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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

眠れぬ森の美女

作者: 鍋田 徹

 フォミッチ王国は東西を二つの山に挟まれている。西側の山はコスコリ山と呼ばれる。美しい花々が多く咲き乱れる観光名所となっている。反対側の東側の山は常にじめじめとしていた。人々はクスドリ山と呼び、気味の悪さからかあまり近づくことはなかった。

 その山奥に一人の少女が住んでいた。少女は絶世の美女といっても過言ではない器量の持ち主で、山に住む動物の雄たちは一匹残らず彼女に恋をしていた。動物たちは毎日少女にアピールするため果物などの食べ物を取ってきた。そのため少女は何もしなくとも食料に困ることはなかった。

 少女は絵にかいたような無邪気な女の子だった。どの程度無邪気だったかというと、夜に羊を数えていると、

「羊が35匹……羊が36匹……あら大丈夫よ。私の牧場はまだまだ広いから入れるわよ、ほら、あなたもいらっしゃい……羊が37匹……」

その時遠くの森で狼の遠吠えが聞こえてきた。

「まあ大変。狼が来たわ、早く、早く逃げて羊さん達。食べられちゃう」

 と自分の想像の産物に話しかけるような、無邪気な少女だった。

 

 しかし少女は一つ悩みを持っていた。それは一寸たりとも眠ることができないということだった。少女は毎日眠りたいと望んだ。しっかりと睡魔も少女に訪れていた。しかし眠ることはできなかった。少女は生まれてこの方一度も眠りについたことはなかった。少女は心から眠りたいと願った。少女の牧場は毎日羊が溢れてしまうのも嫌だった。

 そして少女は一つ特殊な能力を持っていた。手を触れることなく物を持ち上げたり、動かしたりすることができた。理由はよくわからなかった。ただ少女が対象を見つめ、念じるだけで動かしたり宙に浮かせたりすることができた。少女は能力を使い、人形を動かして毎日人形と遊んですごすのだった。

 少女は王国に出かけることはめったになかった。必要がなかったし、行きたいとも思わなかった。


 それからどのくらい過ごしただろうか。ある日、少女はいつものように人形と一緒にどんぐりを拾いに出かけ、たくさんの収穫と共に家に帰ってきた。汚れた手を洗面台で洗い、顔が汚れていないか鏡で確認した時だった。少女は気づいてしまった。いつの間にか彼女は年を取っており、今までハリとツヤに満ち満ちた肌をしていた顔面は、今や皺やたるみが目につくようになっていた。

 彼女は愕然とした。同時に悲しみに包まれた。どうしてこうなったのか。理由は明白だった。睡眠が取れないせいだ。睡眠不足はお肌の天敵と言うではないか。絶対にそうだ。彼女は確信した。


 それから彼女は一生懸命眠ろうと努力した。しかし眠ることは一度たりともできなかった。絶対に眠る、眠るまでベッドから出ない。と決意し五日間もベッドから出なかった日もあった。彼女は苦しんだ。

 そうこうしている間にも彼女は日に日に老いていった。皺が増え、頬がたるみ、シミやソバカスが増えたように感じた。どうして私は眠ることができないのだろう。彼女は悩んだ。眠りたい、眠りたい、眠りたい。老けたくない老けたくない老けたくない。…………若返りたい。そう望むようになった。

 

 ある日。少女だった女が木の下で蹲り悩んでいると、一匹の蛇が現れた。

「あんたの望みを叶える方法を教えてやろうか。あんたに教えてやってもいいよ。若返りの方法を」

 唐突に蛇は言い出した。女は驚いた。何も言っていない彼女の望みを知っていたことと、若返りの方法なんてものが存在することに。藁にもすがる思いだった。

「蛇さん、お願いします。教えてください。その若返りの方法を。お願いします」

 蛇は蜷局を巻き、彼女に語りかけた。

「いいぜ、ただし条件がある。それを呑んでくれさえすれば教えてやるよ」



 女は久しぶりに山を下り、王国を訪れた。王国は多くの人々が行き交い、活気にあふれていた。商店の立ち並ぶ通りを歩いていると、道端にみすぼらしいボロを身に纏った少年が目に入った。どうやら少年は物乞いらしかった。

