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晩餐には銀蝶の鱗粉を

作者: kazae

 「晩餐には銀蝶の鱗粉を」

             峰 かざえ


「ここでもないわねぇ……」

屋根裏部屋を覗きながら、メイドが一人、意味ありげな呟きを漏らしている。というふうに見えるだろう。もしもあたしの様子を、他の誰かが目撃したとしたなら。

 最近になって、ここディルワウス家に雇われた新参者の若いメイドである。――という体裁になっている。あたしは、そっと屋根裏部屋の天窓を閉じてから、階段を下りて、他のメイド仲間のいる台所の食料貯蔵庫へと向かった。

「そっちはどう。もう雑用ばっかりよ。へとへとなんだけど」

「キッチンは特に今のところ怪しいところはないわね」

「そんなこと言いながら、別段調べもせずに、料理のつまみ食いばっかりやってるんでしょう、イーノ」

「ほほほ、つまみ食いと紅茶の転売は、キッチンメイドの特権ですもの」

「アンヌはどう、洗い場ばかりは大変でしょう」

「お嬢様のドロワーズを手に取るときが大変心ときめいて震えますわ。このもっさりした布の肌触りと縁のレース飾りがとても可愛らしくて。わかります?」

「はいはいはい。そのときめきはあたしには一切わかんないから。頼むからそんなににやにやして眼ぇ輝かせて近寄ってこないで」

とあるお屋敷で、数多くの陶器、銀食器が消えて、盗んだ疑いをかけられた女中が何人も解雇されたという。

使用人が高価な家具や食器に眼をくらませて、つい出来心からそれらを持ち出して売ってしまったという話は、世間でもよくあることだ。

だが実際は、強欲で頭の悪い馬鹿息子が、悪い取引をして、貴重で高価な食器類を持ち出して売ってしまったのだそうな。体裁の悪さから、屋敷の主人は犯人が息子だと発覚してからも、事実を断固として認めず、使用人の不義だと言い張っていた。

その、こっそりつるんで貴重な銀食器コレクションを受け取っていたのが、ここのディルワウス家だという噂。

「女主人のマダム・ディルワウスは、珍しいアンティークに目が無いお方。ましてや悪い癖で、人のものほど横取りして奪いたくなるのです。風の噂といえども、火の無いところになんとやらですわよ」

「お屋敷のメイドが以前、来訪してたドランミリオ家のジュニアに手ぇ出されかけたという話も流れてるのよ」

「ああ。その例の馬鹿息子ですか」

「そうそう。まぁ、ここで間違いないでしょう」

朝早く起きて、暖炉の灰を掃除して火を熾す、カーペットの掃除。階段と寝室の掃除。床磨き。水汲み。石炭と薪の用意。ランプの手入れ。食卓の給仕。食器磨き。室ごとに湯を運ぶ。針仕事。シーツの準備。

時計仕掛けのゼンマイの一部になったかのような重労働にも耐えていられるのは、すべてはお宝を手に入れるため。

午後の制服に着替えてメイド・キャップを整えながら、ワックスで磨き上げられた階段の手すりに自分の顔が映るのを眺めていた。滑らかに輝く木製の手すりは、銅の鏡のようによく反射していた。そこには、ただのみずぼらしい使用人ではなく、静かな野心を秘めた強い眼をした女の顔が写りこんでいる。

ただこき使われて、安い給金に満足して終わるだけの女の一生でたまるものか。

たかだか女給仕。若いうちならまだ雇ってもらえるが、そのうち適当な理由をつけて解雇されては、路頭に迷って娼館の扉を叩く羽目になる。下手をすれば、男の使用人に適当に遊ばれて追い出されるだけだ。かといって、年季の入った女中頭ハウス・キーパーになろうとも思わない。

