そんなおかんのクリスマス
「そんなおかんのクリスマス」
あたし、結川さや。都内の私立女子高に通う十七歳。名前のイメージに似合うね、っていつも言われる、ふわふわの天パとくりくりの二重の目が自慢なの。
そんなあたしは今年のクリスマス、初めてできた彼氏とラブラブデートの予定で――、
そこまでタイプしたところで、玄関のドアが開く音がした。
「たーだーいまーおかーさんっ、お腹すいたお腹! ねーねーなんかお菓子ない?」
まるで小学生みたいにハイテンションで帰宅したのは次女の花梨。明るい茶髪を後ろで束ね、ブランドもののスーツ姿――と外見は立派に大人なOLなのに、声のでかさだけは一家の中で誰にも負けない元気娘だ。
「えーお菓子? 太るで」
ノリに乗っていた創作タイムの邪魔をされて不機嫌な声を出すと、花梨もまた不機嫌になる。
「もーそういうテンション下がること言わないでよ。っていうかいいかげんやめてよねそのエセ関西弁」
冷たく半眼で睨んだ後、花梨は自力で戸棚の中を漁り――もとい、探索し始めた。
「エセ関西弁て、失礼やなあんた……これはれっきとしたほんまもんやで? 生まれも育ちも大阪やねんから」
「途中まで、でしょ? 嫁入りした大昔までの話じゃん。あ、それと『あんた』って言わないで」
「大昔ちゃうわ! ちょっと前やちょっと!」
「はいはい、永遠の十七歳なんでしょお母さんは」
結局戸棚の奥に隠しておいたチョコレートを発見し、花梨は満足げに二階へ上がって行く。後はそう、夜ご飯まで下りてきやしないのだ。まったく、娘なんてものは薄情な生き物だ。
「あれでも昔は可愛らしかったのになぁ……大阪弁も真似したりしとったくせに」
ぶう、と唇をとがらし、私は鏡を見る。そこには、紛れもない『疲れたおばちゃん』が映っていた。
「ちょっと前、のつもりやねんけど……」
見た目だけはどんどん年を取って、その分皺も増えていく。
「あかんあかん、めげてる場合とちゃうで」
そう、さっきまで書いていた文章――唯一、頑張っている趣味の小説だ――を思い出し、ノートパソコンを開く私。筆名に使っている名前を、今回はヒロインの名前にしてみたのだ。うきうきと続きを書こうとしたところで玄関のインターホンが鳴った。
「権田原さ~ん? 権田原さん、ご不在ですか~!?」
「はいっ、いますいます! いますから……そんな大声で叫ばんといてよもう」
後半は小声でぼやきつつ、私はドアを開けた。
「ご苦労様です~はい、ハンコ」
ポンッと押した赤い印に満足して、宅配のお兄さんは帰っていった。荷物は海外出張中の夫――権田原 巌宛て。そして私は彼の妻、権田原 さや。年齢は――まあ、いわゆるアラフィフってやつだ。
そのカクカクした字面を見ているうちに、すっかり権田原モードに戻ってしまった。
「はあ……買い物行ってこよ」
かけっぱなしのパーマヘアーをまとめて結び、マフラーと手袋とマスクで完全武装。スクーターのミラーで見た私は、確実にただの『おばちゃん』だった。
「いらっしゃいませ~あっ、奥さん! どうですか鯖! 安くなってますよ~」
「今日はネギ安いよ! そこのお母さん、ネギ! ネギ買って行って!」
「タイムセール始まります! お一人様二つまで! はいはい並んで並んで~!」
ちょっとした戦場と化したスーパーから抜け出た時には、もう外は暗くなっていた。
「あらっ、権田原さんの奥さん! 元気~?」
「権田原さん、こんばんは~今夜何にするんですか? うちはね……」
「あ、花梨ちゃんのお母さん、お久しぶりー」
権田原さん権田原さん、お母さん、奥さん、お嫁さん……延々とそう呼ばれて挨拶し、笑い、喋り、帰途に着いた頃には六時を過ぎていた。
あわててネギを刻み、豆腐を切り、味噌汁を作って鯖を焼く。炊き上がったご飯をかき混ぜて、煮物の味を見る。そして出来上がった夕食を並べてから、階段を上がる。
「ご飯できたで~花梨、下りてきてや~」
