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4.心の花は開花して


 では、と。そう言い残して牢の外に出ようとしていたマリーに、サフィニアはおずおずといった口調ではあったが「ありがとう」とだけ答えて。そして「貴女には、その……。いろいろ迷惑かけて、ごめんなさい」と謝っていた。しかし、それを聞いたマリーは何故だか溜息をついていて……。


「……ハァ。貴女が謝るべきは私などでなく、ハイドラ様達にでしょうに」


 そう、呆れて見せていたのだった。

 何故なら、マリーに直接的に迷惑をかけていたのはハイドラと、その取り巻き連中の男達だったからだ。

 無論、それらの行動の原因にサフィニアの存在があったのは確かだったのだろう。だが、王妃候補のマリーを排除してサフィニアを代わりに、その座に押し込もうと画策していたのは主にクレマチスだったのであって、彼女自身が望んでいたことではなかったのだから、その辺りはいわば不可抗力と見なしていたのかも知れなかった。


「何も言わずに置こうかと思ってましたが、やはり最後に、これだけは言わせていただきますわ。……何故、私が貴女のやったことが間違っていると断じたのか。それは、どんな自分勝手な理由なり御大層な大義名分があったにせよ、私を始めとして、大勢の貴族達に……。貴女は、自分自身に直接害を与えていない人達に対してまで、八つ当たり同然に大きな被害を与えて、その結果、貴女の悲劇や被害に何の関係もなかった関係者を多数、人生を踏み外させて破滅へと追いやってしまっていたからです。そして、何よりも……」


 その瞬間、すっと部屋の温度が下がった。

 ……それは、錯覚だったのかも知れない。

 そんな気がしただけ、だったのかも知れない。

 だが、それは確かに起きた現象であったのだ。


貴女(おまえ)はハイドラ様を貶め、廃嫡寸前にまで追いやった」


 すっと、背後に向けられた瞳には、何処か底の見えない闇が宿っていた。


「本来であれば、その罪は万死に値する。私は貴女(きさま)を決して許しはしない。本来であれば、我が身が使える手段(ちから)のすべてを持って、貴女(おまえ)に自分の犯した罪の重さという物を、後悔と懺悔と絶望の涙と共に学ばせていた所だった」


 しかし、そうはなっていなかった。

 それどころか、サフィニアのために亡き母の形見の指輪を取り戻してやってすらいた。


「……喜びなさい。心優しいハイドラ様は、貴女のやらかした事にすら一定の理解を示されました。……貴女に後悔の味を教えてやると硬く誓っていた私に対して『許してやれ』と仰ったのです。そして、貴女の事を『貴族によってたかって人生を狂わされた被害者でもあるのだから』と評されて『出来るだけ優しくしてやってくれ』とも頼まれました。……ですから、貴女のために、こうして動いても見せた。……それが、あの御方の望みでもあったからです」


 その視線の先には、鈍い銀色に輝く指環があった。


「……おそらくは、甘い、と思うのでしょうね。自分を破滅寸前にまで追い詰めた毒婦にまで、一度は心を通わせた相手なのだから等と、同情と理解を寄せる……。私も彼の、そんなありえない甘さについては、いささか苦々しく思っている部分も正直、あったりはするのです……。ですが……。そういった“甘っちょろい”不完全な部分も含めて“彼”なのでしょう……。ですから、それはもう、仕方ないと諦める事にしましたわ」


 だからこそ、許したのだと。そう小さな溜息混じりに口にしていた。


「ですが。……私が許したのは、そこまで、です。ここから先は、貴族である私が口出しすべき部分ではないのでしょうし、そこまでしなければならない義理や道理も見当たりませんでしたので……。ですから、この先に待ち受けている結末は、貴女が自分で蒔いた種の結果なのだと諦めて、大人しく受け入れることです」


