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1.喧嘩を売られました


「マリー! お前との婚約を解消する!」


 以前から『大馬鹿者』やら『ド阿呆』『大うつけ』といった、悪い噂や陰口、悪口の類だけは散々に……。それこそ上から下まであらゆる方面の知人(しりびと)達から吹きこまれてきてはいたのだけれど……。

 それでも、まさかこれほどまでとは思わなかった! ……というのが、正直な所の気持ちだったのかも知れない。


 ここ、ランジア王国の首都にある王立学院からの卒業を間近に控えた貴族の卵である私達にとって、おそらくは最後の大きな公式行事になるのだろう記念行事であるパーティー会場の中央……。おそらくは外部からのゲストも数多く招かれ参加しているのだろう、大勢の来場者が集まった大ホールの……。よりにもよって、そのド真ん中という、良い意味でも悪い意味でも目立ちまくってしまっているだろう場所において……。先ほどの言葉は、やけに大きな声で口にされてしまっていたのだ。


「……」

「……」

「……」


 ……だからなのだろうと思う。思わずシンっと……。周囲が奇妙に静まり返って固まってしまっているのが、今の出来事が夢や幻などではなく……。もちろん、私の聞き間違いでも何でもないという事を逆説的に証明してくれていたのかも知れない。

 ……ああ。これが冗談や余興、勘違いの類であったのなら、どれ程良かった事か……。


「流石に、想定外……。ですわね」


 そう、自らのおそらくは歪んだ線を描いてしまっているのだろう見苦しく引きつったままに固まってしまっているだろう口元を隠すようにして掲げた扇子の裏側で。思わず、小さくため息をつきながらも感想を口にする。

 そんな私の前で、フンスと鼻息も荒くふんぞり返っているのは、幼い頃からの友人(いわゆる幼馴染というヤツだ)にして、かつての想い人……。そして、婚約者という間柄でもあったはずの男性であって……。

 そんな彼の背後では、彼と似たようなドヤ顔を浮かべていたり、薄笑いを浮かべていたり、引きつり気味の緊張感を顔に浮かべていたり、ムスッと怒っている様な表情をしていたりと、まるで統一感のない様子を見せている取り巻き連中がたむろしていて……。


「……」


 そんな中で、なんだかやけに触り心地の良さそうな、ふわっふわのピンク色の髪がやけに特徴的な……。そんな、見た目からして何処か小動物系の“か弱そう”な儚い雰囲気を漂わせている、何処か見覚えのあるようで無いような、そんなひどく微妙な感じのする令嬢が一人、周囲の男衆にまるで守られているかのようにして人の壁を作られて、その中で所在なげに立ち尽くしているようだったのだけれど……。


「……色々と言いたい事や聞きたい事もありますが……」


 そう、前置きしながら。

 この、あまりの事態の馬鹿馬鹿しさ加減とありえなさ具合に、思わず膝のあたりから力が抜けそうになってしまっていたし、盛大にハァとため息もついてしまっていたけれども。

 それでも、ここで呆気無く気を失って退場してしまっては、色々な意味で“全て”が終わってしまうだろうから……。だから、ここは何とか気力で踏ん張って。何とかここで踏み止まって、必死に耐えなければならない。

 そんな場面であるのだと。そう、本能的な部分で分かっていたせいなのだろう。何とか最後の気力の一欠片を振り絞って、続きの言葉を口にする事が出来ていた。


「ハイドラ・ランジア……。ランジア王国、第一王子殿」

「な、なんだ。改まって」


 物心ついた頃からの知り合い、いわゆる幼馴染といった関係にあって、これまで親しくも気安いといった、何処か性別を超越した間柄であったせいか、私が周囲の大人達と同じように王子や殿下呼ばわりすることを、彼はひどく嫌がっていた。だから、いつもはハイドラ様とだけしか呼ばなかったのだが……。

