三十一
悪気など――いや、悪気はあるがそれについての反省などまったくないあたしは、悪戯が成功しそうだと無邪気に喜んだ。父上がいなくなってからこういった事を試せる相手がいなかったので、ちょうどよかったかもしれない。
あたしは再度風の魔法を操りながらも、なるべく追いつかれないようにと、風でヴェラリエル船から逃げる。……しかし、生き物の力には勝てない。もってあと四、五分――まあそろそろみんなも、準備が出来ているだろう。あの生き物も必死だ。見た事ない生物だが、いったいあれはなんなのだろうか? ……ヴェラリエルの守護神とは聞いたが、守護神というには少し禍々しい姿だ。
たとえるならば――その姿形は、まるで海を泳ぐ蛇のようで。しかし頭は人の顔に見えなくもない風貌なものだがら、まったく恐ろしい姿である。“魔”の気配を感じない事からして、魔族とは違うみたいというのはわかるのだが……。本当にあれは何者だろう? あのような存在を守護神と呼べるヴェラリエルも、まっとこ肝が据わっている。
あたしはチラチラとヴェラリエルの船を引く生き物を気にしつつも、少しでも時間を稼ぐ事に専念した。きっと一悶着あるだろう……特にヤイバとキースファイアの間で。ついでに何も知らない勇者が巻き込まれてだけど。そう危惧をしつつも、あたしは人知れずワクワクとするのだった。
――そして。
とうとうその時がやって来る。
「船を止めた! いいか、この俺様が合図するまで持ち堪えろ!!」
武装を完璧にしたエーファンは甲板に現れるなり、すぐさまそう言った。あたしは魔法を止め、エーファンから譲り受けた刀――“友情”を握り締める。
「よく聞け! 死者は少なめに、そして……何時いかなる時も! 海賊としての誇りを忘れるな!!」
船に衝撃が走る――ヴェラリエルの船が、この船に突っ込んで来たのだ。
あたしはしゃがんで衝撃をやり過ごし、乗り込んで来る兵士達を垣間見た。……奴等は本気だ。あたし達を殺してでも、大切な“お姫様”を奪い返そうとしている。それだけ――奴等、国王陛下が本気だという事。そしてもちろんその中には、その国王陛下――キースファイア・ロゼ・ヴェラリエルもいる。エーファンは一目散に、そいつへと向かい、対峙した。
これは見逃せない……あの語り継がれている伝説のライバルが今こうして、再び火花を散らしているのだ。今度は、妹であるヤイバのために。しかし今回は、キースファイアの方が本気――! ああ、あたしは今までこんな白熱しただろうか。ただ見ているだけで。
「――こらっ小娘! 戦闘中によそ見すんな!!」
あたしの真後ろに迫っていた兵士をみぞおちに一発くれてやりながら、ベルはあたしに叱咤する。それに、んべっと舌を出した。
「今忙しいんです! それに勇者との約束で、広範囲の魔法は町でなくてもあまり使わないようにって言われてるし。なにより防御魔法かけてるからボーッしてても安全だよ」
「まったく……、おっと!」
ベルは兵士の剣をギリギリで横にかわしながら、右ストレートをお見舞いする。そういえば、ベルってたしか槍使いだったような……へえ、武器なしでも案外戦えるじゃないか。ベルが殴り飛んで来た兵士をスラリと避けながら、地味に感心する。
……しかし、武器を使ったほうがもちろん早いだろう。けど死者は出しなくないとエーファンも言っていたし、ベルもうっかり殺さないように武器を持ってこなかったようだ。……と、すると。こちらは案外不利なのでは? 向こうは殺る気満々なのに、こちらはそれをうまくかわして気絶に押しとどめなければならない――やっぱり手伝ったほうがいいのかな。
魔法に頼りっきりのあたしは憂鬱に感じながらも、いい方法はないかと模索する。やっぱり少しは戦闘に混じりたい……なにせヤイバが間に挟まれているのだから。エーファンはなんとか逃げるつもりらしいから、二人の間を今取り持つ気は多分ない。それならば、あたしも積極的に加わらなければ。
――あたしは一度防御魔法を解除して、違う魔法をかけ直す。かけたのは、相手の“弱点”を探る透視魔法。しかしこれは人間が使う物とは少し違い、あたしのは魔族の中でも限られた者しか使えないという――それはそれは、貴重な魔法なのだ。対象の一番弱い部分が色で判別されており、視界にハッキリと映る優れもの。
たとえば――今ロックハートと戦っている女兵士。奴のみぞおちあたりには、赤い光が見える。奴は胃が悪いのだろう。赤色の弱点に殺傷能力は一番ないが、攻撃をすれば動きは一時的にとまってしまうだろう。そしてその赤よりも濃い色――赤黒いとでも言えばよいのだろうか。その色をした弱点を打てば、気絶をしてしまう。
最後に……これは命あるもの共通なのだが、ほぼ全員にある黒色の弱点。それは心臓のあたりだ。あと、頭にもある。説明しなくてもわかるとおり、そこを打てば……命に関わる。まぁ、素手ならば死ぬ事はないのだけど。だから素手で戦う場合、一番いいのは……赤黒く染まった弱点のほうなのだ。
あたしは迫り来る兵士の“弱点”をしっかり観察してから、行動に出る。
「――よし」
ちょうど自分に襲いかかろうとしていた、大柄の兵士に目眩ましとして首に――赤色の点に、ラリアットを。そして油断しているところ続け様に赤黒い点へと飛び蹴りをかましてやる。大柄な兵士は痙攣をしたのち……泡を吹いて気絶してしまった。
……力加減を考えていなかったようだったが、でも死んではないし……ギリギリセーフだろう。