 もう二度と会うこともないでしょうが、お達者で。

 そう言い残して、今度こそマリーは地下牢の外に出て行ったのだった。


 ◆◇◆◇◆


 薄暗くなった通りを走る馬車の中で揺られながら、マリーは街の明かりをぼんやりと眺めていた。その瞳に、いつもの輝きが見られなかったことが、向かいの席に座った老紳士の目を引いてしまっていたのかもしれない。


「お嬢様、どうかなさいましたか?」

「……いえ。なんでも……」

「そんな目をしながら、何でもないはずがありませんでしょうに」

「目、ですか」

「はい。目、です」


 そんなやり取りによって、その口元に僅かに苦笑が漏れた。


「そんな目とは、どんな目でしたか?」

「……不躾ながら、私の目には、お嬢様がひどく傷ついている風に見えていました」

「そうですか……」

「はい」

「……そうなのかも知れませんね。……少しだけ。……少しだけ、考え事をしていたのです」


 何を、と先を促すような真似をせず、ただ続きを話しだすのを待つ。

 それは、二人にとっては、慣れたやり取りであったのかもしれない。


「……私は、きっと酷い女なのでしょう」

「どうして、そのようにお思いになったのですか?」

「私は、自分が情の怖い質だと自覚しています。でも……。私は、ハイドラ様と約束したのです。……あの愚かな真似をした女を許す、と。それに……。出来るだけ彼女に優しくしてやってくれとも頼まれていました」

「はい。その件については、私共も承っております。ですから、旦那様に命じられるままに、あの指輪を盗みだした者達を探り出しもしましたし、少しだけ『お願い』もして、例の品を手に入れても来ました。……お嬢様も、本人に返してやったのでは?」

「……ええ」


 確かに、それについては本人からも感謝の言葉を受け取っていた。しかし……。


「私は、ここから先に起こるだろうことを……。彼女の身に振りかかるだろう、凄惨な仕打ちについて、多少なりとも予測していたのに……。それを彼女に告げる事が、どうしても出来なかったのです」


 それはサフィニアに下された罰について関する内容であったのだろう。

 サフィニアは、今回の騒動の中心人物にして扇動者としてだけでなく、最も罪の重い主犯者とも見なされており、養子に入った際に与えられていた貴族籍は取り消され、ペチュニア子爵家からも正式に追放の処分となっていた。そして、身分を元の平民へと戻し、平民の罪人として、これから裁かれることになるのだ。


 そのことについてはマリーもサフィニアに再度説明を繰り返していたし、本人も十分に承知しているはずだった。……ただし、マリーの見立てによると、その処罰の結果として待ち受けているだろう、酷い仕打ちについてまでは想像出来ていない様だった。

 少なくとも、マリーの目には、自分に下された処罰内容について、それほど重く受け止めている風には到底見えなかったからだ。だからこそ、その処分によってどういった風に処罰されることになるのかを理解していないと判断していたのかもしれない。


「恐らく彼女は、もうすぐ房を移動する事になるでしょう」

「……そうなのですか?」

「はい。先ほど見てきたのですが、彼女の今、入れられている牢は、かなり広さのある独房でしたし、内装も整っていた事から、おそらくは貴族階級にある者用の上等な施設だったのでしょう。……粗末な品ではありましたが、牢内に、ベッドや椅子、テーブルや椅子といった物が一通り揃っていましたし。……多分ですが、あれは下級貴族用に用意されていた牢なのではないかと思うのです」

「……なるほど。確かに、そうかもしれませんな」

「しかし、彼女に下された処罰によって、身分は子爵家令嬢から平民の女へと落とされた」

「……ああ。そういう事ですか……。その処罰の結果、牢の方も、その身分に相応しい物に変わる事になるだろう、と……」

「そういうことです。恐らくは、今日にでも彼女は牢を移される事になるでしょう。そして、向かうことになる先は……。平民達の入れられている雑居房、ということになります……」


 平民の入れられる雑居房には一人ずつの区切りなどなく、全員が広い牢屋にまとめて放り込まれる事になるのだ。そして、そこには多くの場合において男女の区分け等あるはずもなく……。