そのためにわざわざ、噂の渦中のお屋敷に、新しく入ったメイドとしてもぐりこんだのだから。

「盗まれた銀食器、こっそり手に入れることができたなら、ちょっと面白いことになりそうじゃない」

 耳の横に落ちてきた後れ毛をそっと整えて、あたしはメイドキャップを被りなおしていた。



「何でオレの正体がわかったんだよ」

「君が屋敷に来たときから怪しいと思っていたよ。伊達に執事をやっているわけじゃない」

「なになに、何の騒ぎ」

「お、コパラ、ちょうどいいところにきた。今からこいつを抱えて、君の前に連れて行こうかと思ってたんだ」

 階段の踊り場の影で、何やら騒がしいと思ったら。執事のルルフとドーベがいる。そして、床に膝をついているもう一人。

「ところで、従僕としてもぐりこんでいたこいつは、君達の一味かい?」

「そう、財宝探しをしていたのは、あたし達だけじゃなかったってわけね」

 執事二人組につるし上げられているのは、最近新入りで入ったという従僕の少年だ。

「で、こいつのどこが怪しいって」

 あたしはまじまじと少年を見つめる。見たところは十代前半か。ふてくされて、機嫌の悪い野良犬のような目つきをしているほかは、特に変わったところも見えない。

「鈍いねぇ、頑張って変装してるけど、こうやって見りゃあ一目瞭然でしょうに……、えいやっと」

「ッきゃああああああ!!!」

 執事のルルフは、にこにこと微笑みながら、おもむろに少年の襟元を掴んで引っ張った。

ふてくされた少年の口から、思いがけず甲高い悲鳴が飛び出してきたので、メイド三人組は思わず目を見開いてぎょっとした。

「ちくしょうっ! 位の高い執事ならもう少し紳士だって思ってたのに! 脱がされるくらいなら自分で脱いでやる!」

 顔を真っ赤にして叫ぶ甲高い声色は、もはや少年のものではなかった。

 必死で、タイが解けて乱れた襟元を両手で押さえている。シャツの襟の隙間からちらりと見えたのは、白い柔肌に、きっちりと固く布が巻かれているものだ。状況的に、そんなものが垣間見えるとしたら、想像できるものといえば。

