七
今朝まで居た――正確には昨日になるのだが――あの宿舎の一室の前、あたしと勇者は今……小さな攻防を繰り返していた。
お題はもちろん、“この部屋に入るか入らないか”、についてである。
「んぎっ、ぐぐぐっ! い、いやだ……! あんな奴等に……ぐっ……謝るくらい、ならぁー!!」
「我が、儘を……! 言うなっ!!」
「このっ……ぬぐ! 離せこの魚介類好きめ!!」
「くっ――ショタ好きに言われたくない!」
「な! 何故知ってる!?」
「企業秘密だ!」
こんな小さな戦いを初めて、どのくらいの時間が過ぎただろうか……。とりあえずわかっているのは、窓から覗く空が白み初めているということ。ふむ、つまり小一時間は経っているということか。なかなか迷惑なくらい粘るな、あたし。もちろんまだ諦めないけど。
まぁ、まだ一応夜中という事もあって――若干声は押さえめにするという、それなりの常識は心得ているあたし達。いや、だからこそ大きな真似も出来ず、ドングリの背比べとも言えなくない戦いをするはめになっているのだが。あ、ドングリの背比べというのは父上に教わったコトワザというもので――
「ハイハーイ。君達いつまでも夫婦漫才してないで、さっさと中に入ってくれるかなぁ。二時間も通行止めされてる僕のめにもなってよー?」
え? と、あたし&勇者は――ふと聞えた飄々とした声に導かれ、そちらを同時に伺った。
そこにいたのは――勇者よりも見上げるほどデカい身長、スラリとした体格、性別の区別がつかないほど中性的な甘いマスクを被った……黄金の青年が。
……あ、黄金というのは別に、服装のことではない。今はまだ少し暗いのでわからないと思うが、太陽の元へ出ると「待ってました我が主役の時!」なんて言っていそうなくらい、彼の“金髪”が眩しいからである。名前が目茶苦茶長かったので、覚えられなかったのだ。だからあたしは“黄金”と呼んでいる。……心でね。
彼は腰まである長い髪を乱暴に掻いて、退屈そうにあたし達を見ていた。……年上のお姉さん達の前じゃ、いつも凛々しくしているくせに。この腹グロ二重人格め。
勇者の次の次ぐらいに嫌いな人物だったので、あたしは自然に表情を歪めた――それに黄金野郎も気付いたのだろう。彼は意地の悪い笑みを浮かべて、一歩、また一歩とあたしに近付いて――言った。
「嫌そうな顔してくれるねぇ――だからガキは嫌いなんだ」
「近寄るな、目が潰れる」
「ハハッ、まぁ僕くらい顔が整ってると……君なんかの目じゃあ許容範囲外だろうしね」
「ホントにな。暗闇で生活してきたあたしには、まだ直射日光はかなりキツい。だから早く退け」
「これだからガキは嫌だね。淑女なら日傘の一つでも持たなくちゃ」
「日傘で防げるレベルを優に超えてる。だから退けって」
「はぁ……まったく。君はホント陰気臭いねぇ、ガキならガキらしく無邪気であればいいものを。どうにかならないのかい?」
「勇者、お前の仲間はまだあと四人いたな」
「あぁ、だが早まるな」
……ちっ。
どうやら勇者に読まれたようだ。頷くだけならイケると思ったのに。あああ、ムカつく。コイツ本当に父上の専属執事にソックリだ……。この黄金野郎もあの執事みたいに、「淑女としての嗜みを忘れるべからず」とか、「そんなですから知能に著しい問題を抱えるのですよ」とか、ニッコリ笑って嫌味を言うタイプだ、絶対。ていうか今されたじゃないか。
……証拠が残らなければ、やっちゃってもいいかな。いいよね、腕の一本くらいなら。あ、勇者に遮られた。くそぅ。
「はぁ……それより、もっと早く声をかけてくれてもいいだろう――ベルヴァロスクエッド」
これ以上あたしの怒りを増させないためか――話を変えるように、勇者が無理矢理間に割り込んで来た。あたしが“うっかり”魔法を放たないように、しっかりと両腕を拘束しながら。用意周到な奴め。
――しかし。ベルヴァロス……なんだって? 前にも聞いた事のある文字の羅列のようだったが、未だ全部を覚えきれない。長すぎだろ名前……何故縮めないんだ。あ、でもそういえば――マリンベールがその理由を解説してくれたような。ええと、なんだったか……あぁそうだ、「フルネームの方が威厳でるだろ? って言ってるのよー。面倒だからたまに“金髪”とか“ゴボウ”って私呼んでるのよね」と言っていた気がする。気がするじゃなくて間違いなく。だって「ちょっとゴボウ!」って呼んでいたのを見たし。そのあとかなり説教食らってたけどね、マリンベール。
