家出と謝罪
実家に帰ると父を除いて皆歓迎してくれた。父は「このくらいの事」で私を帰らせるなんて大袈裟だと母を叱ったらしい。借金を作り行方を眩ませた事のある父からすればはした金で大騒ぎしているように見えるのだろう。父は分かっていない。私は父の影響でギャンブルを忌み嫌っているということを。
仏頂面の父だったが孫の顔を見るのはやはり嬉しいらしい。だんだんと顔がほころんで行った。それを見て安心した。「コウイチと喧嘩したのでしばらく居させて下さい」というと黙って頷いてくれた。
その晩、深夜にメールが届いた。もちろんコウイチだった。
「実家に謝りに行きます」
とだけ。私も
「わかりました。」
と素っ気なく返した。返事は来なかった。
今何をしているのだろうか。怒られた子供のようにうなだれている姿が目に浮かぶ。もしかすると癇癪を起こしたりしていないだろうか。自分から家出しておいて心配になったが、これ以上考えないようにした。
悪いのはコウイチだ。
私は少しの間実家暮らしを満喫しよう。
コウイチから返事が来たのは翌日の晩だった。
「ご飯美味しかったよ。ごちそうさま。」
昨日作った物だったのに今食べたのか。
「お腹壊すかも知れないよ。」
と返事をした。
「昨日はショックで食べられなかった。」
…。私を責めているのか?確かに勝手に家を出ていったが、そうさせたのはコウイチだろう。少し考えてから
「どうしてそんなに一人は嫌なのに、約束を破るの?自分がやった事の結果でしょ?」
と送った。
「ストレスが溜まってた。パチンコに行っても許されると思った。」
ストレスという言葉を使うコウイチにいらついた。同じように私もストレスを抱えていた。四六時中ゆうとの面倒をみて、自由はなく家事に追われ楽しみもほとんどない。息詰まってゆうとと一緒に泣くような生活を送っていたのを知らないから簡単に口に出せるのだ。どうして同じ様に疲れていると思ってくれない。コウイチが仕事仕事の毎日で疲れているのも、唯一の楽しみがパチンコだというのも私はわかっているつもりだ。だが今は我慢の時だろう。なのに簡単にストレスという言葉に逃げるコウイチをずるいと思った。だいたい、自分のしたい事ばかりで人のストレスには鈍感過ぎる。コウイチのギャンブル癖が私のストレスの一つなのに。
いらいらし始めたので強制的に
「私はまだ許してないから謝りに来るまでメールしてこないで。」
やり取りを終わらせた。
コウイチが謝りに来るまでの間、出来る限り楽しい時間を過ごそうと明るく振る舞った。実際無理をしなくとも楽しかったのだが、日が経つにつれ罪悪感が湧いてくる。帰っても一人で寂しいだろう、ご飯はどうしてるんだろう、洗濯は…と、出産で帰った時よりも心配になった。私が実家に帰った事にショックを受けたと言ったコウイチ。私も一人は怖いが逃げようと思えば実家がある。家族がいる。コウイチには義母がいるが、散々話した頼れるような存在ではない。なんだかんだで私は恵まれていると思う。
コウイチが謝りに来てくれたのは事件が起こってから一週間後だった。朝の9時半には実家に着いていた。私の住んでいる所から実家まで特急電車を使っても一時間半はかかる。ということはコウイチにしては相当早起きをして準備を整えてきたのだ。かなりの誠意を見せてきた。その気持ちが嬉しかったがなるべく表情を崩さない様に部屋に招き入れた。事情を知っている祖母が心配そうに
「ユナちゃん穏便にね」
と言って来たときは思わず吹き出しそうになった。謝りにくるように催促するのだから最初から許すつもりなのだ。冷静に考えると私の行動は人騒がせだった。
二人、居間で正座し向かい合い、沈黙。何から話せばいいのか…。言ってやりたいことは山ほどあった筈なのに時間が空いた事で落ち着いてしまっていた。とりあえず沈黙を破りたい。
「何か、言う事はない?」
「本当にごめんなさい…。」
「これで何回目?」
「たくさん…。」
今にも消え入りそうな声を出すコウイチ。
「守れない約束ならしないでよ。行くなとは言ってないじゃん。堂々と行きたいって言ってよ。私は本当は小遣い渡したいと思ってる。コウイチが働いて稼いだお金だから小遣いって言い方はおかしいんだけど。出来る限り欲しい物も言って欲しい。叶えてあげたい。」
これは本心だ。働けるだけ働かせて我慢ばかりさせたくはない。
「ただ、今はお金が無いから欲しいものも満足に買えないだけ。これからは少しでも小遣いを渡したい。」
「いや、小遣いはいいよ…。お金ないし。」
「じゃないとまたストレス溜まったって言って財布からお金抜くじゃん。」
「…。」
「だから、渡す。」
「…ありがとう。」
これで話は一応済んだが辛気臭くて堪らない。なにか話題を探して、ふと目に止まった水槽を指さして見せた。中にはウーパールーパーがいる。出産前に妹を唆して買わせたのだが、最初は小指サイズだったのが今や20センチを越える大きさに成長している。あまりにも逞しく成長した様をみてコウイチは吹き出した。
「ゆうとは、元気?」
この時ゆうとは昼寝をしていて別室にいた。
「元気だよ、会いたい?」
「うん。」
眠っているのを抱いて起こしたら少し不機嫌になったのだが、コウイチに抱かせるともっと不機嫌になって泣き出した。
「パパの事忘れてるよ。」
私は笑った。コウイチも笑った。
「早く家に帰らないとね。」
それからいつ家に戻るか話合った。今日コウイチと一緒に電車で帰ろうかと言う案も出たが、あまりにも荷物が多いのでまたしても近々両親に車で送ってもらう事になった。
そうして丸く収まった。
の、だが。翌日、予期せぬ事態が起こる。
コウイチからのメール。
「まずい。家を出ないといけなくなった。」
いつになったら私達に穏やかな生活が訪れるのか…。