二十四
「人の部屋の前でなにイチャついてんだよ……勇者」
そんな、呆然とするあたしの耳に届いたのは――憧れのあの人の声で。呆然から驚愕に変わり、それはそれはもう愕然とした。世界の終わりとはこの事か……なんて言葉すら浮かんで来るのだから、今のあたしは相当末期だと呼ばれてしまうのだろう。
もう反抗する気も失せてしまったあたしは、大人しく勇者に抱っこをされたまま――己の不幸を嘆いていた。……勇者という名の化物に勝とうなど、最初から無謀だったのだ。そう納得してしまわなければ、あたしは半狂乱に陥ってしまいそうだった。
「ま……それはおいといて。勇者、ABCはどこまでいった?」
「……さあ?」
「その反応はなんにもしてねぇな? かーっ、男じゃないね~。男ならもっとこうガツンといけ、ガツンと! 俺がサヤコと初めて会った時なんか、挨拶のキッスを熱烈にしちまったくらいだっつーのに」
「……なんでお前みたいなのがすぐ捕まらないのか、俺は日々疑問だ」
「イケメンだからだろ」
もし、今の言葉を勇者が言っていたならば……多分あたしは、迷いなく最大限の力で殴っていただろう。ついでに回し蹴りも含めて。それが許されてしまうから、エーファンは凄いのである。
話が済んだ様子の二人は、「また午後に」という会話を最後に、それぞれその場を去った。あたしはもちろん勇者にお姫様抱っこの状態のまま連れられていき……途中一応お手洗いによってから、再び部屋に戻どされる。その間ももちろん、あたし達の間で会話はなし。重たい空気の中重たい無言だけが続いていた。
多分部屋の外には勇者が見張りをしているんだろう――あたしはひとまずソファの上でほっと一息吐く。ヤイバはまだ寝ているようなので、なるべく静かな溜め息を。
「……はあぁ……」
……わからない。彼はなにを考えているのだろう? いったいなにが目的なんだ? あたしはなにか、勇者の逆鱗に触れるような事をしたのだろうか……身に覚えは、一切ないのに。むしろ逆鱗に触れて来るのは毎回向こうだ。
しかし勇者が、なにかにたいして怒っているのはたしかな事実……。でなければ勇者が、あのような行動を起こすまい。なにか理由があってこそ、だ。……でもその理由が皆目見当もつかない。一生懸命悩んではみるものの、あたしの頭脳では確実に許容範囲。言いたい事はハッキリ言う人ばかりの中育ったものだから、深い追及の仕方がわからない。
……なにか、いい案はないのだろうか。
「お悩みかなー? 恋する乙女よ」
「――っ!!」
ドキーン! と悲鳴すらあげれないほど、あたしは飛び跳ねて驚いた。……またか。ヤイバお得意の、気配消しだ。これをやられるたんびに、あたしは寿命が縮まっているんじゃなかろうか……と密かに危惧している。
いつの間に起きたんだろう? あたしはびっくりした後に襲う己の羞恥と戦いながら、ヤイバをジットリとした視線で睨み付けた。
ヤイバはケラケラと笑いながら、言う。
「あっはは! メンゴ」
「……? メンゴ?」
「あ、知らない? ゴメンを逆から呼んだだけだよ」
「……しょうもな……」
「失礼な! 一時期は流行ってたんだよー」
「一時期は、ね。……ていうかいつから起きてたのさ」
あたしはヤイバに問う。
「んー? ついさっきだよ。……いやマジで。信じてなさそうだけど」
「……」
「まぁ正確に言うならば……フィーリアが“ぴっ!”とかいう可愛い悲鳴をあげた時くらいからかな」
「ほぼ最初からじゃん!!」
ギョッとさぜるを得ない答えに、あたしはただ仰天。起きていたなら普通に話しかけてくれてもいいのに――まぁ、たしかにヤイバの性格は“楽しそうな事が起きたらバレないように伺う”がモットーだ。この三日で把握している。
呆れの溜め息を吐くあたしにヤイバはなおも楽しそうに笑った。ホント、いい性格してるよコイツ。一番長生きしそうなタイプだよ。
――そして、気がすんだのか。ヤイバは欠伸を零しつつ、テーブルの上にあるポットでコーヒーを作りはじめた。カップは二つ。あたしのぶんも作ってくれているようだ。ヤイバはたしか甘党だったから……と、あたしは棚から砂糖を取り出して、テーブルにおく。
「ありがと。……で、なに悩んでるわけ?」
「……聞かなくてもわかるでしょ」
「まぁね。勇者ってわりには何か怖いよねぇ、あの人。昔は巷でブイブイ言わせてたとか?」
「ブイブイ……は、言ってないんじゃない? ていうかあたしも仲間入りしたばっかだし」
あー、そんなこと言ってたね。と、ヤイバは呟いた。あたしの内情やあれこれは、もうヤイバにすべて話してある。だからあたしが魔王の義理の娘ということも、もちろん承知済みだ。勇者にも一応聞いたが、「別に言ってもかまわない」と言っていたから、問題はないだろう。