だが、マリンベールがそう呼んでいるなら、あたしもそう呼ぼうか。眩しいし、黄金と呼んでも差し支えなさそうだな。……いや、それでは本物の黄金に失礼な気がする。ならなんて呼ぼう? だが……ゴボウも本物に失礼な気がして来たぞ。しかしそう思うとすべてに失礼な気もしないでもない、というか。あぁ、キリがない。
真剣に悩み過ぎていたのだろう――あたしは、気付いたらいつの間にか……部屋の中に入っていた。しかも、勇者に荷物担ぎされて。……何故荷物担ぎなんだ。別に期待してたわけじゃないが。
しかし――ハッと気付いた頃にはもう遅い、というやつで。中にいた勇者一行達は、入って来た勇者に担がれたあたしを見た途端……それぞれの反応を返した。
その声の音量にビックリしつつ、あたしは身体を縮こまらせる。中でも声の大きかったマリンベールは、担がれたままのあたしを見るなり、一番に駆け寄りながら心配そうな面持ちで言った。あたしはあたしでとにかくキョトン。
「――あぁ、よかった! フィーリアちゃん、怪我とかしてない!? てゆーか、勇者ってば女の子を荷物担ぎするなんて……そこは普通お姫様抱っこでしょ!?」
「……? お姫様抱っこ? なんだソレは」
「はぁ!? アンタ……お姫様抱っこ知らないのぉっ!?」
「……別に間違ってはないと思うが。元魔族の姫を抱っこしていたわけだし」
「バッカかこの究極ド阿呆勇者が! アンタ今までどうやって“男”を学んで来た!」
「? ……マリンベール、落ち着け」
「うがぁぁああっ! こンのマイペースがぁ! ちょーイラつくっ!」
……それはごもっとも。
「オイオイ、マリンベール。朝っぱらからうるさいぜー? 乙女じゃないねぇ」
「うっさいわこのウルトラナンセンス! ゴボウはゴボウらしく黙ってなさい!」
「だからぁ、僕にはベルヴァロスクエッドっていう名前があると何度も――」
「あぁもう、はいはい! デクノボウクエッド!」
「ベルヴァロスクエッドだ!」
……すごい。あの黄金野郎よりも優位に立っている。マリンベールって、案外凄い人だったのか……。かなりお喋りで少しウザいなぁと思っていたが、改めなければ。……うん、マリンベールとはこれから仲良くしていこう。
感心するあたしの横で――ちなみにまだ担がれているが――段々バトルが白熱するマリンベールと黄金野郎。旅の間基本的にまわりをそこまで見ていなかったが……多分コレはいつもの事なのだろう。他の連中は慣れた様子で、朝のモーニングとシャレこんでいた。慣れ過ぎだろう。
やっとあたしをソファに降ろした勇者は、その真横に座りながらも……二人を余裕で無視していた。そして、テーブルに置かれたパンを手に取り優雅に頬張っている。時々あたしに差し出しながら。
二人のバトルを見逃すまいとしていたあたしは、その差し出されたパンを見ずに頬張る。そしてまた差し出してくれるので、あたしは二人の言い合いを見逃す事なく観察出来た。……ううむ、餌づけをされている気分だ。しかし便利なので拒めない。ヨシとするか。
「――だいたいねぇ! わざわざフルネームを呼ばせる方が威厳ないっての! いったいどこの宗教よ、気持ち悪い!」
「はぁぁあん? この僕を目の前にして、気持ち悪いだと? ったく、これだからガキは!」
「ハンッ! この若作りがなぁに言ってんのよ! この三十路!!」
「三十路ぃ!? 僕はまだ二十九だっ!!」
「四捨五入したら三十路でしょうが! 往生際悪いのよこの中年が!」
「わざわざ四捨五入をする意味がわからん! そんなだから男が寄ってこないんだ!」
「なんですってぇ!? オッサンにピチピチ少女のなにがわかるのよっ! オッサンはオッサンらしく隠居してろこのクソじじい!!」
「せめてオッサンで止めろ!! まだじじいじゃないぞ!」
……ほほう、ますますマリンベールの好感度が上がっていくな。あのナルシスト野郎をああも言いくるめられるとは。
あ、今勇者がくれたフルーツ美味しい。食べたことないや。多分、表情に出たのだろう……他の食べ物を挟んでちょくちょく差し出してくれた。うーん、うまい! おっ? 本格的な乱闘が始まった。いけ、そこだ! マリンベール、そいつをやっつけろ!
