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勉強と兜

 新居周辺の環境は文句の付け所の無いものだった。スーパーもあれば商店街もあり、パン屋なんて同じ並びに三軒もある激戦区だ。バス停やモノレールの駅までも程近い所にある。前の家からは1番近いスーパーでも徒歩20分はかかって、買い物に出るのも億劫だったので本当に助かった。更に小学校や中学校まで5分とかからない場所にある。ご近所さんがヤ〇ザと言うのがたまに傷だが。

 一月末に引越してから、荷解きやゆうとの世話など大変な事もあったが、金に困っても生活には不自由することもなく、二月中旬には落ち着いついてた。

 ここで私は思い立った。働けない今だからこそ、時間を有効利用せねば。

 実は妊娠中、資格を取得しようと思い医療事務の通信講座を受けていた。里帰りした時も勉強道具は持ち込んでいたのだが、なんやかんやと楽しい生活に甘えて挫折していたのだ。

 久々に教材を押し入れから取り出し、有効期限をみてみるとなんと在宅試験が受けられる最終期日は3月31日。締め切りまで二ヶ月も無いではないか。私の馬鹿。なんでもっと計画適に取り組まなかったのか。しかし後悔しても時すでに遅し。

 それからはゆうとの眠っている間を勉強時間にあてた。ゆうとが起きれば何も出来なくなる。まさかこんなに手がかかるようになるとは思っていなかった。抱かなければ泣くし、抱いてもあやしても泣く時は泣く。 コウイチは

「おれが休みの時はゆうとの世話をするから勉強して!」

と言ってくれたが、実際は全く面倒を見るには至らなかった。

 コウイチは朝9時に出勤すると夜の23時頃まで帰って来ない。その上実家にいた期間も長かった。触れ合いが極端に少ないため、ゆうとはコウイチを不審者を見るような目付きで眺めるのだ。コウイチが抱けば泣くので面倒などみれる筈がない。

 なので睡眠時間も勉強に割いた。医療事務の勉強は幸いな事にそれほど苦痛ではなかった。むしろ知らない知識が増えるのは面白いと思えた。


 勉強漬けの毎日だった二月下旬、義母からの電話が。ゆうとの初節句の兜についての連絡だった。

「今兜を見てるんだけど、6万八千円の銅製のものが結構いいのよ。それにしようと思うんだけど。」

実は私は節句に兜を飾る事をこの時初めて知った。相場がどのくらいなのかわからないので高いのか安いのかはわからないが、私の金銭感覚からすると結構なお値段だ。いや、義母にとっても大金だろう。一年に一回しか飾らない、多分そのうち押し入れの肥やしになってしまうものにそんなに金をかけなくても。と思ってしまった。

 事実、実家でひな人形を見たのは私が7歳の頃、妹の初節句の時が最後だ。

 義母は孫の節句にと張り切っている。

「それで申し訳ないんだけど、ご両親にお金がないから兜は折半にしてほしいって伝えてくれない?本当にごめんね〜。今度写真を持って行くわね。」

それで電話は終わった。

 成る程。これなら義母も負担が少なくて済む。しかし折半にするなら普通、両親の了承を得てから決めないか?両親には義母が買う筈だった破魔矢も買って貰っているので少し申し訳ない。

 私の母はかなり面倒臭がりな質で、破魔矢はネット通販で決めた。

「どうせ邪魔になるんだから小さくていいのに。シルバニアファミリーサイズで十分だよね。」

と言っていた。私もそう思う辺りやはり母の血を引いているのだろう。こんな話を義母が聞いたら怒るかもしれない。

 兜の件を母に伝えた所、

「別にうちが払う分には問題ないよ。でもお義母さん、少しずつ積み立てようとかは思わないのかね。子供が出来た時点で買わなきゃいけないってわかるもんなのに。」

とまたチクリチクリと嫌味を言っていた。


 三月。義母が暮らしぶりを見に家にやってくると言う。勉強がかなり切羽詰まっていたのではっきり言って迷惑だった。が、そうも言えないので招き入れる事にした。また何かうるさいことを言われなければ良いのだが。

 驚くかも知れないが、義母がゆうとに会うのはこれが三度目だ。出産した時と、前の家に住んでいた時と、今回。孫に顔を見せてやりたいと思えない私に問題があるのか。それとも孫に会いたいと言って来ない義母に問題があるのか。

 前に引越し前のマンションに呼び寄せた時は、ゆうとが泣き始めたのでコウイチが抱こうとすると

「抱いたらだめ!泣き癖がつくわよ。」

と止めていた。

「でも可哀相だし…」

コウイチが反論すると

「あんた達が苦労することになるのよ。」

の一点張りだった。私がコウイチに目で訴え、

「苦労しても良いから抱っこする」

と説得してもらった。

 「赤ちゃんが泣くからと言って抱っこすると泣き癖が付く」とは祖母世代からよく言われるが、抱いてやらなければ甘えたい欲求が満たされ無いと最近では解明されている。どんどん抱いてあげましょうと育児書でも見た。第一赤ちゃんが泣いているのを放置など出来ない。コウイチは小さい頃全く泣かなかったと義母から自慢げに言われた。それってただのサイレントベビーでは?コウイチはきっと、義母が苦労したくないからと抱いてもらえなかったのだろうと思うと何となく私に甘えたがるのが解る気がした。



 義母は良い家だと言って部屋を見てまわり、押し入れまで開けていた。息子の家とはいえ、引越したばかりで中には雑然と物が詰め込まれている。勘弁願いたかった。

 義母は私に住所を聞いて帰った。兜は近々家に輸送するとの事だった。


 こうして兜が家にやってきた。コウイチが帰るのを待って段ボール箱を開いた。

 立派な木箱に収まっており、写真でみた重々しい様子とは裏腹に兜自体はかなり軽かった。弓や日本刀のレプリカのような物まで入っていた。私達は年甲斐もなくはしゃぎ、兜を被ったり刀を鞘から出したりして遊んだ。全く、大の大人のやることではない。罰当たりな事をしたと今は後悔している。



 医療事務の講座の期日には、私の勘違いのせいで間に合わなかった。在宅試験の問題だと思っていたものが修了試験の問題だったのだ。期限ぎりぎりに出して、合否をまつばかりとワクワクしていたのに、出した後によく資料を読むと修了試験に合格したら在宅試験問題を送る、と説明書きがあるではないか。

 添削された修了試験の結果はズタボロだったのでどのみち間に合わなかったのだが。

 こうしてまたも挫折した。落ち込んでいると、コウイチが、市が執り行っている就職者支援講座を受けてみてはと提案してくれた。私も一人では解らない事が多々あったのでそうさせて貰えたら助かる。講座は8月から開設されるとの事だったのでそれに通う事にした。



 4月。春真っ盛り。ゆうとは生後7ヶ月。随分大きくなったものだ。ハイハイを始めてから更に手がかかるようになった。相変わらず金はなかったが、親から貰った口座から少しずつ「借りて」生活費の足しにしていた。コウイチがパチンコに行く事は無くなった。行く余裕が無いと言った方が正しいか。


 慎ましい生活を送っていたある日、義母からコウイチに電話があった。金を貸して欲しいとの事だった。




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