「見目麗しき容姿が最大の武器だった女が、そんな場所に長らく閉じ込められた男どもの巣に放り込まれれば、どんな目に合うかなど……。やれやれ……。考えたくもありませんな」

「そう、です、わね」


 サフィニアは数多くの貴族の青年を惑わし、コケにするような真似をした。その結果、惑わされた者の家だけでなく、その者と婚約していた令嬢の家にまで……。それら数多くの貴族家の面子に泥を塗って回っていたに等しかったのだ。そして、今回の醜聞劇は、数多くの部外者が訪れていた中で行われてしまっていた為に、国の内外に面白可笑しく脚色されて大いに広まってしまってもいた。だからこそタダでは済まされない事態になってしまっていたのだろう。


『女の色香に惑わされた馬鹿な小僧共の不始末だったとはいえ、ここまで騒ぎが大きくなってしまった以上はのぅ……。平民どもは、儂ら貴族連中だけでなく、王族すらも手玉に取って見せた女傑とか言って、あの愚かな女の事を密かにもてはやしておるそうだが……。それは、見方を変えれば儂らに喧嘩を吹っかけてきて、顔に泥を塗って回ったとも言える……。そんな舐めた真似をされた以上、ただ首を吊って死ぬだけでは許されまいよ』


 たった一人で貴族や王族に対して喧嘩を吹っかけて回っただけでなく、色々な家の若者達が手球に取られて散々にコケにもされた上で、その輝かしかった筈の未来すらも揃って叩き潰されてしまったのだ。そんな真似をやらかした平民出の毒婦に対する彼らの意趣返しは、相当に苛烈を極めるに違いない……。

 そんな予測を父から聞かされていたからこそ、マリーは迷いに迷っていたのだろう。


 ──正直、あの場でサフィニアに自決を勧めるべきだったのではないか……。


 あの場所であれば、自殺するための紐を作るのは比較的容易だった。

 牢に入ったばかりの頃には、それを最後には薦めてみようかと考えていたはずなのに。

 そんな迷いがずっとマリーの中から消えてくれなかったのかもしれない。


「人の心というものは、かくもままならぬ物ですなぁ……」

「ええ、本当に……」


 そんな何気ない返事にもマリーの向かいに座った老紳士は笑みを浮かべていた。


「お嬢様は、お優しい方ですからな」


 貴族である自分達の立場上、これから己のやらかしたことに対する制裁を受ける身であるサフィニアに向けられる事になるだろう、悪意にまみれた粛清の刃を無闇に退けてやる事は許されず、かといって本人に、これから自身に襲いかかって来るだろう苦難の数々をあえて教えてやるような無慈悲な真似も無闇に出来ずといった有様であり……。そんな、身動きがとれない状態で気苦労だけを抱え込んでしまっていたのかもしれない。


「そんな事はありません。……私は酷い女です」

「あの者に、これから先に恥辱にまみれた生き地獄が待ちかまえている事を教えてやらなかったからですか?」

「……それもあります」

「では、今のうちに自決しておけと助言をなさらかった事ですな」


 そう断言してみせたのは、相手の返事を予想出来ていたからだったのだろう。


「恐らくは、これから行われる事は本人には秘されている事でしょう」

「……安易に死に逃げることを許さない為ですね」

「はい。おそらくですが、これから先も安易な過労死や病死などは望むべむもなく、むしろ牢の外の頃よりも徹底的に身体面を管理された元で余生を送ることになるのでしょうな……」


 そうやって、延々と牢内で罪人達の慰み者にされ続ける事を強要されるということなのだろう。


「……もはや尊厳死を選ぶ自由も失うことになるのですか」

「あの者は、それだけの事をやってしまったのです。そうなっても仕方ありますまい」


 サフィニア自身は余り意識していなかったようだったが、今回の騒動で理想的な婚約相手を失ってしまっていたのは男の側の家だけでなく、ほとんど話題に出ていなかった女の側の家も該当してしまっていたのだ。

