簡単じゃない労わり
とはいえ、私たちにできるのは、イベントとパフォーマンスを完璧にやり遂げることだけだ。
それは、ますますスタッフの人たちを忙しくする結果になるのかもしれないけど。
「詩音さん、どうかされましたか?」
バックミラー越しに蓉子さんに尋ねられる。
顔に出ていた? そうならないように気をつけていたつもりだったんだけど。
でも、気づかれたのなら意味がない。
「もしかして、顔に出ていましたか?」
アイドルとして、表情のコントロールはできないといけない技術だ。
「いえ。なんとなく、雰囲気で。大丈夫ですよ。多分、私以外にはわかりませんから」
もちろん、奏音は除くだろう。
隣を見れば、奏音は小さく肩を竦めた。
「私たちにも仕事はありますけど、スタッフの、蓉子さんたちの仕事はそれに比例してさらに忙しくなっていくんだなあ、なんて考えていました」
そういうのを嬉しい悲鳴というのだろうか。
「蓉子さんは大丈夫だと言っていましたけど、いつか倒れたりしないかと心配です」
蓉子さんが倒れたら、すぐに事務所が回らなくなる、とは言わないけど。
それでも、かなり大変になることは間違いなく、蓉子さん自身も心配だから。
「たしかに、今までは大丈夫だったところを実際にサポートを受けている私たちは誰よりもよく知っていますけど、去年より、さらにデビューしているユニットも増えました。私たち自身の仕事も、ありがたいことに、忙しくなっています。そんなスケージュールの中で、一番忙しそうに見えるのは蓉子さんですから」
それを私たちが心配していたら、本末転倒なんだけど。
しかし、私たちに蓉子さんを労わる時間があるかと聞かれたら。
それよりは、『サウナスパリゾート健康ランド』とかのチケットを渡したほうが喜ばれるような。いや、そもそも、そういったところに出かけるような暇もないということなんだけど。
「あー、ええっと、詩音さんはアイドルをされるのに大変だとか、そういうことを思ったりされますか?」
バックミラー越しに、困ったような笑顔を浮かべている蓉子さんと目が合った。
私たちの仕事という意味では、まだ、大変だと言えるようなものではない。もしかしたら、そうならないように、事務所側で配慮してくれているだけなのかもしれないけど。
でも、多分、そういうことじゃなくて、アイドルという仕事自体を大変だと感じたことがあるのかどうかを聞かれているんだろう。
「いえ。蓉子さんたちに助けられてばかりですから」
お陰で、私たちは、アイドルという仕事だけに集中していられる。
曲を作ったり――したことはまだないけど、歌詞を考えたり、ダンスを練習したり、収録をこなしたり……そういう、アーティスティックな仕事だけに。
「私たちも同じですよ。わかりやすいように言うと、詩音さんたちの仕事の対価として発生するお金の何パーセントかが会社にも入るようになっていて、それと、養成所の会費が私たちの仕事の賃金になっているわけです。つまり、詩音さんたちの仕事がうまくいけばいくほど、それに私たちの収入も支えられていることになりますから」
すごく現実的な話だった。
「えっと、それに比例する以上に仕事が忙しくなっているんじゃないかっていう話なんですけど」
奏音が控えめな感じで視線を向ける。
「では、詩音さんにわかりやすいように言いますね」
「私に?」
私と奏音じゃなくて?
「私たちは、アイドルの成長というドキュメンタリーを一番近くで、修正も、加筆もなく、直に見ることができているんです。もちろん、ライブやイベントも。それらは、経済効果ということではなく、十分以上の、心の栄養になると思いませんか?」
さすが蓉子さん。私を納得させるための理由は準備済みだったということ。
しかし、それがわかったからといって、私が認めないわけにはいかない。
「それは、たしかに」
「詩音ー」
隣の奏音が、ちょろすぎるよ、みたいな顔をしているけど、これは仕方ない。月城詩音というのは、そういう人間なんだから。
ちなみに、これは誘拐されかけたこととは関係ないからね。
あれは、べつに、アイドルに釣られたわけじゃないから。いや、アイドルにも釣られたりしないけど……しないけど!
「詩音さんたちが心配してくださるのはとても嬉しいのですが、私は大丈夫ですから」
さすがは蓉子さん。簡単には労わらせてくれないか。
「ねえ、詩音」
奏音が耳打ちしてくる。
えっと、いくら小さい声でも、この広いとは言えない車内で、すぐ前で運転している蓉子さんに聞こえないことはないと思うんだけど――。
「なに、奏音」
私はスマホを取り出して、メモ帳に書いて返事をした。
奏音は、すぐさま、私の意図を察してくれたようで、同じようにスマホのメモの画面を呼び出して。
「蓉子さんに、いつもお世話になっていますの労い会を開くのは?」
「スケジュール的に、そんな暇はなかったと思うけど」
私たちの仕事がない日には、ほかのユニットや個人での仕事が入っていたりするし。
「だから、昼間とか、一日とかじゃなくて、夜中にお泊り会でもするのは? 事務所――レッスン室に布団でも並べて、料理とか、リラックスできることでもてなすの」
夜中っていうことは、週末か。翌日に学校がある日には、さすがにできないし、それは、仕事でも同じだ。
でも、週末の夜に……いや、それも踏まえて、体調を調整するのもプロとしての仕事。
いわば、これは、蓉子さんを労い会を開催するという、アイドルとしての仕事。
「それって、私たちだけでできるの?」
とはいえ、問題もある。
普通にやっていたのでは、私たちだけでは限界がある。
「だから、由依さんたちにも確認してみよう」
「それって、『LSG』と『iシナジー』も含めてってこと?」
それは、かなりスケジュールの調整がハードなことに。
しかも、蓉子さんには任せられないし。
「じゃあ、詩音は朱里ちゃんたちによろしくね」
私が止める暇もなく、奏音はメッセージを送ってしまう。
よろしくって、グループのメッセージで送れば良かっただけなんじゃないの?
養成所というか、事務所のグループじゃなくて、デビューしているアイドルだけのグループを作って。
とはいえ、蓉子さんを労わりたい気持ちがあるのは、私も同じ。
「ちょっと相談があるんだけど」
「なに?」
メッセージを送ると、すぐに返事があった。朱里ちゃんたちも、今は休憩中か、仕事が終わったところなのかな?
「蓉子さんを労わる会を開きたいと思って」
簡潔に、用件だけを伝える。
「なるほどね。私たちのスケジュールが空いている時間帯なら、いつでもいいわよ」
さすが、朱里ちゃんは話が早い。
つまり、丸一日オフの日ではなくても、夜とか、その日の仕事が終わった後なら、いつでも手伝ってくれるということ。つまり、イベント? の趣旨とは外れていない。
自分たちの場合に置き換えたなら、ここで尋ね返すのは侮辱だろう。
「ありがとう。由依さんたちのほうの確認が取れ次第、連絡するね」
それは、今の奏音の連絡が済めば、すぐにということになるだろうけど。
「由依さんたちもいつでもいいって」
奏音からメッセージが届く。
それなら、後は。
「由依さん。蓉子さんのスケジュールって、わかりますか?」
私たちのマネージャーとしてのスケジュールじゃなくて、蓉子さんの個人的な予定のことだ。
毎日いるから、多分、大丈夫なんじゃないかとは思うけど。それでも、個人的な、たとえば、家族と会うとか、友人と用事がとか、労わろうと思っているのに、逆に、私たちのせいで蓉子さんの邪魔になるわけにはいかないから。




