繰り返される家族会議
家族会議の様子など細かく状況説明しなくとも、今までの話を読んで来てくれた方ならば想像するに易いだろう。私自身何度も繰り返した光景なのであまりハッキリ覚えていないので、簡単に書こうと思う。
IDの上限額は一万円だった筈だ。しかし請求明細にはお買い物金額が二万八千円近く明記されている。どういう事かと問いただすと、ID会社から届いたメールに載っていたURLをクリックしたのだが、それで上限額が上がったのかもしれない、とコウイチは主張した。『かもしれない』だと?そんな馬鹿な事があるか。あくまでしらばっくれるつもりらしいが、そんな嘘に騙されるほど私は素直ではない。三万円分も買い物しておいて何も気付かない筈がないだろう。決して認めようとしないコウイチに、出来る限り穏やかな口調で、諭す用にして頼んだ。小遣いを渡せるようにやり繰りするからどうかもうIDは使わないようにしてくれ、と。コウイチはこれに了承し、少ないながらも三日に二千円ずつ渡す事になった。
ケータイ料金は一月遅れで請求される。つまり5月利用分の請求が6月に支払いということになるのだが、コウイチは今月(6月)も同じくらいIDを利用したと言う。つま二ヶ月合わせて8万円の請求書が送り付けられるのだ。これは私のケータイ料金一年分以上の金額となる。
ケータイ代の支払いが家計に打撃を与えるのを理解させた上で小遣いを渡すことにしたので、コウイチとしては文句は何も言えまい。これで一応解決という事になったのだが、後から少し考えるととんでもない約束をしてしまったと後悔した。コウイチの小遣いが三日で二千円ということは、月に二万円の計算になる。それはわかっている。しかし、家賃52,000、円食費25,000円、水道光熱費15,000円、保育費14,700円、二人分の通信費47,000円、ゆうとのオムツ代等5,000円の、合計予算158,700円を7月の給料166,317円から差し引くと7,617円しか残りが出ないのだ。これでは小遣いなんて夢のまた夢だ。何か突然の出費があっても対応も出来ない。子供手当をコウイチの小遣いにあてるのは気が引けるが、約束したからには仕方がない。食費を削ってボーナスが出れば、小遣いを渡してもエアコン代はなんとかなりそうだ。しかしボーナスがいくら出る事やら…。不安が残るものの、削る所は削って少しでもコウイチに金を渡さなければ。
小遣いを捻出するための算段を立てながら、自分のものは散々我慢している私が、何故コウイチのためにここまでしなければならないのかと惨めな気分になった。だがもしここで金を渡さなければコウイチは財布から抜いてでもパチンコに行き、ストレスが溜まっていたからと言ってのけるのだろう。この頃私は金の事ばかりを考えていた。心が貧しくなっていくのが自分でもわかった。
七月上旬にボーナスが振込まれた。五万円。決して多くはない金額だ。普通給料の〇ヶ月分といった形で貰うものだが、コウイチは準社員。上司の評価を基に上層部が査定して金額が決められる。少ないなんて言えなかったが、コウイチの頑張っている姿を知っている私には不当に思えた。
報われないコウイチが哀れに思えた私は、少ないながら五千円を手渡しパチンコに行く事を許したのだった。帰って来くるなり二万円勝った!と上機嫌だった。そしてこの二万円は生活費の足しにしてくれと私に申し出た。パチンコに行けた事で満足だというので、有り難く受け取って生活費の足しにしたのだった。
だがそれでも金は足りない。ゆうとを保育園に預け始めた事から必要な物を買い揃えるのに出費がかさんだし、エアコン設置の代金を考えればコウイチへの小遣いなど後回しにするべきなのだ。小遣いを渡せたのはどう頑張っても最初の内だけだった。
仕事が決まらず途方に暮れた七月下旬。その頃ちょうどコウイチの職場で欠員が出た。コウイチの職場と言えば私の前働いていた職場でもある。出産を期に退職したのだが、人手不足の恩恵にあずかり、無事復職することが出来たのだった。店長が冷やかすように「お前達気まずくないのか?」と笑ったが、もともと一緒に働いてきたのだ。なにも問題はない。それに懐かしい面々と再び仕事が出来るのは私に取っては嬉しい事だ。
ベビーカーを押して保育園へゆうとを送り、午前10時から午後4時まで働いた後保育園に迎えに行く生活が始まった。