「あらー……、もしかして女の子だったの」

「だよねぇ。こんなに可愛いのに、わざわざ男の子の格好なんてしてたらもったいないよねぇ」

「なんだって、そんな危なっかしい真似して従僕として雇われてここに来たの」

「…………」

「まあ、襟元を無理やりはだけさせようとしたアホ眼鏡執事はあとでお仕置きするとして。同性のあたしにも、何も事情を話すつもりはない?」

「あれあれ、もしかして僕、コパラからお仕置きされちゃうのかな? あはは」

「いいから黙ってろ天然ボケ眼鏡」

能天気に笑う執事をほったらかして、こちらは真面目に問いかけている。

「……あんたもメイドなら、ドランミリオ家の放蕩息子のことは聞いたことがあるんじゃないか?」

 おやおや、今日はよくその名前を聞くことだ。

「私は、以前ドランミリオ家で使用人として働いてたメイドだ」

 かすかな小声で話しながらも、口調を再び少年のものとして作っているのは、彼女なりの意地かあるいは羞恥心かもしれない。

「だけど、お屋敷からは追い出された。銀食器を盗んだと濡れ衣を着せられて」

「ああ、そんな話があったそうだと風の噂で聞いているよ、あの屋敷ならやりかねないよね」

 ルルフの相槌に対して、少年姿に変装している元メイドは、無表情で目線を逸らしていた。頑なに心を閉ざそうとしている様子に見える。

 ぽつりぽつりと、身の上話を続ける。

「濡れ衣を着せられたままじゃあ、次の勤め先を探そうにも、紹介状も書いてもらえない。行くあてがなければ、路頭に迷って娼館の門でも叩きに行くしかない」

 それもメイドにはよくある話。後ろ盾のないメイドなんて、なんとも弱いものだ。

「どうにかしなければと思って、紹介状を偽装して、従僕として雇われた。ここの主人は男好きだから、メイドはともかく男の使用人の審査は甘いと聞いていた」

「それで、男装して使用人になったわけ?」

「女主人のマダム・ディルワウスか、相変わらずあの人は、酷い噂話だからだねぇ」

「それで、ここに潜入して何をしたかったの。自分の濡れ衣を晴らす証拠品でも探しにきたの」

「盗まれた銀食器さえ見つかれば。そうすれば少なくとも、私が持ち出したんじゃないってことは証明できる」

「馬鹿ねぇ、そんなこと訴えたとしても、一度着せられた汚名なんてそう簡単にはそそげないわよ。何だかんだ言って、ドランミリオの放蕩息子がシラをきるか、ここの女狐みたいな女主人が口裏合わせるかで、かき消されちゃうのがオチだと思うわね」

「でも私は、他に行く宛てもないし、これしか出来ない……。何もできないのならせめて、私のことを踏みにじった、あのケビン=ドランミリオか、ここのディルワウス夫人に復讐してやる」

 彼女の目には、蒼い憎しみの炎が灯って揺れていた。ここに来るまでに相当屈辱的で理不尽な思いを重ねてきたと思われる。あたしの問いかけに対する返答は、予想通りの言葉だった。うつむき加減の表情を苦しげに歪めている彼女を見ながら、あたしは自分の唇に自然と笑みがこぼれるのを感じていた。

「あなたお名前は。別に偽名のままでかまわないわよ。ただ聞いておかないと呼びにくいだけだから」

「シャンル……」

「そう。あたしのことはコパラって呼んで。さてと本題に入るわね。実を言うとあたしも、つい半月前くらいからここに来たばかりの新参者ではあるのだけど、あたしが、どうしてここに雇われに来たかわかる?」





 銀食器というものに、なぜ上流階級の人間達はこうも惹かれるものなのか。

一つは、銀というのは「毒」を見抜くためのものだから。

「あたしはね、とあるお屋敷の主人から紹介状を持たされて、このディルワウス邸のメイドとしてやってきたの。とあるお屋敷といのはどこのことかは、今ここでは言うことができないわ。で、あたしが、そこで負かされていたのはね、『毒見』の役目をしていたのよ」

「毒見って、まるで暗殺者に狙われる王族みたいね。それとも、あなたのご主人は、よっぽど人の恨みでも買うような人間だったの」

「あはは、そういう感じだと思ってて。とにかくね、毒見をするのに必ず銀食器を使ってたの。それがなぜだかわかる?」

「銀は……、もし料理の中に毒物が入れられてたら、黒く変色してしまうから」

「そのとおり。銀食器に変色が無いか毒見役が確認し、そして主人に饗する前に、自らが一口含んで、味におかしなところはないか、毒は入ってないか確認する。その毒見に使うために必要な銀食器が、恐らくここのディルワウス家に持ち込まれている疑いがあったから、あたしはそれを探りにきたの」

「あれ、おかしいな、君さ、銀食器とか金目の物を見つけて持ち出して売りさばこうって言ってなかったっけ」

 執事のルルフが、頼りない笑顔であたしに向かって首をかしげている。

「おかしーなぁ。僕はそう聞いたから、君に協力しているはずだったんだけど」

「それも間違いじゃないわよ。言われたことさえ上手く遂行すれば、あとはそれ以外のものはあたしの好きにしていいって、あたしの素敵なご主人様は仰ったもの」

「あーそれはいい主人だね、尊敬するね」

「潜入したお屋敷で泥棒することを勧める主人なんて、ろくな人間じゃないな」

「盗品を隠しているお屋敷の主人もろくな人間じゃないから、おあいこさまじゃないの」

 お仕着せのエプロンのポケットから、あたしは、小さなガラスの小瓶を取り出し、掌に載せ、シャンルに見せる。

 ガラス瓶の中には、銀の翅の蝶が入っている。もちろん、作り物の細工だ。しかし、細い触角から翅の筋の模様、銀粉を使った鱗粉に至るまで、まるで生きている蝶のように精巧に作られている。

