼ確実じゃない。それの評価を合法的に手に入れた挙句に、これによってトレニアを奴隷より開放するなんて真似をしたら……」
それこそ、トレニアは色々な意味でハイドラに対して最大級の感謝と恩義を抱く事になるのは間違いなかったのだろう。
いくら親しい友人だったとはいえ、自分の婚約者を犯罪者に仕立てあげようとしていた挙句に、その犯罪の証拠を捏造していた事を暴露されるという最悪の逆襲を食らって犯罪者となって、犯罪奴隷にまで身分を落とされたのだ。
そんな自分なんかの事を律儀に守り続けてくれた挙句に、努力の成果を、こうしてちゃんと正しく評価してくれた。それだけでなく、それを世間にちゃんと広めて自分の復権と名誉の回復にも尽力してくれたのだ。
トレニアにとって、ハイドラとは、そんな恩人という事になるのだ。
そんな相手に深く感謝をして、生涯の忠誠を捧げたとしても、何ら不思議はないと思われたし、そんなトレニアの成果物と生涯の忠義を得た事による政治的な立場の強化は、足りない評価の嵩上げ分としても十分な代物となってくれるだろうと思われた。
……勿論、そんな質の悪いシナリオを書いたのであろう人物は言うまでもなくハイドラの信奉者であり狂信者ともいえそうな女であって……。
「いっそ見事と賞賛するわ」
「そう。ありがとう」
そんな女の口元にはニンマリとした笑みが浮かんでいたのだった。




