初めてのCM出演依頼
「CMへの出演依頼、ですか?」
「はい。こちらの、清涼飲料水ということです」
いつもどおりにレッスンへ向かった日、事務所の前で蓉子さんに捕まった私と奏音。
テレビコマーシャルっていうことだよね。曲のためのPVは何度か撮影しているけど、あれは、自社、せいぜい、収録スタジオくらいまでの話だ。
今回のことは、企業からの依頼、ということになる。
「スポーツドリンクっていうことですか?」
依頼書なのか、企画書なのかを受け取った奏音は、書類に目を通す。
「はい」
「もちろん、やります」
蓉子さんが肯定してすぐ、私はまだ、依頼書を見る前だったけど、当然のように頷いた。
よっぽど、プライバシーにかかわるとか、怪しげだとか、信頼できない元から、なんていうことでもない限り、仕事ならば、どんなことでも経験していきたい。
なにより、選り好みできる立場じゃないし。
「詩音。あのさ」
「わかってるよ、奏音。奏音の後でしっかり、それは読ませてもらうつもり。それはそれとして、蓉子さんが、大丈夫だと思って、私たちに持ってきてくれた仕事だっていうこともわかってるから」
変な依頼を蓉子さんが私たちに渡してくるはずがない。
私たちの、というか、この事務所、養成所として、蓉子さんへの信頼は非常に高い。
「それだと、真面目に読もうとしてた私が馬鹿みたいじゃん」
「なに言ってるの。私だって、奏音の後にちゃんと読むからね」
それはそれ、これはこれだ。
まあ、若干、気持ちが逸って頷いたところもあるけど。
だって、CMだよ。テンションが上がらないほうがおかしいでしょう。これも、毎回言っているんだけど。
「信頼してくださるのは大変嬉しいのですが、詩音さんにも、確認していただければと」
蓉子さんも苦笑している。
まあ、ね。以前、ドキュメンタリーへの出演を断っている過去があるからね。あれだって、事務所のほうで持ってきてくれた仕事には違いないわけだし。
というか、私たちが自分から営業をかけることは、ほとんどない。
一応、動画配信とか、SNS(もちろん、事務所の共用アカウントへのもの)とかも、営業に入ると言われたら、行動していることになるわけだけど。
そういうわけで、奏音に手渡された資料に目を通して。
「私は受けたいと思います。一応、聞いておきたいんですけど、オーディションとかっていうことではないんですよね?」
出演者を決めるためのオーディションがある、ということでも、それならそれで、燃えるけど。
また、私たち以外のアイドルとか、こちらはあまり、積極的には興味はないけど、役者の人たちにも、会うことができるかもしれないし。
「はい。『ファルモニカ』のおふたりへの、正式な依頼となります」
一応、提案という形をとってくれてはいるけれど、蓉子さんならきっと、私たちはここで頷くか、首を横に振るかだけで問題ないところまで整えてくれているだろう。
「はい。やっぱり、受けます!」
ひととおり読み終えた奏音が、あらためて返事をする。
もちろん、私の答えも変わらない。
「わかりました。では、とりあえず、そのように返信させていただきますね。結果は後日となりますので、しばらくお待ちください」
それで、その日の打ち合わせというか、提案は終わって。
次の日。
「やはり、オーディションなどはなく、おふたりの出演を、あらためて、お願いするということでした」
やっぱり、返信は早いね。
「具体的な日取りとしましては、来週の週末に打ち合わせ。そこで、細かい案を詰めます。そして、決定すれば、翌週の週末に撮影となります」
「はい」
初めてのCM出演ということで、期待は膨らむ。
それにしても、結構早いんだね。もう少し、余裕をもって、提案もしてくれているのかと思った。
まさか、決断がどれだけ早くできるのかを試している、なんていうことでもないだろうし。
決まったのなら、それだけ早く、スケジュールも前倒しで進めてしまおう、ということなのかな。
「ねえ、詩音。なにか、私たちが必要っていう理由があるんだと思う?」
奏音も真面目に考えることにしたのか――。
「やっぱり、詩音が可愛すぎるからかな?」
訂正。やっぱり、奏音は奏音だった。
「あのさ、奏音。それだけが理由なはずないでしょう」
「あっ、じゃあ、詩音が可愛すぎるっていうところは否定しないんだね?」
それは、まあ。
「奏音も可愛いよ」
「はいはい」
なんで、自分のことのほうがぞんざいになるんだろう。私も人のことは言えないけど。
「やっぱり、二位の効果かな」
「いつまでしゃぶるつもり? もう時効でしょう」
もう、ひと月は過ぎているよ。
結果は結果として、過去の振り返りも必要だけど、未来へも目を向けていないと。反省も、なにも、とっくに済ませたんだから。
奏音は、よくわかっているでしょう?
「なんにしても、CMに出るっていうことは、宣伝効果もばっちりっていうことだよね。むしろ、こっちで費用をかける以上に効果を見込めるっていうことになるわけ、ですよね?」
私たちの新曲も、もうすぐリリースされる。
それはそれとして、もうMVも撮ったし、収録も済んだし、発売日にはイベントもあったりするけど、それ以上に、私たちの姿を全国のお茶の間で観てくれるということ。
「あ、もしかして、そのCMの音楽も私たちの曲を?」
「そうなりますね」
予想どおりだった。
それはつまり、撮影はともかく、実際に流されるのは、新曲が発売されてからということ。いや、丁度、合わせられるくらいの時期になるということかな。
うまくいけば、相乗効果も狙える。もちろん、共倒れになる可能性だってあるわけだけど、そこは、私たち次第というか、その商品次第というか。
「それで、蓉子さん」
「こちらが、その商品のサンプルになります」
奏音の言葉の先を読んだように、蓉子さんは足元の箱から商品サンプルを取り出す。
それも、依頼の際、直接受け取ったものだということだ。
つまり、メールとか、電話ではなく、ここまで来て直接やり取りをしていたということ。
なんで、その場に私たちは呼ばれなかったんだろう?
「その日はおふたりともお休みでしたから」
心を読まれたのかと思って、びっくりする。まあ、これも、よくあることなんだけど。
蓉子さんからすると、アイドルの顔色とか、機微なんかを読み取るのも、マネージャーとしてのデフォルトのスキルなんだということだけど、それなら、この前の奏音のことは、私がどうにかすると、未来でも読んでいたからこそなのか、それとも、私から、任せてほしいというオーラのようなものでも見えていたのか。
「それでは、新曲発売に関するイベントなども、いつもどおり行いますので、そちらと合わせて、しっかり、体調の管理など、お願いしますね」
「はい」
奏音と声を揃えて返事をする。健康管理の重要さは、言うまでもない。アイドルは身体が資本だからね。
「それで、これって、先に試飲? ですか? それで、実際の感想を考えておいたほうが良いんでしょうか?」
一応、CMでは、台本どおりに動いて喋るだけなんだけど。
言い方は悪くなるけど、あまりにも、出来が悪かったりした場合、問題になったりもするかもしれないから。
「そうですね。では、コップをお持ちしますので」
私もレッスンの間とか、ライブの間とかでも、スポーツ飲料をとるけど、こういうのって、ペットボトルとかから直接飲むところが粋、っていうところもあるとは思うけど。
まあ、味自体が変わるわけではないんだけど、雰囲気というかね。




