Chapter 1
昨年の年末に一度掲載した作品の再UPです
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年の瀬にこんな面倒事を背負いこむはめになるとは思っていなかった。クリスマスを避けたのは当然としても、それならばいっそ新年を迎え、家族や友人と美味しいものを食べたり、初詣に行ったりして楽しく緩やかな時間を過ごした後、また日常に戻って、新たな期待を心に抱きつつ平穏を取り戻した頃…そう、1月下旬くらいに会うべきじゃないだろうか?
いや、そもそもこうして直に会うなんておかしいのだ。
「あの、もしかしてKota さんの…」
「あ、え?」
「あ、すみません、間違えました」
「いえ、え? そうなんですが、え?」
「わたし、Mint の…」
「え? え? Mintの… え?」
「では、やはりKotaさんの…」
「あ、はい」
「はじめまして」
「あ、はい、はじめまして、え、でも…」
なんでこんなおじさんが? わずかに残っていた期待が消えた、というよりも、困惑に塗りつぶされた。
午後六時に、この古めかしい内装の喫茶店で待ち合わせをしていた。この店と隅にある四人掛けのテーブル席を指定したのは、Mintの方だった。わりと広い店内に他の客は中年の女性ひとりで、周囲の席には誰もいない。モーニングやランチならともかく、ここでわざわざ夕食を取る人は少ないだろう。 駅から徒歩十分ほどだったが、駅周辺には他に全国チェーンのコーヒーショップがあったし、ファストフード店もあったから、会社帰りにこの店に寄る人もまた、あまりいないだろう。Mintの自宅、もしくは大学の近所だと思っていたが、もしかしたら、このおじさんの職場が近くにあるのだろうか。
キャメルのトレンチコートを脱ぐと、紺のスーツが痩せ型の体を包んでいた。四十代後半から五十代初めと思われる、染めきれていない白髪が混じった短髪、黒い太縁のメガネ、目元と頬に皺が寄った、いかにも中間管理職のサラリーマン、といった風貌だ。
「少し遅れてしまいましたね、すみません。本日が仕事納めでして、帰り際に少しバタバタしましてね」
「あ、いえ、僕もさっき来たところですから。 あの、どうもお疲れさまでした」
おじさんは少し微笑んで、「ありがとう」と言った。
「学生さんですか?」
「あ、はい大学三年です」
「じゃあやっぱり、Kotaさんと同じだ」
「…ええ、まあ、そうです」
「それじゃあ就活が大変な時期か」
「え、 ええまあ、 そうですね」
「うちのMintは一年生だからまだ気楽にしているけれど、いずれは成長させないとならないな。どんな仕事がいいのやら…」
「あ、あのMintさんは、その……娘?」
「そうですよ、僕の一人娘です」
「あ… そうなんですか、 そういう事ですか」
「君はKotaさんの、ご友人って事ですかな」
「え? ええ、まあ…そうなりますね。同じ大学に通っていまして…」
「それじゃあお互い代理って事で、僕自身どうにも奇妙な事と思っていますが、会社を辞める時にも代理を使うっていう時代になっているわけですから、自分のような中年でも、そういう社会に順応していかなきゃならないって事で…まあひとつ、お付き合いください」
「はあ…」
「君はまだ若いから、柔軟に対応できると思うんだけれど。 もしかして、以前にもこういう経験があるんですかね?」
「いっ、いいえ、ありません」
「ほら、イケてるから、女の子をとっかえひっかえやってんじゃないの?」
「ないですないです! 全然イケてません、モテないです」
「またまたぁ~」
なんだこれは? なぜMintの父親と話さなきゃならない状況になっているんだ?
「なにか注文されましたか?」
「いえ、五、六分ほど前に来たところですので、まだ」
「今日は僕がお支払いしますから、好きなものを注文して」
「いえそんな、とんでもないです」
「いいからいいから、わざわざ足を運んでもらったんだから」
「す、すみません」
おじさんがテーブルに置いてあるタブレットを手に取った。数回スワイプした後、視線を画面に繋いだまま「もし良かったら、なにか食べるかい?」と尋ねられたが、脊髄反射したかのように、すぐさま首を横に振って断った。
「もうあの、ホットコーヒーで」
長居はしたくない。
「僕もコーヒーにしておくか…」
タブレットを置いた後、おじさんは片手をあげて店員を呼んだ。
あれ? タブレットで注文できないの?