何度呼んでも返事がなく、怒られることを覚悟でドアを開けると、部屋には誰もいなかった。
ちょうどタイミングを見計らったように、エプロンのポケットで携帯が震える。音が鳴っても気づかないことが多いから、必ずバイブにしてあるのだ。
『あ、もしもしお母さん? 友達と飲みに行くことになったからさ、夜いらないよ』
「えっ、ちょっと……」
じゃーね、と電話を切られて憮然とする。
あの子はいつもそうだ。前もって連絡する、なんて気遣いは全くない。作る分量がどうとか、手間がどうとか、そんなことは念頭にないのだろう。
事務用品の会社に勤めて三年。真面目に働いてくれて何よりだけれど、外での品行方正ぶりを家で発揮するつもりはないらしい。
「まほろも遅いやろうしなぁ……あーあ、三合も炊くんやなかった」
まほろ、というのは我が家の長女だ。花梨と同じくOL生活だが、こちらはもう五年目。余裕ができたのか、最近会社帰りになんとかという製菓専門学校でお菓子作りを習うようになった。だから連絡がなくても遅いのは知っている。
「ま、でもあの子がおるからええか」
残る娘――末っ子の一宇のことを思い出し、私は味噌汁を温めなおす。
明日はあの子の誕生日。大きなチョコレートケーキをおねだりしていた、まだまだ甘えんぼの末娘。大学出て就職し、まだ一年の新社会人は、残業なんてしないだろう。
そう思って待っていた食卓に、二人分が並ぶことはなかった。誕生日に集まれない友人たちと前祝をするらしい。
結局今夜も一人きり。途端に並んだおかずが色あせて見えた。
「週末は全国的に良いお天気になるでしょう。来週前半、クリスマス・イブの夕方からはお天気が崩れ、ホワイトクリスマスになるかもしれません――」
まだまだ続く天気予報をBGMに、私は掃除機をかけている。そこに階段を下りてきたのは、ボブの黒髪を綺麗にセットし、大人っぽいスカートスーツ姿の長女だった。
「じゃあお母さん、行ってきまーす」
「あれっまほろ、今日休みちゃうの?」
「土曜出勤だって言ったじゃない。じゃ急ぐから」
「あっちょっと、今日は……!」
掃除機をオフにして追いかけても、玄関のドアは閉まった後。あいかわらず忙しいまほろは、まともに顔を見るのも難しい日々が続いている。一方、ソファに寝転ぶ次女のほうは、昨晩遅かったのと、二日酔いとでまたまた機嫌が悪い。
「あーうるさい……掃除機まだ終わんないのお?」
「うるさかったら自分の部屋で寝てや、しかも今何時やと思てんの。もう十時やで」
「いいじゃん土曜なんだから~」
そうむくれてゴロン、と反対側を向く姿はまるで、伸びきった猫の寝姿だ。ため息まじりに掃除機でわざとソファの下を掃除してやる。
「もーおかーさん性格悪っ」
やいやい言われても無視だ。母親を無視する娘にはこれぐらいしてやるべきなのだ。
「うえー……頭痛い……」
「まったくしょうのない子やなぁ」
なんだかんだ言いつつ、結局二日酔いの薬とか水とか差し入れてしまうのも母親だけど。
「お母さん、今日ケーキ楽しみにしてるからねっ!」
そこに登場した三女が、愛嬌たっぷりに言う。まほろと同じ黒髪のボブだが、外ハネにしてあるのが明るい色のセーターとデニムによく似合う。
「えーケーキ? なんだっけ今日」
「何言ってんの花梨、今日は――」
「あ、やばっ! 今日友達と約束あるの忘れてた!」
「えっ?」
「サッカー見に行くんだよ。言ったじゃん」
「はあ? でも今日は一宇の……あ、ちょっと花梨っ!」
さっきまでのうだうだ猫状態はどこへやら。急にめかしこむと、花梨はあっさり外出してしまった。
「あー、いいよいいよ別に。お姉ちゃんたちも忙しいんだし……二人でお祝いしよう? お母さん」
「いっちゅー、あんた……ええ子やなぁ」
小さい頃の愛称で呼ぶと、なでなでする私。照れたように笑うと、一宇は腕時計を見た。
「じゃあちょっと行ってくるけど、早く帰ってくるからね」