 そんな私が、こんな風に、わざと仰々しい呼び方をした。いや、してみせた。そのことで、そこから何か良くない物でも感じ取ってくれたのだろう。答える言葉に急に勢いがなくなって、僅かに腰も引けてしまっているのが見て取れていた。


「今……。貴方様が、ここで。先ほど口にされた台詞ですが。……ご自身で、もう一度。その内容を……。その言葉の持つ意味なども、よーく、お考えになって頂いて。……その上で、この私に。ゆっくりと。はっきりとした口調で。……もう一度だけで結構ですから。再度、お聞かせ願えませんでしょうか? ……何故なら、実は、わたくし、先ほどは他の方と話をしていたせいでしょう、台詞の中身が、よく聞こえておりませんでしたので……」


 あまりの事態の酷さ加減によるものか、頭の奥の方からズッキンズッキンと芯にくる様な鈍い痛みを感じさせていたのだけれど。それを何とかなだめるようにコメカミの辺りをぐりぐりと指先で揉みほぐしながらではあったのだけれど。

 それでも、こうして彼に最後のチャンスとして、暗に『今のは単なる失言ですって! 言い間違えなり何なりで、単に意図していなかった言葉での、誤った表現になってしまっただけですって! ちょっとした言い間違いとか、勘違いとか、言葉の綾の類であるって! 今、この場で、ちゃんと皆さんに分かるように、誤解を解くためにも訂正して下さい!!』と。

 それとなぁ~く。目一杯、力いっぱいに言外に意図を込めまくって伝えると同時に『ここで何を言わないといけないのかは、ちゃぁ~んと分かっていますわよねぇ!?』と、ギロリと睨みつけてやりながらも……。それでも足りなければと、一句一句を、あえて区切りながら。

 ものすごぉく遠回りに、ではあったけれど。誤解も出来ないように、抑揚にまで無理矢理な強弱まで付けて口にして見せる。

 そのことで、私の感じている憤りの大きさが、少しは分かって貰えたのだろう。それまでの興奮なり高揚によるものか彼の頬にさしていた赤みがすっと抜け落ちると、今度は僅かに青ざめながら、体が震えて後ずさったのが分かった。


 ──ハァ。この程度の反撃の台詞程度でビビるのなら、最初から喧嘩なんて売らなければ良いのに……。まあ「それがハイドラ様だから」で納得出来る私も大概なのですけれど……。


 こんな公衆の面前で「お前との婚約は破棄だ」だ等と大声で告げられるという、超特大級の恥をかかされても、まだ心の何処かで相手の事を許そうとしているのだから。

 ……全く。本当に、惚れた弱みとはよく言ったものだとは思う。


「う~、あ~……。コホンッ。で。では、だな。改めて。……いや、もう一度というか……。今度は、ちゃんと言わせてもらうからな。マリー」

「はい。わかりました。……どうぞ」


 そう私に『言い直し』を促された彼は、スーッと大きく息を吸うと、それを一緒に吐き出すようにして言葉を口にしていた。


「マリー・ゴールド。お前との婚約を、今、この場において、破棄することを、ここに宣言する! それと合わせて、ここにいるサフィニア・ペチュニアと新たに婚約する事もだ!」


 ──ああ、やらかした……。しまった。失敗した。まさか、本気で……。いや、こんな馬鹿な選択をするだなんて、流石に思っていなかったし……。


 脳裏に後悔の想いと台詞が一気に溢れだしていた。

 本当に……。流石に、これほどの大馬鹿者だとは思っても居なかった。

 だから、かもしれない。

 二度目に口にされた同じような台詞には、余計な言葉までくっついてしまっていた。


 ──サフィニア・ペチュニア……。確か先王の頃の戦功で王国北東部地域に領地を得たとかいう、新興貴族。ペチュニア子爵家の令嬢、でしたか……。


 こういうのは、馬鹿の上塗りとでも言えば良いのだろうか。

 愚かな行為をフォローするために、あえてド下手な猿芝居まで打って見せたというのに。

 それなのに、そんな配慮などまるで無かったかのようにして……。しかも、先ほどよりも余程念入りに、今度こそ聞き間違えも勘違いも聴き逃しなども出来ないような言い方でもってして、改めて婚約破棄の宣言が行われていた。

