一日休むと自分にわかる、二日休むと批評家にわかる、三日休むと聴衆にわかる
◇ ◇ ◇
次のレッスン日。
奏音はちゃんと養成所に来て、当然のように、皆にもみくちゃにされていた。
「あ、奏音じゃん」
「そんなに負けたのがショックだったの? 素敵なライブだったよ」
「デビューしてる人の心証が悪いと、私たちまで影響するんだから、しっかりしてよね」
中には、ツンデレ気味の文句もあったけど、基本的には温かく迎えられた。上辺だけの感情、関係じゃなくて、心の籠った、温かいものだった。
「ご迷惑と、ご心配をおかけしました」
奏音も殊勝に頭を下げる。
「まあ、詩音が許しているなら、それでいいよ」
「二人揃ってないと、張り合い甲斐がないもんね」
「おっ、それって、一人づつなら勝てる自信があるってこと?」
なんていう感じで、騒がしかったけど、奏音がいなくて静かだった前回よりはずっといい。いや、いないなりに騒がしくはあったんだけど。
「奏音さん。レッスンの後、お時間いただけますか?」
もちろん、レッスンが始まる前に廊下ですれ違った蓉子さんたちからも、お呼びがかかっていた。
こっちは、純粋に、お叱りというか、お説教だろう。私もユニットのパートナーとして、しっかりと付き添うつもりだ。
「しっかり絞られたよ。それから、新曲の予定は変わらないから、さぼっていた分のクオリティは、ちゃんと取り戻すようにって」
もちろん、レッスンに適当な休みは必要だ。
毎日毎日、過酷なメニューをこなしていれば、先に身体を壊してしまうだろう。私たちの年代なら、とくに。
私たちは、プロのアスリートというほどではないにしろ、それなり以上には過酷なトレーニングをしているつもりだ。
なんといっても、それで稼いで、飯の種にしようというのだから。しかも、その期間は、スポーツ選手より明らかに短い。
つまり、一日の価値は相対的に高くなるということだ。もちろん、主観は大いに関係しているけど。
偉い人は、一日休むと自分にわかる、二日休むと批評家にわかる、三日休むと聴衆にわかる、なんて言ったらしいけど。
自分たちの技術だけじゃなくて、観てくれるファンの人たちからの評価が――はっきり言ってしまえば――稼ぎに直結する私たちにとって、それは十分に致命的になりうる話だ。
「奏音が戻ってきてよかったよ。奏音の歌が聴けなくなるなんて、人生の喪失だもん」
「それはたしかに。私たちだと、技術を盗むとか、参考にするなんて、とても言えるレベルじゃないけど、一聴以上の価値はあるもんね」
「詩音のビジュアルと、奏音の歌は、明確なうちの養成所のお得ポイントだよね」
奏音の歌と同列なんて畏れ多い。
私だってアイドルだし、自分のビジュアルについて、そこまで卑屈になっているわけでもない――と思う――けど。
「この世界の宝である詩音と同列なんて、畏れ多いよ」
「こっちの台詞なんだけど」
あれだけ言って聞かせたのに、奏音は自分の歌の魅力に対して、評価が低すぎる。
まだ足りなかったのかな?
「鏡よ、鏡、鏡さん。世界で一番可愛いのは誰?」
「それは私です」
「誰もあなたのことなんて聞いてないでしょう?」
養成所のレッスン室は、壁が鏡張りになっている。
だから、そんなふざけたことをやり出す生徒も出てくる。
さすがに、アイドルの養成所に通う生徒だけのことはあって、皆、自信というか、自尊心というか、自己評価は高い。そして、実際にそのとおりで、皆顔が良い。ダンスもうまいし、歌もうまい。おしゃべりなんて、得意中の得意だし。
「それでは、レッスンを始めますよ」
「はい」
もちろん、蓉子さんが入ってくれば、皆、しっかり気を入れ直して、ふざけていた雰囲気なんて霧散するんだけど。
「さっそく、レッスンに入っていきたいと思いますが。奏音さん」
この養成所には、皆、自分の意思で来ている。レッスンを入れる日だって、それなりに、個人の都合で調整が効く。
それでも、はっきりした事情も説明せず、それも、すでにデビューしているアイドルが休んだ――しかも、その時点では長期化しそうな雰囲気があった――とするなら、心配にもなるし、かかる迷惑もあるだろう。
「あなたは、当社に所属しているアイドルだという自覚をもっとしっかり持ってください。うちからデビューしている以上、うちの商品です。奏音さんも一人の人間ですから、まったく調子を落とすな、とは言えません。それでも、個人的な感情で、こちらになんの説明もなくとなると、非常に面倒なことになりかねなかった、ということだけは、忘れずにいてください」
「はい。申し訳ありませんでした」
蓉子さんから警告――厳重な注意がされて、奏音も殊勝に頭を下げる。
そういうことも、デビューするときの契約書に書かれているからね。
レッスン後の話がなくなる、ということではないだろう。ただ、皆の前でしっかりと注意するという行為に、意味があるということ。加えて、これからデビューするにしても、そこを注意してください、ということでもあるんだろう。
「もちろん、スタッフも、私個人ということでも、心配はしました。こうして無事に顔を見ることができて、嬉しく思いますよ」
「はい、ありがとうございます。いっそう、励みます」
そんな一幕を挟んで、レッスンが始まる。
たしかにというか、奏音の動きは少し悪かった。少なくとも、パートナーである私にはわかるくらいには。
だからといって、ファンには気付かれない、と思うのは早計すぎる。ファンは私たちが思う以上に、私たちのことをよく見ているものだ。多少、自分のことも入っているから、それは断言できる。
「奏音。だめだめだったね」
「ううー、わかってるよー」
へこんでいる奏音に声をかける。
もともと、その方面で落ち込んでいた奏音に、追い打ちのようなことをするのはどうかとも思ったけど、こうして、アイドルとしてレッスンに来ている以上、情け容赦は無用。しっかり反省して、クオリティを上げてもらわないと。
やっぱり、馴れ合いよりは、切磋琢磨する関係でいたいからね。
「また、うちで合宿する?」
一応、学校が休みである長期休みなら、できないこともない。
それで、長時間、レッスン漬けにすれば、奏音なら短い時間で取り戻すこともできるだろう。
「詩音の家でお泊りはしたいけど……」
「じゃあ、決まりだね。えっと、じゃあ、明日、雑誌のグラビアの仕事が終わったら、そのまま一緒に帰ろうね」
明日は、レッスンはないけど、仕事はある。いや、仕事があるからレッスンがなかったっていうべきかな。
やるなら、早いうちにやるべきだし。
「え、なにそれ、ずるい」
「ていうか、ちょっと待って。詩音の家って、合宿して、歌とかダンスのレッスンができるくらいに大きいの?」
「ここから近いっていうことなのに、全然、行ったことなかったね」
皆の視線が私に集まる。
まあ、基本的に、皆、電車とか、バスとか、あるいは、自転車なんかでの通いで、学区域が被るほど近い相手っていないから。
「あの、そんなに見られても、全員一度になんて、さすがにできませんからね?」
さすがに、泊まりともなると。
「……ううん。今回は一人でやってみるよ。詩音とお泊りはしたいけど、それはまた今度。いくら、ユニットとはいえ、そこまで甘えるわけにはいかないから」
結局、奏音は首を横に振った。
それが奏音の選択なら、私から言うことはない。そっちのほうが良いと、奏音が考えた結果だろうから尊重したい。
奏音とお泊りする機会なら、これから先もアイドルを続けるなら、いくらでもあるだろうし。仕事でも、プライベートでもね。