――と、あとちょっとでマリンベールがナルシーに首絞めをするところだったのに、第三者が唐突に現れてしまった。エルフの女――ロックハートだ。
「そこまで。マリンベール、やめなさい。下の階の人に迷惑が掛かるでしょう」
「えーっ! いいじゃないロックハート、あと気絶させるだけよ!」
「こら。そういうことは部屋でやらない。ほら、まだ朝食が食べ掛けだ。さっさとお食べ」
「……ちぇーっ」
ドスンッ、と。羽交い締めにしていた黄金野郎を、残念そうに手放した。……もう気絶してるじゃないか、凄いなぁマリンベール。
「……さて、と。勇者、お姫様も戻って来たし。早々にここをでるかい?」
ロックハートの視線が、あたしに移される。……妙に気まずい。そしてそんな気まずさにチャチャをいれるがの如く、哀れ女が言った。
「ていうかぁ、あんな大口を叩いて置きながら戻って来るとか。恥ずかしくないのかしらねぇ」
「……ジュエリー嬢、そういうことは言っていけないよ」
「はいはい。貴女本当に口うるさいわねぇ」
……くそ、この女。勇者よりもムカつくな。おっと、勇者がまた腕を掴みやがった。何故わかったんだよ。
そんな勇者はあたしの腕を掴んだまま、確認のためロックハートに問い掛けた。
「ロックハート、パリシュまであと歩いて三日だったな」
「ええ、勇者。……あぁ、そういえば先ほど、黒鳩郵便で何者かわからない方から便箋が届いていたよ」
「なに?」
「ただ、裏にドクロの絵が。……しかもこの絵は」
パサリと、テーブルに置かれた小さな便箋。この、ドクロの絵は――まさか。
「――なるほど。アイツか」
「どうする? 寄ってもいいが、間違いなく厄介な頼みごとが待っていると思うよ」
「……はぁ。無視するわけにもいかないだろう。目的地をいったん変えて、オールドビリに向かう」
「わかった。なら、すぐにでも出ようか」
……オールドビリ。そこはかつて――母が住んでいたという、町。父上が教えてくれたが……いや待て、何故そんな所へ行くのだ? だってこの便箋に書かれた絵は――魔界にいたあたしでも知っているほど有名な、あの大海賊のマークではないか。いったい、どんな繋がりが。
あたしが食い入るように見つめていたせいか――勇者は気付いたように、その便箋の封を開け、中身を見せてくれた。そこにあった手紙に書かれた文字……それはただ一言、「来い」とだけ。
勇者は言った。
「古い馴染みだ。こちらではけっこう有名な奴でな……一番よく聞く話は――」
「異世界から呼んだお姫様と駆け落ちをした、大海賊。お城に突撃して姫をさらったんでしょ? 今はもうその海賊業を止めてるって聞いたけど」
「……なんだ、知ってるのか」
勇者は驚いたように目を見開いた。あたしが人間界のことを何も知らない、箱入り娘だとでも思っていたのだろう。馬鹿な、これでも努力の末、父上の目をかいくぐって調べたりしたんだよ。
あたしはその便箋をまじまじと見つめながら、その努力の数々を思い浮かべた。……うーん、父上って、ホントに地獄耳ならぬ地獄目だったんだよなぁ。あとちょっとという所で捕まっちゃうんだ。まったく、どういう目ぇしてたんだが。……いや、もちろん視力も受け継いだから、凄さはわかっているけれど。
それにしても――かの有名な大海賊が、古い馴染みだなんて。勇者、本当に凄い人だったんだなぁ。
大海賊……その名も“クレイジーブルーキャット”、通称、お騒がせな海の猫――とも呼ばれているらしい。いろいろ呼び方はあるのだが、今のほうが個人的に気に入ってたのもあり、記憶していたのである。
彼らの船長――エーファンという男。昔、それはそれは女ったらしな奴だったらしく、聞くところによるとまさに“女の敵”と言われそうな人格の人間だったんだとか。
