5.世は全て事も無し?
「フゥ。……流石、本職の方々ですわね。鮮やかな手並みです」
「いえ。……お恥ずかしい限りです」
そう私の褒め言葉に恥じて見せるのは私に指摘されるまで、今、この場に潜んでいた危機に気が付けていなかったからなのだろう。そして、そんな私達のやったことに大いに不満そうな顔を浮かべていたのは無理やり床に押さえつけられているトレニアであり、先程から完全に無視されているアランであった訳で。
「そこまでゆるみましたか、アラン・ファレノプシス。……魔法鞄を身につけた者が、どれだけ危険な存在かは、昔の貴方ならば即座に分かっていたのではないのですか? ……殿下の護衛役として、学院内での帯剣を特別に許されていた貴方ならば……。そのあたりは最低限でも、常識として理解していると思っていたのですが……」
そんな私の買い被りだったのかという問いに、それでもアランは「それは!」と何やら言い返そうとしていた。
「お黙りなさい。トレニア・ウィクサ-は、殿下から特別に信頼を寄せられていた人物だったから。だから、問題なかったとでも? それとも、彼の人物評的に、そんな危険な真似をするはずがないとでも思い込んでしまっていましたか? ……あるいは、自分勝手な行動が特別に許されるという特権的立場とやらに政治的に遠慮でもしたつもりにでもなっていたとでも言いたいのですか? ……特別扱いされるべき優秀な魔道具製作者なら何をしても問題ないとでも言うつもりだったのですか。もしくは、特級の魔道具制作技能者ならば、王族の側に魔法鞄を身につけたまま近寄っていたりしても、問題など起きるはずがないとでも? そうやって、愚かにも油断してしまっていましたとでも申開きするつもりですか?」
……もし、万が一にでも、その鞄の中に危ない物や武器などが詰まっていたのなら、どうなっていたと思うのか。
「それに、その鞄に何かしら物が詰まっている事は、貴方も知っていたのではないのですか? それを知っていながらみすみす見逃すなど……。そこに本当に危険な物が入っていないと、ちゃんと確認していたのですか? そんな真似を許して、本当に間違いなど起きないと。それを、自分の目で確認したのですか? ……していないのですよね!? 論外ですわ!!」
それは、みすみす暗殺者が道具を手にしたまま近寄ってくるのを見逃しているという事と同意なのだから。
だからこそ、護衛担当の必須厳守規則の中にも、魔法鞄保有者……。この場合には、身に付けているいない問わず、身に付ける事の出来る可能性がわずかでもある者の意味となるらしいのだが、そういった魔法鞄を装着する可能性のある者の接近を何が何でも許すな、と定められているのだ。
その規則は護衛担当者達にとっては絶対に遵守されるべきルールであり、それを守る事で、ハイドラ様の周囲の者達にも暗殺の嫌疑をかけられないで済むといった利点もあった訳だし、彼自身も無闇に腰の剣を振るわなくても良くなるという大きな利点が存在していたはずだったのだ。
なぜなら、本来の彼の立場では、トレニアが魔法鞄を身に付けたままハイドラ様に近づいた時点で、トレニアの事を最悪、斬り捨てなければならなかったのだから。
だからこそ、そういうルールを無視されてしまうと、何も企んでいなかったとしても、暗殺の嫌疑をかけざるをえなくなるわけであって。それはきっと、双方にとって、とても不幸な事態になるはずであって……。ついでに言っておくと、それを専属の護衛を任され、帯剣すらも許されているという立場で、あえて見逃していたとあっては、暗殺の共謀すらも疑われてしまうわけであって……。
「ぼ、僕は、そんな事を考えたことはない!」
「だそうですが……。実際には、どうだったのですか?」
「鞄の中身は、紙を束ねて作ったと思われる、何かしら中身が書き込まれているメモ帳が数冊。他には筆記用具、正体不明のガラクタ類……。おそらくは作りかけの魔道具類だと思われますが、そういった品々のようです」
「危険物は?」
「一応は、ですが、現時点では問題ないのではないかと。……作りかけの道具の正体が不明なため、完全に問題なしとは、まだ断言は出来ないのですが……。現時点では、危険な凶器などは入ってはいないと思われるそうです」
