知っている曲なんだけど
◇ ◇ ◇
「さて、今月のテストですが、ダンスだけのテストとなります」
月の半ば、蓉子さんからそう通達があった。
前回は、私たちの自由だったけど、今回はダンスだけ、その振り付けも決まっているものだということだった。
そのこと自体に驚きはない。自身で創作する力も必要だとは思うけど、与えられた指示どおりに振り付けを踊ってみせるというのも、大切な能力に違いはない。
「では、これからお手本をお見せしますね。それから、時間がもったいないので、質問や気になったことなどは、後ほど、個人的にお願いします」
一人一人、気になるところは違うだろうし。
もちろん、そのお手本となるダンスは、後で動画が上げられるらしい。もちろん、コメントは無効の状態で。
そうして蓉子さんが踊ってみせてくれたダンスは……あれ、これって。
「では、さっそくレッスンに入りましょう」
まずは、動きを確認、覚えるために、通常の半分くらいの速度で曲を再生しながら踊る。
蓉子さんは音楽を流していないけど……これもわざとなのかもしれない。
もやもやというか、むずむずというか、そんな感じの感情を抱えながらレッスンをこなして、その日、帰る前に。
「すみません」
「詩音さん。どうかしましたか?」
着替えを済ませて、蓉子さんのところに顔を見せると、蓉子さんは尋ねつつ、あるいは、予期していたような感じでもあった。
「お時間をとらせてしまい、すみません。確認したい、いえ、お聞きしたいことがあるのですが」
「はい、もちろん。ところで、奏音さん、そんなところで待っていないで、入ってきてかまいませんよ」
振り向くと、奏音がドアの隙間から少しだけ顔をのぞかせていた。
「そんなところでなにしてるの、奏音」
「だって、詩音がなにか気にしてる感じだったから、気になって」
それだけ? いや、まあ、いいんだけど。べつに、他人に聞かれたところでどうこうするようなことでもない……と思うし。
ただ、あえて、蓉子さんが伏せたという理由を考えるなら、あんまり、大人数で結託して聞きに来る、みたいな状況は想定されていないんじゃないかとは思うけど。
「私は奏音がいてもいいんだけど……」
ちらりと、蓉子さんの表情を窺う。
ただ、蓉子さんは微笑んでいるだけで、とくに、奏音がいても問題はなさそうだったから。
「あの、今回の課題のダンスのことですけど、あれって、『ワールドワーカーズ』の『隙間時間』ですよね?」
単刀直入に尋ねることにした。
動画サイトの再生数的には、そこまで人気が出ているとは言えない曲。
六人組の、しかも、男性アイドルのグループで、メンバーそれぞれが、各大陸を象徴するみたいな、世界平和的なことがコンセプトだったはず。
「さすがですね、詩音さん。男性アイドルの、そこまで、メジャーとは言えないグループまでご存知だったんですね。奏音さんは気がつかれましたか?」
「いいえ。私は気づいていませんでした」
奏音は首を横に振る。
メジャーとは言えないというのは、失礼ともとれる話かもしれないけど、一応、CDの売り上げとかっていう、客観的なデータに基づいて話しているんだとは思う。
しかも、すでにグループは解散している。
人気がなかったからじゃなくて、メンバーの年齢が年齢だったから、つまり、一昔前のアイドルグループだということだ。
蓉子さんは、素直に感心しているようにも見えるけど。
「なんで、皆には伝えなかったんですか?」
実力を確かめることが目的なら、本家のダンス映像を見たほうが、蓉子さんの今の動画だけを確認するよりも、より解像度というか、楽曲に対する理解は深まると思うんだけど。
とくに、そこに込められた想いとかって、ダンスや歌に込められるから。
知らないでやるのと、知っていてやるのとでは、おそらくだけど、雲泥とも言えるくらいの差が出てくると思う。
「普段、どれだけアンテナを広げているのかを確認するためということが一つです。自分たちのことに集中するのは正しく、最短であるのかもしれませんが、視野を広げること、たとえば、他人のパフォーマンス、それも先人のものであれば、そこから吸収できるものも大きいはずです。それを知ってもらいたいということがもう一つです」
もしかして、蓉子さんが好きなグループなのかな、と思って見つめてみたけど、なにも、テストは蓉子さんだけが作っているわけじゃなくて、他のトレーナーの人たちとも話し合いのうえで決めているはずだ。
「そういうわけですから、詩音さん、奏音さん、今の話は他の方には話したりしないようにしてくださいね。もちろん、この後気づいて尋ねに来た人たちにも、同じようにお話しさせていただきますから」
蓉子さんはそう言うけど、普通は、私たちの世代だと、気がつかないと思う。
私が気がついたのは、たまたまだからね。私だって、過去にいた、そして、今いるアイドルグループの、全部の曲を全部覚えているわけじゃない。そもそも、そんなこと、時間がいくらあっても足りないわけで。
もっとも、世の中には、少し見て聴いてっていうだけで、すぐに踊れたり、歌えたりしてしまうような、特別なセンスを持っているような人も確かにいるわけだけど。
たとえば、奏音は、一度聴いた曲はそれだけでほとんど完璧に歌える、みたいなことを言っていたし。
それはともかく、私が気づいたわけで、他の人も絶対に気がつかない、とは言い切れない。
ようは、気づくか気づかないかが問題じゃなくて、私と、こうして知りえてしまった奏音が黙っていれば済む話だから。
「わかりました。でも、このままだと、私たちだけ有利になってしまうのではありませんか?」
「そうですね。有利ですから、一位も取ることができるでしょうね」
これは、発破をかけられているんだろうか?
「ですが、私たちは公平でいるつもりです。アンテナの感度のチェックでもありますから。コミュニケーション能力の練習、とまでは言いませんけど、これも課題のうちですので」
それでも、私たちからは、他の人たちに漏らしたらいけない、と。
もっとも、どの動画サイトでも、大抵は閲覧することができるだろうから、条件的には、誰でも五分だろうことには違いないはずだ。
ご丁寧なことに、このダンスはすでにこの事務所の動画チャンネルに挙げられているけど、そこからは、他の動画にリンクしないように設定されている。もちろん、言っていたとおり、コメントもできない。
「それにしても、本当に詩音さんはよくご存じでしたね。もしかしたら、私より、アイドルについてお詳しいのでしょうか」
「いえ、そんなことはありません」
よく知っていたとかって私のことを言っていたけど、蓉子さんだって知っていたわけだし。
そして、今日のことを見る限り、すでに、ダンスの振り付けまで完璧に近い形でマスターしている。
さすがに私は、このダンスまでマスターしてはいないから。
とはいえ、蓉子さんとは、ひと回りくらい年齢が離れているわけで、知識の差は当然なんだけど。
「えっと、詩音はそれで良かったのかもしれませんけど、私まで知ってしまったのは良かったんですか?」
奏音が当惑しているように蓉子さんを見つめる。
フェアじゃないとかって感じているのかもしれない。
「そうですね。ですが、いまさら、知ってしまったことをどうすることもできませんからね。もちろん、そうやって動画ばかりを漁っているのではなく、学業などのほうもしっかりしてほしいところではありますが、きっと、これからは奏音さんもそういった意識になられるでしょうから」
蓉子さんは、笑顔で釘を刺しつつ。
奏音は、なんだか、必要以上に畏まっていた。




