vs奏音
◇ ◇ ◇
結局、今回の一連の騒動の中、養成所を辞める人はいなかった。
もちろん、今回いなかったというだけで、これからだって、いつ新しい人が入ってきて、いつ誰が辞めていくともわからない、難しい場所だということは変わらない。
その中で、最後まで必死にしがみつき続けたところで、デビューできるとも限らない。
それでも、この道の先に輝きが向かっていると信じて、足を踏み出していくしかない。
トレーナーの人たちを、事務の人たちを、一緒にレッスンする仲間を、そして、自分自身を信じ続けられた人にだけ、その輝きを手に入れることができる。
今回の件についても、自分の努力を信じきれない、時間だけが過ぎていくように感じられる焦り、そして、相手を認めているからこその嫉妬やらが、たまたま、悪い形で噴出してしまったような感じだ。
それが、私や奏音、それから、朱里ちゃんなんかのパフォーマンスを見て、腐っていってしまうのか、奮起するのかは、私たちにどうこうできることじゃない。やれるだけのことは示したつもりだから、あとは、皆の心の内側に灯る炎を信じるだけだ。
「私としては、皆が一層のやる気を出してくれるほうが望ましいと思ってるけどね」
馴れ合いの共同体意識とか、そんなことじゃなくて、より質の高いパフォーマンスを体感できるチャンスだから。
べつに、人数が減ったからといって、デビューが近付くというわけでもないし。
それよりも、多くの相手と切磋琢磨できる環境のほうが、成長的には望ましいことに違いないはずだ。
「それは、今日のレッスンである程度確認できるんじゃない?」
着替えながら奏音が笑う。
今日は、先月のテストが終わってから、私たちにとっては初めてのレッスンになる。先月、というのは、先週ということでもあるわけだけど。
奏音が言っているのは、もちろん、テストの順位の話じゃない。もちろん、それも重要だけど。
「だと良いけど……朱里ちゃんは今日来るのかな?」
曜日的に、来るとしても、レッスンの時間帯は被らないはずだけど。
だけど、朱里ちゃんが来ようと来るまいと、雰囲気は察せられる。
「来るんじゃない? 時間的には、私たちより後だろうけど」
朱里ちゃんと私たちは学校も、学年も違うから、授業時間とか、移動時間も違っているわけで。
着替えを終えて、レッスン室へ向かってから、奏音は蓉子さんのところへ。
「やっぱり、朱里ちゃんは今日、この後の時間帯で来るみたい」
朱里ちゃんのレッスンのスケジュールを確認しに行ったみたいだ。
それって、個人情報になると思うんだけど、良いのかな? まあ、蓉子さんが教えてかまわないと判断したなら、問題ないか。
朱里ちゃんと一緒のほうが、より雰囲気を感じられただろうけど、そこまで気にしてはいられない。
「心配? 詩音」
奏音が含みのあるような笑い顔で覗き込んでくる。
「心配は心配だけど。多分、奏音が想像しているような意味じゃないと思う」
私が言っているのは――。
「皆がまだ朱里ちゃんのことにこだわり続けていて、レッスンに身が入りきっていない様子だったらどうしようかって、心配してるんでしょう?」
私が目を見開くと、奏音は、してやったり、みたいな表情を浮かべていて。
「当たりでしょう?」
「そうだけど……よくわかったね」
そこまでぴったり当てられると、誤魔化す気にはならない。
もともと、誤魔化す意味のあることでもないし。
「伊達に詩音と一緒にトレーニングしたり、ユニット組んでるわけじゃないからね」
ユニットは、心を通わせ合うパートナー同士のこと。
今は、ステージの上の、パフォーマンスの最中ということじゃないけど、それだけの付き合いにはなってきているということだ。
もちろん、それは嬉しいことで。
「それはそれとして、次回こそは、ソロで勝負しようね」
奏音が楽しそうに告げてくる。
今回は、事務所の雰囲気なんかを考えて、あえて、またユニットを組んだわけだけど。
そろそろ、ソロでのステージ、でもないけど、パフォーマンスを経験しておきたい。
練習ではソロなんだからといえば、それはそのとおりだけど、練習には練習の、そして、テストにはテストにしかない緊張感なんかもあるから、それを一人でも経験しておきたいということもある。
将来、グループでデビューするとか、ソロでデビューするとか、そういうこととは関係なく、経験を積むということが、どんなことでも、それが先へ繋がるものなら、積極的にこなしていきたい。
絶対、将来活きてくるはずだから。
「うん。でも、次回は歌かな? ダンスかな? それとも、両方?」
順番とかはあんまりあてにはならないだろうからね。
できれば、奏音とは。
「歌で勝負したいよね」
「ダンスで勝負したいね」
私たちは顔を見合わせて。
「奏音とは歌で勝負したい」
「私は詩音とダンスで勝負したいんだけど」
奏音の歌は特別だ。同じようにレッスンしていたのでは、追いつくことはできないだろう。
それは多分、奏音が私とダンスで勝負したいと言っている以上に。
だって、歌だけなら、奏音は養成所内で、由依さんや真雪さんたちを含めても、一番に間違いないから。
少なくとも、私はそう思っている。
「べつに、勝負ってことなら、来月のテストを待つまでもないよね」
奏音が挑発的に笑う。
「そうだね。レッスンの前に軽く身体を動かして、喉を温めておく?」
蓉子さんは休憩なのか、今この部屋にいないし、前の時間帯の人たちも全員引き上げていて、私たち以外に次の時間帯の利用者もいない――まだ来ていない。
私と奏音の視線がぶつかって。
「曲はどうする?」
「うーん。また同じじゃ芸がないし……」
奏音はにやりと笑って。
「『I wish』にしようか」
『I wish』
言わずと知られた、『FLURE』の代表曲の一つだ。
私だって、何度、聴いて、踊って、歌ったかわからない。『FLURE』が初めて、オリコンで初登場での一位をとった曲。
「良い度胸だよね、奏音」
「詩音こそ。自分だけが『FLURE』のファンだなんて思わないほうが良いよ」
そんなことは思っていない。『FLURE』は、この国において、世代を超えても、なお、最上位に君臨しているグループだ。
国内だけでも、百万人はゆうに超えるファンがいるわけで。
むしろ、この養成所の全員がファンだったとしても、驚きはないし、アイドルを目指しているなら、意識したことがないとは言わないだろう。もっとも、今の私たちにとっては、雲の上どころじゃない人たちだけど。
そういうわけで、当然のように、私も奏音も、歌もダンスも知っている。
私だけが知っているなんてことになると、有利がつくからね。
それでも、なお、私が有利だと言い切った。まあ、それは、奏音も同じだったけど。
「音は流す?」
「私はいらないけど、奏音が流したければ好きにすればいいよ」
どうせ、ネットにいくらでも挙げられているんだから。
「私だって、脳内再生くらい余裕なんだけど」
奏音も言い返してくる。
ただ、音源がないと、二人で始めるタイミングを合わせる必要はあるわけだけど。
そこの心配はいらなかった。
レッスン室内で向かい合って立って、視線を合わせれば、自然と呼吸が合ったから。
完全に同じタイミングで、私と奏音が歌い、踊り出す。
まるで、鏡を前に踊っているみたいだ。実際の鏡とは違って、左右は逆に動いているわけだけど。いや、同じに動いているって言うべきなのかな?
とにかく。
わかっていたけど、奏音、この数か月でダンスも格段に上達しているよね。歌は言うまでもないし。




