第6話
次の日から、僕に対する勇樹の態度は違っていた。
「おーっす、しょーた!」
この僕にとって悪魔のような掛け声はいつも通り。でも、この後背中に痣を作るくらい強く叩く行為はなかった。毎日殴られていた僕は、自然と身体が受け身の体制を取るようになっていたので、反射的に背中をかばうように手を回すと、勇樹はニタァっと笑って自分の腕を胸の前で組み、こう言い放った。
「何、今日も叩かれると思った?」
僕は首を縦に振りそうになったのを必死に抑え、一生懸命横に振った。寝癖が残っている黒髪と雨で張り付いた前髪が乱れ、勇樹はふんっと鼻を鳴らした。
「あのさ」
僕は嫌な予感がした。今日はまだ1回も殴られていないし、それに雨が降っている。勇樹が僕に対する暴行に飽きて、泥に突き飛ばされるかもしれない。いやもっと他のひどいことを考えついて実行されるのではないか。その一言だけでビクつき、吐き気がせり上がって足が震えてくる。
「そんな、怯えんなって。今日は確認したいことがあってさ」
勇樹の声色が急に優しくなる。その整っている顔を見上げると、僕には今まで一度も見せたことのない顔で微笑んだ。…何かいつもと違う?
「昨日のあれ…もう1回聞くけど、何で蛍光灯落ちてくるってわかったんだ? まぐれか?」
「ち、違うよ」
僕のまだ声変わりしていない甲高い声が廊下に響く。
「じゃああの…見えたってほんと?」
「本当だよ! う、疑ってるの?」
「ふ、普通信じれるわけねーだろ!」
そう怒鳴って手を振りかざしたが、勇樹ははっとして顔を歪め、手をだらしなくぶら下げた。
「ひどいよ。助けたのに」
僕はそう蚊の鳴くような声で言うと、勇樹は顔を背けて
「わ、悪かった。あの時は…あ、ありがとう」
とぶっきらぼうに言った。
二人の間に居心地の悪い沈黙が流れる。廊下の窓から見える空には灰色の雲と黒い雲が模様を描き、雨はどんどん強くなっていく。窓にぶつかる雨粒の音が二人の沈黙を破るようにやかましくなってきた。たった10分程度の沈黙に過ぎなかったが、二人にとってはとても長い時間だった。
そうしているうちに、チャイムが二人の沈黙を切り裂いた。無言で教室に行き、席に座る。勇樹の下っ端が僕の椅子を下げようとしたが、勇樹が何も言わずに手で制した。下っ端は不服そうな顔で勇樹を見たが、黙って席についた。
午前の授業が何事もなく終わり、給食の時間になった。いつもは勇樹たちの牛乳を5本飲まされる日なのだが、またしても何もしてこなかった。その代わり、ポツンと食べている僕以外のクラスメイトたちは全員勇樹を取り囲むように輪になって給食を食べ始め、何かコソコソと話していた。あからさまないじめ行為だが、牛乳を5本飲まされるよりはずいぶん楽なので、僕は黙々と給食を食べ、食べ終わった後トイレに行った。
トイレから帰ってくると、勇樹が僕を指差してこう大声で言った。
「みんな! 終礼終わったら、将太の周りに集まれよ」
クラスメイト達は返事をしていたが、僕は何が何だかわからず返事をしないで動揺していると
「将太、終礼終わっても席に座ってろよ」
有無を言わせない物言いに、僕は黙って首を縦に振るしかなかった。
雨粒が窓にうるさくぶつかっていた。
終礼が終わり先生が教室を出ていくと、クラスメイト達は勇樹の言われた通り僕の席に集まってきた。
僕が怯えて手の震えを抑えられないでいると、1人の女の子が
「大丈夫だよ」
と言って気の毒そうに微笑んだ。その子のチラリと見える白い腕には、赤黒いかさぶたが何か所もあった。
勇樹が最後に僕の席に来て、机の上に足を組んで座るとこう切り出した。
「残ってもらって申し訳ない、将太くん」
余所行き声でそう言うと、ニヤッと笑い
「昨日のことさ、みんなに話したんだ。そしたらみんなビックリしてさ~ぜひとも将太くんにお願いしたいことがあって」
こう言って机から降り、僕の机をバンッと思い切り掌で叩き、前のめりになって言い放った。
「みんなのさ、未来を見てくれない!?」
僕を取り囲むクラスメイト達は勇樹と同じように目をギラつかせて、何かを期待しているかのような表情で僕を見ている。肯定しなければならないその重苦しい空気に、僕は今すぐぺちゃんこに潰れそうだった。
窓から差し込む微かな薄暗い光は、ギラついた目を一層輝かせていた。