目鼻立ちがくっきりした若い女性店員がおじさんにお冷を配膳し、タブレットでの注文を促すことなく、笑顔で紙の伝票をエプロンのポケットから出した。
「ホットコーヒーを二つお願いします」と、おじさんが和やかに言った。
「はい、コーヒー豆の種類はいかが致しましょうか?」と、店員さんも和やかに返す。
「ああ、そうだったね。 久しぶりに来たので… どれにする?」
「え?」
再びおじさんがタブレットを手に取ってスワイプした後、画面を見せた。
キリマンジャロ、ブルーマウンテン、モカ、ブラジル、グアテマラ、マンデリン…う~ん、やけにざっとした、古臭いメニューだな。ホイップもソースも、パウダーもないのか。
「あ、もうブレンドで…」
「僕はブルーマウンテン」
「はい、ブレンドひとつと、ブルーマウンテンがひとつですね。ミルクはお付けしますか?」
おじさんが「お願いします」と答えた。
店員さんが伝票を丸めて机の上にあるアクリル製の伝票入れに差し込むと、すぐにおじさんがそれを取って胸ポケットにしまった。俺はもう一度「すみません」とお礼を言った。自分のコーヒー代くらい、自分で払いたかった。その程度の事で優位な気持ちになられたくない。
三分ほど沈黙が続いた。
コーヒーが来るまで、こうして黙ったままなのか? 冗談じゃないぞ。
「あの…」
「ん?」
「なんかその、僕、こんな状況を想定していなかったっていうか…」
「まさか父親が出てくるとは思っていなかったか」
「え、ええ、お父さん? ……ってのはさすがに」
わざとらしく首を傾けて見せた。
「まあ気持ちはわかるよ。でも君も、あくまで代理という立場なんだろう? お互い様じゃないか」
「ええまあ、そうなんですが。ちょっとその、年齢に差がありますので。その、この二人で話しあうような内容なのかな~って。 その、同年代とばかり思っていましたので」
「年の差のせいで会話できない、なんて理屈は、これから社会人になろうとする者が言うべきじゃないだろう。違うかい?」
「いや、そりゃそうなんですけれど… おっしゃる通りなんですけれど… その、男女の別れ話…じゃないですか。かいつまんで言うと」
「そうだが?」
「その、代理とはいっても、その、女性の側がお父さんで、男の側がその…友人という立場では、たぶん噛み合わないっていうか…」
「そんな事はない。そもそも当人同士の話し合いでは進展がなかったから、こうして代弁者を立てる事になったんじゃないか。お互いそれぞれの大切な人のために、それぞれの主張を述べて、理解し合って、解決策を探ろうじゃないですか」
「はあ… でも、解決策って言われてもな…」
首の傾きを直せないままだ。
「先月…11月の末に、君の友人であるKotaさんがだね、うちのMintとの交際を解消したいと言い出して、それがこじれてしまってこういう状況にある。その認識に間違いはないね?」
「ええ、まあ、…そうです」
「当人同士で行った話し合いの繰り返しになると思うが、整理するために改めて確認しよう。まず、うちのMintのどこに、至らない所があったんだろうか?」
「いや、至らないとかじゃなくて、その、 なんて言ったらいいか…」
「一年半もの間続いた交際じゃないか。付き合い始めの頃のMintはまだ高校生で、初めての交際だったんだぞ。それを大した理由もなくただ別れたい、と言われたんじゃあ、納得いかずに落ち込むのも当然だ。ご飯もろくに食べず、水も飲まず、眠る事すらできないほどだよ、わかっているのかい?」
「いや、そんな事言われても…」
「笑わないでくれ」
「す、すみません」 いやでも…そりゃ笑うだろ。
「他に好きな人ができたって?」
「え? えっと、 …まあ、そうです」
「もうお付き合いしているのかい?」
「え? ええ、そういう事になる、みたいです」
「どこでその、新しくお付き合いする人と知り合ったんだ?」
「え、あ… その…」
「君ね、代理なんだからはっきりものを言わないと、〝え〟 とか、 〝あの〟 とか、〝その〟とかが多すぎるよ」
おじさんは少し苛つき始めていた。そんな事言ったって…
「それは以前に説明済みなんじゃ…」
「だから、改めて確認という意味で聞いているんだよ。先に言ったじゃないか」
「…すみません、その、 AI-Evo です」
「娘と知り合った時と同じ、というわけだな」
「そうですね」
「Kotaさんはその、なにかね。そうやってアイエヴォで次々に女の子を口説いて、とっかえひっかえやっているのかね」
〝とっかえひっかえ〟っていう表現が好きみたいだな。
「そういうわけじゃなく、たまたまチケットが当たって行ったイベントで知り合って、そこでその、仲良くなったみたいで」
「みたい?」
「ええ、後で知ったんです。レミニを使って見たので」
「じゃあ君の知らぬところで知り合って、仲良くなって、それをきっかけに交際を始めたって事かい?」
「はい」
