お決まりの方法で完璧な異世界に飛ばされた一週間について
初めまして、まずはご覧いただきありがとうございます。
はじめて小説家になろうに投稿させていただくにあたり、せっかくなのでポピュラーなイメージがある異世界転移モノを題材にしました。
2~3時間でさくっと読める内容になっているので、是非最後まで読んでいただけると幸いです。
魔王は俺に短剣を差し出した。
「その短剣で自らの心臓を突いてみせよ。そして、魔物の痛みを自らの身体に刻み込め。」
短剣を受け取った。この短剣が胸に刺さっても一突きでは死なないだろう。
「…死なせはしない。死んで償えるほどお前の罪は軽くはない。」
魔王はニヤリと嗤った。どうせできない、そんなことを言われている気がした。
「逃げたって構わない。私に攻撃しても構わない。その女との道を歩みたいのだろう?止めはしない。」
エリシアが俺の手を握りしめ、潤んだ瞳を俺に向けた。
「いけません。魔王はこうしてヒロシ様のお覚悟を砕こうとしているのです。わたくしはずっと貴方の側に居ます。もう貴方は迷わなくてよいのです。」
俺は短剣の刃を自分に向けると、勢いよく心臓に突き刺さした。
その瞬間、痛みが全身を支配した。
なぜ、こんなことになった。俺は―。
「大変申し訳ないのですが、今日とつぜん風邪を引いてしまいまして…ゴホゴホ。」
わざとらしく聞こえないように、スマホに向かって痰が絡んだ咳をしてみせた。
今日は水曜日。“普通”の会社員は出社しなければならない日だ。
ため息が出る。昨日言われた上司の言葉と積もった仕事のことを思い出してしまう。
「お前、資料がミスだらけだったぞ。もう何年この会社でやってきていると思っているんだ。どんなに大変でも明日までには全部直せよ。」
上司のPCの画面にはダメ出しの羅列が10個以上箇条書きで並べられていた。
21時、残業時間を大幅に過ぎていながら、資料と上司の箇条書きを交互に見ながら直しをしている俺を尻目に大声で雑談している部下が鬱陶しかった。
相手に悟られないように、横目で部下の様子を伺っていると、
「何見てるんだよ…。気持ち悪いな。」
部下はボソリとつぶやいて退勤していった。
クソ。何もかもうまくいかない。ここ数日そればかりだ。嫌なことは連続して続くと言うが、一刻も早く終わってほしかった。
一発で綺麗に取れない付箋紙ですら俺の敵に感じてしまう。
そんな俺の毎日を潤してくれる唯一の癒しは来月、A社から続編が出る予定のファンタジーRPGゲームだった。
俺は昨日のことは一旦忘れることにし、ベッドから手を伸ばしてサイドボードに置きっぱなしの携帯ゲーム機を手に取った。起動ボタンを押すと荘厳な音楽と共に緑豊かなフィールドに主人公が立っており、いかにもこれから世界を救いそうな精悍な顔つきをしていた。
このゲームだけは俺を裏切ることはない、やったことは確実に経験値として蓄積されるし、ヒロインは俺の努力も、選択も肯定してくれる素晴らしい世界だ。
フィールドを進むとヒロインが俺から離れまいと、後ろにぴったりとくっついてくる。そしてダンジョンを順調に攻略していく、奥には少し手ごたえのあるボスが待ち受けていた。
火力を中心に攻める編成にしていたが、どうやらこのボスは味方を触手で拘束し、行動不能にする絡め手を使ってくる。一筋縄ではいかないボスであった。
ヒロインが触手に拘束されてしまい、回復魔法が撃てなくなったことによりパーティが全滅した。
(…さすがA社のゲームだな。ゴリ押しで勝てるようにはできていないか。)
スマートフォンで攻略方法を眺めていたところ、とにかく弱点攻撃を繰り返し、怯ませる方法が有効など書いてあった。これならいけそうだ。
意気込んでいたところに、メッセージアプリに母からのメッセージが来ていることに気が付いた。
―今年の年末年始は、家に帰ってくるの?そろそろ顔を出してちょうだい。
さっとスマートフォンを裏返しにし、ゲーム機の電源を切る。
急に現実に引き戻された気がして、すっかり萎えてしまった。