一宇は毎週土曜、フラワーアレンジメントの教室に通っている。今日はそこで誕生日のアレンジをもらってくる、と張り切っていた。
「行ってらっしゃい。ケーキ特大のやつ買うとくから、楽しみにしときやぁ~」
手を振る私に、一宇は昔のままの笑顔を返した。
さてさて、私も出発するとしよう。またまた完全武装――といっても今日は、少しだけおめかしして外出した。なぜかというと、行き先が近所の商店街じゃないからだ。
電車に乗って、ちょっと大きなショッピングモールまでプレゼントを買いに行く。それが今日の昼間の、私の予定だった。
街にあふれているのは、赤と緑、金と銀のクリスマス・デコレーションの数々。日本人とは全くおかしなもので、まるで関係のない西洋の行事もすっかり自分のものにしてしまっている。しかも、本来の意味とはまるで違う過ごし方――恋人同士のイベント――をこれでもか、と推奨して。
そんなものが関係なくなって何年か、考えたくもない私は、地下一階、食品コーナーへ向かう。チキンやサラダやその他諸々のクリスマス・メニューは後日スーパーで調達するとして、目当てはもちろんチョコレート・ケーキだ。一宇のリクエスト通り、特大のやつをここで予約してある。誕生日くらい、普段利用しないお高いケーキ屋さんでゴージャスに祝ってあげる計画だ。
「あの、予約したケーキを取りに来たんですけど」
「はい、ありがとうございます。ではお名前を」
「……です」
「はい?」
「……です」
「は? あの、すみませんがもう少し大きな声でお願いします」
「権田原です!」
空気の読めないバイトに腹を立てつつ、やけくそで叫ぶ私。この名字になってもうウン十年が経つというのに、まだ慣れない。いや、はっきり言って気に入っていない。しかもこんなお洒落なお店で言いたくないというのに。仕方ない、これもケーキのため、一宇のためだ――小さくなりながら待っていた私の手に、念願の特大ケーキの箱が渡される。
後は家に帰るだけ、となったところで、私はモールの中へ引き返した。腐っても母親。そんな言葉を思い浮かべつつ、選ぶのは娘たちへのクリスマス・プレゼントだ。
あんまり高価なものは買えないけれど、いつも仕事が忙しい長女には風邪を引かないようマフラーと手袋のセットを。家で過ごすのも大好きな次女には、リラックスできるバス用品を。肌の弱い三女には、ハンドクリームとボディクリームのセットを。
そして、いつも不在の夫には――と選びかけた品物を、私は棚に戻した。
どうせ、渡せる頃には時期が過ぎている。プレゼントなんて互いにしなくなって、どれくらい時が過ぎたか。
行き交うカップルに目をやり、私はため息をついた。きっと世間一般の若者は、こんな『おばちゃん』は寂しくなんかないと思っているに違いない。私だって若い頃は、そう思っていた。
世界はまだまだ広く、知らないものはいっぱいで、いろんな人との出会いがあって、傷つき傷つけあって、泣いてもまた笑って、人生は長い長い道に思えた。
それも折り返し、後はひたすら老いて行くだけの自分には、もうクリスマスにときめきを感じることはできない。日常は無味乾燥な、ルーティンワークの連続で、誰にも顧みられることもない。
そう、相手が自分の夫と、娘でも――。
なんだかやたらと空しくなって、私は早々に帰ることにした。
後は一宇の帰りを待つだけ、という万全の状態で、その事故は起こった。思わず呆然としてしまうほど、突然に。
目の前にはぐちゃぐちゃに潰れたケーキの残骸。特大であるだけに、それは余計にみじめな光景だった。
食卓の上に置いていた箱に肘が当たり、床に落としてしまったのだ。あわてて拾い集めてもそれはもう『ケーキ』とは呼べない代物になりはてていて、私は途端にパニックになる。
「どないしよう……一宇が……いっちゅーがもう帰ってくるのに……」
思い立ち、携帯を手に連絡しても、花梨もまほろも無反応。一宇に帰る時間を聞いても、珍しく返答がない。
