あなたがいれば十分
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結局、あれから、私のドキュメンタリーだかなんだかという番組を撮るという話は聞いていない。
そもそも、見たり聞いたりしたところで、それほど面白みのあるような人生だとも思っているわけじゃないし。
デビューできないでいるよりは、形はどうあれ、デビューできるのなら、と思っているところもあるけど、それはそれとして、自分の実力で、養成所にいる皆から認められた形でデビューしたいという願望、あるいは、プライドは、私にだってある。
それはつまり、今のままでは、ドキュメンタリーとしても成立しないと思われているということなんだけど。
ここの事務所は、本当に、私たちのことを考えてくれているんだろう。
番組の都合でデビューしたところで、そこでやって行けるだけの実力がなければ、それだけで終わってしまう。
それより、しっかりと経験を積んで、実力をつけて、それからというほうが、その後に繋がるという判断だろう。判断というか、当然のことなんだけど。
私自身は、そんな内容の番組を作ることに対して、思うところがないわけでもないけど。
だって、そんなに面白いものでも、あるいは、感動だとか、泣けるようなものでもないから。視聴率という意味では、強いわけでもない。今のところ、ビジュアルの第一印象的なインパクト以外に、面白み――自分で言うのもあれだけど、つまり、そういうことなんだろう――はないと思う。
だから、奏音や朱里ちゃん、それから、蓉子さんにも、由依さんたちにも、協力というか、話を聞いて参考にさせてもらったけど、今はまだ、作成は遠慮させてもらうことにした。
「せっかくのチャンスだったのに」
奏音からは、そんな風に呆れられた。
「詩音のビジュアルだけじゃなくて、しっかり実力まで見ているんじゃないとそんな話、こないと思うけどな」
「私だって、そこまで、思い上がっているというか、侮っているわけでもないよ」
番組側だって、作る以上、視聴率を取らなければ意味はない。ビジュアルが珍しいというだけで、そんな暇はないだろうとも思う。
そもそも、見た目を売り物にしている芸能界という場所で、たかだか、ハーフだか、クォーターだかというだけの話が付随していたところで、それ以上の面白みのある話でもないわけだし。
幼少期のストレスでとか、出生に関して特異な事情があるとか、特別な力でも働いてなんてことでも、もちろんない。
「贔屓されていると、さぞ余裕があるんでしょう。良いご身分よね」
私は気にしていなかったけど、咄嗟に、奏音が振り向く。
「今の誰?」
もちろん、答えが返ってくることはない。
「いいよ、奏音、放っておいて」
「詩音」
奏音のほうが困っている、あるいは、そこに、少しは怒りも含まれているような顔をしているけど。
だって、気にしたところで仕方ないし、犯人捜しなんて、不毛なだけだ。
「それに、余裕があるのは向こうのほうでしょ。そんな、くだらないことでいちいちかまってくる暇があるんだから」
まだ、そんなことを言ってくるというのは、この間の朱里ちゃんの言葉が響いていなかった証拠だろう。
そして、そもそも、私のほうに、そんな悪口だか、嫉妬だとか、まだ、いじめとかなんていうほどに発展してはいないけど、そんなことに対処しているような暇もない。
そんな悪口を言われることもないくらいの、納得させるだけの実力が、まだ身についていないということだから。こんなところで、いちいち立ち止まっていられるような余裕はない。
「なに言ってるのよ」
「べつに、なんでもありません」
相手が先輩だろうと、放っておけばいいと思っているだけだ。
今のは、奏音がすぐに食って掛かっていきそうだったから、少し、反論したというだけで。
「あんたねえ」
「また、詩音に絡んでいるの?」
顔を出してきた朱里ちゃんは、私たちを見比べてから、溜息をついて。
「自分の実力が足りていないと思うんじゃなくて、デビューするかもしれないという相手のほうに嫉妬して、言いがかりをつけているようじゃあ、そんなことだから、まだデビューできないでいるのよ」
相変わらずというか、容赦がないというか、言葉を飾らないというか。
「長くここに所属して学んでいると言えば聞こえはいいかもしれないけど、逆に言えば、それだけ長くやっていてもデビューの目がないという判断をされているということよね。人に絡む前にまず、自分の実力を振り返って、問題を把握することが先なんじゃないかしら」
言いにくそうなことをはっきりと。
たしかに先輩後輩という間であろうと、ライバルで、年齢差なんて関係ないというのは、そのとおりなのかもしれないけど。
そもそも、真雪さんや由依さんとは違って、相手はデビューしているわけでもなく、事務所側から見た立場としては、私たちはほとんど同列、なんだったら、今後のテストでもまだいくらでも、順位は入れ替わる可能性はあるわけで。
「詩音、行こう」
奏音が私の手を引いて、レッスン室へと向かう。
「奏音」
「私だって、友達があんな風に言われているのを聞きたくはないし。だったら、もう、あんなことを言われないくらいの実力で黙らせるしかないでしょう。なんか、朱里ちゃんっぽいね」
奏音が照れたように小さく笑う。
たしかに、似てる。
本当に、いまさら、あんな程度のことを言われても、気にしないんだけどな。
「ありがとう、奏音」
「どういたしまして。でも、詩音も本当に、あんまり気にしている風じゃないよね」
奏音が私のことを覗き込むように見てくる。
「朱里ちゃんとか、奏音とかに言われたからってことでもないけど、本当に、気にしてないからね」
言葉で言われているだけで、今のところ、それ以上の実害は出ていないから。
それこそ、荷物が切られているとか、落書きがひどいとか、直接的な暴力が振るわれている、みたいなことはないし。
コミュニケーション能力を磨くための試練、とまでは言わないけど。
芸能界で生き残るために、コミュニケーション能力は必須で、重要な能力だ。でも、今のところ、私に敵意を持っているような相手のことまで考えているような余裕はない。
もう少し、それこそ、由依さんくらいになれば余裕も出てくるんだろうか、という程度には、考えていたりもするけど。
「ふーん」
「奏音。あんまり、信じてないでしょう」
もしかして、私が表面上は取り繕っているだけで、心では泣いているとか、夜な夜なベッドを濡らしているとか、そんなことを想像しているわけじゃないよね?
「今のところ、保留って感じかな」
奏音とは、同期で、友達で、ライバルだけど、まだ、数か月程度の付き合いしかない。
仲の良さに、知り合ってからの期間は関係ないとか、そんなことをしたり顔で言う人もいるかもしれないけど、結局、時間というものは大切だから。私と奏音の仲が良くないとかって話じゃないよ?
「詩音は、今は気にしてないのかもしれないけど、この先だって、ずっとそのままかどうかはわからないし」
いまさら、私がどう気にするとも思えないけど。
たしかに、よくあるというか、いじめ的なことまでされ出したらわからないけど、こんな、芸能界とも直結しているような場所で、自分の価値を貶めるよううな真似をしたりはしないと思う。今の程度の可愛いものならあれだけど、そんなの、積もったところで、私は気にしないし。
それに、嫉妬されるくらいには、実力が認められてきているってことだよね。どうでもいいような相手なら、すぐに消えるだろうかって、放っておかれるだろうし。
この場合の実力っていうのは、もちろんルックスも込みでの話だ。
「でも、奏音がこうしてくれるなら、それでも十分だよ」




