八
ん? フラフラ……?
あたしはその、危なっかしく走る小さな少年を見つめて、小首を傾げた。父上の視力のおかげでハッキリと見える、その少年の顔。あの子は――
「ガ――ガル!?」
突如叫び出したあたしに驚いた、勇者達。しかしあたしはそれに反応は返さず、ただフラフラ走る少年――ガルを見つめていた。
……ガルは、相当疲れているのであろう。走るというより、早歩きといった速度で……精一杯身体を動かしていた。そして度々、町の人に「助けて」と問い掛けている。……傷だらけの、まま。
勇者達の、止めるような声。あたしはそれすらも無視して――悠々と窓から飛び降りた。そして倒れる直前だったガルを、抱き留める。
「ガ、ガル!? どうしたのその傷――!」
「あ……その声……は……、フィーリアお姉、ちゃん……?」
声にだそうとして、あたしは胸を詰まらせ、その口を閉じた。……なんということだろうか。ガルは……今、目が見えていない。失明してしまったようだ。
……何故、人々はガルを助けなかった? 皆、見て見ぬフリをしている。こんな幼い子供が……傷だらけで叫んでいたと、いうのに。
――ガルが、ハーフだから?
「お……姉、ちゃ……」
「ガル……っ、喋ったらダメだよ。手当てするから大人しく……」
「お姉ちゃ、ん……助け、て…………お父さんと……お母、さん……が……」
あたしはその言葉に驚いて、手当てをしようとしていた手を、止めてしまう。
「ガル……なんでそれ」
「……えへへ……知ってる、よ……? だって……」
ぼくの、パパとママだから。……ガルはそう言って、にへらと笑った。
……ガルの「助けて」という言葉で、だいたいわかってしまった。間違いなくガルは、ドゥルーダムの連中に襲われたんだ。そして、あの夫婦はガルだけでも逃がした……と。
あたしは自然に流れていた涙を、乱暴に拭う。泣いてる場合じゃない、ガルが助けを求めてるんだ……あたしが何とかしなくては。
――あとを追って来た勇者達。その中にいた幼い聖女……プリエステルは、ガルを見た途端顔色を変え、すぐさま回復魔法を掛け始めた。
「酷い出血です――フィーリア様、この子はハーフですね? 属性はおわかりになられますか?」
「水です」
「わかりました――少し手伝っていただけますか、ロックハート様」
「ええ」
道端。幼い少年を囲み手当てをしているというのに――それでも、町の人間は無関心だった。あたしはそれを見て、自然と呟く。
「やっぱり……愚かだ」
「……フィーリィ?」
勇者が問う。
しかしあたしは、続けた。
「人間の行動が――理解できない。半分とはいえ、同族だろう? 何故無視できる」
「……」
「何故――何故、なんだ。まだ年端もいかない、こんな小さな少年が……傷だらけで助けを求めていたというのに」
「フィーリィ……」
「あたしには……! わからないっ……何故、何故そんなに非情で、愚かなんだ!! どうして無関心になれる!?」
「……」
「人間には……“心”がないのか……!!」
乱暴に拭ったはずの涙が、一つ、また一つと……地面に吸い込まれていった。もう拭うことすらも忘れて、あたしはただただ――嘆く。
――人間は愚かだ。魔族とは違い、平気で同族を殺める事ができる。むしろそれが生き甲斐と思う輩もいて、“心”が不安定な生き物なんだ。しかし……それもまた、悪いところと決め付ける事はできない。だから、人間は面白い。
……父上が昔、そう教えてくれた。だからあたしもそう思うようにした。でも、あたしにはわからない……“人間は面白い”? 面白くなんかない――人間は、ただ非情で非道、魔族よりも魔族らしい……悪魔のような存在だ。
あたしにはわからない。何故子供を――簡単に見捨てられるのか。
……わかりたくも、ない……。
「――くっ、ダメです……なにか強い呪いが? いえ、呪いの反応ではない? これはいったい……!」
「プリエステル嬢、出血が止まりません。このままでは――」
あたしは、ガルに近付き……跪いて、言う。
「――ガル、聞える?」
「……! フィーリア様、お下がりください……この子は多分もう喋る事も……」
「……聞え、る……よ……お姉ちゃ……ん」
あたしは、涙を堪えながら、続けて言う。
「あたしはね、実は……魔王の娘だったの」
「魔王……の? へ、え……やっぱり……お姉ちゃん、は……凄い……なぁ」
ポタポタと落ちていく、あたしの涙。ガルの血だらけになっている頬に、滴り落ちていく。
ガルは、呟いた。
「あれ……? 雨、が……降って、るん……だね」
「っ……うん。ちょこっとね」
「そっ、かぁ……。お父、さんと……お母さん……だい、じょぶ……かな……」
――自分の命が消え掛けている時に、何故この子は人の事を心配しているというのか。何故非情な人間が溢れかえる土地で……こんな純粋な子が、死にそうになっているというのか。