「それは聞いていなかった。 もしかして、Mintの時にもそうやって…」
「いや、彼女の時はホントに偶然というか、その、パブで声かけてもらって、その時はリアタイで会話して、仲良くなって…」
「そう、そうだったね、アイエヴォをはじめたばかりの頃だった。なかなか親しくしてくれる人が見つからなかった。つい二月か三月程度前の事に思えるよ、年をとると年月が短くなるなあ」
おじさんが懐かしそうに上を向いた時に、コーヒーが運ばれてきた。
「女子高生になった途端、次から次へと話しかけてこられて… まったく、いつの時代、どんな場所でも不埒な輩がうじゃうじゃいるもんだ、と思ったよ」
「ちょ、ちょっと…」
若い女性店員のカップを乗せたソーサーを持つ手が少し揺れて、コーヒーがこぼれた。
「あっ すみません!」
オーダーを繰り返した時の声より、幾分か高い声だった。
「お取替えします」
「あ、いいのいいの」と、おじさんが笑顔で言った。
あんたが変な事を言ったからだ。
「さっきの、聞こえた?」
おじさんが店員さんに尋ねた。よせ~
「女子高生… あ、でも今は女子大生なの、僕。 アイエヴォの話。お姉さん、知ってる?」
「あ、はい。 あの、アバターで恋愛するヤツですよね」
「そう、僕ら付き合ってるの、いや、付き合ってたの」
「え、すごい」
「交際一年半」
「へぇ~」
「すごいでしょ」
「すご~い」
やめろ~、すごいわけないだろ~ 本当にすごいと思ったとしても、その後ろに〝気持ち悪い〟が付くだろうが~
「あ、でも勘違いしないでね。二人とも、そういうセクオリじゃないから」
「あ、はい」
「あくまでバーチャルの話だから」
いい加減にしろ~ 女性店員に気安く話しかけるおっさんって、傍から見るとなんかみっともねえんだよ。自覚してくれよ。
店員がこっちにもコーヒーを置くと、「それじゃあごゆっくり~」と笑顔で言って、仕事あがりかのように素早く去っていった。こっちもコーヒーがこぼれているじゃないか。
「ちょっと、やめてくださいよ」
「何を?」
「実際に会って話すなら、お互いそれぞれアバターの代理っていう立場に徹しよう、って決めたじゃないですか」
「うん、でも、まあいいじゃないの、周りには誰もいないしさ。店員さんには誤解を解いたんだから。だいたいアバターの代理って、ヘンな話だと思わない? いったいどっちが本人なんだ、ってなるじゃないか」
「嫌ですよ、気持ち悪いですよ」
「なにが気持ち悪いんだよ」
「いや、男同士じゃないですか。しかもおっさ… 年の差もあるから」
「なんだ、若いくせに偏っているな。普段はやたら多様性を理由に中高年を叩く癖に、いざ自分に降りかかってくるとなったら、そういう態度を取るのかね」
「いや、そんなんじゃないですよ」
「どう違うんだ、言ってみろ」
「いや… その、事実じゃないから。誤解されたくはないですよ。僕はその、女性が好きですから」
「だからちゃんと説明してあげたじゃないか、アイエヴォの話ですからね、って」
「だってそれでも、 おじさんじゃないですか~」
「アイエヴォでは女子高生だよ、いや、女子大生だよ。Mintだよ。国際交流学科で学ぶお嬢様だよ。めちゃめちゃかわいくて、スタイル抜群だよ。いったいどれだけビジュアライズに課金したと思ってるんだ!」
「知らねーよ! 男のくせに、そんなアバターを作らないでくださいよ!」
「またまた偏見だよ、ネカマなんて、俺が98を弄っていた時代からいたよ。それを今でも受け入れられないなんて、あ~、これだから学生は口だけだ、って言われるんだよ」
「極端な言い草だな~、 むかつくな~」
「すみません」という女性の声をきっかけに、二人とも我に返って押し黙った。女性のひとり客が、会計するために店員を呼んでいた。
急いで厨房から出てきた女性店員が「すみません」と頭を下げて、伝票を受け取った。彼女はまだ仕事をあがっていなかった。カウンターにはハンドルレバーが付いた木目調の、やたらレトロチックなレジスターが置いてあったが、やはりただの飾りだったようだ。(電子マネーで決済している) そういうお店なのだと知ると、急に内装のすべてが、硬い背もたれやところどころ削れたテーブルまでオシャレに見えてきた。
二人とも、少しぬるくなったコーヒーを飲み干した。
「すまなかった、本題に入る前にこれでは、冷静に話し合えないな」
「いえ、その、こちらこそすみません」
「君の言う通り、代理という立場に戻ろう。お互い感情的にならないように」
「はあ…」
「こんなおじさんって知って、残念だったかね?」
「いや、残念っていうか、その、びっくりはしました」
おじさんは苦笑した。
「だろうね」
やがて笑みだけが消えた。
なんで落ち込むんだよ? 男同士って、そっちは分っていたわけだろ? じゃあこんな場面をセッティングして、いったい何を話したいんだよ。 そっちの趣味はないんだろ? 絶対ないんだよな?
