二十二
ふと、勇者の顔が過ぎる。
……勇者。たしかにアイツは気になる存在ではあるけれど、別にそれは恋愛感情ではなくてただの興味本意というか――あれ? じゃあ恋愛感情って、いったいなんなんだろう? やばい、混乱してきた。
パニックになったあたしは、とりあえず仮に勇者を好きな人だと仮定してみる。……するとなんて事だろう。あたしの心とは意を反して、なぜか顔が真っ赤になってしまった。それに気付いたヤイバは、どの魔族も土下座をするような悪い笑みを浮かべる。
「顔真っ赤ー! さては好きな人いるんだなぁー?」
「ばっ……ちが、違う! ていうか声大きいから!!」
「ちょっといったい誰――」
――その時。
前方の方で、バキィッという木を割るような音が響いてきた。それに気を取られたあたし達は、同時にそれを伺う。……そこにいたのは勇者で、不自然なくらい前を見つめたまま……エーファンから渡された木刀を、真っ二つにしていた。
それに仰天し、驚くあたし達。もちろん驚いたのはあたし達だけじゃなくて、プリエステルもジュエリーも、ベルも目を点にしていた。ロックハートとマリンベールは、何故かハラハラとしながらあたしと勇者を交互に見ていたが。
あのエーファンまでも絶句するほど驚いていたのだが、誰よりも回復が早かった彼は……勇者から真っ二つの木刀を受け取りながら、「かえを持って来る」と言って中へ入って言ってしまった。
気まずい空気の中、隣りにいたヤイバが一言。
「ははーん、なるほど」
「? え、なにが……」
「んー……ま、気にしないでいいよ。ところで好きな人は誰?」
再びふられた話題に、あたしも再び赤面する。さっき仮定した好きな人候補が、あまりにも強烈だったのだ。……だ、だって、勇者はあり得ないよ。さっきもそう思って、くだらないと封をしたばかりなのに!
早く早くとせがむヤイバに、あたしは困惑する。どことなく、皆が聞き耳を立てているような気がしてならない。焦る気持ちを押さえながら、あたしはヤイバに言う。
「ちょっ……! だから別に好きとかそういうわけではなくてっ」
「いいからいいから、ほら、コッソリと!」
ヤイバはあたしの顔に、耳を近付けた。
「……い、言わない?」
「当たり前でしょ!」
「……あ、あの……本当に好きな人ではないからね。気になるってだけで、しかもそれは興味本意で」
「オーケーオーケー!」
「……」
あたしはゴクンと唾を飲み込み、ヤイバにだけ聞こえるように小声で耳打ちをした。……その声も、若干震えて聞き取りにくかったろうに。それでもヤイバはしっかり聞き取ってくれて、キラキラとした瞳のまま――笑いながら叫んだ。
「いやー! ほほほ本当に!?」
「きょ、興味本意だから!」
「禁断の恋ー! あまーい!!」
「だから興味本意なんだってば!!」
今にも爆発する勢いで興奮するヤイバには、最早なにを言っても無駄にしかならなかった。それでも声の音量をなるべく落とさせようとするのだが、それは叶わず……ヤイバは危うい情報を漏らしてしまう。
「この恋は絶対叶わない……それでも相手を思う熱い気持ち! いやぁ、アネゴと呼ばせてください! こんな興奮する人間と魔族の大恋愛はないよ!!」
「っぎゃあー! ダメ、たんまたんま!」
人間って言っちゃダメですー! あたしの場合人間界に来て日が薄いから、人間を限定にすると限られちゃうんだってば! そう小声で言うと、ヤイバはやはりニンマリとした笑みのまま――言った。
「ねぇヤイバ」
「……?」
「突然だけど、好きなタイプは?」
「は? ……うーんと、父上みたいな人かなぁ。あたしよりも強くて、でも少し文句とかも言い合えるような人で……あと優しそうな色を持った髪で、目は細目がいいかも……タレ目も好きなんだけど、やっぱりキツネみたいに細いのも……。あ、それとちょっと正義感が薄い方がいいかな。熱血漢は大嫌いだから、ちょっと裏ボス的存在な……」
そう言っている途中で、ヤイバは突然あたしの肩にポンと手をおいた。あたしは目を点にする。
「フィーリア、それ、誰かに当てはまると思わない?」
「へ?」
「たとえば……あそこにいる白銀の青年とか」
それを聞いた瞬間、あたしは咄嗟に勇者を見てしまった。……勇者はこちらを見たまんま、静止している。
あたしのタイプが……勇者に? でもたしかに、あたしより強くて……言い合いもできて……優しそうな白銀の髪をしていて……そして細目の瞳……正義感溢れる勇者らしくない性格をしていて、裏ボス的な存在だ。
いや、でも、そんな……。
「ないないない! アイツだけは絶対にあり得ない!!」
「えー、そうかなぁ」
「そうだよ! あれは論外! むしろ規格外!!」
「ふうん?」
納得していないような顔をするヤイバに、あたしは更なる質問を避けるため――逆に質問しかえした。「ヤイバはいったい誰が好きなの?」、と。
……それを聞かれた瞬間、ヤイバは照れたような、しかし少し悲しそうな表情を浮かべる。好きなのに、なぜ悲しそうなんだろうか? あたしは不思議そうに彼女を見つめた。
ヤイバは、苦笑して呟く。
「ファニーには言わないでね、アイツああ見えてお節介だからさ」
「? うん」
「……アタシね、ヴェラリエルの国王陛下が好きなの」
えっ? と、あたしは目を点にする。だって、ヴェラリエルの国王陛下って……。たしかヴェラリエルの国王は、異世界人を召喚してその者を妃にするという風習があったはずだ。だからそれが嫌だったために、彼女の姉サヤコは……ヴェラリエルを抜け出した。
……じゃあ、何故ヤイバはヴェラリエルから逃げているのだろう? 大人しくしていれば、ヤイバは好きな人と結ばれるというのに。……困惑するあたしに、ヤイバは笑った。そして、その視線を……長く続く海へと移す。
「――たしかに、逃げる必要ないよね。だって黙ってれば結婚できちゃうんだから」
「……」
「でも。……心は、手に入らない」
そう言って、彼女は……。悲しみの涙を、一粒ながした。
「キースは――国王陛下はね、お姉ちゃんが好きだったんだ。だからまた召喚しようとしたんだけど、失敗して」
「……」
「……アタシはね、妥協したくないんだ。だから逃げるの、好きな人のために」
辛くて切ない、甘い片思い。あたしよりも、断然ヤイバのほうが物語っぽいじゃないか。好きな人のために彼女は精一杯見栄をはり、逃亡する。……こんな切ない物語を、あたしは多分知らない。
ヤイバの苦しい感情が伝わるようで、あたしまで苦しくなる。そっと手を握れば、彼女は強く握り返してきた。……そしてこの力の強さこそが、彼女の“覚悟”と――想いの“強さ”。
「ま、アタシはこんな切ない恋愛をしてるわけ。案外楽しかったりするけどね。押してダメなら引いてみろ、だよ」
「引いてみろって……逃亡までいったら引きすぎでしょ」
「あははは! たしかに!」
あたし達はそのあと、二人して笑い続けた。初めて出来た“親友”の手を握り締め、気持ちを共有する。決して離さないように、しっかり、力強く――。
そうしていることで、彼女の苦しみが少しでも和らげばいい。あたしはそう願いを込めた。