辞めたければ辞めれば
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養成所はあくまでも、芸能界を目指すための訓練所だ。最終的な選考を通過して、芸能事務所に所属できるようになるためには、それ相応の実力が必要になる。
由依さんや真雪さんは、実力は当然だけど、自身のスキルアップのため、レッスンを続けている形だ。
一応、私の通うこの養成所は、芸能事務所と連携しているというか、直接手をかけられている場所だから、それなりに、デビューまでの道のりはできていると言えなくもないけど。
もちろん、デビューは早ければ早いほど良い。少なくとも、私はそう考えている。
仕事で忙しかろうとも、スキルは磨くことができるし、それは現場でということでも同じだ。
しかし、デビューできなければ、なにもない。まさに、〇か一かの世界。
とはいえ、毎年決まってこの人数だけデビューできる、なんてことが決まっていることはない。複数人デビューが決まることもあれば、一人もいない年も多いということだ。
その基準になるのが、毎月月末に行われるスタッフからの評価だ。
スタッフやトレーナの前で、課題曲のダンスや歌を披露して、良い評価をもらえると、デビューの候補生に選ばれて、そこでさらにレッスンを積んで、認められたらデビューできる、という感じになっている。もちろん、言うまでもないけれど、絶対ではない。
それから、これは、すでに養成所に所属している私たちには関係ないけれど、事務所の責任者、プロデューサーや、社長が直接スカウトしてきてそのままデビューする、ということもあるみたいだね。実際、由依さんも真雪さんも養成所に所属したのは、スカウトされてデビューしてかららしいし。より正確に言うのなら、養成所には所属していないで、レッスンだけを受けに来ている感じかな。もっとも、養成所というのは、うちの場合だけど、事務所の下部組織みたいなところはあるから、あまり関係ないんだけど。
某大手のアイドルグループも、毎年のように新メンバーやらを募集していたりするけど、いまのところ、私はそれらに応募してはいない。
即刻のデビューとかで、日取りも決まっていて、みたいな形でスカウトされたらふらふら行ってしまうかもしれないけれど、まあ、ありえないだろうし、せっかく、この事務所の養成所のオーディションに合格したんだから、しばらくはここで頑張ってみるのが良いと思っている。少なくとも、基礎は学ぶことができるわけだし。
「え? 望ちゃん、辞めちゃうの?」
とはいえ、そんな会話も、日常茶飯というほどではないけど、ちょくちょくくらいには耳にする。
もちろん、人数が減ったからといって、私がデビューに近くなるということはない。あたりまえだけど、相対的な評価ではなく、絶対的な評価が用いられているから。
たとえ、年間のデビュー者数がゼロだろうと、基準を満たしている人がいなければ、デビューすることにはならない。
「うん。ここに通うのもただじゃないし、年齢的にもね。もう十年も通わせてもらって、デビューできなくて申し訳ない気持ちはあるんだけどね」
たしかに、アイドルの養成所は、普通の習い事――たとえば、私が通っているダンスの教室と比べても、割高だとは思う。それも、私が働いて工面しているわけじゃなく、両親に甘えている形だ。
月城家は裕福で、子供のころから幾度となく、お金の大切さというのは両親から教えられてきている。私の月のお小遣いも、同世代の中央値から、それほど大きく離れてはいない。
だから、辞めるという判断をした子に対して、軽々しく、諦めないでとか、一緒に頑張ろう、なんて声はかけられない。それこそ、自分の人生をかけるような覚悟がないと。
「えー。もう少し一緒に頑張ってみようよ。ね? 皆もそう思うよね?」
中心になって話を聞いていた子が、周囲に同意を求める。
それなりの数の子たちが、同調するように、励ましなりの言葉をかけていたりするけど。
「辞めたければ黙って辞めればいいじゃない」
朱里ちゃんのその一言で、見事に場が凍り付く。奏音なんて、口を空けて固まってる。もっとも、奏音の理由は私たちに近いほうで、彼女たちの気持ちに寄り添ってということではなさそうだけど。
「朱里ちゃん、寂しかったり、悲しかったりしないの?」
「全然。むしろ、なんで、あなたたちがそんな風に辞める人を惜しんでいるのかがわからないわ。普段は、ライバルとして、切磋琢磨していこうなんて言いながら」
朱里ちゃんはちらりとだけ一瞥して。
「それともなに? 同情でもしてほしいの? 諦めなければいつか夢は叶うからって? そんな安っぽい覚悟なら、辞めて正解よ。どうせ、大成できないから。実際、順位だって、後から入ってきた私にも、詩音にも負けているじゃない」
本当に、はっきり言うなあ。
ていうか、私にまで飛び火してきたんだけど。
「朱里ちゃん、冷たすぎない? 同じ養成所の仲間なんだから――」
「仲間というのを否定はしないわ。でも、あなたたち、ここになにをしに来ているの? 仲良しこよしのお友達ごっこがしたいなら、他のところでもできるわよ。私たちを巻き込まないで」
そういう朱里ちゃんは、私を巻き込んでいるよね? 自然と、たちとか呼んでるし、もしかしなくても、私だけじゃなくて、そこに奏音も入っていたりするのかな?
そんな私の視線には、朱里ちゃんは都合よく、無視を決め込むらしい。そのくせ、自分からの視線には応えろって圧がすごいし。暴君が過ぎる。
仕事で由依さんと真雪さんがいなかった影響もあるのかもしれない。その子は結局、泣いて飛び出していってしまって、数人――私と奏音と、それから、朱里ちゃん以外が、後を追いかける。
「泣いて走れるだけの気力があるなら、発声練習の一回でもしていればいいのに」
朱里ちゃんは、あからさまにため息をついて。
「皆さん、そろそろ、休憩は……まだ戻ってきてないみたいですね」
入ってきた蓉子さんが、私たち三人の姿しかないことを見て、軽く目を見張る。
まだ戻ってきていないというか……私は奏音と顔を見合わせた。多分、私も奏音と同じように、苦笑いのような表情を浮かべていたことだろう。
「アイドルにコミュニケーション能力が必要だということはわかりますが、私たちは月謝を払い、ここへ学びにきているんです。スケジュールどおりにレッスンは続けてもらえますか?」
蓉子さんが説明を求めるだろう前に、朱里ちゃんが蓉子さんを見つめる、いや、睨みつけるのほうが近いかもしれない。
実際、朱里ちゃんの言うことはもっともで、早くデビューしたいのなら、レッスンの停滞なんていう時間は無駄でしかない。
「……わかりました。ですが、後ほど、お話しは聞かせてください」
蓉子さんも、ここで働いているプロとして、仕事のほうを優先することに決めたようだ。
一応、マネージャーも兼任しているということで、個人個人のメンタルケアも仕事の半中なのかもしれないけど、私たちはまだ、養成所の生徒だからね。
相談されたら、親身に聞いてくれるだろうけど、自分から探しに行って、話を聞いて、話し合いの場を設けて、なんてやっているほどには暇でもないのかもしれない。
「では、ステップから続けていきましょう。ワンエン、ツーエン、スリーエン、フォー」
人数の少なくなって、レッスン室に私たちの声が響く。
こういうときの、女子の同調圧力というか、仲間意識は厄介だからなあ。
今後のレッスンに支障が出なければ良いけど。