「あの、ヘンな事聞いていいですか?」
「ヘンな事? まあ… どうぞ」
俺は右の掌を上に向けて、おじさんを指すように前に差し出した。
「もしかして、現実の僕がその、女子かも、なんて思っていたんじゃないかなって…」
また苦笑した。
「いやいや、君のアバは男子大学生という設定じゃないか。直リプはいかにも若い男のコのものだったし、リアルも同様の人物だと思っていたよ、ハハ」
ハハ、じゃねえよ、〝男のコ〟じゃねえんだよ、その順当な答えの方が、余計にこえーんだよ!
「いや、戸惑うのも無理はない。君のその反応は予測していた。しかしね、Mintは、さっきも言ったように時間とお金をかけて、美しく育てあげた僕の、それこそ本当の娘のように思っている大切なアバなんだよ。その気持ちを汲み取ってほしいな~」
アバターをアバって言うな、なんか腹立つ。
「だからですね、俺も…僕もそう思って、たとえバーチャルでの交際でも、誠実に対応するべきと思ってここへ来たんですよ。でもね、その正体がおじさんって明かされたわけですから、これはもう、騙されたっていう気持ちになるじゃないですか、そうなるともう、お話する事はないですよね~」
「それは謝ります。でもね、そこを突かれると、こちらもKotaさん側の不実を責めたくなりますよ」
「不実? 僕の?」
「そうです」
「いや、騙されたのはこっち…ですよね?」
「君は僕が…若い女の子と想像していたわけだな? さっきそう言った」
「え、ええ、そうですよ。若いって言うか、まあ、同年代と思っていましたよ」
「若い女子、それもMintと同じような、かわいい容姿の子を期待していたんじゃないか?」
「え?」
「もしもそうなら、自分のアバと別れたがらない仮想世界の彼女が、もしもリアルでもかわいい女子だったなら、君はもしかして、二股をかけようと企んでいたんじゃないのかい?」
「そ、そんな事はありませんよ!」
「本当かい? もしも新しい彼女よりも美人の女の子だったなら、君はあっさり寄りを戻そうとしたんじゃないのかい?」
「おっ…僕は、誠実にですね、きちんと説明して、理解してもらおうと思っていたんですよ。恋人同士じゃなくなっても、友達でいられるならこれからもよろしくって、そうお話ししようと思っていたんですよ」
「君が新しい彼女と付き合う事になったのは、リアルで会って、仲良くなれたからなんだろう? つまり君はリアルの彼女が欲しかった。どれだけMintが魅力的でも、バーチャル空間だけの恋人では満足できなくなった。アイエヴォは、あくまでリアルとバーチャルをきっちり分けて出会いや恋愛を楽しむ、つまりゲームだ。アイエヴォの中だけは、浮気も重婚も許される。ルッキズムの弊害がなく、セクオリもセクモラも多少の制限はあるが、基本的に自由だ。そこに現実を持ち込むことはルール違反なんだよ? 皆割り切って自分を解放し、現実のストレスを軽減するために使用しているんだよ」
「知ってますよ、でも、アイエヴォでの交際がリアルでの交際、結婚に繋がる事例は多い。今に一般化するって言われています」
「だとしても推奨はされていない。リアルとのギャップがトラブルに繋がった事例もある。きちんと切り分けられないユーザーがいると、今に何もかも規制されてしまう」
「切り分けられていないのは、あなたも一緒じゃないですか。こうやってリアルで会いたいと言ったのは、そっちじゃないですか」
「そうだ。 だからお互い様なんじゃないか?」
返答に詰まった。
「…君はMintに対する未練をなくしてしまっただろうから、もうここにいる意味はないと考えているのだろうが、悪いがしばらく付き合ってもらう。僕はまだ納得していない」
「はあ~」と、ため息と一緒にして言った。
「まあ…わかりました。 でも、そんなに遅くまでは無理ですよ」
「わかった。では、ようやく本題に入るとしよう。でもその前に…」
おじさんはまたタブレットを手にした。
「お代わりを頼もう。何にする?」
既に読んでくださっている方にはすみません
全4話、随時アップします




