初めてのレコーディングを終えて
自分が楽曲そのものになってしまったかのような感覚。
身体は勝手にリズムを刻み、歌声が絡み合う。
奏音の声がさらに高みへ駆けあがる。
スポットライトは私たちに注がれて、眩い痛みで突き刺してくる。
その痛みに押しつぶされてしまわないように、あらためて目を見開いて、隣で歌う奏音へ目を向ける。
今はまだ、ソロでの収録なんてことになっていたら、立っていられなかったかもしれない。音楽に溶けてなくなってしまっていたかもしれない。
でも、奏音が私を、一人では辿り着くことのできないところへ連れて行ってくれる。
もっと強く、もっと高く、もっと広く、もっと深く。
笑いたいこと、泣きたいこと、楽しいこと、恐ろしいこと、全部全部の感情を抱きしめたまま、奏音に差し出される声に、私の声を重ね続ける。
暗闇に星が散り、手を取り合いながら、声を響かせる。
これが私たちだ。
ようやく、息ができる。
歌の余韻をいつまでも惜しむような、空虚な残響に耳を震わせながら、天井を仰ぎ見れば、星が近付いてくるように、錯覚させられる。
合図らしい合図はなにもなかったけれど、奏音が振り向き、私に抱き着いてくる。
二人して、立っていられるだけの力はなくて、情けなくも、その場にへたり込んでしまう。
どれくらいそうしていたのか、数秒だったようにも、数時間は過ぎてしまっていたようにも感じられた後、暗がりから、まばらな拍手が聞こえてきて、私たちを現実世界に引き戻した。
「――最高でした! 収録も問題ありません。お疲れさまでした!」
スタッフの人たちが大きく手で丸を作っている。
終わったのか。
いや、終わったから、こんな格好になっているんだけど、実感はまったくない。
「お疲れさまです、詩音さん、奏音さん」
動けない私たちの代わりに、蓉子さんが飲み物を持ってきてくれる。
今はペットボトルの蓋を回すだけの力も残っていないと思っていたけど、ありがたいことに、蓋まで開けてくれた。
スポーツドリンクが、心地よく、のどを潤す。
一気に飲み干して、大きなため息をついた。
「ありがとうございます、蓉子さん」
なにはなくとも、お礼を告げて。
「滅茶苦茶緊張したあ。全然、周りとか見えないし、音も聞こえないし、こんなの初めてで、どうなってたのって感じ。詩音と一緒じゃなかったら、もうわけわからなくて、意味わかんないこと口にしてた。多分、歌も滅茶苦茶になってたと思う。途中から視界も滲んでくるし、でも、拭ってるような暇はないし、見せられない顔になってたから、声だけの収録で本当に良かったよ。照明もすっごく暑いし、半袖着てくればよかったかもって思ったけど、こうして終わると、冷房は効いてるんだよねってなるし」
奏音の口からは怒濤のように言葉が紡がれる。
感想なのか、愚痴なのか。
「ねえ、詩音もそう思わない?」
「……思うけど、奏音はよくそんなに喋れるね」
私はもう少し休憩させてほしい。
「ライブとかになったら、一曲じゃ済まないんだよ。そんな体力じゃやってられないよ、詩音」
「いや、体力っていうか……ううん、そうだね」
なにもかも、見るのさえ、初めてだったからだろう。
この前のライブより、体力も気力も消耗してしまっていた。
「おふたりとも、こちらをどうぞ」
蓉子さんから差し出されたのはのど飴だ。
「ありがとうございます、蓉子さん」
薄荷味のそれは、私の目を覚まさせるようで。
「終わったあ、んーっ」
私は大きく伸びをした。
「一発でOKだったんですね」
「はい。おふたりとも素晴らしい歌唱でしたよ。録画はできていませんけれど」
録画はなくても、今日の歌は音源として残っているわけで、すぐに聞くことができるはずだけど。
「蓉子さん的にはどうでしたか?」
OKだったのは、収録として、商業商品としての歌としては問題なかったということ。
いつも、練習を見て、聴いてくれている蓉子さんの視点からは、どういう風に写っていたんだろう。
「とても素敵でしたよ。心配はしていませんでしたけれど、想像以上の出来で、正直に驚いています」
終わったばかりの私たちに向けられた、多少のリップサービスは含まれているのかもしれないけれど、それでも、十分な出来だったのかもしれない。
実際、自分の歌声って、歌っている最中にはわからないから。
奏音の歌が最高なのは感じていたけど。
「今日、この後ってなにか予定があったりするんですか?」
奏音が蓉子さんを見上げる。
「いいえ。『ファルモニカ』としての仕事という意味では、これでお終いになります。これ以外は明日以降の予定になっていますね。もちろん、できることはありますが」
ジャケットの撮影とか、サイン入れだとか、PVの撮影だとか。
でも、それらは今日じゃないということで。
「できることって、なんですか?」
「先に休憩にしましょうか」
いつまでも、ここにいるわけにもいかないからね。
私たちは、蓉子さんの――というより、事務所の車へ移動して。
「お昼はお弁当にしましょうか。なにか、ご希望はありますか?」
「お任せします」
あんまり、脂っこいものじゃなければ、希望もとくにない。好き嫌いもないし。
「では、おふたりはこちらでお待ちくださいね」
おそらくは、スーパーかどこかの駐車場で。
「これって、経費で落ちるってことなのかな?」
「わからないよ。でも、なにも言われなかったし、そうなんじゃない?」
事務所の机に置いてある差し入れのお菓子と同じ感じで。
蓉子さんのポケットマネーから出されている、なんてことだったら、申し訳なさすぎるんだけど。
「お待たせしました」
蓉子さんはほんの十分くらいで戻ってきて。
手に持っている袋の中には、お弁当とペットボトルが、それぞれ、三つづつ入っていて。
「ちらし寿司弁当ですね。あ、もしかして、無事に終わったからですか?」
奏音が声を弾ませる。
「はい。お祝いも兼ねて。おふたりとも今日は本当にお疲れさまでした」
私たちはペットボトルのふたを開けて、なんとなく、乾杯させるように軽くぶつけ合う。
「あー、おいしい。人生で食べた中で一番おいしいかも」
奏音は大袈裟だと思うけど、言いたいことというか、気持ちはわかる。
もちろん、まだ、曲の収録が終わっただけで、実際に販売されるまで、あるいは、ネットにアップされて再生されるまで、評価はどうなるかわからないんだけど。
とりあえず、今の私たちにできる全力は出し尽くしたと思う。
「少し歩きたいですけど、そういうわけにもいきませんよね」
食後の運動というか。
でも、ここにこうしてついてきてくれているスタッフは蓉子さんだけだから、車を蔑ろにはできないし、ましてや、私だけ、あるいは、奏音と二人だけ、なんていうわけにはいかない。
「すみません、事務所に近ければどうにかできると思いますから、しばらく、辛抱していただけますか?」
「辛抱なんて、そんな。負担になるようなことを言ってしまって、こちらこそというか」
ちょっと思ったことを口にしただけで、振り回したいなんて、まったく思っていない。
「今日の歌って、ちゃんねるのほうにもアップされるんですよね?」
どのくらい再生されるんだろう。
「はい。ご存じのとおり、『LSG』のほうと同じ感じですね」
並べられるのか。
それは、なんというか。
「楽しみだね、詩音」
「そうだね」
もちろん、アップされた時期が違うから、単純な再生数なんかの比較はできないわけだけど。
同じ事務所の尊敬する先輩たちであることは変わりないけど、やっぱり、これからはライバルでもあるわけだから。