その作りかけの道具とやらが、本人の手にかかったら即座に完成させられる状態なのかどうかが問題になる訳だが、素人の私達では判断がつきかねる辺り、特殊能力技能者というのは実に厄介な存在だった。
「……まあ、この場合、入っていようが、入っていなかろうが、使えようが、使えまいが……。そんな些細な差、大した問題ではないのでしょうから……」
問題は、それが出来る状態でハイドラ様に近寄っていたということであって。ソレよりも問題になるのは、そのことをハイドラ様のお側で護衛を命じられていたはずのアランが、知っていながらもみすみす見逃していた可能性が高いということであって……。
「君たちには、色々と話を聞かせて貰う必要がありそうだな」
そんな台詞と共に、殿下と私は参考人として。他の面々には、色々な容疑がかけられていたせいもあって、一部は捕縛され、残りも重要参考人として連行されていくことになったのは言うまでもなかったのかもしれなかった。
◆◇◆◇◆
そんなこんなで、色々あった結果として逮捕者まで出してしまった事でグダグダになってしまった卒業記念パーティーから、十日余りの時間が過ぎた昼下がりの事。
私は、久方ぶりにハイドラ様と二人っきりで平和な午後の時間を過ごしていた。
「あのー、だな……。マリー……。そのぉー……」
「なんですの? 改まって」
もごもごとテーブルについた時から何やら口の中で言葉を濁しているハイドラ様に、いつものように微笑みを向けてあげると、そっぽを向きながら、その赤く染まった頬をわずかに膨らませながらボソボソと言葉を続けていた。
「父上に、殴られた」
「そうですの」
「それに、お前は阿呆かと……。ひどく、叱られてしまった」
「そうですか」
「あと、な。お前を……。マリーちゃんを余りいぢめるんじゃありません、と。……母上から、ひどく怒られた……。めちゃくちゃ怒られたんだ……」
ひさしぶりに耳を思い切り引っ張られて、すっごく痛かったと。母上を怒らせると、アレがあるから嫌なんだ、とも。そう、ブツブツと愚痴って見せてくれたハイドラ様に、私は「まあ」とだけ答えると、その口元を扇子で隠して微笑んで見せていたのだが……。
「……やっぱり、怒ってるよな?」
「私がですか?」
「ああ」
こんな事をされて、許すわけがないだろう、と。
あの場所で思わず口走ってしまった私の失言をどうやら覚えていたらしい。
「……あれは、その……」
「いや、いいんだ! ……あんな真似をされて怒らない女なんて居る訳がない。そんなのは、ごく当たり前の話でしかないんだから!」
「いえ。本当に。……本当に、そういう意味で言ったのではありません。それに、あの時、私が許さないと言ったのは……。あの愚かな女のやらかした事に対してだけですし……。ハイドラ様の事に関しては、最初から許すも許さないもなかったのですから……。だから、怒ってなどいませんわ」
本当に怒っていませんから安心して欲しいと。
そう笑顔で告げた私の言葉に、何故だかハイドラ様は表情を歪めてしまっていた。
「どうかしましたか?」
「……きっと怒ってくれているんだろうと思っていた」
視線を手元のティーカップへと落としながら。
「いや、ちがうか。きっと私は、それを期待していたんだ……。ああ……。今、ようやく……。ようやく、わかった……。多分、私は……。本当は、お前に……。あの時、取り乱して、叱って欲しかったんだ。……馬鹿なことをするなと、思い切り、怒って欲しかったのだと思う」
まるで、独白するようにしながら。
「……勿論、あのとき、お前が常に無い調子で怒っていたのは分かっている。でも、私が見たかったのは、もっと酷い姿……。もっと、みっともなく取り乱して泣いたり、多分、我を忘れてしまう程に怒り狂っていたり、嫉妬して怒鳴り散らしたりするような、そんな……。私の目の目から見て、人間らしく見える姿とでもいうべき物を見せて欲しかったんだろうって……。そう、思ったんだ」
あるいは、それは罪の告白だったのだろうか。
「我ながら、随分と身勝手だし、酷い話だ。……たかだか、その程度のことのために、あんな馬鹿げた騒ぎを起こしてしまったんだから……。ほんとに救いようがない馬鹿だな、私は」
何故、そのような愚かな真似を?
