四
――草木も眠る丑三つ時。たしか異世界では、それを夜中の二時ぐらいだと言うらしい。丑の刻とは午前1時から3時までの頃を言い、その2時間を4つに分けて三番目――という意味が、丑三つ時。……つまり、正確には午前2時から2時半の時間帯なんだとか。
父上が母にそう聞いたと言っていた。父上はかなり好奇心旺盛だったので、きっと昔は母に質問責めをしていたのだろう。そんな絵を思い浮かべたら、なんだかおかしくなって笑ってしまった。
……遊び疲れたのか、ガルはスヤスヤ眠っている。あたしはガルの頭を撫でながら、窓から覗く闇夜に浮かぶ月を――呆然と見つめていた。そう、草木も眠る丑三つ時に。
「……はぁ」
……夜は、一番好きな時間帯だったはず、なんだけどな……。今となっては、どの時間帯も身体が重いよ。まぁ、それは多分父上の魔力を引き継いだばかりで、かなりの重量にまだ馴染めてないだけなのかもしれないけれど。
魔力は魔族以上、でも体力は魔族の平均以下。……結構落ち込む。結局は、あたしも人間なのか。
ガルから手を離し、あたしは窓際に向かう。少し冷えてきたし、窓開けたままじゃガルが風邪を引いてしまうだろう。ハーフではあってもまだ子供なんだから。
……こんな事してると、本当に“お姉ちゃん”って感じだなぁ。兄弟なんているはずもないので、どう対応すればいいのかぶっちゃけわからないんだけどね。ま、愛でればいいのか。
と、その時。
「……んっ?」
窓の下――あそこはちょうど、玄関のあたりだろうか。二つの人影が蠢き中に入ったのを見て、あたしは少し警戒をした。
先ほどの影は、大人のものだ。だが――ここにはキュディさん以外、大人はいないとガルから聞いた。ならば、今のは誰だ? ……勇者、じゃないよね。
再び手に入れることのできた安らぎ――それを、またもや同じ人物に奪われるというのか? そう思ったら震えが止まらなくて、あたしはただ息を潜めて探りを入れる。少量の魔力を、紐状にするかのように……孤児院全体に這わせた。そして、目的の人物に行き渡る。
「……? これは……」
あたしは気付く。
これは――この魔力は、勇者じゃない。勇者一行のものでもなく、それ以前に……“人間じゃない”。これは、完全な魔族だ!
「――? なんで……こんなところに、魔族が」
魔族と共にいるもう一人は、間違いなくキュディさんで……。いったい、どういうことだ? と小首を傾げる。もしやキュディさんは以前、魔族を殺してしまったとか? そしたら掟を守るため、魔族がここへやってきていてもおかしくはない。
いやでも、キュディさんは普通の人間な上、女性だ。とても魔族を殺せたとは思えない。でも実際魔族はここにいるのだし――やっぱり、他に理由が見つからない。
……あれ? でもそれは、つまり……その考えが正しかったとしたら。キュディさん…………超危なくね?
「――っ!!」
あたしは一気に覚醒する。なに今までゆったり状況把握なんてしてたんだ、馬鹿ッ! キュディさんが死んだら、ガルだけじゃなく、この孤児院の子供達が……!!
一瞬でパニックになるあたしは、きっと父上の時並に焦ったんだろう。気配のするリビングへ行かなければと階段を降りようとして踏み外し、どこの漫才だと言わんばかりの華麗な流れで、そこを転がり落ちた。
ドスンとリビングに登場するあたし。……あたしはやはり、ヒーローにはなれなさそう。
「いっつつ……」
「まあっ! 大変だわ、大丈夫フィーリアちゃんっ!?」
「――え? フィーリア……? ま、まさか姫様ですかっ!?」
えっ? と、数秒ポカンとするあたし。
……待て、どういうことだ? キュディさんがあたしを心配して駆け寄って来たのはいい。あれ、でも緊急事態なんじゃなかったんだっけ。今にも殺されそうになってたんじゃないの? キュディさん。
ていうか、今、この魔族はあたしを……姫様と呼んだのか? 誰……? 今いったいどんな状況なんだ。
そんなあたしの混乱を感じとってくれたのか、目の前の魔族は――片膝をつき、深々と頭を下げながら言った。
「お初にお目にかかります、姫様。わたくしの名前はギルヴェール。種族は夢魔――インキュバスです」
インキュバス。……なるほど、道理で彼の魔力から甘い香りするわけだ。インキュバスとは――つまり男性の夢魔、淫魔のこと。地位としては魔族の中で少し低いのだが、世界にとっては一番重要と言える働きをしているであろう。
彼らは誤解されがちだが、別に好きで“やる”ような淫乱ではない。世界から人間を消滅させないように、繁殖を促しているだけなのである。少子化になると困るからね。
それに彼らには、性別がない。たしか決まった年齢を過ぎたら――自分が男として生きるのか、女として生きるのかを決めると聞いた事がある。
サキュバスが女の夢魔で、インキュバスが男の夢魔――決まった年齢を過ぎたら一応性別が別れるとはいえ、たしかいつどんな時にでも性別を変えれるはずだ。
夢魔は、サキュバスになって人間の男から精を奪い――インキュバスとなって、女へ注ぐ。こうして人間を育てていっているのだ。決して自分の血が交ざった子供を作る事はないのだが、ただやっている事が“いやしい”というだけで……様々と誤解が多い。ちょっと可哀相な種族でもある。
――ふむ、それにしても。このインキュバス、誰かに似てるんだよな。さっきから気になっていたのだが、なかなか思い出せない…………つい最近見た事あるような。
「お怪我はありませんでしょうか、姫様」
「え? あ、あぁ……うん。大丈夫。それより――ギルヴェールさん」
「そんな……どうぞ呼び捨てに」
「ううん、しない。あたしはもう姫じゃないんだから。ギルヴェールさんも、堅くならないで普通に接してほしい」
勇者達とは明らかに違う、この対応の差――父上が見たら笑うだろうな。あたしは心中クスリと笑いながらも、先ほどから質問したかった内容を聞いてみた。
「ねぇ、ギルヴェールさん。魔族の貴方が……何故こんなところに?」
……そう、それなのだ。夢魔――インキュバスであろう魔族が、こんな人っ気のない孤児院まで来て、人を訪ねている。最初は掟に従ってキュディさんを殺しに来たのかと思ったけれど、そうでもないようだし……。
彼らは人が沢山溢れる場所へ行くはず。ここへ来る意味は……なんだ?