 それに加えて、よりにもよって新しい婚約者まで同時に宣言するだ等と……。しかも、こんな外部からのゲストすら多数混じっている様な公式の場所で、だ。

 これを馬鹿の上塗りと言わずして何と言えば良いのか……。


「……そうデスか。ワタクシ、フラレてシマッタのデスね」


 そんな事態のあんまりといえばあんまりな斜め上の推移っぷりに、流石に私も頭が痺れて真っ白になってしまっていたせいか、思わず言葉の方もぞんざいな感じになってしまっていたのだけれども、それも無理もなかったのだと思って欲しい。……でも、そんな私の言葉は、相手に真面目に捉えていないと思われてしまった様で……。


「当たり前だろう! これまでのサフィニアに対する数々の暴言と脅迫、それに加えて貴族の令嬢らしからぬ酷い悪行の数々だけでも我慢がならなかったというのに! それが、いよいよ彼女の命まで狙われたとあっては……。いくら心優しいサフィニアから『全ては自分が悪いのだから余り大事にしないで欲しい』等と願われていたとしても、流石に看過出来ん!」


 彼女を新たに殿下の婚約者に据えたのも、貴女の御実家である国内有数の大貴族、ゴールド辺境伯家の強大な権力の刃から守るためにも必要な措置でした、と。

 そう『この馬鹿王子に浅知恵を吹き込むような余計な真似をした阿呆は私です』と、自ら自白するかのように得意げな顔で口を挟んできた馬鹿男二号(とても残念な事なのだが、一号は言うまでもないだろうがハイドラ様だ)に、今は彼と話をしているのだからお前はそこで大人しくして黙っていろと視線を飛ばしてやったのだが、そんな私の視線に何を勘違いしたのやらフフンと更に得意気にして笑って見せていた。


 おそらくは、サフィニア嬢に良い所を見せることが出来たとでも得意気に思っているのだろうが……。しかし、類は友を呼ぶとはよく言ったもので、恋愛とやらに集団で長いことうつつを抜かしたりしていると、ここまで人間とは愚かで駄目駄目なお馬鹿ちゃんの集まりになってしまうというのだろうか。


 ──うん。なっちゃうんだろうな、きっと。


 そう、妙な納得を得てしまったのは、人が変わってしまったかのような嫌な目付きでこちらを睨んでいるハイドラ様の瞳を見てしまったからなのかもしれない。


「マリー・ゴールド! いくらお前が我が国有数の大貴族の令嬢であったとしても、罪は罪! 特に貴族殺しは、たとえ未遂であったとしても、我が国の法においては重罪だ! ……本来であれば情け容赦なく殺人未遂の罪で裁いてやりたい所だったが、サフィニアからも特別な温情をと、元婚約者へ対する配慮を願われていてな。……今回だけは、学院からの追放だけで勘弁しておいてやる。だから、何処へなりと、とっとと失せるが良い!」


 そう『これで話は終わりだ』とでも言いたげに私に背を向ける馬鹿男一号ことハイドラ様だったが、その肩が『どうだ、サフィニア! 私はついに最後までやりきって見せたぞ!』とばかりにフゥと力が抜けてしまっているのが分かってしまう辺り、どうにも憎めない所があるというか何というか……。

 これは、どう言えば良いのだろうか。人間的に嫌いになれないというか。どうにも憎み切れない所があるというべきなのか。それとも独特の愛嬌があって可愛く思えるとでも言えばいいのだろうか……。まあ、これも惚れた弱み、いわゆる贔屓目によるものであるのだろう事は、自分でも百も承知してはしていたのだが……。