そう視線で促した私に、ハイドラ様は少しだけ笑みを深めながら答えていた。
「素顔が見たかったんだ」
素顔……。
「……トレニアも言っていただろう。……お前はいつもそうだって」
微笑みながらも、ひどく悲しそうに。そして泣きたくなる位に、つらそうな声で。
「お前は、そうやって、いつも表情を隠してしまう。かざした扇子の陰に、全てを隠してしまうんだ。……いつも、そうやって……。ほほ笑みを浮かべて、笑っていて。……嬉しことも、悲しい事も。辛い時も、楽しい時も。……怒りの片鱗すらも、何も見せてはくれない」
それは、そうなるように幼い頃から教育されてきたから……。
それが将来必ず求められる事になるだろう、そんな立場にあったから。
いつか婚約相手である彼と一緒に立つことになるだろう、政治の表舞台の頂点においては、感情とは決して武器にはならず、むしろ足枷にしかならないから、と。
……その時の立場においては、本音とは、決して表に見せる物ではなく、全てを微笑みの仮面と扇子の裏側に封じ込め、常に笑みと余裕を振りまきながら優雅に振る舞う事こそが第一に求められる事になるのから、と……。
それが将来求められた時に問題なく出来るようになっているように。そう、教育されてきたのであって……。でも、それが二人の間に溝を作ってしまう原因になってしまっていたのだろうか。
「……昔はそんなじゃなかった。お前の顔も普通に見えていた。どんな顔で笑っていたとか、どんな時にどんな顔をしていたとか、普通に思い出せてもいた。そのはずなのに……。忘れたことなど一度もなかったはずのお前の顔が、何時の頃からか……。何故だか、どんな顔をしていたのか、段々と思い出せなくなっていったんだ」
愕然としたよ、と。そして、怖くなった、とも。
そう寂しそうに笑うハイドラ様の顔は、何故だか泣いてるように見えてしまっていた。
「……昼間、ずっと顔を突き合わせていたはずの相手なのに。そんなお前が、どんな顔をしていたのか、どんな表情を浮かべていたのか……。そんなことすら、分からなくなっていたんだ。……多分、その頃からなのだろう。私は、お前の心を見失ってしまっていた。お前の事が、理解できなくなっていたのだと思う。……それが、ひどく不安だった」
だから、なのかもしれない。
「……サフィニアは違った……。彼女はとても分かりやすい女だった。……私に、いつもストレートに感情をぶつけてきてくれたんだ。嬉しい時には盛大に喜んで見せてくれた。悲しい時には悲しんで泣いていた。怒らせてしまった時には目すら合わせてくれなかったよ……。でも、それが、ひどく心地よかったんだ」
お前は良くも悪くも素直じゃなかったからな。
そんなハイドラ様の揶揄するような言葉に、私は頬を笑みの形に歪めてみせる。
「ほら、また」
「失礼。……これはもう癖、ですわね」
ですから、と口にして。私は掲げていた扇子を下げて閉じると、そのままテーブルの上に置いて見せていた。
「これからは、貴方の前では、そういった振る舞いをしない様に、努力を致しましょう。扇子も、こうして手に持たなければ多少はマシになるでしょうから……」
「……いいのか?」
「いいのです。……おそらくは、私は少し、急ぎすぎていたのですわ」
どうしても大事な人の側に立ちたかったから……。
だから、理想の王妃像を思い描き、そこだけを目指して頑張っていた。
これまで、一人で、必死に努力してきたつもりだった。
色々な物を切り捨ててきたし、我慢もしてきたし、犠牲にもしてきた。
それを後悔したことなど一度もなかったけれど。でも……。
その努力の仕方は、本当に正しかったのだろうか、と。
今にして、そう、思ったりもしている。
こうして立ち止まって振り返ってみた時、そこには何も残ってなかった。