「どうしたの、僕?」

 彼女は少年に話しかけた。少年は最初、訝しげに彼女を見上げたが、少しすると何やら恥ずかしそうに眼を逸らした。女に自覚はなかったが、もとは絶世の美女といえるほどの器量を持つ少女。老けたからと言ってもそこらにいる有象無象の女とは比較にならないほど女はまだまだ美しかった。少年はそんな美しい女にみすぼらしい自分の姿を見られたことが恥ずかしかったのだ。

 そうとは気づかず、女は話し続ける。

「お腹が減ったの? おばさんが何か食べさしてあげようか?」

 少年には彼女が聖母に見えた。食べ物をくれると言って微笑む女の顔が神々しく見えた。

 女が少年に手を差し伸べると、少年は一つコクンと頷き女の手を掴んだ。

 彼女たちは歩き出す。食堂が多く立ち並ぶ王国の中央ではなく、王国を出る正門を目指して。



 若い子供の生き血を煮詰めるんだ。黒い煙が出てくるまで。そうして残ったドロドロの液体が若返りの薬だと言われている。それを飲めば少女と見紛う肌が手に入ると言われている。

 蛇から聞いた若返りの薬の話だ。それを思い出しながら彼女は窯に入った液体を回し続けている。真っ赤とは言えない、赤黒い液体を。

「ずっと掻き雑ぜ続けなければダメだぜ。出ないと焦げ付いて全部パーだ」

 蛇は彼女の隣で囁いた。蛇の体の中間部分は奇妙に膨らんでいた。

「あんたは生き血を手に入れる。俺は食料を手に入れる。あんたは残りのいらない部分を処理できるんだから徳だろ。俺たちの関係はウィンウィンだ。いい提案だっただろ」

 蛇の出した条件とは、彼女が生き血を取り終った子供の肉体を蛇に上げるというものだった。彼女としても処理の手間が省ける好都合だった。

「でもこれいつまで掻き雑ぜ続けなければならないの」

「黒い煙が出るまでと行っただろ。まだまだだ」

 それから数時間して彼女はようやく若返りの薬を手に入れた。若返りの薬というのだから、何かこうキラキラとして透き通った液体だと彼女は思っていた。しかし実際は一口大の真っ黒なゴム玉のような見た目だった。早速飲み干したが、とても生臭く、飲み込むのに苦労した。とても嫌な味だった。

 人間の血は粘性があり、沸騰して泡がたつとシャボン玉のようにはじけるのだ。そのため血のしずくが辺りに飛び散り、今日来ていた彼女のお気に入りの服が血だらけになってしまった。おまけに最後のほうはドロドロの練り飴を練っているようで全身が筋肉痛になってしまった。けれどこれで若々しい肌を取り戻せると思うと踊り出したいような気持になった。

 しかし一日たってもこれといった変化は見受けられなかった。相変わらず皺があり、頬がたるみ、シミとソバカスが目立っていた。蛇に問いただすと、

「一回だけで効果が表れるわけがないだろう。何回も服用するんだよ。そんな簡単に人が若返るわけがないだろう」

 彼女は何か騙された様な気分になった。けれど文句を言っても若返るわけはないので、彼女はもう少し続けてみようと決心する。

 次の日。彼女は王国内で黒い布をたくさん購入した。そのついでに女の子を連れ帰ってきた。女の子は彼女が作った食事を食べると安心しきって眠ってしまった。女の子が寝ているそばで彼女は黙々と黒い布を縫い上げていく。少しすると彼女がすっぽりと収まってしまう大きさのローブが出来上がった。これでもうお気に入りの服を汚すことはない。黒い色は血がついても目立たない。さて、と一息ついて彼女は準備に取り掛かる。


 子供を連れ去っていく女が出没すると王国ですでに噂になっていた。以前は親もいないような乞食同然の子供ばかり狙われていたようだが、最近では一人で留守番をしていた子供が狙われることが多くなってきているという。国民は国王に対策を立てるように要求した。そこで憲兵が王国内を常に見回り、不審な女に注意を払うようになった。

 王国は以前よりも犯行がしづらくなっていた。どこへ行っても憲兵が巡回しているため手出しができなくなったのだ。どうにか憲兵の目を潜り抜けて子供に話しかけても、親から教育されたのか見知らぬ女にはついて行かないようになっていた。

 彼女は途方に暮れた。かれこれ7回ほど服用したが変化が現れる気配は無い。この分だとまだまだ薬を作り続けなければならないのに、これでは一つ作るのにも一苦労である。何か良い方法はないかと思案していると、またしても蛇が現れた。