しかし。勇者には黙っていようとひっそりと思っているところに、またもやベルは現れた。その表情たるや……なんともグチャグチャにしてやりたくなるような、にやついた笑みを浮かべて。
「へーえ、やるじゃないか。今まで魔法しかとりえありませんって顔しといて」
「……、魔法が得意なのは事実だし」
「でも普通に戦えるわけだ。いやあしかし、酷く打ちのめしちゃって。これを勇者が知ったら――うおわっ!」
「すまん、足がすべった」
「どういう滑り方したら顔に飛んで来るんだ!! 明らかに狙いをすましてただろう!?」
あたしは素知らぬふりをしながら、次々に襲いかかってくる奴等の弱点を打っていった。たまに殴り、蹴り、鞘のまま刀で突く。
「まったく! ……それはそうと、勇者は今どこでなにをしてるんだ? こんな大変な時に」
「……あ。起こして来るの忘れてた」
「はあ? もしかして寝てるのかい? ……珍しいねえ、最近のアイツにしては」
ベルはサラリと攻撃を避けながら、呆れたように溜め息を一つ。
ベルの言いたい事は、多分周知のとおり……朝昼晩とあたしを追いかけ回していた事について、だろう。どう考えてもあたしより睡眠時間が短かったはず。それが今になっていきなり来てしまったのだ……呆れたいが邪魔もしたくない、そんな気持ちなのだろう。再度ベルは溜め息を吐いた。
「まぁいいか。勇者がいたら面倒だしな」
「勇者が海賊の味方だから?」
「それもある」
も? ……それだけじゃないというのだろうか。
兵士達が、海賊の重要な戦力らしいあたし、ベル、ロックハートやマリンベールに狙いを定め始める中――あたし達は、互いの後方にいた兵士を蹴りあげながら背を合わせて会話を続けた。
「勇者は剣を持ってもヤバイが、素手でもヤバイ。一発が重いんだよな……見た事のない複数の格闘技を使ってるんだ」
「見た事ない格闘技?」
「彼は異世界人から教わったと言っていたけど、あとは自己流なんだそうだよ。その異世界人っていうのが、ほら、オールドビリでも僕が言ったろう? “サクラ・キクノウチ”だよ」
っええええ!? と、声にもならない叫び声をあげたあたしは、ついうっかり力を入れてしまった。そのせいで攻撃を受けた兵士が吹っ飛び、数人を巻き込んで――海へと真っ逆様に落ちて行ってしまう。
巻き込まれたのは味方ではなかったので、まぁ結果オーライだ。ギリギリ巻き込まれそうになって青ざめていた船員を横目でみながら、あたしはおちゃめに笑った。
「おいおい、力加減を考えなよ」
「……いや、本当に滑っちゃったもんだから」
「ふうん? 力にもそんなのがあるのか」
いやないけど。とは言えないあたしは、「ハハハ」と枯れたように笑う。まぁ嘘でもないし、いっか。
あたしは話を戻そうと、ベルに問う。
「……で、勇者ってその異世界人とどういう繋がりが?」
「繋がり? ん~知らないけど、多分勇者がオールドビリに住んでた時知り合ったんじゃないかい?」
「……え? 勇者ってパリシュ出身なんじゃないの!?」
愕然としたあたしは、また危うく力を入れそうになった。それをなんとか制御する。
……しかし、驚いた。勇者がまさか、オールドビリに住んでいただなんて。もしあたしが人間として過ごしていたならば、あたしは今ごろ間違いなく勇者と知り合いになっていたということか。なんの因果だ、これは。恐ろしい。
「出身はパリシュだよ。ただしばらくオールドビリに居たってだけで」
「へ、へー……」
「多分親父さんが、外の世界を知った方がいいって言ったんだろ。知識があっても実際に知らなければいざ家を継ぐって時に困っ…………しまった」
ベルは、いかにも“口がすべった”とでも言いたげな表情をして、口を噤んだ。もちろん聞き逃すはずもないあたしは、引きつった笑みのまま――ベルに追求をする。
「え……家を継ぐって? 勇者、マリンベールと同じ孤児院育ちじゃない……の?」
「……いや……あの……」
「い、いい家育ちなのアイツ!? アレで!? あの黒さで!? あんなのがいい家で育ったの!? ていうか育てられるの!?」
パニックを起こすあたしに、ベルは「落ち着け」と言いながら――敵を蹴りあげていた。その飛んで来た敵をあたしが気絶させて、投げ飛ばす。完全に息の合ったあたし達に敵は若干怯むが、なおも気丈に戦いを挑んできた。それを背中を守りあった状態で、少しずつ蹴散らしていく。
――しかし、しかしだ。ベルの言った通り落ち着きたいところだが、それどころではない。聞きたい事は山程ある、でもなにから聞けばいい? 何故いい家の坊ちゃんが勇者なんぞしているのかとか、何故そんな黒く育ったのかとか? ……それにだ、さっきから嫌な予感がしてならない。
パリシュ出身のいい家育ち。そう言われてあたしが思い付くものなんて、ただ一つ……。
「……あー、違う違う。王族なんかじゃないよ。それは僕だけ」
「よ、よかった……一人ならぬ二人までもそうだったらと思うと、夜も寝れないよ」
「まあ君もまったく気にした気配はなさそうだけどね」
冷静につっこまれる。
「……ま、ともかく。王族ではないにしろ、アイツもそれなりなお坊ちゃまって言う事。僕が言ったなんて言うなよ?」
「それは今後のベル次第でしょ」
「……さっき兵士を殺しそうになったとげろっていいならば」
「ちっ」
交渉成立。互いに嫌味な表情を浮かべつつ、その思いのたけを敵にぶつけた。……だが、あたし達は気付かなかった。背後から迫る鬼――その、本当の敵の存在に。