そんな努力の仕方は、少しばかり独りよがりすぎていたのかもしれない。
それに、周囲も見えていなかったに違いなかった。
「きっと、私が悪かったのです。……一番大事な事を忘れてしまっているのだという事に……。ようやく、思い至ったのですから」
そっと手を伸ばし、触れた指先は、冷たく冷えていて。
「決して、見失ってはいけなかった。……手放してはいけない物は、こんなにも近くにあったというのに……。私は、愚かにも、それの価値を忘れてしまっていたのですね」
後悔とは、後で悔やむとは書くけれど。
それはまるで、水のように。あるいは空気のようにして……。
そこに“ある”のが自分にとっては当たり前のようになってしまっていて……。
「……それが側にあるという事が……。自分の隣に貴方が居てくれるという事が……。貴方に愛して頂けるという事が、あまりにも当たり前になり過ぎていて……。その有り難みを、いつのまにやら失念してしまっていたのだと思うのです」
……それが結果として、相手に強い孤独感を感じさせる事になり、こういう事態を引き起こしてしまった原因だったのではないのかと……。そう、思うのだ。
「あの頃の貴方の手は、あんなに暖かったのに」
今は、こんなにも冷たい。
……私は勘違いしていたのだと思う。
何よりも焦りすぎていたと思うのだ。
その結果が、このざまだった。
独りよがりな努力の仕方が、大事な人と決定的な溝を生む原因となってしまった。
かつては確かに通じ合っていたはずの互いの心が、気がついた時には離ればなれになってしまっていた。
そんな、最悪の結果を生んでしまっていたのではないかと。
……これでは意味がないのではないかと。
そう、思ったのだ。
理想の王妃を目指していた事自体は、それほど間違っては居なかったのだと思う。
国内最大勢力の貴族の令嬢と王族との……。第一王子との婚姻。
それを快く思っていない者は、国内国外に掃いて捨てる程に居た。
そんな下らない連中から向けられる事になる横槍やら難癖を、実力でもって退け、黙らせるためにも不断の努力を続ける必要性があったのは事実だったのだから。
……でも、それは一人でやるべき事ではなかったのだろうとも思う。
パートナーを置き去りにして、自分一人だけがさっさと先に進んで何になるというのか。
理想の高みを目指し、必死に一人で登って行ったとしても……。
その終着点には、きっと自分以外の誰も居なかっただろうというのに。
当然、至高の高みに昇るという事は、依然として大事であるのは変わっていない。
だが、そこに立った時、隣にパートナーが居てくれなければ何の意味もなくなってしまう。
私は、女帝になりたい訳ではないのだ。
私は王妃に。彼の側に立つ身になりたいのであって。
一人でそんな場所に立ちたい訳では、決してなかったのだから。
私がそこを目指すのは……。全ては、彼のためだったのだから。
そこにいつか立つ事になるのだろう、彼の隣に自分も立ちたい。
そんな彼のことを、生涯、側で支えてあげたいから、と……。
そう、あの日、心の底から願ったから。
だから、私は王妃を目指していたはずだったのに。
それなのに、私は……。
「……気付かない間に、こんなにも冷たくなってしまっていたのですね……」
おそらくは、この冷たさが。
失われてしまったぬくもりが。
手放してしまった掌の暖かさが。
この冷たく冷えきってしまった彼の手が……。
この喪失感こそが、私の罪の証そのものだったのだから。
「……寂しい想いをさせてしまって、本当に、申し訳ありませんでした」
そう俯きながら謝る私の頬に一筋の涙が伝う。
それをそっと指先で拭ったハイドラ様の手が、そのまま頭を撫でるのを感じていた。
「そういった部分は、昔のままなんだな」