「……ちょっとお待ち下さいな。ハイドラ・ランジア王子と愉快な取り巻きの皆様方。話は、まだ、全然終わっていませんでしてよ?」


 そう『なに勝手に勝利宣言して逃げ出そうとしてんのよ』とばかりに呼び止めてやると、揃いも揃ってビクッと反応して振り返っている辺り、少なからずこのまま勢いだけで細かい所をすっ飛ばして雰囲気だけで誤魔化して逃げ出してしまおうと画策していたのだろう事が少なからず伺えたりしてしまう訳だが……。


「……フン。往生際が悪過ぎるぞ、マリー」

「そうですよ。貴女は殿下を巡る争いに負けたのです。折角、温情まで頂けたのですから、敗者は敗者らしく、後を濁さず、潔く去るべきなのではありませんか?」


 そうハイドラ様の言葉尻に乗って余計な茶々を入れてきた馬鹿男二号こと銀髪の優男にギロリと一瞥をくれてやると「おぉおぉ、怖い、怖い。嫉妬に狂った女性とは、実に恐ろしいものですね」などと、ふざけた態度で茶化してきやがった。

 その不遜に過ぎる態度と煽りの言動に『イラッ☆』ときていたのは確かだったが、向こうがこちらをそうやって挑発して激昂を誘った上で、彼らに対する罵倒などの台詞からの失言の類を引き出そうとしているのが見え見えであっただけに、そんな安っぽい誘いに乗ってやるのもいささか癪ではあったのだけれども……。


「……はて? 先ほどから、なにを持って貴方がたが勝ち負けとやらを決めているのか、今ひとつ私には理解出来ていないのですが。……ああ、そうそう。分からないといえば、先ほどのお話の中でも、些か、意味の分からない部分がありましたの。もし良かったら、なにを根拠に私が糾弾されていたのか、もうちょっと詳しく教えて頂けませんか?」


 そう『お前達の独りよがりな説明の仕方ではイマイチ要領を得ないから、もっと詳しく教えろ』と要求して見せた私に、彼らは思い思いの表情で似たより寄ったりの感情を……。いわゆる蔑みを視線に乗せて向けて来ていた。


「あれほどの罪を重ねておきながら、何を今更……。白々しいぞ!」

「全くです。この期に及んで開き直りとは、いささかみっともないと思いますよ?」

「そうそう。サフィニアに対する権力を笠に着た脅迫と陰湿な嫌がらせだけでも我慢出来なかったって言うのにさ」

「……万死に値する」

「その通りだ。いくら未遂に終わったとはいえ、今回のように殺されそうになったとあっては、流石に黙っては……」


 ハイドラ様と、その取り巻きの面々から色々と言葉を浴びせかけられていた訳だが、そんな台詞の中でどうしても聞き流す事の出来ないフレーズが混じっていたので、思わず「そう、そこです!」と言葉を挟んでしまっていた。


「……なんだ? いきなり」

「殺されそうになったとは、どういう事ですか?」

「……なに?」

「今の話の流れ的に、そこで皆さんに囲まれている方……。そのピンク色の髪をした女性が、おそらくはサフィニアさんだとは思うのですが」


 とりあえず、ここで一つ。紛れも無い事実だけは、はっきりとさせておくべきだろう。


「申し訳ありませんが、わたくし、その方のことを今日まで詳しく知らなかったものでして……。良かったら、彼女のことを紹介して頂けませんか?」


 そんな私の言葉に男衆は口々に「白々しい」だの「彼女のことを、お前が知らないはずがないだろう」とか「どうして、そんなみえみえの嘘をついてまで誤魔化そうとしたりするんだろうね、見苦しい」だの「……馬鹿?」とか「知り合いじゃないだと? そんなはずは……」だのと、まるで私の言っている事が理解できないといった風に酷評されてしまうが、本当に知らなかったものを知らないと言って何が悪いというのか。ましてや、それを一方的に『嘘だ』と断じられても、ねぇ……?


