ケータイ代と保育園
一通の請求書が届いた。コウイチのケータイの請求書だった。コウイチの月の通信費はだいたい1万5000円程。定額性のパケットし放題を家計のために遠慮していた私からすると、かなり高めに感じる。しかしそこまでがんじがらめに節約させてもコウイチに申し訳無いと思い、あまりうるさく言う事はなかった。小遣いを渡したいのだがどこを削っても金を捻出できない事から、ケータイぐらいは好きにさせてやりたいと黙っていたのだ。コウイチの希望で、ケータイの他にギャラクシィ(スマートフォンの大きいバージョン。アイパッドよりは小さい)にも加入していた。事前に「二台合わせて一万円以内に抑えて」と頼んで了承してもらったが、それが守られた事はない。
今月の請求額は…確認しようと封を切るととんでもない額が目に飛び込んできた。
6月請求書金額 24,333円
いくらなんでも使いすぎだ!その晩はコウイチが帰るなり家族会議が開かれた。コウイチはお財布ケータイ(ID)を使っている。小遣いを渡せないから使うのを許していたのだが、これは使いすぎだろうと言うと素直に
「ごめんなさい。」
と謝った。しかし、謝られてもこれでは6月にエアコンを買う予定なのに金が足りなくなる。コウイチは、
「でも7月いっぱいまで支払いは待ってもらえるし、6月には子供手当が出る上に7月はボーナスも出るから大丈夫。」
かなり楽観的だった。
何が大丈夫だ。毎月毎月金が無いとヤキモキしている私の気持ちがわからないのか。
コウイチの発言にいらつき、
「もう良い、私働く。本当はゆうとが一歳になるまでは家で見たかったけど、お金ないし」
と、会議はこれで終わった。コウイチは捨てられた子犬のように俯いていた。
コウイチには同情する。怒りっぽい妻にいちいち金の事で文句を言われ、行きたいパチンコは我慢し、働いても働いても、小遣いすら貰えない。なのに暇つぶしをするためのケータイ代の事までうるさく言われなければならないのだ。私だって本当なら何も言いたくない。しかし一家の大黒柱として働いている以上、家族のためと我慢してくれなければ困る。
どうしたら分かって貰えるのか私なりに悩んだ。これ以上コウイチに我慢させる位なら私も働いて家計を支えようとは少し前から思っていたのだ。
ただ最悪な事に、意地っ張りな私はコウイチへの当て付けの様に働くと言ってしまった。確かにコウイチへの怒りはあるが、嫌な言い方をしてしまった自分に後悔した。
だが、働くと決めたからには行動せねば。翌日さっそく区役所へ行き、保育所案内を受け、書類を貰って帰った。
前日コウイチとはあれっきりだったので一人で区役所に行った事を言い出しづらく、 コウイチの記入する書類はテーブルに置いていた。帰るなりその書類を黙って見ていたが何も言わなかった。
お互いに意地を張る質なのでこうなると数日話さなくなることも珍しい事ではない。しかし明日はコウイチの休み。仕事で疲れた体を癒したくても、こんな状態では休めないだろう。ここは私が折れた。
「何で黙ってるの?」
「…一人で区役所行ったじゃん…。」
絵に描いたようにしょんぼりしているコウイチが可愛く思えてしまった。
「ごめんね、働くって決めたらコウイチの休みまで待てなかった。これ、記入してくれる?」
笑顔で尋ねると、うん!と嬉しそうにコウイチはペンを持って来て書類の空欄を埋め始めた。
コウイチのこういう子供のような所に私は弱い。怒れば落ち込むし、機嫌の良い時は本当に子供のようにはしゃぐ。まるで子供が二人いるようだ、と時々思う。コウイチが兄でゆうとは弟。もう少し父親らしくなっても良いものだと思うが。
翌日雨が降ったのでコウイチと区役所に行くのは諦め、また後日一人でゆうとを連れ、保育所の申し込み用紙を提出した。
数日後、第一希望の保育園に決まり、園へ説明を受けに行く事になった。
第一希望にあげた保育園の場所は家から近くはないがそこまで遠くもない。10分程で行ける。歩ける距離だったのと、知り合いが昔子供を預けていたと言っていたのが決め手だった。
保育園に着いて、門に備え付けられたインターホンを押す。
「すみません、保育園の説明を受けにきたんですが…。」
門の向こうの建物の中から、園長と思わしき中年女性が窓をガラガラと開いて返事をした。
「説明ですか?今日?聞いてませんけど…」
そんな筈はない。区役所から電話をもらった時に、園にも連絡をしてあると言っていた。
「ここ、〇〇保育園ですよね?」
「いえ、××保育園ですが…。」
なんてこった。私は保育園の名前を間違っていたのだ。
本来行くべきだった保育園の場所を教えてもらい、急いでそちらに向かった。が、遠い…。家からベビーカーを押してあるけば30分近くかかるのでは。これでは通園は厳しい…。
着いた先でも遠い事を心配され、私も通園は無理だろうと思い、申し訳ないが辞退した。
第二希望の保育所で決まると良いのだが。むしろ第二希望の保育所の方が家から近いので助かるのだ。園児の定員数の多さから、確実に入所できそうな方を第一希望にしていたのだ。
コウイチが帰ってからその旨を伝えると驚く返事が返ってきた。
「遠くても良いから〇〇保育園にしようよ。第二希望の所は障がい児がいるんでしょ?」
区役所に案内を受けに行った時、職員がそういう話を臭わせていたのだ。コウイチにそれを話したのは間違いだったと後悔した。コウイチは障がい児の話をネットで見て影響されている。言い分はこうだ。
「障がいがあるのは仕方がないけど、最近の親は甘やかしている事が多いらしいよ。もしもゆうとが怪我をさせられたりした時、責任を取って貰えないかもしれない。そうなりたくない。」
2ちゃんねるで見た、極端な話を思いっきり鵜呑みにしている。そして偏見にまみれている。障がい児をもつ親御さんには失礼な話だ。しかしコウイチは無知ゆえの発言なのでご容赦願いたい。
コウイチの強い希望に負けて、徒歩30分かかる保育園に預けることになった。
これから夏が訪れる。あんなに遠い所まで、さんさんと日差しの降り注ぐ中、毎日ベビーカーを押して行かなければならないのか…。これから先の事を思うと憂鬱になった。
「俺が送るから大丈夫!」
と言ったがコウイチの「大丈夫」ほど当てにならない物はない。引越しの時の前科もある。多分私が送る事になるんだろうな、と覚悟した。
六月一日よりゆうとは保育園に入所した。初めての環境、初めての保育士。私からしがみついて離れようとしないゆうとを引きはがして保育士に預けるると顔を真っ赤にして泣いていた。最初は一時間半だけの試し保育。少しずつ慣れていきましょうと担任の先生は言った。
預ける時は保育園に着いた時点で泣き始め、迎えに行くと外まで響く大声をあげて泣いていた。
保育園に預けるのはまだ早いのかと気を揉んだが、2週間も経てば園で昼寝が出来るようになり、順調に慣れてくれた。
ホッと一安心、私もそろそろ仕事を探さなくてはとタウン求人誌を眺める様になった頃、コウイチの来月のケータイ代の請求書が届く。
一ヶ月なんてあっという間だな…と思いながら封を切ると今まで見たことの無い金額がそこに。
7月請求金額 41,096円
何でー!!!!!?
あれだけ先月厳しく言ったのに、もはやコウイチの心に私の声は響かないのか。
その晩、再び家族会議が開かれた事は言うまでもない。