「……そうでしょうか」
「そうだとも。普段のお前は、すっごく強気で凛々しいのにな。……でも、そうやって、ちょっとでもへこむと、昔のままの……。素のお前が出てきてしまうのかもしれない」
素の自分……。それはきっと……。
「きっと本当の私は……。あの頃から、何も変わってはいないのです」
泣き虫で、内罰的で、暗くて、弱気で、陰気な。
バケモノと呼ばれて、庭の片隅でいじけていた。
きっと、彼と出会う前の……。あの頃のままに。
「お前は強くなったじゃないか」
「……そう見えるように、振舞っていただけです」
「それに、ものすごく賢くなった」
「必死に勉強して、無駄に知識を詰め込んだだけ……」
「それでも、だよ。……お前は、昔から努力家だったからな……」
何をやっても駄目だった私とは大違いだ。
そういって寂しそうに笑う彼に、私はますます涙を誘われてしまう。
「私が間違っていたのです。……私が貴方を追い詰めてしまったから……。だから……」
「それは違う。マリー、それは違うんだ。……お前は何も間違ってはいなかった」
いや、きっと、私のせいなのだ。
全ては、私が努力の仕方を間違えてしまったから。
だから、彼がおかしくなってしまった。
彼を狂わせてしまったのは、きっと私が原因だったのだ。
……全ては、私の愚かさから引き起こされた悲劇であったのだ。
彼は、どれだけ努力しても誰にも認めてもらえなかった。
どれだけ頑張っても、私を見習え、もっと頑張れ、私に負けるなと叱咤され続けた。
婚約者があんなに努力して頑張ってるんだから、お前も彼女に負けない男になれと。
そう、毎日毎日……。周囲の大人達から、なじられ続けていたのだ。
そんな煉獄に彼を投げ込んでしまったのは、間違いなく愚かな私だったのだから……。
『僕は駄目だなぁ……』
正直、彼は非凡とは言い辛かった。
平均レベルは超えていたと思うが、傑出した能力は何も持ってはいなかった。
そのせいか、毎日、必死に努力していたのに、なかなか結果を出せなかった。
そんな彼のことを……。周囲は正当に評価してくれなかったのだ。
『マリーは賢いな。僕とは大違いだ』
私さえ側に居なかったなら……。
いや、私の努力の仕方が間違ってさえいなければ……。
きっと、彼の努力も正当な評価を得ていたはずだったのに。
愚かにも、彼の心が折れてしまうまで、私はそのことに気がつけなかった。
全ては私が悪かったというのに……。
『マリーは凄いな。……本当に、凄い』
私は認められたが、彼は認めて貰えなかった。
私は褒められて、彼はけなされてばかりだった。
一を聞いて十にも百にも理解するとされた私。
一を聞いて一程度にしか理解できなかった彼。
そんな彼が劣っていた訳では決してなかった。
むしろ、ちゃんと一の事柄から一程度の理解を得られるのだ。
十分に普通以上だったし、むしろ有能だと言えるはずだった。
でも、そんな彼の側には、常に普通でない私が居てしまった。
彼は、決して劣ってなどいなかったはずなのに……。
周囲の目には、そんな彼の姿が何処か物足りなく見えてしまっていたのだろう。
『君には負けるよ』
そこにあったのは、持って生まれた“天賦の才”の差だった。
残酷なまでに、絶望的なまでに差が開いていた能力差とでもいうべき物が……。
未だ幼かった私の無邪気さによって、それが冷酷なまでに浮き彫りにされてしまっていた。
私には傑物とか怪物とまで呼ばれていた両親から、そのまま譲り受けたと思われる突出した能力が最初から備わっていて。
反面、彼には普通程度の能力しか、天は与えてくれていなかった。
でも、それは何ら変な事ではなかった。
何処にもおかしなことなどなかったはずなのだ。
むしろ……。おかしかったのは、私の方だったのだから。
