六
「……はぁ」
聞こえないように吐いた、小さな溜め息。さくさくと草を踏み締めながら、あたしは今……町の方へ向かっている。完全無表情の冷血悪魔――勇者の背を追いながら。真っ暗闇の中、もの憂鬱げに。
「……」
「……」
会話などない。だが……さすがにこの静かな夜道でなんの会話もないと、少々居辛くも感じる。まぁ勇者なんかと話す内容なんて、これっぽっちもないのだけど。いや、しかし、これは……居辛いどころか、究極に気まずい。暴言を吐いて勇者達の元から逃げたのもあって、なおさら。
でも、勇者も勇者だ。わざわざあたしを見つけに、此所までこなくていいだろうに。あのまま放っておいてくれたら、どれほど楽だったか……。そりゃ、人間からしたら“魔王の娘”とは、魔族に良い打撃を与えるだろう。くわえて人間も大いに喜ぶ。
……そこまで、嫌われているとは。何故人間はそこまで愚かなんだ? 自分より強い力を持つものを、何故そこまで恐れる。しかも人間は勘違いばかりが多い……自分が強いと思い込めば、弱い者を虐げ上に立とうとするし。本当に強い力を持っている奴もそうだ。
人間に対する不満を、心の中でダラダラと流し続けるあたし。貴様なぞそこらのドブに足をツッコミ己の不甲斐なさに落胆し失業者になってしまえ――と、勇者を睨みながら考えていたせいだろうか。殺気の混る視線に気付いた勇者は――急に立ち止まり……振り返った。
その、月明りに照らされ光り輝く――青い瞳。鋭く細められた瞳に見据えられたあたしは、本当に声にだして罵倒しかけた口を……自然と噤んでいた。危なかった、マジで。
――しかし。勇者は本当に、作り物のようだ。まるで精密に仕上げられた人形のよう。シンメトリーで不自然さがまったくないはずなのに、逆にそれが不自然に感じてしまうほど――かなり、完ぺきに仕上げられている。
あたしは多分……コイツ以外に、勇者らしくない勇者を知らないだろう。今まで勇者まがいな事をしてきた熱血人間とは違って――コイツは、“仕事”をこなすかのように淡々としている。それ以外に、生きる意味がないかのような。
……いや、ちょっと違うか? むしろ本能で動く、野性的な人間。熱血とは違うけれど、熱い何かを宿し――目的を果たしているような。それが“人間”のためを思っているのか……“魔族”への憎しみからきているのか。あたしには、わからなかった。
勇者という“人間”が――まったくわからない。
「……フィーリィ」
しばらく見つめ合った――否、睨み合ったのち。勇者は懲りもせず、あたしの愛称を呼んだ。
もちろんあたしは舌打ちを返す。
「あたしの愛称を気安く呼ぶな。……吐き気がする」
――ピクリ。
勇者の眉が、不機嫌そうに潜められる。
「……じゃあ、なんと呼べと?」
「フィーリア。……もしくは魔王」
「魔王はもういない」
「いる、ここに。あたしは……父上の力を譲り受けたのだから」
「往生際が悪い。お前はもう人間だ」
「……」
「それと、フィーリアよりフィーリィのほうが言いやすい。それが嫌なら――」
「……?」
「マグロと呼ぶ」
……なんで魚なんだよ!?
「もしくはシャケ。もしくはサバ――それも嫌なら、サンマだ」
「……。ケツの穴手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせてやろうかコラ」
「お前は女だろう、汚い言葉を使うな。まったく、理解できん……」
そりゃお前だよ! と叫び倒し地団駄を踏みたくなるあたしは、おかしいだろうか。魚の名前で呼ぼうとするやつより、よっぽどマトモだと思うのだが。
せめてクジラとかサメとか、イルカとかあるだろうよっ! なんで完全食い物系の海の生き物なんだ! いや美味しいけどね!!
――立ち止まったままこちらを呆れて見る勇者に対し、あたしは憤慨したように顔を歪ませる。やっぱり、理解不能。勇者という人間がサッパリわかりません。それとも、人間とはこういう生き物なのか? ……自分が一応同じだと思うと、鬱になる。
そして、そんなあたしに勇者は追い討ちをかけた。
「――さあ、どうする?」
「?」
「フィーリィ――お前は魚か、否か」
「否だよ!! ってか何気に父上のセリフをパクんなっ!!」
あ~ああもうっ!
誰かコイツをなんとかしてくれ!!
