十三
銀色に輝く鋭い刃――それが振り下ろされるのを、あたしはただ呆然と見つめていた。まるでソレはスローモーションのように、ゆっくりと近付いてくる。
あとほんの少し……あたしに体力と魔力が残っていたら、よかったのに。
突如遠くなる視界に、背中に走る痛み――あたしは苦痛に顔しかめた。……あぁ、刃物って、こんなにジンワリする痛みだったのか。しかも何故か痛いのは背中だし……。
……?
背中?
――そんなあたしが、勇者に突き飛ばされて地面に背中を打ち付けたと気付いたのは……マリンベールに抱き起こされてからだった。
「貴様、ドゥルーダムの王国お抱え研究員とやらだな――!」
「なっ!? ゆ、勇者……………………か?」
……銀色に輝く、サラリとした勇者の髪。雲から覗きだした太陽は、その勇者の白銀の髪を照らし――まるで、どこぞの国の王子様のように思わせた。
密かな願いを言うならば……白馬にでも乗って参上してもらいたかった。
……いや、やっぱ訂正。青い瞳をギラギラさせる王子様なんて見たくないよ。アンタは本当に勇者なのかよ、ドゥルーダムの奴等にまで疑われてんじゃんか。どこまでも残念勇者だな。
「フィーリィ、大丈夫か」
「……アナタに突き飛ばされたため背中が痛いと吐露します」
「大丈夫だな」
「オイ!」
こなくそ、なかった事にしようとしてやがる!
「さあ、ドゥルーダムの研究員。すべて吐いてもらおうか」
「っ! ……我らは“孤高の狼”の僕――情報は一切受け渡しはせん!!」
そう言うや否や。
彼は、その刃を自らに向けて……喉をかっ切った。溢れ出る血を全身に浴びる勇者は――こういっちゃなんだけど、真の魔王のようで。
……ちょっと、かっこよかった……かも。
ふと思ったアホな感情に気付いたあたしは、それを心で踏みつぶした。……アホらし。これだからイケメンってやつはお得だな。
そんな、勇者にたいして悪口とも褒め言葉とも取れる暴言を、心で吐いてるあたしの目の前で――勇者は右腕で、顔に付いた敵の血を雑に拭う。
そして一度あたりを見回し……少し離れた馬車を見つけてから、振り返って言った。
「ベルヴァロスクエッド、マリンベール。二人は馬車を」
「うん!」
「はいはい」
「ジュエリー、お前はロックハートを頼む」
「うふっ、愛する人のためなら喜んで~」
「プリエステルは、馬車にいる怪我人の手当てを」
「はい、わかりましたわ」
それだけ言い終えると、勇者はあたしに悠々と近付いて来た。……ったく、遅すぎでしょ。本当に裏切ってやろうかしら、コイツめ。
片膝をついて、息を切らして恨みがましくしているあたしに……勇者が手を差し延べた。その、勇者の額から滴り落ちる、血とは違う透明な滴。……ま、汗だっくだくになりながら走って来たみだいだし……許してやるか。
差し延べられた手を掴み、あたしは「遅い」と付け加えながら立ち上がる。勇者は不機嫌そうに、眉間に皺を寄せた。
「しょうがないだろ。これでも普通の人間だ」
「あたしも人間ですぅ。……うへぇ、血ぃついた……最悪ー」
「お前な……」
「てゆーか、勇者汗臭い」
「……」
「あ、加齢臭?」
「俺はまだ二十二だ」
即答で返される。
あたしはそれを鼻で笑った。
ジットリとあたしを睨む勇者を無視して、フラフラになりながらもとりあえず馬車へと近付いた。ガル、大丈夫かな……戦う事に集中してたから、なんも見てなかったんだよね。無事ならいいけど。
途中勇者の肩を借りながらも歩くあたしは、気を失わないよう懸命に歩いた。まだ、眠るわけにはいかない……皆を安否を確かめるまでは。あたしはひたすらそう念じて、歩く。
「オイオイ――馬車倒れてんじゃないか。こりゃ全滅だろー」
「ぶっ飛ばすわよこのゴボウ! 見てないで、さっさと扉開けなさいっ!!」
「ったく……わかったわかった、君はもう少し慎ましさをだね――うぼわっ!」
ザバーッ、と。
黄金野郎が馬車の扉を開けた途端、何故か水が流れ出した――頭から被った黄金野郎は、ゲホゲホ咳き込みながら手足を地に付いている。
一瞬笑いそうになるのを堪え、あたしは中から“使い魔”の存在を感知する――間違いなく、ガルだ!