暫く、何をするでもなくぼんやりとしていたところ、ふと、カフェインが欲しくなり、近所のコンビニに行くことにした。
ベッドから出て床に散らばったあらゆる物の感触を足の裏で感じながら玄関へ行く。スニーカーの踵を潰しながら、マンションの廊下に出た。
廊下では管理人のおばさんが一生懸命掃除機をかけているのが見えて、見つからないようにそそくさと走っていった。
その勢いで道路を渡ろうとしたところ、トラックが勢いよく俺を突き飛ばした。
悲鳴を上げる隙も無く、俺の視界は真っ暗になった。
「…様。」
「…勇者様。」
聞き覚えのない声だ。
うっすらと目を開けると、心配そうにこちらを覗き込む、目を見張るような長く美しい金の髪と青い目を持つ美少女がそこにいた。
「ああ、お目覚めになったのですね。勇者様。ようこそ、エルドラドへ。」
「エルドラド…?」
ぼんやりとした声で少女に聞くと、少女は口に手を当ててクスクスと笑った。
「失礼しました。勇者様。貴方がわたくしたちを救ってくださる鍵になるお方だと聞いておりましたので、もっと神々しいお方だと思ったのですが…。わたくしたちとあまり変わらない様相につい笑ってしまいました。」
その笑い方や話し方があまりにも可憐で俺は見とれてしまっていた。
「…どうなされましたか?勇者様?」
慌てて目を逸らした。俺みたいなヤツがじっと見たら変質者扱いされてしまうだろう。
「ここは一体どこなんだ。そしてキミは一体誰なんだ?」
「ああ、申し訳ありません。貴方はこの大陸…『エルドラド』に、異世界から召喚された勇者様なのですよ。わたくしは貴方を召喚した巫女、エリシアと申します。この世界をお救いいただける方が召喚されるよう、毎日この神殿にて祈っておりました。」
神殿。と言われて辺りを見渡すと、厳めしい顔をした幻想生物の銅像が立ち並び、足元には魔法陣のような幾何学模様の円陣が展開されていた。
いかにもファンタジーゲームにありそうな神殿に、俺も思わず呆れてしまった。
(こんな、A社が作ったゲームみたいな異世界に来ることってあるのかよ…。)
エリシアが両手で男の手を引いた。
「まずは、街に行ってわたくしが勇者様を召喚できたことを報告に行きたいです。そして、魔王を倒すべくちゃんとした装備を整えましょう!」
彼女のきらきらした目には敵わない、彼女に手を引かれるまま、俺は神殿を出た。
街は、いかにもファンタジーゲームの世界感のような作りで、綺麗に整備された石畳の上にジャガイモやトマトといった野菜を売っている市場が立ち並んでいたり、露出が多い鎧を着た女騎士や獣耳の子供が走り回ったりなどしていた。
その誰もが俺のことを歓迎してくれたし、エリシアは道行く人すべてに俺のことを紹介していた。
そのおかげで、武具屋に着くころにはすっかり日が暮れてしまっていた。
「おじさま!ごめんなさい。わたくし、つい勇者様のことで頭がいっぱいで…。」
「よいさ、毎日頑張って祈っていたのだろう?勇者様の存在はこの街の人々の希望でもある。気にするでない。」
武具屋のおじさんはそんなエリシアに暖かい視線を向けていた。
「勇者様、わしが丹精込めた傑作を貴方様に託したい。」
おじさんはうやうやしく、木箱の中から見事な甲冑と輝く剣を差し出した。
鎧はまるで自分に合わせて作られたように身体にぴったりで、剣は自分の身体の一部のように手になじんだ。
採寸されたこともないのになぜ?と問いただすと、
「勇者様は選ばれしお方。この鎧の方が勇者様を求めて形を変えるのです。」
となんとも筋が通っていない返しで、はぐらかされてしまった。
「良いではありませんか、勇者様。こうして合うものがすぐ見つかったわけですし…悪いことではありません。あまり気にしないでください。」
エリシアに神経質で面倒な奴だと思われるのも嫌なので、一旦受け入れることにした。
そうだ。ここは俺のいた現実世界とは違う。何もかも理屈で通るとは限らない。今はこの剣と魔法の世界に身を委ねよう。
エリシアと一緒に武具屋のおじさんに礼を言うと、エリシアが今日の寝床を提供してくれるというのでついていった。
しかし、行った先は明らかに宿ではなく、エリシアの家だったので流石に悪いと断った。
