納得できないっていうのは
蓉子さんのように詳しいわけじゃないから、私には、誰がどのくらいの頻度でレッスンに通っているとか、真雪さんや由依さんの仕事のスケジュールがどうなっているのかなんてことはわからない。
奏音や、ほかの誰かとであっても、レッスンに来る日をあらかじめ決めているわけでもない。もっとも、奏音とは、別れ際に次回の予定を確認したりするし、スケジュールが合うことも多いんだけど。
でも、その日、私が養成所に顔を出そうとしたとき、途中の道で朱里ちゃんを見かけたから、声をかけた。
「朱里ちゃん」
「詩音」
朱里ちゃんが振り向いて立ち止まってくれている間に、私は小走りで駆け寄る。
「おはよう、詩音」
「おはよう、朱里ちゃん」
奏音は奏音で、目立つ金髪はわかりやすいけど、朱里ちゃんは背中のあたりまでの黒髪をツーサイドアップにしていることが多く、このあたりでほかにそんな人を見かけたことはないため、こっちもわかりやすい。
まあ、髪型どうこうで、わかりやすいとか、私が他人に言えたものじゃないんだけど。
「朱里ちゃん、今日は早いんだね」
基本的に、高校生である朱里ちゃんが養成所に顔を出すのは、私よりも遅い時間であることが多い。加えて、朱里ちゃんは電車での通いだし。
それが、学校帰りに直接なのか、自宅からなのかは知らないけど。少なくとも、制服姿というのは、見たことがない。
もちろん、私も制服で養成所に通ったりはしていない。そんなリテラシーの低い真似はできない。
それでは、アイドルになるつもりがないと言っているのも同じだ。
たとえば、性善説とやらに則って考えるのなら、たかだか、学校の制服で出入りしているところが見られたところで、将来、アイドルにデビューした場合にでも、問題になることはないんだけど。
けれど、現実問題として、ストーカー問題なんかは起こりうるわけで、毎度車で送り迎えをしてもらっているわけでもないから、そのあたりについて気をつける必要性をわかってはいる。
うちはこの養成所兼事務所からも近いし。尾行を巻くなんて技術はないけど、さすがに家までつけてこられるのは怖い。
「今日は短縮授業だったのよ、うちの高校」
それで、早めに来られることになったらしい。
「この前のテストは残念だったわね」
養成所の人数全体を考えたなら、私と奏音の順位である、十三位と十一位というのは、決して低いわけではない。
ただし、デビューするまでには、まだまだ、まだまだまだまだ、実力は足りていないことが明らかになっただけだ。
「うん。朱里ちゃんもね」
朱里ちゃんの順位だって、十番で、一桁にすら届いていない。
それで納得できるはずがないだろうというのは、普段の朱里ちゃんのレッスンの入れ込みようを見ていれば、すぐにわかることだった。
「……ええ、そうね」
そう言った朱里ちゃんの顔は険しくて。
「納得してないの?」
「しているわけないでしょう? 詩音だって、そうじゃないの?」
朱里ちゃんに睨まれる。
これは、私の聞き方が悪かったかな。
「えっと、順位自体に納得していないのかっていうことじゃなくて、あのときの自分のパフォーマンスを振り返ってみて、見ていたほかの人のパフォーマンスと比べて、反省点とかを見つめ直して、やることを新たに見つめて、って、そういう意味での、納得できていないのかなって聞いたんだけど」
「……詩音って、今、十三歳だったわよね? へこむわ……」
なぜだか、朱里ちゃんがため息をついてしまった。
なにか、悪いところに触れてしまったんだろうか。誰にだって、触れてほしくないところの一つや二つ、あることはわかっているつもりだったのに。
「あ、えっと、朱里ちゃん、その……」
「ああ、ごめんなさい。私が勝手に落ち込んでるだけだから。どうして、中学生、いえ、ついこの間まで小学生だった詩音に励まされてるのかって自分にちょっと嫌気がね。詩音は全然気にしなくていいのよ」
朱里ちゃんに頭を撫でられた。
なんだか、子ども扱いされているような気がするけど……。
「それにしても、詩音はそんなことまで考えているのね。立派じゃない」
「え? 朱里ちゃんもやっているんじゃないの?」
そんなこと、べつにアイドルのレッスンに関係なく、誰でも、なにかしらで経験していることなんじゃない?
勉強だって、スポーツだって、なんでも同じことは必要でしょ? ようするに、反省会のことだから。
「まあ、それはね。ノートをつけるくらいは私もしているわよ。ここには持ってきてないけどね」
「えー、残念」
朱里ちゃんがつけているノート。そんなもの、どんなことを書いているのか、気になるに決まっている。
他人の日記を見たがるなんて、ひどく礼節がなっていないから、そんなことしないけど。
「詩音もノート、養成所のこととか、アイドルのこととかをノートにまとめていたりするでしょう? 多分、同じようなことよ」
「え? なんでわかったの?」
もちろん、私だって、養成所で習ったこと、実際にやったレッスン、トレーナーの人たちや由依さんたちとした話、そんなようなことをまとめたノートを作ってはいる。後で見返して、たとえば、台風とか、養成所に来られないようなことがあっても、自宅でなにかできないかと、できることを考えるときのネタにするためだ。
当然、自分自身の興味関心のためでもあるけど。
「だって、詩音、あなたがどれだけアイドルに情熱を持っているのか、普段のレッスンとか、この間の発表なんかを見ていてもよくわかるもの」
「それは朱里ちゃんもだけどね」
正直、最初の、入所オーディションのときから、朱里ちゃんはアイドルに魂を賭けているんだなっていうことはわかったよ。
「朱里ちゃんは、なんで、高校生になるまで、アイドルの養成所に通っていなかったの?」
「それは……受からなかったってこともあるけど、実家との兼ね合いでね」
もしかして、地雷踏んだ?
「べつに地雷じゃないわよ」
「心読まれた! あっ、いや、なんでもないの」
あまりにもピンポイントで、つい、声に出ていたら、朱里ちゃんはくすくすと笑っていて。
「朱里ちゃん?」
「本当に気にしてないわよ。多分、詩音とは比べものにもならない、いえ、比べようとすることすらおこがましいことよ」
私と? 私はべつに、養成所の試験なんてほかに受けてないし、実家との折り合いも悪いわけじゃないんだけど。
「私は綺麗だと思うけれど、詩音のその銀髪も、青い瞳も、自前のものでしょう?」
「ああ、そういう」
私の中では、とっくに吹っ切れているというか、むしろ、今では、目立って得だなあ、くらいにまで思えるようになっていることだけど。
学年が上がるにつれて、そういう差別意識的なものもなくなっていったし。
「私も気にしてないよ、今はもう。むしろ、目立って得だって思えるようになったから」
だって、自分じゃどうしようもないことなんて、気にしているだけ無駄だし、そんな時間があるなら、ステップの一つ、腕立て伏せの十回でもしていたほうが、ずっと建設的だから。
だから、おこがましいとか、そんなことは、まったくない。
「そういうところが、詩音の前向きさのもとになっているのかもしれないわね」
「そんなの、朱里ちゃんも一緒でしょう? 無駄なことをしている暇があるなら、ステップやフレーズの一つでも練習していたほうが、よっぽど良いと思ってるんじゃないの?」
もう数か月は一緒にレッスンしている間柄になるわけだけど、朱里ちゃんはストイックだから。