「これは」

「マダム・ディルワウスを告発するためのお宝よ」

 この銀細工の蝶の翅に付いている銀の粉は、通称『魔女狩りの銀粉』。

「この銀粉はね、口にすると、どんなに微量の毒でも、敏感に察知できるの。高貴な女性が、毒殺を防ぐために作りだされた薬よ」

 私の説明を聞きながら、シャンルは怪訝な目をして瓶の中の蝶を眺めている。半信半疑、どころか明らかに信じられない様子だ。

「実を言うと、盗まれた銀食器の中には、この銀粉と同じ銀塗料で作られたものがあって、それは私の以前のご主人が、極秘に所持していたものだった」

 巷で、裕福な家柄、財力のある主人、そういった人間が、何の前触れもなく休止するということが続いている。さすがに似たような死因の人間が十人近く並ぶと、回りも不審に思い始める。原因不明の病ではないか、何かの怪奇現象かと、そんな憶測が流れ始めた。

 だけど、本当はその死因の正体は、ある特殊な毒薬なのだ。その毒薬の呼名を、『吸血鬼の水銀』と言う。

「そのためにこの、『魔女狩りの銀粉』を入手しようとする貴族も増えているのだけど。実はこの毒見薬、ある特性があって」

「特性?」

「そう。この翅の粉をほんの少し口に含むと、毒の味に非常に敏感になるし、仮に毒を飲み込んでしまっても効き目を消す中和剤の役割をしてくれる。だけど、その効果をもたらしてくれるのは、女性がこの銀粉を口にしたときだけなのよ。男性が口にしても何の意味もないの。灰の粉を口にするようなもの」

「へぇ……、変な薬。どうして女性だけが効き目を持つの」

「『魔女狩りの』と名前が付いているくらいだからね。そういう効き目の薬なんでしょう。まぁ心緋的。さてと、ここからが大事な話よ、シャンル。あなたは自分の濡衣を晴らしたいと言っていたわね。もしあなたにそのつもりがあるのなら、一つ、あたし達に協力してもらえないかしら。きっと、あなたにとって、面白いことになると思うのだけど」

 壁にかけられた柱時計が、大きく音を響かせて、正午の鐘の音を告げていた。




晩餐に並べられる料理の数々は、宝箱の中身を取り出したかのように豪華できらびやかだった。

 こんがりと焼かれて飴色に輝く鵞鳥のロースト、肉や野菜が宝石のように入っているポトフ、色鮮やかなソースと共にお皿の上に飾り立てられた白身魚、そして並べられた銀食器の数々。

「明日は早朝から、デルイ公爵のところへ訪問するわ。お茶会にお招きいただいたのよ。とっておきのシルクのドレスを用意しておいてちょうだい」

 傍らに侍る従者の一人に、脱いだガウンを手渡しながら、しきりに時計を気にしている。もしかしたら、晩餐には手をつけずに、またこれから他の夜の晩餐会に出向くのかもしれない。

「さようですか。お食事はいかがいたしましょうか」

「少しだけいただくわ。お茶会で出されたクラッカーが酷い安物で、とても口にできたものじゃなかったのよ。まったく、おもてなしであんなものを出すなんて恥をしらないのかしら」