「どうやら困っているらしいな。俺もそろそろ子供が食べたいんだ。だからあんたにとっておきの物を教えてあげるよ」

 蛇は催眠効果のある香水の作り方を教えた。この香水を人間が嗅ぐと意識を朦朧とさせ、人の言いなりになってしまうらしい。これを使えば子供を容易く連れてこられるし、万が一憲兵に見つかった際も役に立つ代物だ。

 コクイチという木苺の仲間をすりつぶし、煮詰めて濾すだけで出来上がるのだが、原材料の調達が難しかった。コクイチは高さ10メートル以上にも成長する木であり、6メートルより上にしか実をつけないという特徴がある。コクイチの木は彼女の家の近くに存在したが実を取ることができなかった。木なんて生まれてこの方登ったことは無かった。睡眠と同じように。木を押してみても全く揺れる気配がない。彼女は空を見上げた。どうにかあの木の実を茂ったところを揺らすことができれば、落ちてきて拾うことができるのだけれど 。

 彼女の特性が生まれて初めて実用的に役に立った。彼女は近くに落ちていた小ぶりの丸太を能力で宙に浮かせた。そのまま高度を上げていく。木の実が茂った高さまで上げると丸太で軽く小突く。木の実が雨のように落ちてきた。彼女は木の実を集めようとしたが落ちていた木の実は全て潰れて、中身の液体も飛び散りグズグズになっていた。蛇が言うには、この香水は不純物が混ざると効果が出ないらしい。どうやら地面に着く前にキャッチするしか無いようだ。

 彼女は木の実の雨の降り注ぐ下に飛び込み、服の裾を引っ張り木の実を取っていく。順調に思えた。

「キャッ。なになになに! 何かが背中に入った! なに!」

 木の実が集まっていく服の籠の中を見てみると木の実と共に、芋虫や蜘蛛、その他多種多様な虫たちも集まっていた。木の実と一緒に虫も雨のように降ってきているようだった。彼女はせっかく集めた木の実を全て投げ出し、大声を上げながら服を脱ぎ暴れまわった。

 家に戻り彼女は余っていた黒い布で何かを作り始めた。少しすると帽子が出来上がった。三角錐型のつばがとても広い帽子だった。三角形にとがっているため虫は帽子に乗ろうとしても転げ落ちてしまう。またつばが彼女の肩幅よりも広いため落ちてきた虫が体に触れることなく地面に落ちていく。完璧なつくりだった。

 出来立ての帽子をかぶり、一応防御の為ローブも着込んだ。先程と同じ手順で木の実を落とす。今回は家から笊を用意していた。狙い通りだった。彼女には虫一匹触れることができない。笊の中には木の実と共に虫達も溜まっていくが致し方ない。後で除去しようと彼女は考えた。


その日は大収穫だった。蛇に教えてもらった香水の効果は覿面で一度に10人以上連れ帰ることに成功した。憲兵との遭遇をなるべく避けるため夜中に犯行を行ったのだが、真夜中に10人以上の子供を後ろに従えて歩く様は、さながらハーメルンの笛吹のようだったと思う。

「これだけ集まれば10回以上は服用できる。これで少しは若返りできるかな?」

 汚れを避けるため黒いローブを着て、つばの大きな帽子を被り薬の調理をする彼女の顔に、自然と笑みがこぼれた。しかしすでにかなり老いが進行してしまったせいか、たるんだ頬が邪魔をして口角があまり上げられなかった。そのため変な笑い方になってしまったが夢中で生き血を掻き雑ぜる彼女は気づくことができなかった。

「イヒ……ヒッヒ……ヒヒ」



 彼女は感動して涙が止まらなかった。大量に薬を作成してから一日に二つずつ服用していた彼女に、5日目にしてようやく変化が訪れた。以前よりも皺が減り、少し肌にハリが戻っていた。何より目立っていたシミとソバカスが完全に消え去っていたのだった。

「この若返りの薬は本物だわ。続けてきて本当に良かった」

 彼女は確信した。後十数回服用すれば以前の自分に戻る頃ができると。手持ちの薬はあと二つ。再度材料の調達に行く必要があるようだ。ではまずは香水の材料から集めよう……。


