ドキュメンタリーがデビュー?
蓉子さんの言っていたとおり、その日からのダンスのレッスンは、ダンスの基礎的な部分を押さえたような流れの動きでのダンス、それに尽きた。
まさに初心者である私たちに合わせるようなメニューだけど、先輩たちも、少なくとも表立って文句をつけるとか、そういうことはしていない。
多分、レッスンの時間としては設けられていない時間でも、レッスン室のスペースを自分の練習のために使えること、聞けば、大抵はどんな質問であっても、蓉子さんや由依さんたちから答えが返ってくるからだろう。
それは、歌、ボイストレーニングでも同じことだ。
体力トレーニングに始まって、呼吸や発声、音階トレーニングにリズムトレーニング、早口言葉。
決まった曲をパート分けして、などということはなく、ひたすら、基礎の繰り返しだ。
ダンスにしても、歌にしても、休憩時間に、自主的に練習することを咎められてはいない。自己管理の範囲内だということだろう。
あるいは、そういうところまで含めて、練習させているということかもしれないけど。
なんにしても、近くにトレーナーの方たちがいてくれるのは、心強い。
本当にありがたいことだけど、こういった環境作りが巧みなことも、その事務所がどれだけの力を持っているのか、アイドルというものを理解しているのかの、証明にもなってくると思う。
もちろん、すべてのモーションをミリ以下単位で調整して、歌い方を強制して、完全に個性をなくした、そういう楽器として運用する、みたいなことじゃない。
「はい、一分。そこまで」
一分間のプランクが終わった直後、大きく息を吐き出し、座り込んだ私は、腕をぷらぷらとさせる。
一応、中学生組というか、身体がまだ成長期だということで、筋力トレーニングは若干、他の人より軽めだけど、それが、レッスン自体が軽くなる理由にはならない。
若干軽めとというのも、高校生以上の身体がしっかりできている人たちが隣でやっているのと比べて、という意味であって、決して、私たちの身体が悲鳴を上げていないということじゃない。いまだに、一つのレッスンが終わるたび、息を切らしていることには違いない。それでも、少しは良くなってきていると思うけど。
「蓉子さーん」
同じトレーニングをこなしていても、蓉子さんはまったく、息を切らせるような様子もない。
どころか、ドリンクを片手に、なにやら、ノートまでつけている始末。
「どうかしましたか?」
もちろん、そんな中で私たちのことを気にしていないのかと言われたら、そんなことはなく、こうして、軽い感じの問いかけにも、きちんと反応を返してくれる。
本当に、なんで、蓉子さんをまだ正式に採用していないままなのか、まったくの疑問だ。ただのインターン生ってレベルじゃないよね、何回目で、いまさら過ぎることなんだけど。
「はっきりと教えてもらいたいんですけど、私たちって、どのくらいでデビューできるんですか?」
そんなことを聞いているのは、数人のグループ。もちろん、事務所内でユニットというように決められているわけじゃなく、どこにでもある、派閥の話だ。
今、この場には、数十人以上が集まっているんだけど、私を含めて、ほとんど全員が耳をそばだてていた。
皆の一番の関心事だろうからね。
「そうですね。今のままでは、三年後くらいでしょうか」
蓉子さんは、とくになにかを躊躇うこともなく、あっさりと口にした。
三年後かあ。あ、いや、もちろん、万事順調に進めばって話みたいだけど、それにしても、今の私には、ちょっと想像もできないくらい先の話というか。
三年後といったら、高校生になっているってことだよね。中学生にすらなったばかりの私にとっては、まったくの未知の世界というか、憧れすらまだまだみたいな場所だけど。
高校生に……なっている、よね? 勉強のほうもしっかりしないと。
「それ以外の個別の評価に関しては、成績表のとおりです。ほかに質問などありますか?」
蓉子さんに、煽ったりとか、馬鹿にしたりなんてつもりは皆無だろう。
「今の世の中には、うちだけではなく、アイドル部門のある養成所は、たくさんとは言いませんが、選ぶことができる程度にはあります。私は、自分の学んだこと、そして、上からの方針に従って、トレーナーとして勤め、報告を上げているだけで、デビューなどの決定権はありませんから」
それは、デビューに足る実力かどうかを判定する私見を交えることのできる立場ではある、ということだけど。
「個人的な、ダンスや歌などの実力がどう足りないのか、どこを伸ばせばよくなるのか、そういった、表現力に偏った話であれば、いくらでも相談に乗ることはできますが、この社の基準でどうなればアイドルとしてデビューできるのかということを決めているのは、あくまでも、社長、プロデューサーです。なので、詳しい話をお聞きになりたいのであれば、そちらに話をなさってみてはいかがでしょうか?」
蓉子さんにできる――いや、しているのは、あくまでも、鍛えることだけ。
本人も、多分、ここに就職することになるんだろうとはいえ、今のところ、学生バイトという立場だし、さすがに、口出しという以上に、会社としての人事権はない、ということなんだろう。
「じゃあ、この前話していた、詩音のドキュメンタリーを一本撮ろうという話はなんなんですか?」
急に指差されて、睨むような視線を向けられても、私には、せいぜい、目を瞬かせて、周囲を一回すことくらいしかできなかった。
私を主演にドキュメンタリーを一本? それも事務所のPVとかじゃなく、テレビ局から――大手ではなく、ローカルとはいえ――の、依頼で?
「それも、私にはさっぱり。私は、お茶くみをしていただけなので。詳しくお知りになりたいのでしたら、そちらも、社長かプロデューサーに確認してみてください」
そんな軽い調子で、デビュー前の私たちに、社長だとか、プロデューサーだとか、そんな偉い感じの人への直談判なんて勧めないでほしいんだけど……わかっていて言っているよね、蓉子さん。
「詩音、どういうこと?」
「ごめん。本当に、私にもさっぱり」
隣の奏音が肩を突いてくるけど、本当に、私にわかることはなにもない。
私の知らないところで、そんな話が、どうして進んでいるんだろう。
今の話をそのまま信じたなら、一年後とかに私のデビューが決まっていて、それに合わせて、番組を、それも、ドキュメンタリーということなら、密着で作るみたいな話なのかもしれないけど。
冷静に考えたなら、多分、私じゃなく、私と同期の、奏音や朱里ちゃんも合わせて、みたいなことなんじゃないかとは思うけど。
とはいえ、今の私にとっては、デビューできるかもしれないというのは嬉しいけど、それならそれで、まだまだ、備えるべきことはたくさんある。
現状、私がこの養成所内の十三番目でしかないというのは、事実なんだから。
「ちょっと、詩音、なにか言いな――」
「詩音に絡んでいるような暇があるなら、ランニングにでも行ってきたほうが、建設的じゃない?」
私が絡まれそうになっているのを止めてくれたのは朱里ちゃんだった。
「詩音のビジュアルが画面映えするのは、間違いない事実だもの。アイドルにとって、ビジュアルというのがどれほどの実力に換算されるのか、わからないわけじゃないわよね? それとも、詩音のダンスや歌唱の実力を、これだけレッスンで一緒にいるのに、まったく感じていないというのなら、向いていないから辞めたほうが良いわよ」
まあ、止めたっていうか、とどめを刺したって感じだけど。