 学院を卒業すればそろそろ結婚の準備を、といったおめでたい話もちらほらと聞こえてくるようになってくる。そんな年頃のカップルでもあったのだ。それは、逆説的に言ってしまえば、ゆっくりと時間をかけて相手を見繕った上で、両家の間で結婚後の細々としたアレコレについてまで色々と話し合いが済んでいるような、そんな理想的な相手をいきなり失ってしまったという事でもあったのだ。

 それは単純に話が破談になったというだけでは当然のように済む話ではなく、学院からの卒業も間近に迫っている今頃になって別の相手を探せなどと言われても、すでに同年代の者達はほとんどが売約済みとなっている事が大半なのであって、これから新しく相手を探すとなれば『行き遅れ』の悪評を受ける事を覚悟した上での年下の相手を求めて、その者が適齢年齢になるまで待つことになるのか、あるいは思い切って国外に相手を求めるか……。もしくは、最後の手段として、何らかの理由で妻に先立たれて後妻を探している者の後添いとしてあてがわれる事になってしまうのだろう。……だが、それはかつて己が夢見ていた様な幸せな夫婦像といった理想形とは相当にかけ離れた姿だと言わざる得なかったのかもしれないのだ。だからこそ、今回の一件では失った物が大きいと落胆する者も多かったのであろうが……。


「破談をそこまで嘆くのなら、いっその事、相手を許してしまえば宜しいでしょうに……」


 お嬢様のように、と言外に自分の選んだ方法こそが最良の解決方法だったと評されているのは自分でも分かっていたのであろうが、マリーはあえてその揶揄には気がついていない振りを通していた。


「それは確かに正論ではあるのでしょう……。ですが、位の高い貴族家ほどに対面やら評価、面子といった面倒な物を重視せざるを得なくなるものですから……。ただ、そういったつまらないプライドやらメンツやらのせいで、何の非もなかったのに犠牲にならざるえなかった令嬢達は、些か可哀想ではありますわね……」


 今回の件で最も割を食わされる形となった各家の令嬢達のフォローについては、王妃を始めとして名だたる貴族家から様々な支援の手が差し伸べられる事になる予定にはなっていたが、それでも騒動に至る前に夢見てみた姿からはかけ離れた、別の『幸せのかたち』を求めざる得なくなっているのは間違いなかったのだろうから、それを不幸中の幸いと見て良いのかどうかは何とも言えない所ではあったのだろう。


「それでもただ不幸になるという詰まらない終わり方よりかは遥かにマシだったのでは?」

「まあ、その通りなのでしょうね……」


 最高の結果は最初から不可能であるのは分かっているのだから、せめて最悪よりかは、まだマシな普通の方が良いに決っているのであって。そんな普通の結果の中で、出来るだけ良い結果となる普通を……。最高に出来るだけ近い形の。そこにまで及ばなくとも、それと遜色ないレベルの普通こそを目指すべきなのであるのだろう。

 いつまでも手に入らない最高を探し求めたり、それが手に入らない事を延々と嘆いているよりかは、最良の普通を探す方に集中したほうが当人にとっても幸せな筈であるのだから……。


 ──それは理屈ではわかっている。でも、そんな結末を素直に喜べないのは何故……?


 恐らくは令嬢達のフォローに回るべく、陰ながら根回しなどを行って先手を打って回ったのは自分達の家であり、表立って動いていたのは王家であって。そんな両者のトップ同士は幼いころからの親友でもあって……。


 ──これによって彼女たちの家は世話になった王家へと忠誠を改めて誓う事になる。……でも、裏で動いていたのが私達だった事を特に隠していなかった以上、その王家への忠誠は形を変えてハイドラ様の伴侶へと向けられる事へとなって……。それが今後、ハイドラ様が伴侶を裏切るような馬鹿な行動を戒める鎖へとなってくれる。……お父様が仰っていた『錨を付けてやろう』とは、この事だったのですね。