「……マリー。お前は、サフィニアのことを知らなかったとでも言いたいのか?」

「いいえ。さすがに全く知らないという訳ではありませんよ? 立場上、彼女の名前はもちろん御実家に関する事も良く存じておりましたし……。それに、これまでも何度か手紙もやりとりしたことがありますから。あとは……。ああ、そうそう。ハイドラ様が以前……。まだ私と一緒の時間をよく過ごしてらした頃の事ですが、あの頃から、すでに……。たまにではありましたが、彼女のことを話題にも出しておいででしたから……。ですから、ちゃんと彼女のことは調べさせて頂きましたよ?」


 思えば、あの頃から色々と彼女の名前を聞くようになったのだな、と今更ながらに思う。


「ついでに言っておきますと、最近ではハイドラ様を始めとして、色々な殿方を引き連れては、皆さんでご一緒に、さまざまな慈善的な院外活動をされているらしい、と。……方々から様々な噂話を……。本当に色々な立場の方から、要る事やら要らない事まで散々と……。忠告やら苦言、クレームの類までまとめて吹きこまれておりましたので……」


 もうちょっと正しく表現するなら『アレってお前の男なんだろ。だったら、早く何とかしてくれよ』といった感じで色々と。……だから、かなり詳しい事情や情報なども聞いていたし、そんな話の中に出てくる人々のプロフィールを初めとして、実家関連の背後関係に至るまで、色々な事柄についても委細漏らさず承知している、と。

 そう答えたことで、いささかドン引きされながらも、やっぱり知ってたんじゃないかといった風の反応が返されていたのだが……。そんな中で、一人、納得がいってない人がいた。


「……では、お前が彼女の事を詳しく知らないはずがないのだし、わざわざこの場で紹介するまでもないではないのか?」

「いえいえ。これまで資料などではよく知っている相手ではあったのですが……」


 チラリと視線を向けた先では、僅かに怯えの視線を返す少女の姿があって。……まあ、その視線もすぐにとりまきの男衆によって遮られてしまったのだけど。


「たったひとつだけ、私が知らなかった事があったのですよ」

「……何だ? お前が、彼女の何を知らなかったと言うんだ?」


 まあ、そう警戒しなくとも。

 そう苦笑を浮かべながら答える私の声はひどく短くて。


「お顔、ですわ」

「かお……?」

「はい。私、その方に直接お会いするのは、実は今日が初めてなのですよ」


 たとえ相手のことを表裏関係なしに実家まで含めて詳しく調べて上げていたとしても。そして、何度も手紙をやりとりしている関係であったとしても。それでも、こうして直接相対しなくては分からない事もあったのだから。


初めまして(・・・・・)、サフィニア・ペチュニアさん。まあ、ご存知だとは思いますが、一応名乗っておきますわね。私は、マリー・ゴールド。そこにいらっしゃるハイドラ・ランジア第一王子の婚約者ですわ」


 そう自分の公の立場を全力で押し出して挨拶してみせてやると、ハイドラ様を初めとした男衆の面々が『お前のような女が未練がましく殿下の婚約者を名乗るな!』とばかりに睨んでくる訳だが……。

 彼らが都合よく解釈しているだけなのか、あるいは単に思い違いをしているだけなのかもしれないのだが……。私とハイドラ様の関係とは、いわば両家の間で公式な立場において互いに認め合っている許嫁同士というヤツで。いわば公式な意味での『婚約関係』というヤツなのであって。それは契約という形で未だに両家の間には存在し続けていたりする。

 更に付け加えるなら、この手の話においては当事者間が多少疎遠になったり関係が冷たく冷えてしまったりしても『その程度のことは若い間には良くあることだ』とされて、いちいち省みられる事はなかったりするのだ。

 突き詰めていけば、最後にはどうせ心の問題でしかないので、最終的には惚れた腫れたのお話に突き当たるに過ぎないのだろうし、両者の間が冷えているといっても、またいつのまにやら関係が昂ぶって元鞘に収まるといった話もごくありふれていたりするということなのかもしれなかった。そんな若い間に頻繁に起こりうる『心変わり』にいちいち付き合っては居られないという意味でもあったのだろうと思う。