 その日も真夜中に行うことにした。王国の正門を潜り抜け、家々を物色する。大半の家は鍵をかけていたが、彼女には何の意味も成し得なかった。掛け金のかかっているであろう位置を想像し、丸太を持ち上げた要領で鍵を外す。そっと扉を開き子供がいないか確認していく。だがその日は運が悪く、子供のいる家には出会えなかった。5件目の鍵を外そうとしていた時、突然後ろから声をかけられた。

「お前、こんな時間に何をしている」

 驚いて振り返ると憲兵が三人ランタンを持ってこちらを見ていた。恐怖からか咄嗟によく考えもせず走り出してしまった。

「おい、待て!」

 憲兵が大声を上げ、追いかけてくる。

「人攫いだ! 人攫いがこっちにいるぞ!」

 憲兵が応援を呼んでいるらしい。鐘の音が町中に響き渡る。どうすればいいか解らなかった。無我夢中で走り続けた。しかし男性の足に女性では敵うはずもなくローブを捕まれてしまう。瞬間、彼女は催眠香水のことを思い出し、服を掴んでいる憲兵に吹きかけようとした。しかし慌てていたのか、恐怖で手が震えていたのか。たぶん両方だろう。吹きかけようとしたのだが誤って瓶ごと投げつけてしまい憲兵の顔に当たり地面に落ちる。そして瓶は割れ、香水は全て飛び散ってしまった。あわててローブで鼻を隠す。憲兵はどうやらまともに吸ってしまったらしくすぐに目が虚ろになり、ぼーっと突っ立っている屍人のようになった。ローブを掴む手の力も感じなくなった。

 彼女は正門へ急いだ。そこには憲兵がずらりと並んでいた。途中で引き返したが結局見つかってしまう。憲兵が追いかけてくる気配を感じる。目についた路地裏に逃げ込んだ。香水は無くなった。どうすればいいのかもわからない。足に力が入らなくなってくる。

 路地を左に曲がった瞬間に絶望した。行き止まりだった。後ろを振り返ると憲兵が逃げ道を塞いでいた。人数は五人。どうやっても助からない。彼女の目には恐怖で涙が溢れた。後じさったがすぐに手が壁に触れた。同時に他の物にも触れた気がして振り向くと、壁に箒が立てかけてあった。彼女は箒を手に取り夢中で振り回す。

「くんな! ……もう……くんなよ!」

勝利を確信したのだろう。憲兵の顔に苦笑が漏れる。その顔を見た時、彼女はフッと冷静になった。そしてある場面を思い出した。丸太を持ち上げてコクイチを取った場面だった。

『…………。一度も試したことはない。思いついたことさえなかった。けれどもしかしたら……。いやできなければここで捕まる。私の人生が終わる。やるしかない!』

 彼女は振り回すのをやめ、おもむろに箒を跨いだ。憲兵が一瞬あっけにとられた隙に彼女と箒は宙に浮いた。そうだ丸太と同じ要領だ。その丸太に人が乗っているだけの違いだ。できるに決まっている。

 すぐに意味を理解した憲兵数名が彼女を取り押さえようと飛びついたが時すでに遅く、すでに彼女は人が届かないほどの高さに舞い上がっていた。そのまま彼女は箒をクスドリ山に向けて飛んで行った。

 憲兵の目には満月を背景に、三角錐型のつばの広い帽子を被り、ローブを着て箒に跨ったシルエットが焼き付いた。魔法だった。空を飛ぶなんて魔法としか考えられない。魔法を使う女。

「魔女」

 誰かがそう呟いた。



 次の日からフォミッチ王国は騒然となった。魔女が現れた、今まで子供を何人も連れ去ったのは魔女だった、魔女は王国のすぐ左隣にあるクスドリ山にいるらしい。噂が全国民に広まるのは雷鳴のように一瞬だった。そしてやはり以前のように国民は国王に要求した。魔女をどうにかしてくれと。

 国王は手をこまねいた。そんな得体の知れないものをどうにかできるものなのかと。万が一よく考えもせず、兵を送り出し尻尾を巻いて逃げ帰りでもしたらどうなるだろう。国民は憲兵の、果ては国王を信用しなくなるのではないか。そうなってはフォミッチ王国存続の危機にかかわる。国王が判断に迷っている間も国民の声は次第に大きくなっていった。