そんな彼の目の前に現れた一人の少女――サヤコと呼ばれた異世界の人間は、ちょうど城から逃げたして来た真っ最中だったらしい。噂では、異世界にただ一人残された妹が心配だったから抜け出した、とか。
そんな出会いから始まった二人、様々な障害があった末――エーファンの方がいつの間にか少女を溺愛し、それに気付いた少女もだんだん惹かれていった。
しかし突如現れた城の人に船員の人質を取られ、泣く泣く城へ。
愛する我が女を助けるべく、エーファンは城に挑戦状を叩き付けた――そして命からがら抜け出した少女とエーファン、そして一緒に戦った船員達。
長い航海を経て、少女が出した結論は――やはり、元の世界へ帰らねばならないという言葉だったらしい。
少女とエーファンは約束を交わす――「いつか必ず、お前の世界にも名が轟くような海賊になってみせるから。それまで……男は絶対つくんなよ」「ええ、私は貴方のせいでもう他を愛せないもの。いつまでも待ってるわ」……と。
――なんて夢のような話だろう。初めてこれを聞いた時、少しうるっと来てしまったほどだ。まったく、いい男じゃないかエーファン! 人間だけど、嫌いじゃないよそういうの。
あたしは想像に胸を膨らませる。たしかあの後エーファンは、海賊業を休業してると聞いた。何故かは知らないが――いやぁ、まさか生で会えるとは! サインとかもらえないだろうか。
会えたらちょっと頼んでみよう――と思っていたら、何故だか勇者があたしをジットリとした視線で見つめていた。……なんだよ、気味が悪いな。
視線が合った事に気付いた様子の勇者は、そのジットリとした視線のまま――恨みがましく言った。
「人間界のことなのに、何故エーファンを知ってるんだ」
「……? まぁ、有名だったから」
「けっこう詳しそうだが?」
「……そりゃ調べたし」
「何故調べる」
「はぁ? ……何故って……まぁ…………」
「……」
「……。特に、理由は、ない」
「嘘だッ!」
「ぎゃっ!!」
ななな、なんなんだ!?
急に覚醒をした勇者に驚き、あたしはいつの間にか横にいたマリンベールに、ギュッと抱き付いた。
「わっ、嬉しい! 私を頼ってくれた!」
「……」
「なーによー勇者ー、羨ましいのぉ? ぷっ、ドンマーイ!」
「……三才の時道端に落ちていた小石を鳥のフンと間違え――」
「ちょ! っとぉ、タンマァー! 勇者アンタ、それ卑怯よ!!」
……フンと間違え、なんだ? 凄い気になるぞ。
しかしいいのだろうか――こんなに馴染んでしまって。今でも、勇者達が同胞を殺したのを覚えているというのに……いやでも、父上は人間に戻れという事を望んでいるだろう、いいんだ、これで。
あたしは吹き出る思いに蓋をして――立ち上がり、窓の外を覗いた。きっとこうして、あたしはいつの間にか魔族だったことも忘れていくのだろうか。この先には、いったい何が待ち受けているのだろう……?
一人、打ち寄せる孤独に苛まれながらも、あたしはボーッと町を見た。
……人間の住む、小さくも大きくもない、普通の町。平々凡々と生活をして、戦う事さえも忘れていく――平和な奴等。あたしは、ソレになってしまうというのか。……なんと皮肉なのだろう。
道を行き交うひとごみを見つめていたあたしは、自然と溜め息を吐いていた。……あたしも、最初から人間だったら……今こんなに苦労することはなかったんだろうか。いや、でも、あたしは父上といられて幸せだった。だから……これでいい、はず。
……あぁ、わからない。いったい何が正しい? こう迷ってしまうのも、やはりあたしが元は人間だから……なのだろうか。まったく、本当に皮肉だな。
無邪気にフラフラ走る子供を見つめながら――あたしは再度、溜め息を吐いたのだった。