 まあ、最終的には結婚の日取りを決める段階において『どうする? このまま結婚ということで話を勧めて構わんか?』程度には最終意思確認が入る事もあるらしいのだけれど。でも、多くの貴族家の場合においては『上手い関係を築けなかったのは残念だが、その修復は夫婦になってから努力するように』と契約の履行を優先させられる事が大半なのだそうだ。

 ちなみに最終的に男女関係が上手くいかなかった場合には、夫が側室にばかりかまけて妻がないがしろにされている仮面夫婦という、貴族家ではよくあるらしい夫婦像が形成されることになるのだろうけれど……。


 ──果たして、私達は、どういった関係に落ち着くのでしょうね……? ハイドラ様?


 閑話休題(おっと)。話が盛大にそれ過ぎてしまった。

 話を元に戻すと、そんな正式には未だに関係が解消されていない立場に置かれている以上は未だに婚約状態にあるというのが実情なのだから、彼が何処で何をどうしようと、今現在の立場においては、私達は未だ彼の婚約者のままであるので、この挨拶の仕方で間違っては居ないし、逆にこう挨拶しなければならない立場にあるのだ。

 そういった今現在の公の立場などを前提として物事を逆に考えていってみると、彼女は婚約者が居るような殿方にみっともなく横恋慕を入れてきている単なる泥棒猫、ということになってしまう訳だが……。


「……聞く所によると、何やら様々な被害を被ったり、嫌がらせを受けたり、ついには命までも狙われたりした様ですが……」


 だからこそ、この場では、そんな相手に相応しい扱いを。いつもよりも、かなり厳しい態度をとってみせる必要がある訳で……。あえて言葉を区切って、口元にかざした扇子の陰でニンマリと笑みを浮かべて見せてやる必要もあった。


「ご愁傷様というか……。この場合は、むしろ自業自得というべきですわねぇ?」


 そうニッコリ笑って口から毒を吐いて見せた私に、思わず周囲の男達も殺気立っていくのが分かったが、そんな中でひとり頬を僅かに笑みの形に歪めて嗤っている女がいた。

 ……あえて言うまでもないのだろうが、サフィニアの事だ。

 ようやく自分達の狙い通り、私から失言を引き出すことに成功したとでも思ったのか、思わず自分までも尻尾を出してしまったらしい。あるいは、これで殿下に愛想をつかされるのが確定したとでも思ったのか……。もしくは、その両方、かしらね?


「今のは、どういう意味だ!? マリー・ゴールド!」

「どうもこうも。……私が彼女に宛てた手紙、ご覧になったのではなかったのですか? ……もし、まだお読みになってないのなら、どうせ今、誰かがお持ちなのでしょう? どなたかに見せてもらって下さいな」


 そこにも何度も繰り返し警告してあったはずですよ、と。

 そう笑みを深めながら告げた私の言葉に答えるようにして、殿下の背後の取り巻き連中の中から分厚い手紙の束が差し出される。


「……あんな風に男を周囲に侍らして学院の内外を練り歩くという行為は、根本的な部分で淑女の在り方や立ち振舞としては論外でしたし、以前から院内の風紀が乱れると学院でも度々問題となっていましたのよ? ましてや王族の御方までその中に混じっているとあっては、彼らも立場上、手を出しにくかったでしょうし……。いくら皆様を導く教職にある方々といえども、爵位持ちの方々相手では、おいそれと指導も出来なかったでしょうから……」


 それらの行動が後々、こういう形で大問題に繋がっていくだろうという事も、講師の先生方は、薄々とわかっていたのだろう。だからこそ『早く彼らを何とかした方がいい』と陰ながらの忠告も受けていたのだから。