人も、世も、すべてが無情すぎる。
「あのね……ガル」
「……うん……?」
「ガルは多分、もう……生きられないかもしれない」
「!? フィーリア様!」
「――ガル。生きたい?」
あたしはプリエステルの言葉を無視して、ガルに問う。
「……う、ん……生きたい……よ……」
「……方法は一つだけ、あるんだ」
「えへ、へ……知ってる、よ? 使い魔……だよ、ね……」
「!」
「ぼく……いっぱいべんきょ、したんだぁ……」
あたしは、我慢さえも忘れて――ただ泣いた。
――使い魔。それは魔族が、同じ魔族を従える……召喚の術のようなもの。契約をした仕える側の魔族は、その時点で成長を止め……契約者が死ぬまで、絶対に死ぬ事はできないと言う。しかも契約者の魔力の力に比例し、身に着く力は違う。ガルはハーフだが、曲がりなりにも“夢魔”の子――夢魔は昔から、使い魔として適任な人材だ。人間の血が入っていようと、抵抗は薄いだろう。
あたしは――今度こそ、涙を拭いた。
「――ガル。ううん、ガルガント」
「……うん……お姉ちゃん」
「ガルガントには、その覚悟がある?」
……ガルは。
先ほども浮かべたような、気の抜ける笑いを浮かべた。
「え、へへ……。ある、よ……」
「……やり方は、わかる?」
「呪文……の、こと……? うん……いつ、か……なってみたいなぁって、思って……覚え、たよ……」
あたしはそれを聞き、迷う事なく――自らの腕に切り傷を与えた。そして、傷だらけなガルの腕を……そっと握る。
「一緒に、ね」
「う、ん……」
あたしは瞼を閉じて、滑らかに、その呪文を唱えた。涙を流さないように、悲しみで声を震わせないように――必死に我慢をしながら。ただ、ひたすらと。
ねえ、父上。あたしはね……やっぱり、人間として生きていくのは――不可能なんじゃないかって思うの。だってね、人間ってホントにあり得ないんだもの。平気で同族を見捨てられるのよ? 笑っちゃうよね。
……あたし、理解……できないよ。たとえ人間でも、あたしは子供だけは見捨てなかったと思う。なのに……人間は子供でも、魔族を平気に殺せちゃう。まるで、虫のように。
その違いは……何? それは、ここで暮らしていたらわかることなのかな。あたし……わかりたくないな。
――長い長い、呪文のあと。
白い光に包まれたガルは……小さく瞬いて、あたしの胸の中へと収まっていった。途端に感じるのは、様々なガルの感情。
両親に対する心配、愛情、悲しみ――そして、人間へ対する……憎しみ。小さな身体で、ありとあらゆる感情を一纏めにしていたガルの心は。今、あたしとともにある。
……大丈夫だよ、ガル。あたしが絶対に、二人を助けるから。
そう念じたら、心なしか――ガルがホッと笑った気がした。
「フィーリア様? 今のは――?」
「フィーリアちゃん?」
「お姫様――」
「――フィーリィ?」
プリエステル、マリンベール、ロックハート、そして――勇者の声。あたしはゆっくりと瞼を開き、降り注ぐ太陽を見つめて……言った。
「愚かなる人間に、復讐を」
あたしは立ち上がり、歩き出した。――孤児院のある方角へと。勇者がそれを、止める。
「フィーリィ!」
「――触るな。人間風情が」
「……!」
「あたしもどうかしていた……。お前らとわかりあおうなどと、不可能だというのに」
そう、結局はわかり合えないのだ。何故ならあたし達は――人間と、魔族なのだから。
「フィーリィ、落ち着くんだ。俺達も行く」
「驕るな、人間。お前達無能に何ができる? それとも今度はあたしを殺すつもりか、愚かな人間め」
「……! 違う! 聞くんだ、フィーリィ!!」
「触るなといっただろう。――吐き気がする」
もう、止められない。
ガルから流れ出る、人間への激しい憎しみは――やがてあたしへと感化し、元からあったあたしの憎しみと同調し、そして溢れ出る。止められやしない。止められないんだ。
あたしは、フィーリア・エンジェル・マールヴォロ・オコナムカ。魔王の意志を受け継ぎし――魔族の子。人間と馴れ合うなど、許されない。
「――わかった。フィーリィ」
「勇者様!? なにを言っておられるのですか! フィーリア様、落ち着――」
「プリエステル。……いいから」
勇者はプリエステルの言葉を遮り、あたしを見据えながら言った。
「フィーリィ」
「――なんだ?」
「…………お前の憎しみ、全部俺に当てろ。その全て、俺が受け止める」
「ゆ、勇者! アンタ何言ってんのよ!!」
「黙っててくれ、マリンベール。……さぁ、お前の憎しみをよこせ」
あたしは、勇者を冷たい表情で見据える。
――魔族の掟。血縁や親しい者が辱められ、または命を落した場合。その者を……殺しても、いい。ならば勇者も……その対象者なわけだ。
ゆっくりと上がる右腕――あたしは、勇者へと伸ばした。