『僕が君に勝っているのは、多分、血筋だけなんだろうな』
最後に見た時、彼は、そう言って笑っていた。
その笑みの裏側に、寂しさを漂わせながら。
そんな彼の悲しみに気づく事なく、私はただ上だけを見つめていた。
いつの間にか、私の側から彼の姿が居なくなっていた事にすら気がつけずに……。
「……ずっと謝りたいと思っていたんだ」
私が彼の隣に立ちたいと願いつつも、誤った方法を選んでしまっていたことに。
その誤った努力の仕方が彼を追い詰める結果になってしまったことを。
そのことをずっと謝りたいと思っていたのと同じように……。
「私は、諦めてしまった。……お前の背中を追いかける事に、疲れてしまったんだ」
これは決して私を責めたり追い詰めたりするための言葉ではないからな。
それだけは勘違いしないでくれよ、と。
そう苦笑交じりに前置きしてから、彼はポツポツと言葉を口にしていた。
「私が何日もかけて必死に努力してようやく習得したことを、お前はさほど時間もかけず、何の苦もなく、楽に……。悠々と身につけ使いこなしていく。……そんな姿を、何度も何度も……。しつこいくらい繰り返し、目の前で見せつけられてきたんだ。そのせいか、どれだけ努力してもお前には敵いそうにないと思っていた。それを思い知らされる度に、自分はもしかして無駄な努力をしているんじゃないか、さっさと諦めたほうが良いんじゃないかって。……そんな気分に、ずっと襲われていたんだ」
多分、無力感とか、そういった感覚だったのだろう。あるいは徒労感でもいうべきか。
そう口にすると、苦笑を浮かべながら、私の目をまっすぐに見つめてきて。
「……でも、お前から逃げても、何も変わってはくれなかった。……いや、無力感は強くなる一方だったのかも知れない。そこに罪悪感ってヤツも加わってきて、本当に……。本当に、最悪の気分ってヤツだった。……サフィニアとの事も、そうだ。きっと逃げの一種……。つらかった現実に背を向けて、何もかもから逃げだしたく思っていた私の逃避行動の一種だったんだろうなって……。今ならよく分かる……。自分が、どれだけ酷い真似をしていたのかも……。それに、どれほど馬鹿な真似をしていたのかってことも……」
だから、と前置きして。
「もう一度だけ。……もう一度だけ、言っておく。マリー、お前は、何も悪くなかったんだ。お前のやっていたことは、何も間違っては居なかった。……本当に謝らなければならないのは、こっちの方なんだから。……だから、謝らせてくれ」
そう頭を下げたハイドラ様に、私も我知らず嗚咽を漏らしてしまっていた。
「お前を……。何があっても、誰が相手であっても、絶対に守ってやるって。……あの日、お前と約束したはずなのに。そんなお前を、たった一人、置き去りにして逃げ出したりして、本当に悪かった。……許してくれ」
その言葉で、私の中にわだかまっていた“何か”が溶けていくのを感じていた。
「あと……。思い出したよ。マリー・ゴールドの花言葉」
そんな中で、微笑みが、ゆらゆらと滲んでいた。
「あの『黄金の花』が意味する言葉は“信頼”と“悲しみ”。そして“嫉妬”と“勇気”。“悪を挫く”とか“生命の輝き”なんていう格好良いのもあったはずだ。……でも、それだけじゃかったんだな」
思い出したんだ、と。そう笑いながら、涙で滲み歪む微笑みが口にする。
「“変わらぬ愛”と“濃厚な愛情”……。私がお前に教えたんだったな」
そんな彼の腕の中で、ようやく私は“なくした物”を取り戻せたことを実感できていたのかもしれない。
一応、このお話の本編部分はここまで。
ここから先はいわゆる事件の背景部分を探っていったりする謎解き編(またはネタバラシ編ともいう)となります。
……というわけでもうちょっと続くんじゃよ ...〆(=w=;)