 不機嫌に口元を歪めながら、メイドを呼びつけて、自分のウエストをきつく絞っていたコルセットを緩めさせている。肉付きの良い豊満な胸元が揺れていた。

「ところでマダム・ディルワウス。大切なお話を申し上げたいので、お食事前に恐縮ですが、少々お時間を頂きたく」

「何?」

 あたしが畏まってお辞儀をして述べると、ディルワウス夫人は露骨に眉を顰めながらこちらを振り返った。

「マダム・ディルワウス。貴女は、とある商人から毒薬を買いましたね?」

それは銀の匙でも反応せず、遅効性で、口にしてから死に至るまで七日前後の日にちを要する薬。

「あなたはその薬を、とあるお屋敷に仕えている一人のメイドに持たせて、ディルワウス子爵をひそかに毒殺しようとしたのではないですか?」

「な、何の話をしているの。言いがかりはよしてちょうだい、たかだか雇われ女給の分際で」

 残念ながらその毒は、ご主人の口には入っておりませんよ」

 ディルワウス夫人の顔色が、にわかに青ざめた。

「ば、馬鹿を言わないで。どうしてあたくしが、自分の亭主に毒を盛らなくてはならないの」

「そりゃあ、簡単ですよ。当主が死ねば、全ての財産は、伴侶である貴女のものになるのですから。実にわかりやすい動機ですよね。

そして、使用人のシャンルを買収して、亭主に毒を盛らせようとした。その時に使われたのがこの銀食器ですよ」

 ――銀食器を盗んだなんて、他愛ないありがちな濡れ衣を着せられたことが、そんなに悔しい?

 あたしがそう尋ねると、シャンルはこんなことを話していた。

「実は」

  口にするべきかどうか、まだ心の中で迷いながら言葉にしている様子で、視線がわずかに揺らいでいた。

「銀食器は盗まれたんじゃなくて、意図的に隠すために持ち出されたんじゃないかと思う」

「どういうこと」

「ドランミリオ公爵は、お食事に毒を盛られるところだったんだ。そして変色した銀食器を、人の目に触れないように処分されていたらしい」

「なるほど、じゃあ一応のつじつまは合うわ」

「つじつま?」

「毒を盛ろうとしているのがここのディルワウス夫人で、毒殺未遂で終わった場合に、使った銀食器をこちらで引き取って隠している、ということよ」

「そんな、まさか」

「あなたは下手をすれば、お屋敷の主に毒を持った犯人のメイドにされていたかもしれないわね。よかったじゃなーい、早々のうちにクビになっておいて」

「ちょっと待ってよ……、毒だとか、証拠の銀食器だとか、どうしてあなたがそんな話を知っているのよ、あなたもただの」

「そう、ただの雇われメイドの、自由気ままなオールワーカー、コパラさんよ。あたしのご主人は寛容だから、暇があれば他のお屋敷にもこうしてお手伝いに呼ばれてくるの。紹介状だって書いてもらってるし」

 そして今、あたしの目の前では、何か危険な空気を察知したディスワウス夫人が、肉付きの良い丸い頬を震わせながら、目を丸く見開いている。

「メイドのくせに、あんた、一体……!」

 お仕着せの白いエプロンの裾をつまみ上げ、あたしはきっちりと整った仕草で優雅に一礼してみせる。狼狽するディルワウス夫人に向かってにっこりと微笑んだ。

「ああ、紹介状には記されておりませんでしたか。私を遣わしたご主人は、トラン=ダイアン氏の十一代目。今は途絶えたトランの末裔の一人。人が見ることのできない罪を裁く、魔女狩り(パルマケウス)の一族です」

 ちょうど、戸棚の上の置時計が、鐘の音を鳴らしていた。今夜の晩餐会のお呼ばれには、どうやら間に合いそうにない。せっかくのロースとビーフも無駄になってしまったようだ。

 そっと自分のエプロンのポケットから、小さなガラスの瓶を取り出す。銀色の粉を纏った小さな造りものの蝶。それを目にしたディルワウス夫人が、どんな顔をしているかを見守る。これが何であるか、知らないはずは無い。

「ご安心を。特にあなたを裁こうというわけではありません。ただ、よろしければ、彼女、シャンルが口にした毒を除くために、あなたがお持ちの中和剤をお渡しください。貴女の罪を彼女に被せたくはないのです」