 国王の臣下達も魔女などという、気味の悪い物と関わり合いを持ちたがらず沈黙を決め込んでいた中、国王の3人いる息子の内の次男、ストレミール王子が名乗りを上げた。

「陛下。失礼ながら申し上げます。私にご命令ください。さすれば私一人で魔女の本拠地に潜り込み偵察を。あわよくば仕留めてきて差し上げたいと思います。今むやみに兵を出してしまえば、万が一の場合我がフォミッチ王国存続の危機にさらされます。ですからここはまず私にお任せを」

 国王も手を決めかねていたので次男の申し出は素直に嬉しかったのだが、本音は辞めさせたかった。しかし臣下達は大いに喜んだ。そのまま已むに已まれず国王はストレミール王子の願いを聞き届けた。

 次の日、ストレミール王子は早速クスドリ山に単身向かっていった。


 クスドリ山は普通の山よりジメジメとしている以外は特に変わった所のない平凡な山だった。魔女が住んでいるというので最初こそ罠や化け物の類が出てくるかと気を張っていたのだが、そんな様子は一向に現れず王子は気を抜いてしまい観光気分でクスドリ山を登って行った。

 すると突然人家が現れた。全て木で作られたペンションのような家だった。魔女の家かもしれない。しかし魔女の家にしては普通すぎた。あまりにも普通すぎたので王子の対応も普通になってしまった。

「あの、ごめんください」

 呼びかけたが返事がない。もう一度呼びかけるがそれでもない。空き家か? 中を覗いてみて王子は絶句した。家の中が血に染まっていた。至る所に何かの残骸が放置されている。一つは熊だった。熊の頭部のみが床に何かの置物のように置いてあった。種類が判明できたのはあと鹿と猿のみだった。後は何の動物の死骸なのか判断がつかなかった。動物の死骸だけなのか、そうでないのかも分からなかった。気味が悪くなり家を出ようとしたとき、部屋の奥の壁にマフラーが引っ掛けられているのを見つけた。普通なところを発見して安堵したのもつかの間、よくよく見るとマフラーではなく蛇の死骸だと気づく。一気に吐き気を催しその場で吐いてしまう。胃の中の物を全て吐き出て落ち着いたところで急いで家を出る。異常だった。明らかに異常だ、そう思った。

「全部試したんだけれどね、やっぱりだめなの。だめだったの……子供のでなきゃ」

 突然前方から声がして身構える。いつの間にか目の前には黒い帽子と黒いローブを身に纏った人間が立っていた。聞いていた魔女の姿と同じだった。顔が目元しか見えないため性別は解らなかったが、声からやはり女性だろうと判断する。

「お前が魔女か。私はお前を退治しに来た。今すぐにでも打ち取れるが私には疑問がある。その疑問に答えてもらいたい。……なぜ子供たちをさらった? さらわれた子供たちはどこへ行った?」

「子供たちは全員蛇さんが食べてしまったわ。血は私が頂いたけれど。あとなぜ子供を攫ったかですって? 血が欲しかったからよ。それだけ」

 魔女は淡々と答えていった。その抑揚のなさに背筋が凍る。

「あの……家の中はどういうことなんだ? 動物の死骸のように見えたが、残骸の中に子供たちのも……」

「イヒ……ヒッヒ……ヒヒ」

 魔女は急に笑い出した。笑い方がどこかぎこちない。

「今子供たちは蛇さんが皆食べてしまったと言ったばかりでしょ。今あの家にあるのは全部動物の死骸。……あなたたちのせいよ。あなた達が子供を私にくれないから。しょうがなく動物で代用したんじゃないの。けれどやっぱりだめ。ちゃんと人間の子供でなければダメなのね。まあ解りきっていたことだけれど」

「何故、子供の血が欲しかったんだ」

「若返るため」

 一言言い放つ魔女の目に鋭い光が宿る。これはダメだ。正気ではない。やはりここで私がケリをつける必要がある。王子は覚悟を決めた。

「お前はわがフォミッチ王国に害をなす存在。ここで殺しておく必要があると確信した。わが名はフォミッチ王国第3国王、ゴチミール・フォミッチが第2王子。ストレミール・フォミッチ。貴殿の命、頂戴する」

「蛇さんはね、私に嘘を吐いたの。だっていつになっても若返らないんですもの。だから罰を与えてやったの。こういうのなんていうのでしたっけ。ああ……そう自業自得。自業自得よね」