刻一刻と時だけが過ぎ、武装も忘れ、あわてて外へ。スクーターを乗り回し、冷たい風にむき出しの手も耳もいたぶられながら、私は必死でケーキ屋のはしごをした。
それなのに、今日に限ってチョコレートケーキが見つからない。いや、あっても小さいものだったり、チョコじゃなかったりして、気に入るものがないのだ。
急いでいる時に限って、またまた知り合いに引き止められる。私の内心を知らない人々が、『権田原の奥さん』『お母さん』『お嫁さん』と次々に呼び止める。
愛想笑いを続け、断れずに無関係なものを買い、とぼとぼと帰途に着いた私が見たものは、電気の消えた家の窓。
「誰も帰ってない……なんで?」
しょんぼりと家に入り、ドアを閉め、へたへたと玄関に座り込んでしまう。かじかんだ手にも、冷え切った全身にも、どこにも力は残っていなかった。膝の上で握り締めた手に、ぽたり、と滴が落ちる。
「もう、いややぁ……」
一人きりで、ついに漏らした弱音は、突然室内が明るくなったことで驚きに変わった。パーン! と大きな音がして、瞬きした後にそれがパーティー用のクラッカーだったことを知る。
「結婚記念日、おめでとー!」
「おめでとうお母さん!」
リビングのドアの向こうから、右から花梨、左から一宇の笑顔が現れる。
「え……け、結婚記念日……? あんたら、なんで」
「何泣いてんのお母さん、あーあ、鼻水」
しょうがないなあ、と笑って、花梨がティッシュを渡してくれた。その、少しこまっしゃくれた態度は、おませさんだった小さな頃と同じだった。
「あのね、お父さんがね、いつも寂しい思いさせて悪いから、たまにはお祝いしてあげてくれって。ほら」
一宇が見せた携帯の画面には、その通りの文面が並んでいる。あの硬い字面の名前と同じくらい、愛想のない夫からのメールだ。
「お父さんが? うそお……」
「あーあお母さん、手袋して行かなかったの? めちゃくちゃ冷たいじゃん。いっつもあたしらにはうるさく言うくせにー」
まるで天下を取ったように言いながら、花梨が手をさすって温めてくれる。
「はい、あったかいほうじ茶」と一宇が湯のみを差し出して、私は更に鼻水を噛むはめになった。
「お母さんのことだから、こういう事態もあり得ると思ってさ」と花梨が笑う。今日も遅いまほろ抜きに、三人で夕食を終えた後の時間だ。
「だってお母さん肝心なとこ抜けてたりするじゃない? その点お姉ちゃんなら確実だもん」
「そんな言い方せんでもさぁ……」
膨れつつ、自分でも同意せざるを得ない。台無しになったケーキの代わりに、まほろがお手製チョコレートケーキを作ってくれる手筈になっているらしい。ちなみに、記念日のためにと花梨たちはワインを買ってきてくれていた。
母をのけ者に三姉妹で連絡しあい、サプライズを用意するなんて、いつのまにか大きくなったものだ。みんな二十歳も過ぎていい大人なのだからおかしくない。でも、私からすればいつまでも子供で、不思議な気分だった。
そして私たちはほんわかした気持ちで、一宇の誕生日パーティー、兼、私たち夫婦の結婚記念日祝いのケーキを待っていた、わけなのだが――。
「ねえ……お姉ちゃん、遅くない?」
「っていうか遅すぎでしょ。これもしかしてちゃっかり自分もデートしてから帰ってくるなんてことは――」
「え、で、デート!? 誰と!」
「あ、お母さん知らなかったの? お姉ちゃん、製菓学校の講師さんといい感じなんだよー。それも超イケメン」
「い、イケメン!?」
いや、反応するとこそこじゃなかった。
「ちょっと待って、講師さんって一体どういう……」
「ただいま~みんな、お待たせ!」
超イケメン製菓学校講師の話題はそこで一旦終了。ものすごく気になりながらも、無事帰ってきたまほろを取り囲む、女三人。できあがってきたケーキは、本当にプロが作ったものなみに綺麗で、また美味だった。
まさに大満足の、女たちのパーティー。それは久しぶりの、心から楽しい時間だった。時計の針が、午後の十一時を回っていたことだけを除いては――。