「どうして、私を助けたの」

「あら、まるで助けないほうがよかったような口ぶりね」

「だって、私は、あなたを……」

 あなたを騙そうとしていたのに。唇がそう動きかけて、声にはならずに言葉を飲み込む。

 結局は、盗まれた銀食器を取り返そうとするのは、無下に着せられた無実の罪を晴らすためのもの。

 ディルワウス夫人に遣わされて、ドランミリオ公爵のお食事に毒を入れていた。毒が混入していても気付かれない特殊な銀食器。それを上手に処分してしまえば、証拠は残らず、罪には問われない。

「あたしが憶測を言っても仕方ないかもしれないけど……、もしかしたらドランミリオ公爵は、あなたの身を護るために、あなたを無理に解雇してお屋敷から追い出したのではないかしら」

 下級執事の従僕姿で、シャンルは呆然と、あたしの顔を見つめ返している。細腰と華奢な手足と、綺麗な姿勢の立ち姿。

「そんな、私は、あの場所に帰るためにこうやって……」

「あなたはここにいてはいけない。あなたの正体が知られたら、口封じのために殺されてしまうわ」

 あたしが先に気付いてよかった。魔女の水銀は、女でないと効果を持たない。勘が働いたのは、魔女狩りの一族の血筋のおかげかもしれないけれど。

「それだったのなら、私は銀食器を盗んだ濡れ衣を着せられたのだと思って、ドランミリオ公爵に復讐しようと思っていたのに、私のやっていたことは」

 シャンルの声が、か細げに震えていた。最初に会ったときの、小さな刃のようにあたしを睨み返してきた、あの気丈な瞳を思い出す。今の彼女は、ひどくちぐはぐで不似合いな姿に見える。たとえるなら、錆びついて曇った銀食器。磨けば本来、もっともっと輝くはずなのに。

「信じていたのに、裏切られて公爵様から捨てられたと思ったから、そんなに傷ついて哀しかったのでしょう」

 肩に手を載せる。思ったとおり、丸くて細い、少女の体格の肩のライン。

「愛されてるなんて、まさか思ったことなかった。でも、ただ、あの場所にいたかった。あの人に信じてもらいたかった。そばにいられればよかったの」

 少しやつれ気味の白い頬に、透明な雫が一筋、零れ落ちる。

 元いたお屋敷に帰りたい。そばに置いてほしい。それだけが彼女を突き動かしていたのだろう。こんな男物の衣装を身に着けて、憎い魔性の女主人の居座るお屋敷に潜り込んでくるくらいに。

「これをあなたに渡しておくわ」

 手渡したのは、『魔女狩りの銀粉』。

 ディルワウス夫人には脅しをかけてあるけれども、今度また同じようなことが起こらないとは限らない。

 あなたが女性であるならば、愛する人に危険が及ぶ前に、気付いてあげることができるかもしれない。

「不遇のメイドでもなく、男装の従僕でもなく、普通の幸せな女の子に戻ってあげて」

 さてと。あたしにできる仕事はここまでかしらね。問題の銀食器も手に入ったことだし。

「ところで、コパラ……、あなたは本当に、メイドなの?」

 シャンルがそっと、あたしに尋ねてくる。

 こういう質問を受けるたびに、あたしは曖昧に笑って返す。

「一応、日雇いオールワーカーのメイドよ。あたしのご主人様から推薦状をもらっては、勤務先をあちこち変わってうろうろ出入りしているのだけど」

 そう。仕事が終わったら、一度帰らなきゃね。例の魔女狩りの一族の、あたしのご主人様のもとにね。普通のメイド、かと聞かれたら返答に困るかもしれない。あたしは普通の退屈なメイド仕事だけに満足するつもりはないもの。

 手の中の小瓶には、銀粉を翅にまとう蝶。そっと手にしたのは、魔性の銀食器。これを大事に大事に管理するのがメイドのお仕事。

 晩餐に並ぶ時には、吸血鬼の罠が潜むかもしれない。

 きっとそのときには、あたしがそっとこの銀の蝶を携えてお給仕に参上する。


                【了】







第175回コバルト短編新人賞・もう一歩の作品でした。

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