 ……それに、私個人としても、自分の婚約者を誘惑されるという、喧嘩を売って来ているも同然の真似をされて、相当に腹を立てていたのだと思うから。


「それでお前が、自ら手紙によってサフィニアを諌めようとしていたということか?」

「はい。……以前より、私も皆様の姿を大変見苦しく感じておりましたし、あれではまるで、一人の女の寵を競っているかの様ではありませんか。そんな姿を、大層みっともなくも感じておりましたので……」

「……だから何度も繰り返し、サフィニアにだけ、こうして手紙で警告を送り続けたと?」

「そうですわね。主な原因は、彼女の側にありそうでしたので……」


 はっきり言ってしまうと、誰彼構わず取り巻きの男連中に媚びを売っている彼女の姿を破廉恥極まりないと感じていたし、そんな下らない女に媚を売られて喜んでいる男どもの事を心底蔑んで実に下らない連中だと軽蔑もしていた……。そして、何よりも……。そんな中に、大切な想い人(ひと)が混じっている事に、どうしても我慢がならなかったから……。


「……だから、これまでも何度も何度も、しつこいくらい手紙で警告してしてきました。そういう馬鹿な真似をさっさとやめろ、と」


 それを脅迫だの嫌がらせだのと捉えられたのは心外の極みであったが。


「だいたい、ハイドラ様を含めた取り巻きの皆様方。あなた達が自覚してらしているかどうかまでは分かりかねますが、全員、れっきとした婚約者が居らっしゃる立場であるということ。……まさか都合よく忘れてしまっているのではありませんでしょうね……?」

「そ、それは……」


 明らかに狼狽えて見せるのは、少なからず自覚があったという証でもあって。


「……親が決めただけ? だったらどうしたというのです。家同士で勝手に決められた事だから自分達の知ったことではない、とでも? 貴族である限り、そんな子供のような言い訳が通用しない事ぐらい、小さな頃からずっと……。皆さん、しつこいくらいに教えこまれて来たはずですよ? こと血を繋ぐ、家を継ぐ、名を残すといった事柄に関しては、私達のような立場にある者にとっては、そこに個人の意思など一切省みられる事は無いのですから」


 御家が第一、血筋が絶対。それが貴族の生き方であり在り方だ。

 そして、それが青い血をもって生まれてきた者の定めでもある。

 平民のような自由恋愛などハナから許されてはいないのだから。


 果たして、そんな台詞にあっちこっちに視線をそらしてみせる男衆。……まったく。これだから男ってヤツわ、と思わず私も苦笑を浮かべてしまう。だが、そんな中にハイドラ様まで含まれてしまっているあたり、この問題の深刻さを表していたのかもしれない。


「しかし、それにしても……。いや、本当に酷い内容だな……。これでは、まるで脅迫文じゃないか。……何気なしに読んだら、脅迫文そのものにしか見えない代物だぞ?」


 そんな顔をしかめた殿下の台詞に、思わず私も苦笑を浮かべてしまう。


「その辺りは、私の方にも少々熱が入りすぎていましたから。……いささか過激な表現になったとでもお考え下さいませ」

「だがな……。単なる警告の手紙としては、ちょっとどうかと思うような箇所が些か多くないか……? 余り調子に乗るなよとか、良い気になってるんじゃないぞとか、このままだと後悔することになるぞ、とか。……これって、そのまんま、ただの脅し文句じゃないのか!?」


 ……うっ。そこを突っ込まれると、ちょっと辛いっていうか……。


「……ま、まあ、それを書いていた時の、こちら側の心情という物もありますから。そういう部分もある程度は加味して考えて頂ければ、おのずと文の荒さや言葉選びの乱暴さ等の原因などもご理解もして頂けるのではないのかなぁ、と……」


 そうオホホホと扇子の陰で笑って誤魔化して見せたが、流石にあの手紙の内容については、些か行き過ぎている部分もあったと認めざる得ないのだろう。

 それくらい当時の私は怒りに支配されていたのだろうと思うし、実際、何度殺してやろうとかと思ったか分からない程に憎々しく感じていたのも事実であったのだから。



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