第5話
「おーっす、しょーた!」
その声と同時に背中に痛みが走る。クラスのボスである勇樹だ。手加減というものをまったく知らない勇樹に何度も叩かれた背中は、じんわりとした痛さが広がるのではなく、もはや激痛だった。小学校がある日は毎日同じ箇所を叩かれていて、お風呂に入るときに映る自分の背中は一部だけ紫色に変色している。
僕が振り向いて
「お、おはよ」
と苦笑い気味に言うと
「なんだよ、その顔。気持ちわりーな!」
と怒鳴り、僕の腹を蹴り上げた。喉に気持ち悪さが一気に込み上げてきて、原型をとどめていない朝食のパンを吐き出した。
「うわっ吐きやがった。ほんと気持ちわりーな」
うずくまる僕を勇樹は見下ろし、散々罵倒した挙句、教室へ走っていった。
これがいつものお決まりのパターン。よく毎日飽きもせず僕に構うなと思うが、正直もう学校に来たくないほど参っていた。蹴り上げられる腹にも痣ができているし、クラスのボスである勇樹からいじめられている僕は、学校でも孤立していた。クラスのみんなに無視されていて、まともに会話もできない僕に友達と呼べる人は誰もいない。勇樹は運動神経が良くてテストの点数も良いから、先生たちは僕のいじめに見て見ぬふりだ。親に言おうと何度も思ったが、3歳の弟の世話で忙しい母親と厳しい父親には言いづらかった。
教室に行くと先生は教壇に立ち、クラスのみんなはもう席に座っていた。
「こら~遅刻しちゃダメでしょう」
間延びした先生の声にクラス中がどっと笑う。先生が強く僕を叱らないのは、いじめられているのを知っているからだ。絶対そうに決まってる。
僕が自分の席に行き座ろうとした途端、勇樹の下っ端の1人が僕の椅子を後ろに引っ張り、僕は尻餅をついた。お尻に地味な痛さが広がる。勇樹と下っ端たちはケタケタと狂った人形のように笑っている。
「こらこら、そこ何やってるのー? では、朝礼を始めまーす」
何事もないかのように先生は朝礼を進めていく。勇樹よりも何事もなく振る舞う先生の方に腹が立ち、机に突っ伏した。先生のねっとりとした声が耳に入ってくる。昨日鉄柱が落下したとか何とか。
突然、脳裏に閃光が走った。ある情景がパラパラと裏表を繰り返して脳に焼き付いていく。
その情景は、教室の天井の蛍光灯が勇樹の頭めがけて落ちてくるものだった。勇樹は足を組んで椅子に座り、あのいつもの顔で笑っている。でもその笑顔の裏にどこか恐怖を感じているかの表情だ。勇樹の頭の上の蛍光灯は大きく左右に揺れ、不気味なほど赤く光っている。そしてしばらく揺れた後、勇樹の頭めがけてスローモーションで落ちていく。勇樹は蛍光灯を見ることなくずっとヘラヘラと笑っており、その顔が窓から差し込む朝の太陽光で奇妙に赤く光っている。頭に落ちる寸前に情景は途絶え、僕は机から思いっきり顔を上げた。
この変な感覚。そして、滴り落ちるほどの大量の汗。昨日鉄柱が男性に落ちてくる未来を見た時と同じ感覚だった。…これってまさか。
そう思った途端、ゴゴゴゴゴと地響きを立てて教室が揺れ始めた。じ、地震?
「きゃっ…みんな地震よ! 机の下に今すぐ潜りなさい!」
先生は甲高くそう叫ぶと、教室のドアを急いで開けに行き、先生自身も教卓の下に潜った。
クラスのみんなは先生の言うことを聞き、慌てた様子で机の下に潜りこむ。僕も椅子をどけて、机の下に潜りこんだ。
しかし、ただ1人だけ違う行動をしてる人がいた。勇樹だった。勇樹ははしゃいだ様子で椅子に足を組んで座り、
「みんなどうしちゃったのー? このくらいの地震だったら大丈夫だって」
と言って、ヘラヘラと笑っている。天井の蛍光灯を見ると、勇樹の真上だけ不自然に揺れていた。
これは…やばい。
「ね、ねぇ! 勇樹危ないよ!」
僕が大声でそう言ったが
「はぁ? お前、何呼び捨てしてんの?」
と言い、全然聞いてくれない。確かに勇樹の名前を呼び捨てにしたのも初めてだった。でも、今はそんなことを気にしている場合ではない。勇樹の命がかかっている。すっごい嫌いな奴でも、未来を見てしまった以上、勇樹を助けないとという気持ちが強かった。
「勇樹、お願い! 上見て! 蛍光灯落ちてきちゃうよ!」
「だーかーら。何でお前の言うこと聞かなくちゃなんねーの? お前バカ?」
「僕はバカだよ! バカでも何でもいいから、お願い! 僕見えたんだ!」
「見えたって何を?」
「勇樹の頭に蛍光灯が落ちてくるところ!」
「お前…ほんとバカ?」
「もうバカだから! とにかく机の下に潜って!」
「うるせーな…。じゃあ後で牛乳5本な」
「…それでいいから! お願い!」
勇樹は机の下に潜り込む。次の瞬間、勇樹の机の上に蛍光灯が落ちていき、バリーンと大きな音を立てて、粉々に砕けた。ガラスの破片が勇樹の顔にシュッと傷をつける。勇樹は顔から細い血を流しながら、魂が抜けたかのようにただ虚空を見つめ、目を見開いていた。
しばらく経って地震は収まり
「もうみんな大丈夫よ。さぁ机から出てきて。避難訓練をした時のように校庭に向かうわよ」
そう先生は言うと、廊下に出て行って他のクラスの先生たちと深刻な表情をして話し合っている。
僕は勇樹に駆け寄っていき
「だ、大丈夫?」
と言って手を差し出すと
「お前…さっき言ってたことほんと?」
と僕の手を強く握って引き寄せ、そう言った。勇樹の手は手汗で湿っており、痛いほどに握られた右手は勇樹の爪が食い込んでいる。僕は勇樹の手を更に強く握り返し
「だから言ったでしょ」
と、小声で言った。僕の顔を驚いた様子で見上げる勇樹の顔をガラスの破片に反射した太陽光が明るく照らし、顔から細く流れている血が綺麗なほどに赤く輝いていた。