 会話が成立していない。王子は今しかないと思って。勢いよく踏み込みながら腰にさしたサーベルを抜き、魔女の左胸に勢いよく突き立てる。そこで一瞬冷静になった王子は考えた。無謀すぎたか。恐怖に戦き、冷静な判断ができなかったか。まっすぐ突撃するなど愚行だったか。そう悔やんだのだった。

 しかし王子の考えに反して、サーベルはするすると魔女の胸にめり込んでいった。するすると。ずぶずぶと。

 

 彼女は彼を見ていた。彼は踏み込むと同時にサーベルを抜き彼女の左胸めがけて突きを放つ。彼女には見えていた。けれどどうしようとも思はなかった。何かを考えていたのだが、何を考えていたのか思い出せなかった。最近はこういうことが頻繁に起こった。いや最近ではない。もっと昔からだ。そう、たぶん最初のあの少年を殺した時から。

 若返りたかった。それだけのはずだった。

 彼のサーベルが彼女の胸に突き刺さり、彼女の肉を割き突き進んでいく。根本まで突き刺さるとサーベルの進行が止まった。と、同時に彼が疑問を呈す。

「本当は、あなたは何を望んでいたのか」

 本当は? 若返りたかった?

 すると突然彼女を何かが襲う。それは血のように粘り気があるが、匂いのようにふわふわとしてもいて、砂糖と蜂蜜を煮詰めたような、そんな甘美なものだった。

 『ああ、これだった』

 彼女は思った。そうだ最初の出発点はこれだった。ただこれが欲しかったのだ。若返りはこれの副産物でしかなかった。私は経験できるのかもしれない。

 彼女はゆっくりと目を瞑る。

 彼女初めての眠りだった。



 魔女は目を瞑ると膝からガクリと崩れていった。魔女が倒れるとともに王子のサーベルが魔女の胸から抜けていく。するすると。サーベルには一滴も血が付いていなかった。王子は驚いた。魔女を見るが全く動く気配がない。恐る恐る王子は魔女の帽子とローブを取っていった。魔女の死を確認するために。

 しかしそこにはいたのは到底魔女とは呼べないような人が倒れていた。王子は息をのんだ。

 そこには絶世の美女と言っても過言ではない、可憐な少女が横たわっていた。



 フォミッチ王国の西側に存在するコスコリ山は常に色とりどりの花が咲いている有名な山だった。なぜ常に花が咲いているのかというと、コスコリ山には小人が住んでおり、フォミッチ国王の命令で山の手入れをしているからである。このコスコリ山の最奥にはフォミッチ国王一族しか入れない『エデンの庭園』と呼ばれるコスコリ山で一番美しい花畑がある。この『エデンの庭園』は一年中雨が降らない。雨が降らないにも拘らず、何故花畑ができたのかはいまだに不明である。名前は初代フォミッチ国王がその花畑を見て、天国のようだと言いながら急死したことに由来する。

 ストレミール王子は今、その『エデンの庭園』に来ている。魔女と共に。魔女は死んではいなかった。どういうわけか、これも魔女の魔法なのか解らないが、心臓にサーベル突き刺しても死んではいなかった。鼓動もきちんと聞き取れ、呼吸もしている。どうやら眠っているらしかった。

 ストレミール王子は魔女をここで眠らせることに決めた。魔女を花畑の上に寝かせると、近くを偶然通りかかった小人を捕まえた。

「わが名はストレミール・フォミッチ。フォミッチ王国第3国王、ゴチミール・フォミッチの第二子息である。今からお前たちには別任務を与える」

 小人たちは王子の名前を聞き畏まった。

「今からお前たちの花畑を管理するという任を解く。そして新たなる任、彼女の世話を任務をする。彼女の体を洗ったり、髪を洗ったり、とにかく彼女を清潔に保つのだ。よいか?」

「ははー」

 小人たちは同時に返事をした。返事をした小人は全部で7人だった。



 それから幾星霜の時が流れた。フォミッチ王国は既に滅んでいた。しかしコスコリ山の小人たちは生き続け、そしてフォミッチ一族の命令を忠実に守り続けた。あの7人の小人も。何代も命令を伝え続け、何代も彼女を守り続けた。

 そのコスコリ山に何年ぶりかの来客が現れた。それは雄々しく、神々しいとも言えるような、目を見張るほど眩しく光る白馬に跨った、あの方は―――――


 


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