「勇者様、召喚されたばかりでお金も無いですし、この世界のことがまだ分からないでしょう。だったらわたくしの家で良いではありませんか。わたくしも、ずっとこの家で、一人で寂しいのです。」
エリシアが本心から言っていることはよく分かった。だが俺にもやってはいけないこと、踏み越えてはいけないラインは理解しているつもりだ。
彼女が風呂に入っている間は家から出る。寝室は別の部屋を使う。という前提で彼女の家に一晩世話になることにした。
エリシアは、夕食にたっぷり具材が入った煮込み料理を作ってくれた。使われている食材は不思議と現実世界でも慣れ親しんだもので、特に変な物は入っていないようだった。
口に入れると、ジャガイモの甘みと肉の柔らかさが口いっぱいに広がり、思わず美味しい。と呟くと、向かいに座ったエリシアも笑顔になった。
「良かったです。こちらの料理がお口に合わなかったらどうしようかと…。」
少女は親を亡くし、ずっとこの小さなレンガ造りの家で一人暮らしをしていたようだった。
勇者を召喚できる巫女は血統によるものではなく、天性で決まるものなのだと教えてもらった。たまたまエリシアは巫女であることを見いだされ、神殿で巫女になるための修行をしていたところ、両親が家で病死していたとのことだった。
そんなエリシアの話を聞くと同時に、俺も現実世界で残した両親のことがふと頭によぎった。
新卒採用で今の会社に入社して3年目くらいまでは毎年年末年始と、長期休みごとに顔を出すようにしていたが、ある年から結婚や子供、出世について聞かれ、鬱陶しいと思い始めてからは顔を出せずにいた。
「勇者様…どうなされましたか?」
エリシアの心配そうな声に引き戻された。大丈夫だよ、と軽く言うと、エリシアはまた笑顔に戻り、この世界の仕組みや成り立ちについて話してくれた。
彼女の話によると、エルドラド大陸は人類と魔物が対立しており、人類側が押されているため、勇者の力が必要になり、呼び出されたとのことだった。
神殿には巫女がついており、勇者を呼び出すために巫女は毎日神殿で祈りを捧げるのだという。
勇者はこの世界で強大な力を発揮できる魂を持つ者がどこかの世界から召喚され、巫女の祈りのタイミングと合致すれば召喚に成功するのだという。
「そういえば、勇者様のお名前を聞いていませんでしたね。なんとお呼びすればよろしいでしょうか。」
「元いた世界では鈴木ヒロシって呼ばれていたけれど…。ヒロシでいいよ。」
ヒロシ…ヒロシ…と口の中でかみ砕くように呼ぶエリシアが愛おしかった。
「では、ヒロシ様。明日から魔王討伐の旅に出ましょう。わたくしも、お供させてください。わたくしの回復魔法で、貴方をお助けします。」
「あ、明日から!?」
ええ、とエリシアが笑顔で返す。本当はもう少しゆっくりしたかったところだが、この世界の人々が窮地だから俺が呼び出されたんだよな。ゆっくりはしていられないということなのだろう。
わかった、というと、エリシアが嬉しそうに、では、明日に備えてお先にお風呂に入らせていただきます。と部屋の奥へと消えていった。
次の日、鎧と剣を装備するともうすっかりこの世界の住人のように思えた。
鏡の前に立つと、いつものスーツを着ている俺よりもかなりイカしているように見える。
「ヒロシ様?身支度のほうは滞りなく進んでおられるでしょうか?」
外でエリシアがそわそわしているのが分かる。あまり待たせるのも良くない。彼女と合流し、街の外へ出るのだった。
今日の彼女はバトルスタイルになっており、赤いローブに長い金色の髪は三つ編みに結っていた。宝石が、はまった長い杖を両手に持ち、その表情はやる気に満ち溢れていた。
彼女の話によると、魔物には魔王がおり、この魔王さえ倒せば人間側の勝利となるのだという。魔王の居場所は巫女がつきとめられるらしく、エリシアは歩きながら魔法でマッピング作業のようなものを行っていた。
歩いていると、目の前にふとぶよぶよした生物が現れる。
「ヒロシ様!あれはスライムです。そこまで強くありませんので、貴方の練習台としては申しぶんないのではないでしょうか。」