コウイチは自分が送ると言った手前、私が出発するときに一緒に家を出るしかないと思ったのだろう。職場が同じなので目的地は勿論同じなのだが、ベビーカーを押す私の隣をのろのろと自転車を漕いで着いてくるだけで、決して自分は歩こうとはしない。毎朝、私がゆうとにご飯を食べさせて準備を整えた頃にコウイチは起きてくる。起きれなければ私一人でゆうとを送る。約束はほとんど守られなかった。覚悟はしていたが、コウイチの責任感の無さに私のイライラのスイッチが入り始めた。
自分でも癇癪持ちだと思うのだが、イライラしはじめると止まらなくなることが多々ある。椅子を蹴ったり物を投げたり、物に当たってしまうことはしょっちゅうだ。
この日、コウイチは休みだった。 当然のごとく目を覚ます事はなかった。一人でゆうとの食事の準備をするのは手が焼ける。準備している間は泣き通し、なんて当たり前だった。そうなると大概私は苛立ち始める。少しの間、起きてゆうとをあやしてくれても良いのに。
わざととバタバタと音を立て家を出て行った。
帰りも私が迎えに行った。車が欲しいと心底思った。暑い中、片道一時間かかる道のりを歩いて職場へ行き、仕事を終えたらまた一時間かけて帰る。帰ったらすぐに夕飯の支度をしてゆうとを風呂に入れて、寝かしつけた後に洗濯や掃除等の家事をしなければならない。毎日が体力の限界だ。
仕事を終え家に帰ると、コウイチはまだ寝ている。夕飯の準備をするのは当然私。ゆうとはこのころ、掴まり立ちからよちよち歩きができる程に成長していた。成長は嬉しい。が、この日もいつもの様に料理をしていると足にしがみついて泣き始めた。その声でコウイチはやっと目を覚ましたのだった。
「ちょっとご飯作るから面倒見てて」
頼むとわかった!と良い返事をした。だがゆうとはまだぐずっている。ふと様子を見るとコウイチはケータイをいじっている。あやす様子は無く、
「ゆうちゃーん、泣かないでー」
などとケータイ画面を見ながら譫言のように呟いている。
泣かせないように努力しろよ!
コウイチの側にいたゆうとを抱いて料理を始めると、しばらく経ってコウイチが台所へ来て、再び居間へ連れて行った。
ぐずつくゆうとにイラつき始めたらしく
「ゆうと泣いてるんだけど」
と私に文句を言い始めた。ゆうとが泣くのはお腹が減っているからだ。はやく夕食を作ってやりたい。
「もう少しだから」
私はぶっきらぼうに答えた。仕事に行ったのに保育園の送り迎えも子供の世話も家事も全部私の仕事なのか。コウイチは休みなのになんで協力してくれないのだ。いらつき過ぎて頭がおかしくなりそうだ。
私の態度にコウイチもむっつりとし始めた。私がゆうとに夕飯を食べさせた後、コウイチは時間をずらして食卓に着いた。静かに夕食を済ませ、出かけるとだけ言って家を出て行ってしまった。
私がいちいちイラつかず、もっと我慢すれば良いのだろうか。自分の身を粉にしてコウイチのためにだけ家事も育児も仕事もこなせば良いのだろうか。
そうして必死になった所で、誰か私を救ってくれるんだろうか。
結局コウイチは、ゆうとの世話を見るといっても気まぐれに手を出す程度。こんなの話が違う。 ゆうとが寝ついた後、誰もいない居間でやり場のない怒りをソファーを蹴ったり物を投げたりして発散しようとしたが、足の裏に痣が出来ただけでかえっていらつきが増した。
コウイチは何処に行ったのだろう。六時頃に出て行ったのに時計の針が八時を回っても帰っては来なかった。
この時やっと私は状況に気付く事になる。はっと思いたって財布を確認したらあったはずの札が全て無くなっている。といっても財布の中には二千円しか入っていなかった。それくらい家計は切羽詰まっていたのだ。
もううんざりだった。私がどんなに疲れていようがストレスが溜まっていようが、一生コウイチの事を第一に優先して、ご機嫌取りをしながら過ごさなければならないのか。
九時半頃に帰って来たコウイチは悪びれるそぶりもなく部屋に入り、ケータイをいじっていた。
もう穏便に済ませる事はできない。
「二千円持って行ったよね」
ソファーでくつろぐコウイチを睨み付けながら言った。コウイチは視線を合わさずに
「うん」
だから何?とでも言いたげだ。いつもの様にしょんぼり落ち込むのならまだ可愛いげがあるのに今日は違った。
「何に使ったの」
「パチンコ」
もう我慢なんかできない。
「なんでそんな事すんの!?お金抜かないでってあんなに言ったじゃん!!」
「じゃあどうしろって言うんだよ!」
なんとコウイチは、事もあろうか逆切れしやがったのである。