そうわかった瞬間、次に流されて来たのは数匹の――いやいや、数人の子供達だった。慌てて子供達に駆け寄るマリンベール。子供達は泣きながら、マリンベールに抱き付いた。
「わぁぁあん!」
「怖かったよぉ!」
「うっ、ひっく、お姉さんアイツらの仲間じゃないよね?」
「うん、違うよ。さぁこっちにおいで、怪我してる子はあっちのお姉さんのほうへ行きなさい」
手慣れた様子で、子供達を先導するマリンベール。やっと正常になった黄金野郎は今度こそ中に入り込み、中から「おい、手伝え!」と勇者を呼んだ。
……おかしい。なんで自力でガルは出てこないの? 多分さっき流出した水は、ガルが衝撃から皆を守るためにやったやつに間違いはないだろう。
その問題のガルが、何故すぐに出てこないんだ……? あたしは不安になり――手をギュッと握り締めた。
「うわっ、おい、暴れるなって!」
「黙れ人間――! 俺に……彼女に触るなっ!!」
「ちぃっ! 勇者、ちゃんと押さえろ!」
「ああ――!」
――中から聞えた、黄金野郎と勇者……そして、憤るようなギルヴェールさんの声。不安は――当たってしまった。
やがて馬車から出て来た勇者達は、二人がかりでギルヴェールさんを引っ張り――地面へと問答無用で押し倒した。……すごい傷だ。これで生きてるなんて……やはり魔族なだけはあるのか。
冷静さを欠いたギルヴェールさん。先ほどから「離せ人間!」と叫んでいる。なにがあった? 何故そこまで怒っている? ガルは――――。
――馬車から一向に顔を出さないガルが心配になったあたしは、軋む身体にムチを振り、その中へと入り込んだ。
そこで見たものは……。
……グッタリとしているキュディさんに、泣きながら縋っている――ガルだった。
「ガル……!」
「お……姉、ちゃ……」
「大丈夫!? 早くキュディさんの怪我を、プリエステルに治してもらっ――」
そう言いかけたところで……あたしは、ようやく気付いてしまった。一瞬で、血の気が失せる。
……あたしは静かに、キュディさんの口元に手をやり、頬に触れ、首に触れ、手首に触れ――最後の最後に心臓のあたりに触れ、あたしはそれを……確信する。冷たい身体、開かない瞼、空気の振動がない口元、動かない……心臓。
キュディさんは――死んでしまっていた。
「……そんな、ことが」
「うっ……ううう……お母、さん……!」
「嘘でしょ……目を開けてよ、キュディさん!!」
なんのために、ガルがここまでやってきたのか。……いつか二人を、本当の“お母さん”と“お父さん”と、呼ぶためなのに。
残酷、すぎる。
「ガル……」
「さっきまでは……生きてたんだ……生きてたんだよ……! ちゃ、ちゃんと……」
「……うん」
「それでっ……ぼく、お母さんって……呼んで……っ」
「っ……うん」
「全部知ってるんだよって……言ったんだよ……! わ、笑ってくれて……抱き締めて、くれて……っ」
「……っう、ん」
「なのに……なんで……? なんでお母さん……動かないのぉ……っ?」
あたしは――ガルを抱き締めて、わんわんと泣いた。小さな身体は今にも壊れそうなくらい、震えていて。……滴る大粒の涙は、枯れる事なく流れ続けている。
その感情があたしにも流れ込み、その信じられない光景に――ただただ現実逃避をしたくなった。
その時、外からは激しい水音が聞える。馬車の外、勇者の「それ以上やったら傷に障る!」というような声が。ハッとするあたしとガルは、一旦キュディさんをそこに横たえたまま――馬車を飛び出した。
馬車から出たあたしが見たもの。それは、先ほどのモンスターよりも大きく作り上げられた、水の化身で……それはとても目の疑うような光景だった。
一瞬、発動している人が……ギルヴェールさんだと、わからなかった。
――ガルが力一杯叫ぶ。
「お父さん! やめてっ!」
「こっちへ来るんだ、ガル!! 人間なんかに惑わされるな!」
「ギルヴェールさん!! お願い……落ち着いてっ! 話を聞いて!」
「――! 姫様……」
ギルヴェールさんは間一髪、その化身を勇者にけしかける前に――あたしに気付いた。
「ギルヴェールさん!」
「姫様、俺――私は……今でも、キュディを愛してる…………! でも人間が許せない!!」
「……! うん、わかるよ」