「この剣で斬れば良いのか?」
「ええ、ですが『スキルウィンドウオープン』と言ってみてください。貴方様の今の状態や持っているスキルを視覚的に表示することができるのです。今、どのようなスキルをお持ちで、何が得意なのかを知ることも大事でしょう。」
『スキルウィンドウオープン』とは直接的な表現すぎて、少し恥ずかしさもあったが、目の前にゲームのUIのようなものが開き、そこに様々な単語が羅列されていた。
「えっと、これがスキルってやつなのか。レベルは50で『メテオ』『ギガバリア』『ライジングボルト』…なんだかいっぱいあってややこしいな。ざっと100種類くらい見えるけれど。」
そんなはずは、とエリシアが俺のスキルウィンドウを覗き込んできた。
「まあ!本当ですね。わたくしが10年かけてやっと30レベルだというのに…さすが勇者様ですね…。これほどまでとは思いませんでした。」
これが凄いことなのかどうかは分からないが、試しにスライムに魔法を放ってみることにした。
「『メテオ』!」
すると、空から直径10メートルほどの巨大な岩が降ってきて、スライムに直撃し、スライムは跡形もなく蒸発してしまった。
「オーバーキル…ですわね。」
エリシアは驚きながらも拍手で俺を称えてくれた。
これがどれだけ凄い力なのか、分かるのには時間はかからなかった。群れを見つけてもメテオ一発放てば大体散り散りに逃げるか、一瞬で跡形もなく消し去れるくらいの力があった。
それに、俺が得意なのは魔法だけではなさそうだ。
剣を振るうと大概の魔物は一発で一刀両断にすることができた。
不思議と鎧を着ていても身体は軽く、むしろ現実世界で運動するよりも軽やかに動くことができた。
特に剣道なども習っていなかったので、いつもプレイしているRPGゲームのモーションをイメージしながら振っているだけなのだが…。思ったように身体が動くのは心地よい。
それに、魔物を倒すと道行く人やエリシアが褒めてくれるのが嬉しかった。
―数時間後。
日も暮れてきたので、俺とエリシアは野営をすることにした。魔王城までの道のりはまだ長い。
「今日のヒロシ様。とっても素敵でした。わたくしは何もできず、貴方の足手まといになっているみたいで…。」
どうやら、エリシアは今日殆ど魔物を倒せなかったことを気にしているらしい。
「気にするなよ、俺に戦い方を教えてくれたのはエリシアだろう。エリシアは俺を導いてくれた。それだけで十分だよ。それに、これだけ上手い飯を毎日食えるだけでも俺には十分さ。」
焼いた肉を頬張った。今日もエリシアが夕食を作ってくれたのだ。
「そう言っていただけると、わたくしも嬉しいです。でも、今いるところは貴方にとっては適性ではないのでしょうね。レベルが50もあるのでしたら、もっと魔王城の近くでも戦えると思います。でも…わたくしは…。」
エリシアがまた俯いてしまった。昨日はあれだけ元気だったのに、考え込んでしまうと曇りがちになってしまう。俺はそんな彼女の姿を見て、心が痛くなった。
「エリシア、そんなに自分を責めなくて大丈夫。エリシアはエリシアなりに頑張っていることは俺にはよく分かる。魔王城の近くまで、急いで行くことに俺も賛成だ。その分、俺がキミを守る。だからキミは俺を導いてくれ。」
エリシアは、顔を上げると、笑顔ではい、と返してきた。
やはり、彼女は笑顔の方がよく似合う。
我ながら、臭い台詞が沢山出てくるな、と思う。現実世界では、そんなことは口が裂けても言えないことばかりだ。
それでも、この世界が俺を勇者にさせてくれる。俺の理想がここに詰まっていた。
俺は、本当は現実世界にいてはいけなかったのかもしれない。本来生まれるべく世界に帰ってきただけで、俺のいる世界じゃなかった現実世界には適合できなかったのも頷ける。
「おやすみなさいませ、ヒロシ様。」
エリシアの小さくて暖かい手が俺の身体に触れた。その温もりを抱いた夢心地のまま眠りについたのだった。
見慣れない白い天井が見えた。白い天井からは無数の蛇が這いだしてきて、ゆっくりと降りてくる。
