第4話
「おえっ……」
夕日に照らされる赤みがかった灰色の影は、歩道に向かって伸びている。その影はふらふらと左右に揺れ、嗚咽と共に丸くなる。
川中将太は側溝に吐いていた。縮こまった影から白い液体がポタポタと滴り落ちる。その白い粒は淡い光に反射し、側溝に染みを付けていく。
「普通、こんなに飲ませるかよ。……うっ」
牛乳5本を一気飲みさせられた僕は、吐いたおかげで幾分か楽にはなってきたが、胃の中の気怠い気持ち悪さをまだ抜け切れないでいた。微かに漏れる嗚咽に、胃がせりあがってくる気がし、それと同時に一気飲みを強要したクラスで一番タチが悪い奴の顔を思いっきりぶん殴る想像をした。あいつの顔は僕の脳内でパンパンに腫れ上がり、目には大きな青い痣がくっきりと。
側溝にうずくまって呻いている僕を、心配そうに視線を送るサラリーマンのおじさんやスーパーの袋をぶら下げたおばさんはいるものの、誰一人として声をかけなかった。そんな大人にも僕は胸がじわじわと燃え上がるようにイライラしてきて、キッと睨みつける。
しばらくして気持ち悪さが和らいできた僕は、家に帰ることにした。道端に落ちている細長い木の枝を拾い、ぶんぶんと振り回す。太陽はすでに沈みかけていて、赤みがかった灰色の影は黒に近い藍色になり、そこから細長い影が空に向かって伸びている。
突然、僕の脳裏にある映像が再生された。まるでトランプ1枚1枚に映像が貼りついていて、表裏を繰り返しながらパラパラと舞い上がるかのように映像が再生されていく。……なんだ、これ?
その映像は、よれた黒いTシャツを着た男性の頭に鉄柱が落ちてくる映像だった。男性はビルの工事現場近くを歩いており、鉄柱は男性の頭めがけて真っ逆さまに落ちていく。そして鉄柱はその男性の頭すれすれでピタッと止まって映像の再生は終わった。体中の毛穴から汗が出ているんじゃないかと思うほど僕はひどく汗をかき、呼吸が荒くなる。その工事現場は見覚えがあった。家の近くにあるひと際高いビルだ。
僕の足は自然と工事現場に向かって行った。再生された映像が本当であろうと嘘であろうと、今はそんなことはどうでもよかった。足はだんだんと速度を増していき、工事現場に着くまでには猛ダッシュしていた。
工事現場の向かいの歩道まで着き、きょろきょろと辺りを見回すと、黒いTシャツを着た男性がコンビニの袋をぶら下げて怠そうに歩いていた。まだ男性は工事現場沿いの道を歩いてはおらず、そこに向かう途中だった。
上を見ると、見覚えのある鉄柱がぐらぐらと不規則に揺れていた。藍色の空に不気味に浮かび上がる鉄柱は、まるで誰も乗っていないのに揺れるシーソーのようだった。
「あ、あの!」
僕のまだ声変わりしていない声が男性に向かって空間を切り裂く。
「そこ、いつもは通っちゃいけないってことでポールが立っているんです!でもなんか……ポールが盗まれちゃって。先生がそう言ってました!とにかくそこ通っちゃだめですよ!」
男性は少し驚いた顔で僕を見て、舌打ちした後にまたもや怠そうにコンビニ沿いの道へ引き返していった。……え、なんで舌打ち?
と、思った瞬間。ぐらぐらと揺れていた鉄柱が真っ逆さまに落ちていき、男性の横すれすれに大きな金属音を立てて落ちた。男性は驚きのあまり尻餅をつき、何も言えずに口をわなわなと震えさせ、地面には何本もの酒が転がっていた。男性のズボンにじわりと染みが浮かび上がった。男性が僕の顔を見て、蚊の鳴くような声で何か言った。
あと少し言うのが遅かったら。そんなことを考えると震えが止まらなかった。手汗が噴き出し、額からは汗が滴り落ちる。落ちた汗は藍色の空間に溶けていき、消えていった。
僕は男性の声を無視し、走って家に帰り、部屋のドアに鍵をかけてベッドに飛び込んだ。頭から毛布を被り、アルマジロのように丸くなって爪を噛む。母親がひっきりなしに僕の名前を呼んでいる気がするが、爪を噛む音だけが部屋中に響き渡り、母親の声など耳に入らない。……これはまずい、非常にまずいことになった。
どうやら僕は、未来を見てしまったらしい。