「そうだ、フィーリィ」
「……もう勝手にしろ……」
「マグロ」
「そういう意味じゃない!」
「フィーリィ。そういえばさっきの奴等はなんだったんだ? ドゥルーダム……がどうのと言っていたが」
……勇者って、疲れるタイプの人間だったんだな。もちろん疲れるのはこちら側。
あたしは諦めて、勇者にあそこへ行った経緯から話した――。その間、余計なチャチャを入れずに、勇者はちゃんと話を聞く。ガルガントという少年に会った事、ちょっと嘘を混ぜて追われていると言った事、あの夫婦の事情など――すべて話し終えたあとで、あたしは真剣に勇者の表情を伺った。
……もし今ので、勇者があの夫婦を“敵”と見なすならば。あたしは、全力で戦うつもりだ。父上が敵わなかった勇者に勝てるとは思っていないが――それでも、あたしは“魔族”の心を忘れたわけではない。
勇者がどの行動を取るか。あの夫婦には悪いが、見定めのため少し協力してもらった。……大丈夫、もし最悪の事態になってしまっても、絶対勇者を逃しはしない。相打ちに持ち込んでやる。
――だが、勇者は。
あたしが考えているような事には、ならなかった。
「そうか。あの夫婦も大変だな」
「……それだけ?」
「? ……あの夫婦も大変だな、とても可哀相に」
「言葉の少なさでなくて」
なに、コイツ馬鹿なの? 死ぬの?
「よくわからんが、俺は別に狙ってなんかいないぞ」
「……本当に?」
「あぁ。別に、俺の敵ではなさそうだしな」
……少し、いやかなり、拍子抜けだった。想像では……もっとこう、魔族にたいして恨みとか持ってそうだったから。
でも。それならば、何故勇者なんかになったんだろう? 勇者は魔族を滅ぼす存在だ……なのに魔族をみすみす逃すだなんて、こういっちゃなんだけど――勇者らしくなさすぎる。
少し興味が沸いたあたしは、今まで嫌悪していたのも忘れて――普通に、素直な疑問を問い掛けていた。
「ホントに勇者?」
「……ふ。よく言われる。基本的にいつも疑問系で問われるな」
「だろうね。今まで父上を襲って来た偽者勇者のほうが、よっぽど勇者っぽいし」
正直な意見に、勇者は初めて笑みを浮かべた。……その目を見張るような美しいほほ笑みに、少なからずドキリとする。
……イケメンとは、実にお得だ。多分大抵の犯罪も、そのお顔でパスされるのだろう。勇者の将来が不安だ。
「まあ、好きでなったわけでもないしな」
「……? じゃあなんで勇者に?」
「……。人探し、だな」
そう言って、勇者は何故かあたしを見つめたあと……含み笑いを返した。
……意味がわからん。なんであたしを見て笑う? ていうか、人探しで勇者になっただなんて……それで倒された父上って、いったい。あたし、惨めだ。
「……」
「……悪い、こんな理由で……お前の父を追い込んで」
「……別に。その人探しは、終わったの?」
「あぁ、見つけたよ。なかなか懐いてくれなくてな……ずっと不機嫌で、よく牙を向かれる。手を焼いているんだ」
「……? ふうん……猫みたいだね」
「ふ……あぁ、そうかもしれない」
この勇者が手を焼くほど、手強い探し人。いったい誰だろう? 間違いなく、勇者一行の中にいるはずだ。マリンベール? 違うな、幼馴染みと言っていたし。じゃあ、ジュエリー・クリアウォーターか? ……あれはどっちかというと、犬だ。
あと一行のメンバーと言えば……、聖職の小さな少女と槍使いの青年、エルフの女くらいか。……どれも、猫といった印象は受けないが。いったい誰なんだ?
「勇者にも手名付けられない奴っているのか……」
「……まあな」
「凄いなぁ」
「……あぁ、いろいろと凄いよ」
再び含み笑いをする勇者を怪訝に見つめて、あたしは首をひねった。……へんなの。
――しかし、どうやら勇者はそこまで悪人じゃないことだけはわかった。それを知ってなんになるんだとも思うし、憎らしい気持ちがなくなったわけじゃないけれど……前よりはムカつかない、かな。
父上のためにも、人間になろうと努力はしたい。そのためにも……勇者のことを少しずつ、許していかないといけないだろう。今は殺してやりたいくらい憎いけど、もうちょっとしたら――噛み付きたいくらいに、ね。
はぁ……出来そうにないなぁ。