無数の蛇は、俺の右腕に絡みついてきて、その口からは大きく鋭い牙を覗かせていた。そして噛みつこうとした、その時―。
「ヒロシ様!」
勢いよく上体を起こした反動で、エリシアの顔がすぐそこにあった。
目前に迫る彼女の柔らかそうな唇と潤んだ瞳が俺の理性を引き戻した。
「あっ、ごめん!」
すぐに飛びのいた。そのまま口づけしてしまいそうな勢いだった。
「あ…いえ!申し訳ございません!」
エリシアも顔を赤らめてすぐに伏せてしまう。
「あの…随分とうなされているようでしたから、心配になってしまって…大変失礼なことをいたしました。」
俺の身体は汗でびっしょりだった。この世界ではうまくいっていたから油断していたが、悪夢を見ることも普通にあるらしい。何を暗示していたか分からないが、とにかく不愉快だった。
「俺は大丈夫だから。水浴びしてくる。」
彼女を心配させまいと、平常を装って川へ行く。
俺は衣服を全て脱ぎ捨てると勢いよく川へ飛び込んだ。冷たい水が心地よく、悪夢の思い出も全て流してくれそうだった。
暫く泳いでから、河辺へ上がりふと上を見上げると、顔を真っ赤にしたエリシアが立っていた。
「も…申し訳ありません!朝ごはんを準備したので呼びに行ったら…!きゃあああ!そんなつもりじゃなかったんです!」
エリシアは一目散に逃げていってしまった。
俺は装備を整えて、野営地に戻るとエリシアが恥ずかしそうにパンとシチューを差し出してきた。
「あの…先ほどは申し訳ありませんでした…。ヒロシ様。」
いいんだよ、とエリシアに笑みを返した。
エリシアは俺が飯を食べている間もそわそわと準備をしたり、魔法の練習をしたりずっと落ち着かない様子で、そんな彼女が微笑ましくもあり、癒しに思えた。
「…きょ、今日は!昨日お話した通り、魔王城の近くまで一気に行きましょう!分かりましたか!?」
なんだか彼女がおかしくて、頷きながら彼女の誘導に従った。
道中も、俺たちを阻める敵はいなかった。群れは魔法で一気に追い払い、単体は剣で華麗に斬撃を決めていった。
昨日よりも数段ランクの高い戦いに、エリシアも最初は不安そうだったが、俺は全力で彼女を守り、いつしか彼女と背中合わせに戦っていった。
「ヒロシ様!右です!」
「ああ!」
俺は剣を振りかぶると右手の方向へ勢いよく斬りつける。
すると、図体の大きな敵もあっという間に両断される。
エリシアは流石です!と褒めたが、そんな彼女の後ろに黒い影が見えた。
「危ない!」
間一髪間に合わず、彼女を大きなツタの触手が巻き付いた。
「ヒロシ様…!申し訳…ございません…。」
彼女の身体を這う触手が増えていき、彼女を包み込むように締め付けて、あっという間に彼女は触手に絡めとられてしまった。
大きな魔法を使うと、彼女ごとダメージを与えかねない。触手を一本ずつ両断していたら彼女が絞殺される方が先になるだろう。
「ヒロシ様…わたくしのことは見捨ててください。魔王城はもうヒロシ様一人でもたどり着けるでしょう。街にいる皆さんのために、お願いします。」
俺は諦めきれなかった。彼女を守ると約束したのだ。
「『スキルウィンドウオープン』!」
スキル、100種類もあるんだ。何か役に立つものはないか。
『弱点看破』
そのスキルが目についた。
弱点を的確に突けば、もしかして怯むのではないか。あのゲームと同じとは限らないが…。試してみる価値はある。
「『弱点看破!』」
キラーバイン:弱点『毒』
「『ポイズンフォッグ!』」
魔法を唱えると、毒の霧が辺りを覆い、キラーバインに降り注ぐ。
刺激臭がしたが、俺は『毒無効』スキルを持っているから、恐らく大丈夫だろう。
キラーバインは悲鳴のような奇声を上げると、エリシアを離した。
エリシアを抱きかかえつつ、空いた方の手でキラーバインを両断すると、魔物はその場で動かなくなった。
毒の霧から離れたところで、エリシアをそっと草原の上に置いた。
解毒剤を素早く彼女に使ったが、果たして目が覚めるだろうか。
死ぬな、エリシア。そう願いながら待っていた。
数分後―。