たった三日、されど三日。多分間違いなく、あたしが人間界に来てから一番仲がよくなった純粋な人間は……ヤイバだけなんじゃないだろうか。ま、異世界人なのだけど。それでも間違いなく彼女は人間――あたしの初めての、人間の友達だ。
そんなあたしの友、ヤイバは。出来上がったコーヒーを啜りながら、「ずっと気になってたんだけど」と言葉を濁した。
「なに?」
「いやー、聞いてもいいのかなぁって」
「?」
「……。あのさ、なんでファニーに会おうとしてるの? 握手とかサインのためだけじゃなさそうに見えるんだけど」
ヤイバなにり、聞いてはまずい事なのかもと気を使ってくれていたようだ。……たしかに、あまり知られたくない事でもある。恥ずかしいしね、母親の情報をちょっとでも知りたくて聞きにいこうとしてる、なんて。
しかし、絶対知られてはいけない事でもなかったので、あたしは扉を気にして少し音量を小さめにしてから……言った。
「母親の事をね、聞こうと思って」
「母親?」
「うん。……サクラ・キクノウチっていうんだけど。ほら、あたしの使い魔――ギルさんいるでしょ? その人が教えてくれたの」
あのお墓で初めて会った時、いた場所だよ。そう言ったら、ヤイバは思い出したように頷いた。
「サクラ・キクノウチ……? あぁ、サクラさん! 菊之内桜さんね!」
「……え、知ってるの?」
「うん。だってたしかその人、あたしのお母さんの妹だもん! 突然行方不明になったんだってー。ファニーから聞いて、ファニーはお姉ちゃんから聞いて、お姉ちゃんはここに来て知ったみたい」
あたしは笑いながら「へー」なんて、危うくそれを聞き逃しそうになっていた。そんな偶然もあるんだねーそうだねー……と、普通に。しかし、しかしだ。あたしは――ヤイバも一緒だったが、その会話の後それはそれは長いこと沈黙していた。冷静に……その“意味”を理解するために。
あたしとヤイバの母が、姉妹。それはあたし達の血が繋がっているということであって、つまり親戚と言う事であって、所謂あたしたちは……一般的に言う、従姉妹、というやつであって。それは友達や親友以前に――家族、というやつなわけで。
――数分だろうか? ハッとしたあたしは、ヤイバを見る。あたしより先に理解していたヤイバは、その瞳に星が瞬いているかのように輝きを映しており……いつでも抱きつけれるような体制を作り上げていた。あたしも理解したのだと気付いたヤイバは一言。
「喜びを噛み締めるため抱き付いてもいいですか?」
「どうぞ」
ぴょいーん! と効果音がつきそうな勢いで、ヤイバはあたしに抱き付いて来た。その事実に興奮しているあたしも、そんなヤイバを抱き締め返す。
……うそ、みたいだ。信じられないけど、でも嘘じゃない。あたしはヤイバの従姉妹で、ヤイバはあたしの従姉妹。血が繋がっている――あたしの唯一の、家族なんだ。これを喜ばずに、どうしろと? 家族はもういないのだと思っていたのにもかかわらず、まさかのまさかで親友の契りを交わした人が――従姉妹だっただなんて。
父上もいない、母もいない、本当の父もすでにいない――そんな中あたしは、人間界で独りぼっちなんだと思っていた。しかしそれは違って、あたしにはまだ残り少ない“家族”がいて……しかもそれは、“異世界”からやって来てくれていたんだ。
夢だった。本当に血の繋がった誰かに会えるのを……ずっと、ずっと待っていた。そしてあたしは今……出会えたんだ。感動の涙? そんなものはでない。だって感動し過ぎて、涙を流す事さえ忘れてしまったんだから――。
ひとしきり抱き合って騒ぎ合ったあと、あたし達は一旦落ち着こうと冷めたコーヒーを啜った。しかし、口元の緩みは互いに治まらない。ヤイバなんか一番だるんだるんだ。いや、人の事は言えないのだけれど。
でも、こうなってしまうのも仕方がないとは思う――あたしにとっては唯一の、血の繋がりを確認できる人が現れたわけで。ヤイバにとっては、異世界に来て家族なんかここにはいないと思った時に……あたしが現れたのだから。それは稀にある事などではなく、ほぼ“奇跡”としか言い様がない貴重なもの。
それぞれがそれぞれの気持ち……理由を持ち、喜んでいる。カップを持っていない空いている手は、存在を確かめるようにしっかり繋がれていた。
まさかの事実。
ヤイバちゃんはフィーリアの従姉妹さんでした。ちなみにヤイバの正式名称は、仙石刃。姉のサヤコは仙石鞘子です。天真爛漫なヤイバは、煌めく刀のような刃を持つ危なっかしい子で、そんな刃をおさめるのが優しいサヤコ……刀の鞘ですね。
一度別の物語にしてヤイバを主人公にしようとしてたんですが、面倒だったので止めました(笑)
そして段々ジリジリ迫ってくる勇者。次かその次くらいには、もっと迫って来るんじゃないかなぁと……多分。
それともし誤字脱字等がございましたら、連絡いただけると助かります。一応確認はしておりますが……執筆者は究極のうっかり屋です。どうぞよろしくお願いいたします。