そして訪れたクリスマス・イブの日、朝から三姉妹はまた騒がしかった。
「ちょっとー花梨! お父さんに変なメール打ったでしょ! あたし朝帰りなんかしてないじゃない!」
「えーだってさ、いい年したお姉ちゃんがそれぐらいしてないと余計心配になるかなって思って。武勇伝だよ武勇伝」
「バカ言ってんじゃないの! お父さんあれからすっごい心配して何回もラインしてくんだけど! 仕事中に迷惑なんだってば」
昨日も休日出勤だったまほろが眉を寄せると、花梨と一宇がにんまり顔を見合わせる。
「え~お姉ちゃん、仕事中じゃなくてデート中、の間違いじゃないのお?」
「一宇っ! お姉ちゃんをからかうんじゃありません!」
怒り心頭のまほろの真横で、花梨が私に耳打ちしてくる。手には、例の製菓学校のパンフレットがあった。
「あ、ねえねえお母さん、この人だよ例のイケメン講師さん」
「え、うそやん! すっごいイケメンー! ちょっとまほろ、今度うちに連れてきなさい」
「お母さんもっ! もー彼氏とかそんなんじゃないんだってばぁ」
「そうだよねーまだ告られただけだよね。っていうか早く返事したげれば? 焦らし作戦もあんまりやると効果薄れるよ」
「花梨っ!! なんで知ってんのよそんなこと! こら、待ちなさいっ!」
きゃあきゃあ言いながら逃げ惑う花梨と、追いかけるまほろ。その横でパンフレットを広げる私と一宇。確かに、講師は超イケメン(しかも私好み)だった。
「とにかく、お父さんにだけはこれ以上変なことばらさないでよね!」
まほろが念を押したその時、玄関のドアが開いた。
「誰にだけは、何をばらさないでって?」
すごいうらめしそうに全員を見つめるのは、権田原家の主――夫の巌だった。
「お、お父さん!?」
「なんで帰ってきたん!?」
私の叫びに、巌は深く深くため息をついたのだった。
数日前に受け取った宅配の包み――そこには、巌の名の下に私の名前があって。
「そしたら開けてくれると思ったのに……なんで放置かなあ」
「だって、そんなんわからへんもん……大体いつもおらんし、まさか贈り物とかあり得へんと思って」
「ちゃんと中に手紙も入れておいたのに……そこにクリスマスにサプライズ・プレゼントがもう一つ届きますって書いておいたのに……」
まだぶつぶつと不満そうに続ける夫。いかつい名前に似合わず、こういう細かい人なのだ。まさかそのサプライズが当人だなんて、と吹き出した私を、夫が軽く睨む。クリスマス休暇、とやらを無理やり数日取ってきた苦労のせいで、まだ拗ねているのだ。夜になり、夫婦の寝室で荷物を整理するのを、私が手伝っている。
「で? なんで泣いてたの」
「へ?」
「花梨たちが言ってたよ、君、帰ってきた時泣いてたんでしょ」
「あーあれ……いや別にそんな、大したことちゃうねん、ただ」
「ただ?」
これが小説だったら、イケメンが迫ってきたりする『おいしい』場面だ。でも現実は、中年太りのおじさんが疲れたおばちゃんに不思議そうな顔をしているだけ。
ちょっと気恥ずかしくなって、私は笑ってごまかした。
「いやーなんかいつも一人やし、娘たちもどんどん大きくなっていくし、自分は老けていくばっかりやしで、いやになっただけやって。おばちゃんになるのいややなーって」
「おばちゃんがなんで悪いの?」
「え?」
「いいじゃないか、おばちゃんでも」
まさかのイケメン台詞展開? と期待しかけた私は、続いた夫の言葉にずっこけた。
「別に誰も気にしてないんだからさ」
「気にしてないから寂しいんやんかぁ! もう!」
盛大に膨れた私の頬を、夫がつまんだ。
「何言ってんの、俺以外の誰かに気にしてほしいわけ?」
「え?」
「おばちゃんでも何でも、俺は――」
ちょっと照れたような顔の夫を、まじまじと見つめる私。高まった期待は、かすかな物音で崩れ去る。少しだけ隙間の開いたドアの向こうから、花梨と一宇が覗いていたのだ。