「…ヒロシ様…助けてくださったのですか。」
彼女は薄っすらと目を開けた。その姿はあまりにも儚げだった。
「ありがとうございます。見捨ててくださいって言ったのに…。」
「キミを守る。そう約束しただろう。」
エリシアは俺に抱きついてきた。彼女の服装がキラーバインの触手のせいで乱れていたので、俺は慌てたが、それでも彼女がしっかりと抱き着いてきたので、俺は諦めてそっと抱き返した。
「本音を言うと、怖かったのです。わたくしの旅はこれで終わりなのだと思った途端、怖くなってしまって…。でも、貴方は助けてくださいました。ヒロシ様、お慕いしております。」
えっ、と声が出た。
「わたくしは、ヒロシ様のことを好きだと言ったのですよ!」
彼女は珍しく大声で言った。
「えっと…エリシアが思っているほど、俺は若くはないと思うんだけど。」
「それが何だというのです。貴方は、わたくしにとって希望…。貴方の召喚を願うわたくしの前に現れ、そして今こうして、わたくしの命を守ってくださる存在…。貴方に惚れない方がおかしいではありませんか。」
エリシアはそういうと、唇を差し出してきた。いつも控えめだった彼女の意外な一面に驚きつつ、強く、強く彼女を抱きしめた。
今夜は2人で寄り添って野営をしていた。
30年も生きてきて、女性とこのような関係になったのは初めてで、胸は高まり大きな鼓動が聞こえるようだった。
「あの…わたくし…ごめんなさい。勢いで胸の内を話してしまったのですが、本当に良かったのでしょうか。わたくしなんかで…。」
彼女がモジモジと話す。
「俺の方こそ、本当に俺で良かったのか?俺は…エリシアが思っているほど完璧な人間じゃない。元居た世界では、上司からはよく怒られていたし、部下からは呆れられていた。両親とは疎遠になっていたし、いつの間にか周りの友人は結婚し始めて遊ばなくなってしまった。孤独な日々だったと思うし、傍から見たら俺は駄目な凡人すぎて、底辺にもなり切れないし幸せだとも言い難い。中途半端な人間だと思う。変わりたい、成功したいとか頭ではなんとなく考えていたけれど、特に踏み出す勇気も無くて…気づいたらこの世界にいたんだ。」
この世界の人に、自分のことを赤裸々に話すことは初めてだった。それでも彼女は俺のことを否定しない、と信じていた。
「わたくしには、今の貴方しか存じ上げません。今の貴方は勇者で、みんなの希望で、わたくしの味方でいてくださる。それにとっても強いじゃありませんか。元の世界のことは、もういいじゃないですか。わたくしたちは、今を、未来を紡いでいくべきではありませんか?」
エリシアが俺の手を握った。
「そうだな…。変なことを言ってごめん。俺は、エリシアがこのエルドラドに召喚してくれて良かったと思っている。元の世界ではできなかったことや、憧れだった俺が今ここにいる。この世界のことを愛している。」
「わたくしも、帰りたい、と言われたらどうしようかと悩んでいたのです。わたくしがやろうとしていることは本当に正しいことなのか、貴方がわたくしを恨んでいるかもしれないって…。」
そんなことない、と彼女の手を握り返した。
「俺は、本当はエルドラドに生まれるべき人間だったんだと思っている。元居た世界では、俺の居場所なんて無かったんだ。だから、今こそ本当の俺で、あるべき俺で過ごせている。だから、エリシアに感謝しているよ。…だから、魔王を倒して、俺の使命を果たしたら、俺と共に暮らしてくれないか?」
自分を責めるエリシアを見たくはなかった。俺を変えてくれたエリシアを支えたいと思い、ついプロポーズしてしまった。
「…もちろん、わたくしは、どこまでもヒロシ様と共にいます。この戦いが終わったら、必ず良い家庭を築きあげましょう。」
エリシアは笑顔で答えてくれたが、どこか寂しそうな響きがあった。
それが果たして何を意味するのか、今の俺にはどうだっていい。
そのまま俺は彼女を寝床へ引き寄せ、一夜を共にした。
俺は、ずっとこのままで良い、という思いと同時に母から来たメッセージを思い出した。
―今年の年末年始は、家に帰ってくるの?そろそろ顔を出してちょうだい。