「ともに――ともに、人間を討ちましょう! 今度こそ魔族が頂点に立つべき時! 人間という腐った人種を、この手で!!」
痛いくらい伝わる――ギルヴェールさんの悲しみ。それは無数の針のように、あたしの心へ突き刺さる。……チクチクと痛いような、抉られているような。そんな、鈍い痛み。
……あたしも、もちろん人間が嫌いだよ。それは今でも変わりないし、キュディさんを見て心変わりがしそうになった。でも、さっきガルが止めてと言った時……あたしは何を考えているんだと気付いたんだ。
ガルは、父親を止めた。それは人間を殺さないため。……ガルだって憎いはずなのに、それでも今“我慢”をしている。
主人が使い魔の言葉に気付かされた。……今度こそ、あたしは間違えるわけにはいかない。
――不安そうに見つめる勇者に、あたしは苦笑を返す。なんて顔してるんだよ、勇者。勇者は勇者らしく堂々としてなきゃダメでしょうが。
あたしはガルとともにギルヴェールさんへ近付きながら、試すように……問い掛けた。
「人間が、憎い?」
「――憎い」
「人間を、殺したい?」
「――殺したい」
「掟を、果たしたい?」
「――果たしたい」
「子供達も、殺すの?」
「――っそれ、は」
言葉に詰まる、ギルヴェールさん。
一定距離で立ち止まり、あたしは再度問い掛けた。
「子供達も――殺すんでしょ? 人間なんだから」
「……! でも……子供、達は……」
「――ねえ、一緒に人間を滅ぼそうか? まずは……そこの子供を殺さなくっちゃねぇ」
あたしは手に魔力を溜める。
「ま――待ってくれ! 姫様!!」
それを、大声で止めたギルヴェールさん。あたしは困り顔で笑って、溜め息を吐いた。……こういう芝居苦手なんだよなぁ、勘弁してよ、もう。
その意図に気付いたギルヴェールさんは、たちまち水の化身を打ち消してしまった。力なく、膝をつく。
「ギルヴェールさん」
「……姫、様」
「あたしね、ある人に言われたんですよ。……人間という括りで見るんじゃなくて、人間の個人を見ろって。子供達を庇ったギルヴェールさんなら、その意味一番わかるでしょ?」
……ギルヴェールさんは知ってるはずだ。たとえ人間でも、この子供達はただ純粋で、精一杯生きていて、優しい子達なのだと――個人を知っている。
こういう事だよね、勇者? ――チラリと勇者を伺えば、彼は優しげにほほ笑み……頷いた。
それにあたしも、ほほ笑み返す。
「もう馬鹿な事、言わない?」
「……はい。申し訳ありません、姫様……」
「よろしい。……それじゃあ、今度はガルからお説教」
ポンとガルの頭を叩いて、ウインクをした。
「お父さん……」
「……ガル」
「あのね、お父さん。僕夢が叶ったんだよ」
「え……夢?」
「うん。二人をちゃんとお母さんとお父さんって呼ぶ夢」
「……」
「あとね、もう一つ」
不意に、ガルがあたしの手をキュッと握った。
「本当の“お姉ちゃん”のような人の――使い魔になること!」
そう言って無邪気に笑うガルは――今日一番、晴れ晴れとした笑顔で……すごく眩しかった。
……ははは、なるほど。“お姉ちゃん”のような主人、ね…………嬉しい事言ってくれるなぁ、もう。少し滲んだ涙を拭きながら、手のひらにある小さな存在に力を込めた。ああもう、まじ可愛い。
「使い魔――そうか、前に言ってたもんな」
「うん!」
「そうか――そうなのか。それなら…………」
立ち上がるギルヴェールさん。目の前までやって来て、再び片膝をついて頭を下げるその人を呆然と見つめながら……あたしは首を傾げていた。
ギルヴェールさんは、言う。
「親愛なる姫様――いえ、魔王陛下」
「え? いやいや、あたしは魔王の座を引き継ぐつもりは……」
「いいえ、貴女は私達魔族の生きた証。……陛下、後生の頼みがございます」
あたしは、「後生の」という言葉にうっとつまる。それ以上の卑怯な言葉は、ないんじゃないかな。……でも、あたしはこれから言われる頼みを断ったりなんかしないよ。
言わなくてもわかる。ガルの事だよね? ……そんなの、言われなくたってずっと側で見守るよ。大事な――弟なんだからね。
――勝手に勘違いをしていたあたし。その次に吐き出された言葉に愕然とすることになるなんて……あたしはこれっぽっちも気付かないのだった。