「ちょっと一宇、押さないでよっ」
「だってえまほろ姉ちゃんが動画撮りにくいからどいてって……」
まだ気づかれたと知らないらしい二人がお互いを突きあっている。その隙をついて開けたドアの外側では、スマホを手にしたまほろ、その両側で場所取りをしている花梨と一宇の姿があった。
「こらーっあんたら! 何やってんのっ!」
「ごめんなさーい!」
きゃあきゃあ逃げ惑う娘たちと、追いかける母。それをのほほんとお茶をすすりながら見つめる父――今日も元気な権田原ファミリーは、その声がご近所にまで筒抜けであることを知らない。
「権田原さん一家……今日も楽しそう」
ふふ、と微笑みながら犬に餌をやるお隣さんが見上げた夜空には、はらはらと白い雪がちらつき始めていた。
「ハッピーメリークリスマース!」
「久々の一家全員集合に、かんぱーい!!」
リベンジで私がゲットしてきた特大生クリームケーキを切り分け、各自グラスを持っての音頭。嬉しそうにその様子を動画に撮るのは夫だ。
「ねえ、なんで俺があげたの着けないの?」
私の首元をチラ見し、不服そうな顔に変わる彼――民俗学研究家の夫に、苦笑いを返す。
「あっやっぱりプレゼントだったのぉあの荷物! 何何~!? ネックレスとか?」
大はしゃぎする一宇に、花梨がぼそっと答えを耳打ちしている。どうやら寝室に置きっぱなしだったのを見たらしい。
「あれは……ちょっと着ける気にはならないよね」
まほろまでが苦笑いする意味を、夫は理解しないだろう。
「え、なんで? だってあれはヒマラヤ奥地のサイダラ族の、しかも族長にもらった、世にも貴重なお守りで――」
「はいはい、すごーく感謝してます。ありがとね、旦那さん」
ポンポン、と肩を叩くと夫はうなだれた。
「せっかく無理言って譲ってもらったのに……ものすごい苦労したのに……」
一人ぶつぶつ言い続ける夫の口に、生クリームをたっぷりのせた苺を放り込んでやった。
「ねね、それでさ、例のイケメン講師の話の続きは? 教えてや~」
「そうだよお姉ちゃん! 返事したの? 返事!」
「えっ返事って何の返事だ! まほろ、ちょっと座ってお父さんに説明しなさい!」
「もう、そんなんじゃないってばぁ! 逃げるよ一宇っ!」
コートを着込んだまほろは一宇を連れてクリスマス・デートと洒落込む気らしい。もちろんその後を追うのはこの事態を予測していた花梨で、あっという間に三人は連れ立ってカラオケへ出かけてしまった。
まだまだ恋人より姉妹デートを選んでくれる娘たちにほっとしつつ、寂しそうな夫とグラスを合わせる。中身は乾杯用のシャンパンではなく、娘たちが買ってくれた例のワインだ。
「で? サイダラ族の何なん、あの気色悪いネックレス」
「気色……もういいよ、教えてあげない」
ぶうたれる夫と並んで、笑いながらテレビを見る。こたつの上にはみかんと煎餅の載った籠があって、ツリーも何もない部屋。そこにはムードもへったくれもないけれど、久々に肩の力が抜けた、リラックスした休日がある。寒がりの夫は、結局買っておいたクリスマスプレゼント――あったか毛糸のカーディガンをしっかり着込んでいた。
そして私は後で知るのだ。小さなガイコツの人形が連なる『気色悪い』ネックレスが、永遠の愛を誓う贈り物であることを。
――アラフィフでもおばちゃんでも、肝っ玉母ちゃんな三姉妹のおかんでも、ずっと愛してるよ。
夫の言葉の続きを聞く日はいつのことか。知らぬ私はくだらないお笑い番組に爆笑中。そんなおかんのクリスマスは、今年も平和に過ぎ行く。
愛しい家族に、ハッピーメリークリスマス!
END
※この作品はフィクションです。
もちろん結川さやの本名は『権田原』じゃありません(笑)
っていうか、全国の『権田原』さんにジャンピング土下座!!
登場してくれたフォロワーさんたちの諸々ももちろんフィクションです。
でも愛はノンフィクションです!
皆さんいつもありがとう。そして遅れましたが、メリークリスマス!