そういえば、まだ、返事を返していなかったな…。
いや、もう返しようがないんだ。俺はもう、あっちの人間じゃないんだから。
魔王城の側には人狼の群れがいた。
俺はもう手慣れたものだった。
「『ライジングボルト』!」
俺が魔法を放つと、群れは散り散りになっていく。
「チッ。散り散りになっちまった。すまないエリシア、各個撃破しよう。」
それぞれ、人狼を追い詰め、一体一体確実に剣で斬りつけていった。
最後の一体か…。崖際まで追い詰める。人狼は怯えた目で土下座した。
「頼む!俺には…子供がいるんだ。俺は人狼の群れの中でものし上がれないクズで勇者にも命乞いをするどうしようもないヤツだってのは分かる。俺には誇りもなにも無え…だけど、頼む。人間は襲わないから子供たちだけでも…!」
俺は呆れた。
「これまで散々戦ってきておいて、今さら命乞いだなんて、そんな生ぬるいことが許されるとおもっているのか。」
「分かってる!十分分かってるさ!でも俺は本当は戦いなんてできねえくらい弱いんだ。気持ち的にも…身体的にも…。でも戦わないと勇者に淘汰される。だから、家族のために戦ってきた。だけど、もう限界だ。力じゃどうにもならねえ、だから…!」
情けなく土下座しつづける人狼を見て、俺はとても不愉快な気持ちになった。
俺は、その人狼と過去の俺の姿がなんとなく重なって見えた。
「すみません、俺のスケジュールの見通しが甘かったのは分かっています。ですが、もう一度チャンスをください。プロジェクトから降ろさないでください…!」
俺の仕様書がプロジェクトのスケジュールに間に合わなかった時だった。上司に何度も頭を下げてプロジェクトに残らせてもらいながら、残業して間に合わせていた。
その姿が、その人狼に重ね合わさってしまい、不愉快な気持ちだった。
「…クソが!失せろ!!」
甘いことは分かっている。でもこの気持ちで止めを刺す気にはなれなかった。
人狼は俺に礼を言いながら、脇をすりぬけていった。
「ちくしょう…人がせっかくいい気分になっていたというのに。」
俺は変なわだかまりを抱えたまま、エリシアの元へ戻っていった。今日の出来事は彼女を抱きながら忘れるしかない。
「…ヒロシ様、どうなされたのですか。」
帰ってくるなり、エリシアは俺の身体を優しく抱きしめた。
「俺は、追いかけていた人狼に命乞いをされたんだ。命だけは助けてほしい。子供がいる。と…。そいつに止めを刺せなかった。どうしても、そいつのことが他人のように思えなくて。俺は勇者失格だ。」
「いいんですよ、ヒロシ様。」
「俺は今まで考えようともしていなかった。今まで倒した魔物にも生活があって、待っている家族がいることなんて。」
エリシアは俺の目を見据えてきた。
「何を仰っているのですか、貴方の使命はこれまで通り魔物を倒して経験値を得て魔王を倒すことですよ。何も考えなくてよいのです。ヒロシ様、これは戦いなんですよ。やられなければやられるんです。」
エリシアはふっと微笑んだ。その笑顔が、今は俺を追い詰めた。
戦いはそうなんだっていうのは分かっている。でも、俺は実際に魔物に何かされたわけじゃない…。この世界にいる人たちとは違うんだ。
俺はそれから魔物を倒さずに歩を進めた。不思議なことに、俺が敵意はないと示すと、魔物たちは恨めしそうな目でこちらを見るものの、ほとんど戦いを仕掛けてくることはなかった。
彼らに恨まれても寝首をかかれても文句は言えない。俺はそれだけのことはしたのだから。
不思議と俺は戦っているときよりもこの世界で生きている実感を得ていた。
そうして魔王城へ向かっている途中で、自ら魔王を名乗る男が目の前に現れた。
そこには人間にそっくりな姿で、精悍な顔つきだった。
魔王というものは化け物だと思っていたが、悔しいことに、俺よりも容姿端麗だった。
魔王はこちらを一瞥すると、口を開いた。
「お前が、勇者か。」
その声は、重厚で圧があり、一言で圧倒された。
「ああ、俺が勇者だ。」
「お前は何故戦わない?」
俺は、魔物と人類が争っている理由を知りたい、話し合いで解決できるなら魔王と話したい旨を告げた。