――ただの疑問として、質問したあたしだった。しかしギルヴェールさんは突如慌て出し、流れるような動作で、頭と手足を床についた。
……これは所謂、土下座、というやつですな? 異世界に伝わる、究極の平謝り方法なんだとか。父上が教えてくれたが、見るのは初めてだ。なんと美しいフォームだろう。
あたしが呆然として見つめる中――ギルヴェールさんは、その沈黙を怒りと受け取ってしまったらしい。何度も頭を打ち付けながら、寝耳に水な言い訳を話し出した。
「も、申し訳ありません……! 俺……い、いや私……夢魔のくせして人間の女に夢中になってしまって、それで子供まで作ってしまって……! でも以前頑張って彼女――キュディを忘れようとしたんです!」
「え? え?」
「ですが……仕事をしようと思って、人間の男から精を奪うもののっ……女へいざ流し込んでやろうと思ったら、全然息子が機能してくれなくて! なのにキュディに会ったら何故かギンギンで!!」
「やっ……ちょっ」
そこまでカミングアウトしろとは言ってないよ、あたし!!
「本当に……! 本当に申し訳ありません! 俺のクララはキュディという名のハイジにしか立たせられないんです!! 夢魔としてサボるこんな馬鹿をお許しください……!」
「ちょっ、待った今のネタの意味があたしわからないよ! どういうこと!?」
「あぁ俺ってなんてダメなんだ……! インキュバスとして終わってる……サキュバスとしても生きていけない! いや、女としてキュディに一度は抱かれてみたいと常々思っておりますが!!」
「ねぇひとまず話聞こうよ!」
気持ちよく断言をしてくれるギルヴェールさん――内容がすべて下ネタというのが、なんとも救いがたいのだが。
しかし、今のでだいたい掴めて来た。どうやらこの二人は、ちゃんと愛し合っているようだ――人間と魔族、夢物語の恋愛を……目の前で見てしまうとは。下ネタはいただけないが、ギルヴェールさんのキュディさんを真剣に愛する心は、よく伝わったし……心配は全くなさそうだな。子供までいるらしいから――って!
「子供ォ!?」
素頓狂な声をあげ、あたしは目をカッ開く。
「こっこっ、こどこど、子供!?」
かなりの時間差があったものの、あたしはようやくそれを理解しはじめた。子供まで産まれてるなんて……、そりゃ焦って謝るよね。
何故なら、先ほども言った通り――夢魔は人間との間に、絶対子をなさない。夢魔は、下級な地位ながらも“魔族”としての誇りを持っているから。だからどの魔族よりも夢魔は人間を“愚か”だと見下している。
……そんな、夢魔が。
インキュバスが。
人間に――恋をした。しかもその人でしか興奮が出来なくなってしまうという、御墨付きで。……まったく信じられない。むしろ、あり得ないだろう!!
それに大変なのはここからだ――あたしが知識として知っている中で、人間と夢魔の間に子供が出来たなど……実例がない。どう育つのか、どうなるのか、何もかもが――謎なのだ。
人間にもし、それが知れたらどうする? 間違いなく玩具にされるか、売られて奴隷になるかの二択だろう。断じて、それだけは阻止せねば。
「……はぁ……」
「申し訳ありません……姫様」
「……いや、別に怒ってないよ。恋愛は悪い事じゃないから」
それに、父上は人間である母に恋をしたんだ。なんの不思議もないだろう。……いや、驚いたけどね。
――あたしは一度冷静にものを考えようと、小さく深呼吸を繰り返した。夢魔であるギルヴェールさんと、人間であるキュディさん。二人は出会い、愛し合い、子供ができ、そして産んだ。……はて、そういえばその問題の……子供は?
…………あれ、嫌な予感がするぞ。
――ぎぎぎ、と。ぎこちない動きで首を動かし、あたしはキュディさんを見つめた。キュディさんは、ニッコリとほほ笑みながら――たった一言。
「そっくりでしょう?」
……その言葉だけで、充分わかりましたとも……。
タイトルの二名がまったく登場しない件(笑)
次回勇者を必ず出します。