さあ、話しなさい
由依さんは笑顔で私の後ろに回って、肩に手をかける。
「あの、由依さん?」
「もう大丈夫よ。それとも、奏音ちゃんを連れてきたほうがいいかしら?」
そんなことはさせたくない。それくらいなら、自分で向かうほうが数段ましだ。
「早く行かないと、このまま抱き締めて、連れていっちゃうわよ」
「わ、わかりましたから」
それは大分恥ずかしい。
それを言うなら、由依さんに――というより、他人に――間に入られている時点で、というところでもあるけど。
ともあれ、ここまでしてもらいながら、それでも動くことができないというのは、単純に勇気がないということになるから。
「あら、残念」
「からかわないでください、わっ」
あっさりと、おどけた調子で引き下がった由依さんに声を上げたら、抱き締められた。
お陰で、つんのめりそうになったけど、由依さんに抱きすくめられていたおかげで無事だった。
「たしかに、抱き心地は悪くないわね」
「あの、由依さん。歩けないので、放してもらえると助かるんですけど」
さては、奏音の言っていた抱き枕がどうのっていう話に引っ張られているのだろうか。
わざわざ、確かめるほどのことでもないと思うけど。
「はーい」
由依さんはすぐに解放してくれた。
とはいえ、助けてもらったことは事実だから、甘んじて受け入れよう。
私が、仕方ない、とため息をつくと。
「ふふっ」
由依さんが楽しそうに笑う。
「どうかしましたか?」
「なんでもないわ。ただ、詩音ちゃんが可愛すぎて、このままだと奏音ちゃんに悪いから、早く戻りましょう」
私の好奇心を理性が押さえているうちに、なんて、恐ろしい言葉が聞こえた気はするけど、多分、空耳だろう。きっと、そうに違いない。
奏音にっていうより、待たせることになってしまう生徒に悪いから。
「あっ、詩音、由依さん。レッスン始まっちゃうよ」
レッスン室へ戻ってくると、奏音が手招きしてきた。
「なに話してたの?」
「え? えっと、今は秘密」
レッスンの直前に話せるような内容じゃないから。
レッスンは全力で向き合わないと意味がないし、私の都合で余計なことを言って、奏音とか、ほかの生徒に対しても、心を乱したりしたくない。
私の気持ち一つで、そこまで誰にでも影響を及ぼすことになるとか、そこまで傲慢なことは思っていないけど、数人でも、少なくとも奏音には影響がある可能性が高い以上、リスクをとるべきじゃないから。
「今は?」
「うん。レッスンが終わってからね」
奏音は多少首を捻りながらも、引き下がった。
気になっているという程度なら、パフォーマンスに支障があったりはしないだろう。
「おはようございます」
と入ってきた蓉子さんと挨拶を済ませてから、一瞬、目が合った。
ただし、蓉子さんはなにかを言ってくるわけでもなく、続けて、由依さんのほうへと視線を向けて。
これは、大分詳しいところまでわかられているんだろうなあ。
もしかしたら、もともと、蓉子さんが来てくれるつもりだったのかもしれない。そのくらいは察せられていそうだから。
それで、途中で由依さんと出くわして、譲り合いみたいなことが起こったんだろう。
どちらにしても、気にかけてもらって、申し訳なさと、嬉しさと、まあ、いろいろと思ったところはあるにしても、感謝の意味を込めて、一度、小さく頭を下げた。
本当に、ありがたいというか。
「それでは、今日もダンスのレッスンから始めていきましょう」
由依さんと話をして、私の中でも、もちろん、残っている思いはあっても、ある程度、吹っ切れてもいる。
ダンスのレッスンだから、ということじゃなくて、隣に奏音がいても、しっかり自分を保ってパフォーマンスができている。
劇的にうまくなったりしているわけじゃないけど、それでも、マイナスな気持ちじゃなくなったことは大きい。
もちろん、張り切りすぎて、ほかの人と足並みを合わせられなければ、意味はないけど。
蓉子さんのお手本どおり、音楽に合わせながらも、周囲の人とずれないようにしっかり見回しながら。しっかり見回すとは言っても、本当に首を回しながらという意味じゃない。前にいる人とか横にいる相手、鏡越しに後ろに見える人とか、空気、雰囲気、そんなものを感じながら、合わせるようにするということ。
自分の正しいと思えるリズムで振り付けを踊ることは、自主練のときにでも、いくらでもできる。
わざわざ、大人数で一緒にやるということは、アイドルのダンスは一緒に踊る仲間と合わせるものだということをしっかり意識しながらやらせるため。
もちろん、視線とか、身体の角度とか、指先まで神経を張り詰めているかとか、そういうところに差は出てくるかもしれないけど。
それでも、全体としてばらつきが出ているように見えるよりはいい。言うまでもなく、全員、しっかり、とりあえずは、お手本どおりに振りつけることができるというのが、理想ではあるわけだけど。
それから、水分補給を挟みつつ、歌と、フィジカルトレーニング。
これらの順番は、いつも決まっているわけじゃない。どれからどういう順番でも、しっかりやり切る。
ダンスと歌を済ませた後のフィジカルトレーニングはきつい、なんて泣き言は言っていられない。
本番のステージでは、どんなに疲れていても、どんなにメンタル的に弱っていても、ベストなパフォーマンスを求められるわけだし、それに応えられないようなら、デビューとか、ステージに立つ資格はない。
プロとして、アイドルとして活動するとは、そういうことだ。
「それで、詩音。由依さんとなにを話してたの?」
レッスンを終えて、ストレッチとか、着替えとか、そんなことを済ませてから、奏音に捕まった。
レッスンが終わってから、と待たせたのは私のほうだし、話さずに済ませられることでもない。ユニットとして、これからも活動を続けていくなら避けられないことでもあるから。
「奏音は天才的で、すごいなあって話」
「なに言ってるの?」
奏音は、真面目に話して、なんて言ってくるけど、私だってそのまま話しているだけだ。
「本当に、そのままの話をしてたんだけど」
「意味わからないんだけど?」
奏音の手が、なんだか、いやらしい感じに蠢くので。
「詩音ー?」
「由依さんー」
私は由依さんに泣きついた。
このままだと、蹂躙されそうで、なんというか、奏音の目つきも恐ろしかったし。
由依さんはいつもどおりの笑顔で。
「詩音ちゃんが可愛くていじめたくなるのはわかるけど、そんなに怖がらせたらだめよ、奏音ちゃん」
「由依さん?」
あれ? もしかして、助けを求める相手を間違えたかな? 味方だと思ったら敵だったとか、そういう話?
「さあ、詩音。大人しく話しなさい」
奏音は私を座らせて、誤魔化されないから、と表情を作る。
「悪いのだけれど、皆、今は一旦、私たちだけにしてくれるかしら?」
由依さんが、何事だろうかと、残ってこちらに視線を向けていた人たちに手を合わせる。
由依さんが言うなら、と残っていた人たちが大人しく帰ってくれて、それから。
「奏音ちゃん。とりあえず、最後まで静かに聞いてくれるかしら?」
「由依さんがそう言うなら」
そうして、促されて。
「えっとね――」
私は、由依さんと話したことをそのまま奏音に伝えた。
余すことなく、包み隠さず。
自分の情けないところを話すのは、それも、パートナーに話すというのは大分堪えることだったけど、事前に由依さんに話を聞いてもらえていたから、幾分、心は軽くなっていたことも事実で。