「武力で争っている以上、もう話し合いで解決できるような状態ではない。いかにも平和ボケした転生者が言いそうなことだ。」
魔王は武器を喉元につきつけた。初めて刃をつきつけられる側になった。死んだらどうなる?俺は全身の毛穴から汗が噴き出すのが分かった。
俺は魔王の圧に負けないように必死に立っていた。まるで上司に相対しているときの自分を思い出してしまった。
「よく思い出してみろ、お前は最初にスライムに出会ったであろう。お前たちが悠長に話をしている間、攻撃も何も一切しなかった無垢なスライムを、お前たちはスキルの練習台とほざき、一瞬にして灰にしたのだ。」
魔王の言う通りだった。思い出してみれば、俺が最初に戦った時に、どれだけもたついていても、魔物の方から襲ってくることはなかった。
「ヒロシ様、所詮魔王の戯言です。あの者の言うことに耳を貸してはいけません。貴方を翻弄しようとしているのです。あなたの剣を、鈍らせようと…。」
エリシアが俺の手を握る。俺はその手を握り返すことはできなかった。
「そこから話し合いをしよう、などという戯言にどこの馬鹿が付き合うというのだ?まずは貴様の誠意を見せてみよ。」
魔王は短剣を差し出した。
「その短剣で自らの心臓を突いてみせよ。そして、魔物の痛みを自らの身体に刻み込め。」
短剣を受け取った。この短剣が胸に刺さっても一突きでは死なないだろう。
「…死なせはしない。死んで償えるほどお前の罪は軽くはない。」
魔王はニヤリと嗤った。どうせできない、そんなことを言われている気がした。
「逃げたって構わない。私に攻撃しても構わない。その女との道を歩みたいのだろう?止めはしない。」
エリシアが更に手を握りしめる。
「いけません。魔王はこうしてヒロシ様のお覚悟を砕こうとしているのです。わたくしはずっと貴方の側に居ます。もう貴方は迷わなくてよいのです。」
彼女の言う通りにするのは簡単だ。でも、目をつぶって責任から現実世界から逃げてきてここにいる。今、俺の中で引っかかっていることを蔑ろにしたら、また同じことをこの世界で繰り返してしまうような気がした。
俺は短剣の刃を自分に向けると、勢いよく心臓に突き刺さした。
その瞬間、痛みが全身を支配した。全身を打ち付けるような痛み。
「…ヒロシ様、本当にこの世界をお捨てになるのですね。」
俺は、ずっと目をつぶっていたが、途中から気づいていた。この世界は俺の夢でできていることを。
エリシアが優しいのも俺が作った夢の一部だからだ。俺好みなのは当然だ。
エリシアはそっと手を握った。
「…ヒロシ様、これでお別れですね。貴方は気づいたんです。ここにいてはいけないって。本当はこの世界は嘘なんだって。」
寂しそうな声でエリシアが言う。
心電図がリズムを刻む音が聞こえる。白い空。空から垂れさがる無数の蛇。右腕に針となって俺の命を繋いでいた。
「ごめんなさい。本当はこの世界にあなたがずっといてくれたら、って思ってわたくしは貴方に酷いことを言いました。でも、貴方を愛する気持ちは本物です。そして、たとえこの世界が虚構だったとしても、忘れないでほしいのです。わたくしという存在が、貴方の中に生きていることを。」
「…絶対にキミのことは忘れない。俺の中で、いつまでも見守っていてくれ。」
はい、とエリシアは最後の笑顔を向けてくれた。
「目が覚めた!?」
母が、俺の手を握っていた。
少し離れたところで父が、よかったな。と小さく呟いていた。
一週間も寝ていたんですよ、と看護師が俺に告げた。
ベッドの脇に置いてあるスマートフォンには、会社の同僚や上司からの通知が沢山来ているのが分かった。
…本当に俺は平凡で最悪な現実世界に帰ってきた。
でも、俺はエリシアとの日々をどこかに書き留めたい。という気持ちがあった。
たとえ、社会から逃げ出したくなっても、俺はこの物語があるからまた立ち上がれる気がした。
全身が痛く、身体を起こすのが難しかったが、ペンを握ると、汚い文字で書きだした。
『お決まりの方法で完璧な異世界に飛ばされた一週間について』
完