 そんな“流れ”が見えてしまうからこそ、自分へとかけられた文句……。お前の一人勝ちじゃないかといったサフィニアの非難が思い起こされてしまうのかもしれない。


「巷では、悪名高きゴールド辺境伯家の令嬢にはやっぱり敵わなかったかと、お嬢様を悪役令嬢呼ばわりしている者も多いのだとか……。まったく、嘆かわしい事ですな」

「悪役令嬢、ですか……。自分としては、そんなつもりはないのですが……」

「彼らと対峙していた姿の凛々しい態度や言動、普段の立ち振舞いの艶やかさなど、まるでお伽話から出てきたようなお姫様みたいだと、我が孫が申しておりましたよ」


 当家の年若い子供たちにとって、強く賢く美しく凛々しくもあるお嬢様は、ある種の理想そのものなのでしょうな。

 そう余りにも華美に評されたと感じたらしいマリーは扇子の陰で頬を赤く染めてしまっていたのだが、そんな身内限定ではあるものの、こうして時おり可愛げのある姿を垣間見せるからこそ、そこに本物の理想像などではなく、地に足をつけている人間らしさ、あるいは愛嬌といった物を見てしまうのかも知れなかったし、そんなマリーだからこそ理解者達からは愛され、大事にもされていたのかもしれない。


「……未だ、心を許さぬ相手に壁を作ってしまう癖は抜けませんか?」

「子供の頃からの悪癖は、なかなかに抜けてくれませんね」


 かつて、マリーは他人どころか肉親や身内に対してすら心の壁を作り、本心を決して相手に見せないような、そんなひどく扱いにくい子供だった。だからこそ、色々とぶつかってしまうことも多かったのかもしれない。

 それは家中で孤立し、心を病んでしまっていた頃の後遺症でもあったのだろうが、それ以上に、その後の出来事の影響も大きかったのだ。


「善意で行ったことが正しい形で評価されるという訳でもなく、相手のためにやった事が自分のためにやったと誤解される事もあります。……良かれと思ってやったことが、他人の目からは余計な真似に見たりもする。それが特に際立った功績や成果を伴っていた場合には尚更でしょう。……なぜなら……」


 何故なら、人は妬み、嫉妬する生き物だからだ。

 他人の示してみせた大きな成果に対して、何故、それが自分の物でないかのかと。そう、妬み、羨み、僻む。そんな生き物であるからこそ。だから、正しく評価されなかったり、素直な評価を受けられなかったり。そんな事もあったりするのだろう、と。そう老紳士は評して見せていた。


「思わず昔のことを思い出してしまいますな。思い返してみれば、あの頃にも似たような事がありました。……あの時にも、こうしてお嬢様の愚痴を聞きながら、お慰めして差し上げた気が致します。……いやはや、懐かしいというべきか……」


 そんな老紳士の言葉にマリーも思わず苦笑を浮かべていた。


「あの頃とは色々と状況などが異なっている筈なのに、なぜか似たような結末を迎えているというのも……。なんだか不思議な感じがしますわね」

「……個々の状況などは異なっていても、本質的な部分などには類似点が多かったという事なのかも知れませんなぁ……」


 そうお互いにため息を付いて、双方ともに窓の外へと視線を向ける。


「……あれは、お嬢様が立ち直られて暫くしてからの事でしたか。ロジャー様から、相談というか、泣き言混じりの愚痴を聞かされたことがあります」

「愚痴、ですか」

「はい。愚痴に御座います」

「泣き言混じりの……?」

「はい。泣き言混じりの」

「あの、お父様が……」

「ええ。あの、ロジャー様が、です。……しかも軍神だの鬼神だのと呼ばれ、敵からは悪鬼の如く恐れられていた。あの頃のロジャー様に、です」


 それを聞いて、思わず「まあ」と驚いてしまったのも無理もなかったのだろう。


「これまで散々、ああでもないこうでもないと、必死に優しくしようとしたり、励ましたり、慰めたり、時には諌めたりもと、色々と自分なりに……。これまで、ずっと必死になって、立ち直らせようと努力もしてきたし、苦手だった本を読んで色々と勉強などもしてみた。それでもあの子はまともに儂の話を聞いてくれなかったし耳も傾けてはくれない。しまいには湾曲して違う意味に受け取ってしまって益々自分を追い詰める始末だった。……それなのに、あんなひょろひょろとした体のボケボケとしたツラ構えの青瓢箪……。まあ、ハイドラ王子のことなのでしょうが、あんなぽっと出の若造がちょっと話しかけただけであっさり立ち直るとか、どういう事なんだ、と。……そんなに儂の顔は子供受けせんのか、とか色々と……」


 それはマリーも初めて聞いただろう、自分とハイドラの馴れ初めの裏側であったのだろう、喜劇じみたやりとりの一コマであって。


「いやはや……。あの日のロジャー様の荒れ狂いっぷりは忘れられませんな。……しかも、酔いつぶれる寸前になって、ようやく『それでも儂は良かったんだ。あの子さえ立ち直ってくれたなら、それだけで十分だ』と……。ついに本音を吐露した訳ですが。しかし、まあ、私達使用人の立場から言わせて頂きますと、単純に、自分にできなかったことを未だ幼かったハイドラ王子があっさりとやり遂げたことで、あんな小僧に負けたといった感じの……」


 そこまで口にした時、うーんと言葉に迷っている様子を見せていたからなのだろう、思わずマリーからアドバイスが入っていた。


「敗北感?」

「そう、それです。そういった感情に苛まれていたのでしょう。しかも、それから暫くして、今度はお嬢様から、どうやれば王妃になれるか等という質問が飛び出すわ、詳しく話を聞いてみるとどうしてもハイドラ王子の伴侶になりたいと言っているのだとか。……しかも、丁度、同じ頃にハイドラ王子の方からもお嬢様を嫁に下さいと直談判されていたりしましたからなぁ……。そんな、あまりといえばあんまりな、いっそ馬鹿馬鹿しい展開に、思わずやけ酒を飲みたくなってしまったのでしょうが。……これは、いうなれば、手のかかった娘がいつのまにか結婚相手を見つけて連れてきた時のような、と申しますか……」

「……そんな……。結婚だなんて……」


 母親や兄弟、使用人といった家人達との間に心の深い溝(あるいは谷)が出来てしまっていたマリーにとっての唯一の味方にして盾役のつもりだったロジャーにしてみれば、自分のそれまでの努力は何だったんだという気分だったのだろうし、馬鹿馬鹿しくてやってられっかといった気分でもあったのは間違いなかったのだろう。


「思えば、あの頃からですかな。……お嬢様の周囲が、色々とキナ臭くなっていったのは」

「……そう、なのかもしれませんわね」


 いくらゴールド辺境伯家の令嬢で、年齢的な釣り合いも取れていたとはいえ、それでも相手は王族、しかも王位継承権の第一位、第一王子という立場にある人物であったのだ。

 いくら双方が望んでいて、相思相愛の関係であったとしても、ゴールド辺境伯家と王族の力関係から見た政治学的な意味でも、そう簡単に実現できる話ではなかったし、そんな格上の相手の伴侶へと娘を無理矢理にでもねじ込もうとするとなると、ロジャーの立場をもってしても、そう簡単にはいかない話でもあったのだろう。

 だからこそ、マリーは色々と必要以上の努力を周囲から強いられる事になったし、それまで出来るだけ隠してきた(自分としては、そのつもりだったらしいが、周囲には相当にバレバレだったらしいのだが)自分にしかない特異性のような物すらも、いよいよ大っぴらに使ってみせるようになってきていたのかも知れない。


『お父様、相談したい事があります。……いえ、今日は娘としてではなく……。一人の家臣として、我らが主、領主様への提案を行いに参りました』


 そう。全ては遥かな高みにある頂きへと至る道を切り開く為だけに。

 種から芽吹き蕾を宿していた心の花は、いよいよ開花期を迎えようとしていたのだった。



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